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三条通りとカレーと京の面白さについて

yujiさんによる6月の課題を受け、地縁のある三条通りのことを記してみたい。

そもそも、三条通りに縁が深いのは、実家のある“山の上から”出ている京阪バスの終点が三条京阪であり、幼い頃からバスの行き先といえば三条であったこと、また生まれる前の記憶というものが仮にあるとすれば、両親が三条通りの東の果て(果てやしないのだけれど、所謂“京都の町衆”感覚でいえば、東山の麓までが三条通りであろう)である蹴上から、インクラインを越えた御陵(みささぎ)に程近いところに住んでいたことからしても、やはり三条という通りには、地縁を感じざるを得ない。

そして昨日、京都へ仕事でいらしていた、ナガタミサさんが、待ち合わせに指定してくださったのも、“東洞院三条東入ル”すなわち東洞院通りと三条通りの交差点から東へ入ったところの、カレー専門店であった。

京都人は通りの名前で居所を特定することで有名だけれど、私も京都生まれ滋賀育ちにして、その性質を京都人の父から受け継いでいるので、ご指定された東洞院通りと三条通りが交差する辺りの景色が、即座に浮かびつつも、そんなところにカレー屋さんはあったっけ、という感じで東から日差しが強くなってきた三条通りを歩く。

3ヶ月前10数年ぶりで改装前に訪れたイノダコーヒ三条店の前や、2003年に1年間通った河合塾京都校の前など通りながら、目を左右に(つまり南北に)待ち合わせ場所を探していると、ちょうどミサさんとリコさんがお店に入られるところであった。

https://ameblo.jp/purumu-toyohashi/

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界隈(?)で有名なこちらは、カマルさんと仰り、開業から今年で10周年だそう。
京都は新しい物好きの気風があってか、エスニックのお店が多く、カレーも美味しいところが多い中、こうして文化人が多いエリア(すぐ東の高倉通りには京都文化博物館、西へ行き烏丸の角を北へ上がると新風館や芸術書の棚が広く取られている大垣書店の烏丸三条店、東へ行くと寺町上ルには鳩居堂、新京極の角からすぐのところにはJEUGIAの三条本店、などなど枚挙に暇がない。河原町東入ルの現在ロイヤルパークホテルになっているところは、昔々東宝公楽という映画館やった)へ東京から出店してこられて10周年というのは、なかなかのことやと思う。

https://www.instagram.com/p/CdO2e6yPbNr/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

メニューにはカレーが4種、また“あいがけ”も入れると更に数パターンの組み合わせがある中、私は一番オーソドックスなバターチキンカレーを。
辛みは抑え目で、サラッとした風合いのルーにも関わらず、しっかりと旨味を感じるのは、スパイスの使われ方が上手である証だろう。
ホロホロに煮込まれたチキンもたくさん入っていて、付け合わせのお漬物のアクセント(京都のカレー専門店は漬物が好きなのかしらん。先日10数年ぶりで行ったSpice Chamberもキーマカレーには昔から梅干しが乗ってるねぇ)も相俟って、一気に食べてしまいそうなところ、セットでいただいた野菜ジュースを合間に挟んで、少しペースを抑えながらいただく。

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野菜ジュースは赤,緑,黄の3種+日替わりの4種あり、私がいただいたカボチャ,白菜,バナナから成る黄色は、白菜由来かなシャリシャリとした繊維感もあり、氷無しでいただくとちょっとしたスープのように、箸休め(いや匙休め、か)にちょうど良い感じ。
こうしてお手製のドリンクを選べること、氷の有無を事前に聞いていただけるのは珍しい気がして、こうした細やかなサービスに触れると、ほっこりしてまた訪れたくなるもの。
ちなみにカレーの量も細かく設定があり、私は男性にお薦めと書いてあった300g、女性のお二方は200gやったかな、いずれもちょうど良い量感が、各々その日のコンディションによって選べるのも嬉しいポイントやと思う。
三条界隈のそぞろ歩きにおいて、選択肢が一つ増えたのは有り難いことであった。

三条通りのカレーといえば、10数年前この近くには“レトルトカレー専門店”があった。
3桁くらいの種類が並んでいて、ご当地限定のジビエを使ったものなど食べに何度が足を運んだ記憶があって、それはそれなりの面白さがあったけれど、数年で閉められたのやったと思う。
選択できることの豊かさは、実は選択肢自体の選定に拠るところが大きい。
つまり如何に選択肢が多くとも、その一つ一つに魅力がなければそもそもどうしようもないわけで、つまりは逆説的に聞こえるかもしれないが、選択肢を絞るプロフェッショナルが介在してこそ、私達は豊かな選択を楽しめるのである。
京都のような町には、メニューの無い店や、あるいはそもそも選択肢を設けない商いもあって、その自信の一品や逸品(例えばとある和菓子屋では“これ”という品しかない)に至るまでの途方もない研究と選択による成果があるからこそ、そのたった一つに結実した選択肢を求めて、訪れる人が絶えぬ店になったりする。

そしてその実を結んだ“目利き”は品を見るだけでなく、時代性も読んできたはずで、冒頭の方で書いた“新しいもの好き”であるからこそ、伝統を受け継いできたに違いない。
この温故知新という言葉でも足りないのが、京都という土地の面白さである。
風の時代への移行から早1年半を迎え、社会の変革を感じていない人はいない今こそ、五回六回とミューテーションを経た上でなお、新旧の混淆を止めぬ街、京都に人も私も惹きつけられるのかもしれない。

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