北原白秋『邪宗門』私考

 北原白秋の『邪宗門』は彼の処女作として1909年に発表された。

 新潮文庫版のものを最近読んだので、解説やその他のものを読む前に一度感想を書きたい。

 まずこの『邪宗門』全体の印象としては「毒々しさ」や「甘やかさ」「不穏あるいは不審さ」「麻薬」「不透明さ」などを読み取った。

 邪宗門の名が示す通り、キリスト教に関する詩ではありそうだが、どうやら白秋独自の西洋文明に対する世界観の提示であるように思う。

 西洋文明の極めて人工的な印象やステンドグラス的光彩を作品全体から感じ取れる。

 この詩の中でも特に気に入った言葉として「霧」「ペリカン」「ヴァイオリン」「ソプラノ」「ウィスキー」「拍子木」「錆」である。

 まず霧(濃霧)については、なにかモノが見えない、視界が遮られている(霧であれば水蒸気に、暗闇であれば光のなさに)ということに関しては「暗闇」などと一緒だが、暗闇と異なるところは恐怖感が大きくない(あるいは恐怖感の種類が異なる、つまり霧に恐怖を感じても、暗闇で感じる恐怖xとはまた別の恐怖yである)こと、そして視界がクリアでないところをあげられるだろう。暗闇は視界がクリアであるにも関わらず何も見えない、それは視界が水蒸気ではなく光という極めてクリアネスなものによって遮られていることによるのか、いずれにせよ「視界に「透明な」光のなさによって何も「映っていない」」というイメージが暗闇にあるだろう。一方で濃霧はモヤモヤが見えているおかげで何も見えない、しかるに「視界には「不透明な」水蒸気によって何も「映っていない」」というイメージが霧にはある。

 ペリカンに対してはただ狂気の動物という印象があった。カピバラを食べようとしているシーンや目の感じがどこか正気の沙汰ではない印象を与える。それがこの詩の中で絶妙にマッチしているように思う。ペリカンの印象に近い動物としてはオウムが近いか。いずれにせよ鳥類にしか出せない気狂いさがあるかもしれない。

 ヴァイオリンやソプラノからは「悲壮感」や「狂気」を感じ取った。映画『エヴァンゲリオン』で庵野秀明氏は青いキューブ状の敵がビームを発射する時にソプラノの音を使用していたが、まさにソプラノの高音調は猟奇的な感情を感じ取ることができる。ヴァイオリンもここでは上手に演奏されていない。どこか不協和音を助長するような印象を与えている。

 ウィスキーに関してはあの甘いアルコールの臭いと、においを嗅いだだけでも酔ってしまいそうな強いアルコール度数にサイケデリックな印象を与えた。その他、ケシなどの麻薬も当作品には出てくるのでうまくマッチしている。

 拍子木はあの単調なリズムにやはりここでも「狂気的な」なにか、あるいは「危険な」なにかを感じ取らざるを得ない。踏切の警報音や赤色灯、車のハザードランプ。思えば何かを警告したり、危険を予期させるような音やイメージは往々にして単調であることが多い気がする。

 錆は時間の経過によって腐敗していくモノの印象を与える。この詩の中ではよく「腐敗」という言葉が使われるが、印象としてはそれに近い。だが、腐敗はかつては華麗だったものが腐臭を放つようになるというプラスから一気にマイナスに転じる強烈な変化であるが、錆は腐敗ほど強烈ではなかろう。錆は視覚にしか影響を与えないからだろうか。腐臭ほど嫌悪を覚える感覚はないかもしれない。臭いの与える影響は恐ろしい。

 以上が『邪宗門』の印象である。

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