『アはアーケードのア』 第1回『アルカノイド』(1986年タイトー)

その傑作は『ブレイクアウト』から生まれた

 不定期で昔のアーケードゲームの思い出を書きます。題して「アはアーケードのア」。古い話なので興味がある方だけ読んでいただければうれしいです。基本的に記憶を頼りに書いているので、誤りがあったらご容赦ください(ご指摘いただければ幸いです)。

 『アルカノイド』を語る前に、まずはその元となった「ブロック崩し」の話から。

 ブロック崩しの正式名称は『BREAK OUT』(ATARI社)。ごく初期のアーケードゲームです。当時としては画期的で、レースや射撃のような“現実世界の元ネタ”がないアイデアでヒットしたほぼ最初のゲームではないかと。パドルでボールを打ち返してブロックを崩す。何だかよくわからない世界。

 ただ、世界設定らしきものはあって、当時の専用筐体には壁を壊して脱獄を企てる囚人のイラストが描かれていたと記憶しています。「ブロックを全部崩すと見事脱獄」ということだったようです(“BREAK OUT”には「脱獄する」という意味がある)。

 確証はないのですが、『BREAK OUT』はステージクリアの概念を導入したほぼ最初のゲームだったように思います。それまでのゲームは2人でテニスのようにボールを打ち返しあい、15点取ったらゲーム終了みたいな対戦型だったり、時間制でゲームが終了するレース物だったり、そういうものが主流でした。

 『BREAK OUT』のアイディアが元となって“攻撃してくるブロック崩し”ともいえる『スペースインベーダー』が生まれ、ゲームブームが起き、『ギャラクシアン』をはじめとする黎明期の傑作が生まれ、任天堂が業界に参入して……ということを考えると、ブロック崩しはじつに偉大なご先祖様(の一人)といえます。

完璧なタイミングで世に放たれた『アルカノイド』、そしてブロック崩しものの終焉

 『BREAK OUT』発売から十年の歳月を経て『アルカノイド』は生まれました。1986年といえばアーケードゲームがかなりマニアックになっていた時期だったので(ゲーメスト創刊もこの年)、カジュアルなゲームが遊びたいという人たちにとって、『アルカノイド』はまさにジャストミートでした。

 『アルカノイド』はじつによくできたゲームで、ステージバリエーションとアイテムの多彩さに加えてランダム要素が効果的にはたらいていて、何度遊んでもおもしろい。大山のぶ代がハマった気持ちもよくわかる。

 当時のゲームファンには有名な話ですが、タイトーで『アルカノイド』の企画を担当された藤田朗さんは『ダライアス』(初代)も担当されているなど、たくさんのよい仕事をされています。当時としては珍しい、コアなゲームファン出身の開発者でした(TAMPAという富山のゲームサークルの方だった)。

 『アルカノイド』のプレイヤー機(パドル)は“バウス”という名称なのですが、聞いた話では藤田さんが同ゲームの開発中にたまたまゲームセンターに行ったら『ゼビウス』が置いてあって、筐体に張り紙で「サービス“ソルバウス”5機」と誤記されていたのを見て大いに受けて、バウスに決まったとか(正しくは“ソルバルゥ”)。

 ぼくの印象だと、カジュアルな反射神経型ゲームというと、(特にゲームセンターでは)ブロック崩し物がその代名詞だった時代が数年続いたのですが、その後、彗星のごとく現れた『テトリス』にその座を奪われた感があります。あのときブロック崩しは一掃された印象すらありました。それが時代の流れでした。 了

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