暗号のような文字

「『ミミミ』ってなんだよ?」
私が書いた文字を読んで同僚は叫んだ。
「いや、『指針』だよ。書いたのは。」
「カタカタの『シシン』かよ。こんなの読めねえよ。」
なるほど。確かにカタカタの形が崩れすぎて、「シ」が「ミ」に見えてしまう。
「ミミミ」と読めてしまうのも頷ける。
しかし「ン」も「ミ」と読んでしまう、そちらさんもいかがなものか。
「こんなの暗号だよ。暗号。自分で書いてよく読めるな。」
「いや、実は後から読み直すと自分でも何書いているかわからない時がある。」
「メモの意味ねーじゃん。」
その言葉を言われ、私はぐうの音も出なかった。

とあるオフィスでの出来事だった。
オフィスの外は黒いカーテン引かれたように真っ暗だった。
他のビルも灯りも、この黒いカーテンの隙間から点々と光る程度。
私は夜遅くまで初めての仕事に取り組んでいた。
イベント会場で自社サービスを説明する準備である。
私は同僚と一緒に説明者のために想定問答表を作成していた。
想定問答表は自社サービスを説明する人に向けて、あらかじめ想定される質問とその答えを記書いた表である。
説明者はあらかじめ想定問答表を読んでいれば、イベント当日にスムーズにお客様へ回答することができる。
想定問答表が完成し、すぐに上司の元に伺った。
イベントまであと3日しかないとは言え、私も上司もよくもまあ遅くまで会社に残っているものである。
上司は想定問答表を受け取り黙って読み込んだ。
そしていくつかの質問をした後にアドバイスを伝えた。
「説明しにくい問答の場合、どういうスタンスで説明すればいいのか、わかるように書いて。指針みたいなものがあると説明しやすいから。」
どうやら想定問答表は大きな修正がなさそうだ。
あとは説明しやすいように手直しするだけだ。
ほっと息をついて席に戻った。
「すまん。メモ見せて。」
同僚が話しかけてきた。
どうやらメモをしてなかったらしい。
「ああ。いいよ。」
同僚に手書きのメモを渡すと、次第に眉間にシワが寄ってきて、なんとも言い難い苦い表情に変わっていった。
そして指摘された自分の文字が汚いという事実。
書いた本人ですら何が書かれているかわからない暗号。
そう。私は絶望するほど文字が汚い。

例えば「こと」という文字を書いたとする。
しかし「こ」と「と」が同じ文字のように見えてしまう。
そのため「ここ」なのか「こと」なのかわかりにくい。
同様に「た」と「に」が同じような文字に見えてしまうなど、例を挙げたらキリがない。
どうやら、ひらがなやカタカタの一部を省略したり雑に書いてしまう。
特に雑に書くのは漢字だ。
画数の多い字はとにかくグチャグチャに書いてしまう。
例えば「筆」という漢字は、竹冠に縦棒にキザザキのマークを書いているだけ。
それでも竹冠のおかげでかろうじて「筆」と読むことができるだけ、まだマシ。
ひどい場合は、「広報」の「広」が「応」と読めたり、「報」が「服」と読めたりする。
「立案」の「立」が「文」に読めたり、「案」が「完」と読めたりする。
漢字の止め、跳ね、払いなどあったものではない。
画数の多い部分を省略するため、元の文字がわからない。
解読するには文脈で推測するしかない。
さらに漢字とカタカタを混ぜて書いてしまう。
例えば「天狼院書店」を「テンロウ院書店」と書く。
「備品購入」を「ビ品コウ入」と書く。
漢字で書くのかカタカタで書くのか統一して欲しいものである。
私自身が私の文字にツッコミを入れるのもおかしな話であるが、そう思ってしまう。
このように私の文字は読む側の解読スキルが求められる暗号である。

一体いつから文字が汚くなったのだろうか。
昔は文字が汚くなかった。
子供の頃は習字を習っていた。
私の周りには、文字がもっと汚い人がたくさんいたし、文字は綺麗な方だと私自身そう少なくとも思っていた。
しかし思い返して見ると、習字の時間は退屈だった。
なぜなら文字は綺麗になるけれど、達筆にはならない。
私よりも字が綺麗な人たちがいたけれど、私よりも字が汚い人もたくさんいた。
そのような状況だから、字を綺麗に書かなくても読めれば十分という考え方になったのだと思う。
さらに最近、自分の文字を他人に見せる機会がめっきり減った。
人に見せる文章はパソコンで打つのが当たり前。
手書きは自分が後で読むためのメモ程度。
しかも手書きのメモは、とりあえず記録すること第一にしているため、綺麗に文字を書くことは二の次。
どうせ自分しか読まないのだから多少雑に書いても問題ない。
そんな意識が文字の汚さを加速させているのだと思う。
その最終形態が自分でも読めない暗号のような文字である。

果たして私以外に私の文字を解読できる人がいるのだろうか。
いるのだとしたらぜひお会いしてみたい。
例えば、古文書を解読する歴史家なら解読できるだろうか。
平安貴族たちが書いた崩し字を現代の私たちは読めない。
さらに書かれている単語も現在使われている単語とは異なる。
いや、私も流石に「むげ」とか「くちをし」とか古文の単語を使わないが、私の文字は崩し字のようなものだ。
そんな崩し字を読むことに生涯をかけた人たちならば、もしかしたら私の書いた暗号も読めるのかもしれない。
他にも実在する人物でなくとも、私の文字を解読できる人はいるのだろうか。
例えば、イギリスのベーカー街に住む「踊る人形」を解読した名探偵ならば可能かもしれない。
「初歩的なことだよ、ワトソン君。」
とか言いながら、私の文字の癖を看破ってしまうかもしれない。
そうであるなら、是非とも手合わせ願いたいものである。
もう綺麗に文字を書くことは諦めて、自分の暗号のような文字を解読する人たちとの出会いを楽しみにしていた方がいいのかもしれない。
汚い文字を書くことを前向きに捉えるため、自分に言い聞かせている。

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