『アはアーケードのア』 第19回『ディグダグ』(1982年ナムコ)

「携行型」と「固定配置型」、2種類の攻撃方法の複合型ゲーム

 「パンクさせるよりつぶしちゃえ!」――ポンプで敵をパンクさせて倒すより、岩を落としてまとめてつぶす方がテクニカルで高得点という『ディグダグ』の魅力を簡潔に表した名コピーです。地中にうごめくプーカァとファイガーを退治する穴掘り戦略ゲーム、それが『ディグダグ』です。

 昔はゲーム企画を考えるとき「動詞から発想する」ということがよくいわれました(今でも通じると思いますが)。『ディグダグ』はそれを地で行くゲームで、「掘る」「突き刺す」「膨らます」「割る」「落とす」「つぶす」……要素を並べてみると、魅力的なビジュアルが目に浮かぶものばかりです。

 アクションゲームの攻撃方法を分類すると、大別して「携行型」と「固定配置型」があります。前者はプレイヤーが常に攻撃武器を携行している物で、シューティング全般や、『ちゃっくんぽっぷ』(爆弾)『バブルボブル』(泡、背びれ)などはこれが軸になった遊びです。

 「固定配置型」というのはマップ内に武器となる小道具が配置されていて、それを使ってうまく敵をやっつけるタイプの遊びです。『ペンゴ(アイスブロック)』『マッピー(ドア)』『ハンバーガー(具材)』『ぺったんピュー(プレート)』のようなゲームは、こちらが軸になっています。

 『ディグダグ』は、その2つのタイプが混在した遊びです。モリとポンプを携行し、地底には岩が配置されている。両方を使って敵を倒していく、当時としては遊びに幅のあるゲームです。それぞれの武器に特長はありますが、遊びに占める割合でいうと、比較的どちらがメインでサブというのがない。

二次元空間を立体的に使う優れたアイデア

 『ディグダグ』において、岩で敵をつぶすという発想はきわめてキャッチーでしたが、一番優れた発想は“モリで刺されて膨らんだ敵は通り抜けることができる”だったと思います。これのおかげで二次元空間を立体的に使って敵を集めやすくなっていて、岩のまとめつぶしと美しく融和しています。

 特定の条件下で敵をすり抜けるというルールでは、同社にはほかにもたとえば『マッピー』があります。気絶中およびトランポリン昇降中のミューキーズには触れてもミスになりません。そのルールによって戦略性の深みという実利面以上に、とても不思議なプレイ感覚が生まれ、大きな魅力になっています。

 また、敵が最後の一匹になると思考モードが切り替わって、画面外へ逃げ出すというアイデアも秀逸だなと、いつ見ても思います。少なくとも『ペンゴ』よりこのゲームが先のはずですが、このアイデアを最初に採用したゲームって何でしょうね。ぼくにはどれという確証がありません。

 プレイヤーの移動中だけBGMが流れるというのも『ディグダグ』の大きな特徴です。以前、作曲者の慶野由利子さんがラジオ番組でこのゲームの思い出を語られていて、このアイデアは慶野さんから生まれたものではない(プログラマが制御していた)ということを仰っていました。

 『ディグダグ』の移動は、見えないグリッドによって規制されています。16dotごとに置かれた基点を結んだ格子のライン上しか移動することができません。これはもちろん、敵や岩などとの軸が合わせやすいように、遊びやすさを考えての設計なのですが、これを癖があると感じた人もいるかもしれません。

 ぼくは初めてプレイしたとき「思ったところで曲がれない」という違和感を少しだけ持ちました。もちろん、そうした仕組みを持つゲームはたくさんあるのですが、『ディグダグ』はグリッドの目安になるものがない全面土中の状態から始まるので、とくにそう感じたのだと思います。すぐに慣れましたが。

 アクションゲームにおいては、当然ですがプレイヤーキャラの能力を元に敵の強さが設定されます。『ディグダグ』はモリとポンプがかなり強力な武器なので、中盤辺りから敵の速度がとんでもなく上がっていきます。相当にレバーとボタンを酷使する、激しいゲームだったという印象が強いです。

 個人的な感覚ですが、『ディグダグ』は筐体から横にレバーが飛び出したタイプが最も遊びやすく感じました。せり出したコントロールパネルから上へ垂直に伸びたレバーだと、ぼくの腕ではとてもさばき切れなかった覚えがあります。まして、家庭用ゲーム機のコントローラで遊ぶのは厳しかったです。

不条理? 荒唐無稽? だからこそおもしろい

 ナムコにいたときに、ぼくの上司が「『ディグダグ』は出来上がるまで(傍で見てて)何だかよくわからない謎のゲームだったなぁ」と述懐していました。何となくわかる気がします。まあモンスター退治というのはわかるけれど、不思議な舞台設定で“ディグダグ”という存在も何だかよくわからない。

 土と穴という基本概念についても、敵は最初から「目変化」で無視してきます。考えてみると世界観にそぐわないようなこのフィーチャーも、ゲームを成り立たせるための力技ともいえるアイデアだったように思います(このゲームを基にした『Mr.Do!』では、敵もきちんと穴を掘るのですが)。

 こういう力技の荒唐無稽な面白さが成り立っていたのは、時代背景もありますし、当時の簡素なグラフィックのおかげというのも大きい気はします。近年、インディー系でこういう奇妙な風味のゲームがまた目立つようになり、リアル系ゲームと入り混じることでより魅惑的な時代になったように思います。了

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