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アはアーケードのア 第24回『フリスキートム』(1981年/日本物産)

 このほど発売されたアーケードアーカイブス版『フリスキートム』を遊んでみました。

 いたずらネズミに外された水道管のジョイントを元へもどして水を通すアーケード用ビデオゲーム。『ムーンクレスタ』『クレイジークライマー』『テラクレスタ』や、多くのアーケード用麻雀ゲームでも知られる日本物産(通称ニチブツ)から発売された40年前の製品です。

いくつものバージョンが存在する、数奇な運命をたどったゲーム

 アーケードアーカイブス版には、2つのバージョンが収録されていますが、ぼくが覚えている範囲でも、この2つの間に少なくとももう一つバージョンがあったはずです(『フリスキートム』はいくつもバージョンがあることで有名なゲームでした)。

 もう一つのバージョン(2番目のバージョン?)は、タンクを満タンにすればクリアというノルマ制で、前のステージで貯めた量は引き継がれず、毎ステージ最大量からやり直しというルールだった覚えがあります。極悪な赤ネズミもまだ出ない。最初のバージョンに比べて残機(タンクのストック)も貯まりやすくて一番易しく、ぼくでもかなり長く遊べました。

 ちなみに、初期バージョンは、タンクに貯めた分だけ次のステージに持ち越されるというものです。だから、エクステンドに到達しない限り、ステージ開始時の水量は減っていく一方になります。

※もう記憶もかなりあやふやなので、もし説明が間違ってたらご指摘ください。

初期ニチブツゲームを支えた2人の男

 当時、ニチブツ製品の主にプログラムパートを担当していたジョルダン社へのインタビューによると(※)、『ムーンクレスタ』『クレイジークライマー』『フリスキートム』辺りの製品は、ほぼニチブツの木島さんと、ジョルダンの本田光雄さんというかたがコンビで作っていたそうです。もちろん、ほかにもグラフィックやサウンドの担当者もいるわけですが、キーパーソンはこの2人だったらしい。

(※)ゲーム文化保存研究所(IGCC)さんの企画で、ぼくも同行させていただきました。
https://igcc.jp/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%ab%e3%83%80%e3%83%b31/

 上記タイトルに『ローリングクラッシュ』を加えた4作は、どれも“よくぞこの時代にこのネタをここまで遊べる形に仕上げたな”と思う奇抜なアイデアばかりです。

 ドットイートのコースを8の字に曲げて立体交差させた『ローリングクラッシュ』、自機の合体要素+敵が弾を撃たないSTG『ムーンクレスタ』、さらにビル登りゲームの『クレイジークライマー』はいうに及ばず、そしてこの『フリスキートム』。参考にできる先達の少ないこの時代に、フロックでこの4作はつくれない。

 たとえば『ムーンクレスタ』なんて、「敵が弾を撃たない」って言うは易しだけれど、そうするとほとんど敵の体当たりで難易度のバランスを取らないといけないわけで、敵弾の量や速度という便利なパラメータが使えず、敵の飛行パターンがそのまま難易度に直結します。制約が大きく、とても面倒くさいはず。なのに、あれだけ完成度が高い。むしろ、その制約のおかげで、じつにねちっこく個性的な動きに仕上がっています。

 コンビのお二方のうちどちらが優秀だったのだろうって思うのですが、ジョルダンの社長さんのお話では、「木島さんは“できる”企画屋」「『クレイジークライマー』は木島さんからの提案」「『ローリングクラッシュ』の提案者は本田さん」「(『フリスキートム』の)ちょっとパズルっぽいアイデアは本田さんのものだろう」だそうで、この言を信じるならどちらもとても優秀なかただったようだ。

一本の長いパイプがそのまま迷路になっていることから、移動ルールが導き出されている?

 だから、会社の垣根を超えた奇跡的なコンビだったと思うのですが、何作もずっとほぼ2人だけでリードしてきたことで、『フリスキートム』はアイデアが行き着くところまで行って、かなり先鋭化してしまったように見てとれます。

 当時、ついてこられたプレイヤーは、本当に少なかったように思います(ぼくも初期バージョンについては、よくわからないうちにゲームオーバーになってました)。

 思うに、彼らの優秀さと練達による作品の先鋭化を、2人のすり合わせによってもうまく中和できなかったのが、この『フリスキートム』というゲームだったのではないか。いろいろな意味で――それはよくも悪くも――当時としては見たこともないようなゲームでした。

 改めて遊んでみても思うのですが、やっぱり配管の迷路が最初わかりにくくて、どこからどこへは移動ができて、どこはできない、というのが直感的でない。遊び込んでいけば、そんなにわかりにくいわけではないのだけど、初見ではかなり戸惑います。

 左右方向については「腕を広げて届く距離」なら配管がつながってなくても進める、という理屈は、同じく彼らがつくった『クレイジークライマー』を彷彿とさせるのだけど、同じことが上下方向ではできません。

 とくに下方向は、地上に落ちたジョイントを早く拾いに行きたいし、理屈としては手を放して落下すればいいのに、と感じてしまいます。とはいえ、それらが全部できてしまうと、迷路の意味がかなり薄まってしまうのですが。

 すべては推測ですが、この移動ルールは、おそらく「迷路が一本のつながったパイプ」というアイデアありきで、その上で、迷路ゲームとしての移動制限の落としどころを考えて、このようになったのだと思われます。だからちょっと強引なまとめかたになっている。

 この移動のわかりにくさは、ちょうど『ちゃっくんぽっぷ』で片足立ちだと半分の高さしかジャンプできないのによく似ています(どれもぼくの好きなゲームですけど )。

タンクに水を貯めるルールと、“モグラたたき”という遊びを伝えることの難しさ

 当時、『フリスキートム』は残機1(タンクのストックがないということ)がデフォルトでした。内部的には複数残機の仕組みを用意しておきながら、です。慣れたつくり手がテストプレイしたら、思った以上にプレイ時間が長くて、急きょデフォルトを1に決めたのかもしれません。

 ソフト的にはとても丁寧に作られていて、ネズミの愛嬌のある仕草だったり、貯めた水量に応じて内容の変化するシャワーシーン、爆弾のギミック等々、愛着をもって折り目正しく仕上げられていることが伝わってきます。

 ただ、初期バージョンには調整不足(?)箇所も多くて、とくに地上からパイプにつかまるたびに長いモーションで振り向いてポーズを取るとか、爆弾との関係だとは思うけれど、画面左端からは飛び降りられるのに、右端からは降りられないとか、開幕早々ネズミが次々とジョイントを外しにかかってくるシビアさ、主人公の移動が遅いetc...。とにかく難しい。

 でも、たぶんつくり手側とプレイヤー側の意識の乖離で一番大きかったのは、このゲームが敵のネズミの移動アルゴリズムを把握していることを前提にバランスが取られていることだと思います。そして、それを知った上でネズミを体当たりで落としまくらないといけない。そこまで理解してないとすさまじく難しいゲームになる。

 つくり手の意図として、ネズミを落とすことが最重要フィーチャーであることは、連続で落とすと得点が倍々に上がっていくことからもわかります。開発者はこのゲームがどんな攻略性を持つ遊びなのかを理解してつくっています。一言でいえば、『フリスキートム』は複雑な“モグラたたきゲーム”といえます。

 バージョンが何度も新しくなったのは本当に開発者の苦悩の表れで、2番目(?)のバージョンから主人公の移動速度が上がってずいぶんネズミを落としやすくなったのだけど、毎ステージ、タンクが満タンにもどることもあって、今度は急に長く遊べるようになってしまった。

 1面1面が長くて、途中で終わる要素が原則ないのも大きい。つくり手側としてはそもそもプレイ時間の微調整がしにくい。当初からあった爆弾ギミックも、そういう理由での導入だったのかもしれません。タンクに水を貯めるというルールの扱いには、最後まで苦心されていたのではないかと思います。

 だから、最後のバージョンで一発アウトの赤ネズミが登場したのは、理詰めの帰結だったと思うのですが、でもそこらをウロウロするだけだと(触れたらダメだということが)わかりにくいし効果が薄いので、仕方なく半ばやけ気味に超高速で体当たりしてくる仕様が入ったのではないか。

 当時、発売後にROM交換によるバージョン変更を行なうゲームはときどきありましたが、ここまであれこれいじって何度も行なったのは珍しい部類だと思います。それだけ苦しかったのだと思いますが、そこまでいじる余地のあるゲームだったということがぼくには興味深いです。

 これら初期ニチブツゲームの制作者は本当にすごいかたがたで、黎明期を支えた素晴らしいクリエイターだと思います。これらの制作裏話をご本人の口から聞いてみたかったのですが、本田さんは故人で、木島さんも現在どこにいらっしゃるかわかりません。 了

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