『アはアーケードのア』 第13回『スペースインベーダー』(1978年タイトー)

衝撃的だった『スペースインベーダー』との出会い

『スペースインベーダー』は西角友宏氏がAtariの『Breakout』(ブロック崩し)をヒントに作り出したといわれています。『Breakout』のブロックを動かし、弾を撃たせ、より能動的な遊びに進化させたのが『スペースインベーダー』です。

 社会現象にもなった『スペースインベーダー』という作品があったからこそ、多くの人々が「テレビゲーム」というものの存在に注目し、ゲーム業界の躍進が始まったといっても過言ではありません。

 ですが、発表時、『スペースインベーダー』はさほど期待されてなかったといわれています。個人的体験でも、お店に出荷された後もすぐには人気に火がつかなかった覚えがあります。

 ローカルな話で恐縮ですが、ぼくが初めてこのゲームと出会ったのは、都内の錦糸町のゲームセンターでした。家から近かったわけではないのですが、当時その近くに住んでいた友人が「面白いゲームがある!」と誘ってくれたのが最初だったと記憶しています。多分、発売からまだ間もないころです。

 そこで見たのは、アップライト筐体でした。ガラス越しに覗き込むと、書き割りのような惑星背景とゲームCGが、ハーフミラーによって合成されている。当時既によく使われていたメカニズムですが、奥行き感があり、驚くほど映像効果を高めていました。

 この画面を初めて見たときの独特の感覚は、なかなか伝えにくいものがあります。よくできたジオラマを見るのにも似た不思議な感覚があったように思います。

 ぼくは『スペースインベーダー』以前からゲームが大好きで、あちこちのゲームセンターに通うような子供でしたが、このゲームに出会ったときの「新しいものを目撃した感」は忘れることができません。立体的な画面に居並ぶインベーダー群の威圧感、胃に響いてくるような敵の進撃音とシャープなショット音、そしてそのゲームシステム。まったく見たことのない遊びだと思いました。

 このときの砲台移動のデバイスは、まだレバーではなくボタン式でした(左移動と右移動のために一個ずつボタンがついている)。初期はこれが出回っていたのですが、今にして思うとかなり遊びにくかったです。当時のボタンはとてもゴツく押しごたえがあったので、本当に指が引きつってくる。

 当初、何度かその店に遊びに行ったのですが、割といつ行っても空いている感じで、順番待ちもなくプレイできた覚えがあります。それがほんの数週間もすると、行けば誰かが遊んでいるような状態になりました。気付くとあちこちの店に出回るようになるのですが、どこでも順番待ちになっていました。

 ほどなく、砲台の操作がボタンからレバーになり、すぐにテーブル筐体が出回り始めました。さまざまな亜流インベーダーも出始め、本家タイトーのインベーダーもモノクロからカラーになります。

 もうそのころには、あちこちに「インベーダーハウス」が林立します。ゲームセンターまるごとインベーダーゲームしかないのです(まあ、実際には多くの場合、インベーダー以外のラインナップもあったと記憶していますが)。

 個人的には、インベーダーブームの中でも、各社の亜流が乱立していた時期が一番好きです。店によってはタイトー式のインベーダーが手に入らないので、とにかくインベーダーらしきものなら何でもかんでも店に並ぶのです。遊び比べてそれらの違いを知るのがとても楽しかった。さすがに末期になると微妙な違いのものは遊び疲れましたが、それぐらいいろんなインベーダーをバカみたいに遊んだ気がします。

その遊び・攻略性は本当に斬新だった

 『スペースインベーダー』の最初の何度かのプレイでは、敵の動きの仕組みを全然理解せずに遊んでいたことをよく覚えています。インベーダー軍は、隊列が画面端へたどり着くと、一段下降して動きを反転させる。敵の数が減るほど、移動速度が上がっていく。どう破壊しても元の隊列を崩すことはない。

 この全容が理解できず、最初は真ん中辺りの敵から適当に撃っていました。砲台から近いという理由で、下段の10点インベーダーを優先して撃っていたかもしれません。何度かプレイしていると、さっきより点数が低いのになぜだか妙にゲームが難しくなり、対処できなくなってゲームオーバー、みたいなことが起こるようになります。

 「これはいったいどういうことなんだろう」と試行錯誤しているうちに、ようやく敵が元々の隊列を絶対に崩さない、そして端へ行くたびに降りてくることに気づき、「端から順に消していくと良い」ということを理解しました。とてもシンプルでロジカルな攻略法です。

 『スペースインベーダー』というゲームが斬新すぎて、今から見ればこんな単純なことが、当時のぼくにはすぐに理解できなかったのです。

 考えてみると、『Breakout』も端からブロックを崩していくという攻略のセオリーがあります。ただの偶然に過ぎないことかもしれませんが、ちょっと象徴的で興味深い類似点のようにも思えます。

 『スペースインベーダー』を面白くしていた要素の一つに、UFOの存在があります。敵軍の隙間から狙い撃つ楽しさ。そして、それまでの発射弾数によって撃墜時の得点が変わるという攻略のおもしろさもあるのですが、そもそも撃たずにスルーしても構わない。その判断がプレイヤーに委ねられる。

 当時は攻撃してこない敵を一方的に狙い撃つゲームが当たり前だったので、こういう敵がいることは、制作者にとって普通の発想だったのかもしれません。

 だが、『スペースインベーダー』では、撃たなくてもよいものをわざわざ撃ちに行って被弾してやられることが起きる。ゲームに責任転嫁ができません。

 そして、名古屋撃ち。最下段に来たインベーダーの弾は砲台に当たらない、というバグから生まれた攻略法ですが、これが本当に面白い。隊列の端の方に穴を開けるやり方や、真ん中に穴を開けるやり方がありました。

 そのうち、最後の一段を占領ギリギリのタイミングで一気に撃っていく名古屋撃ちも流行ったのですが、これが緊張感抜群で、このゲームに少し飽きかけてきた頃にとても良いスパイスになったのを覚えています。最後の一匹を撃ち逃して、何度そのままゲームオーバーになったことか。

 バグ技で言うと、「レインボー」という技がありました。これは最下段の10点インベーダーを一匹だけ最後まで残すと、バグで移動時に絵の一部が消されずに残ることで虹のような(?)ビジュアルを見ることができるというものです。

 といっても、もちろん単色ですし、これを「レインボー」だなんてよくいったものです。でも、その当時、プレイヤーにとってそれはたしかに虹だったのです。

 レインボーで面白いのは、やはりバグで、敵がその状態で2度目の右端に来たときに、そのまま一気に最下段まで下りてゲームオーバーになってしまうことです。当時はギリギリで撃ち落とさず、わざわざ最後まで眺めて占領されるような人もいました。実に贅沢な遊び方だなぁと思ったものです。

とてもエレガントな“ノンストップ”のゲーム進行

 このようにさまざまな要素の詰まった『スペースインベーダー』ですが、その仕組みが本当に優れているなと思うのは、基本的なゲームシステムの中に、「難易度」も「タイマー」も内包されているという点です。

 インベーダー軍は常に動き続けていて、刻々と自分に接近します。敵が接近することで、敵弾との距離も縮まるので、時間経過とともに自動的に難易度が上がります。また、敵の数が減ると動きが速くなり、撃ち落とすのが難しくなる。敵の進撃の仕組みと、難易度の上昇曲線が直結しているわけです。

 そして、敵が最下段へ到達すれば占領――事実上の、時間切れによる強制ゲームエンドです。それ以上、敵の進む先がないのだから、当然の処理です。『スペースインベーダー』には、通常のアーケードゲームに必要な制限時間(タイマー)や、永久パターン防止キャラのような「追加仕様」が不要なのです。

 アーケード云々ということを別にしても、各種のサブルールを追加することなく、ゲームの終局までノンストップで自動進行が続くというその仕組みは、アクションゲームとして、とてもエレガントなものに思えます。

 そして、『スペースインベーダー』の場合、さらにユニークなのは、難易度も、強制ゲームエンドまでの時間も、プレイヤー自身の意思や実力によって変化するという点です。

 効率的な隊列の撃ち方を知らずにもたついていれば、敵が早く降りてきて急速に難易度が上がるし、逆に敵の接近もいとわずリスクを覚悟してUFOを撃ち落として高得点を狙っていくこともできる。

 こうした考え方を持つゲームは、探せばいろいろあるでしょうけれど、例えば『テトリス』が挙げられると思います。

 ブロックが自動的に降って来て画面が埋まっていく。積み方が悪いと早く積み上がってしまう。積み上がるほど考える時間が無くなり、難易度は上昇。最上段まで行くとゲームオーバー。わざと積み上げ、リスクを負って、テトリス(四段消し)で高得点を狙うこともできる。

 一つ一つの要素を比べてみると、その構造は『スペースインベーダー』によく似ているように感じます。

 『スペースインベーダー』の美しい構造を見ていると、作品が生まれた経緯には、一部に偶然もあったかもしれませんが、ヒットしたことは必然だったのだろうと感じ入ります。この社会現象にリアルタイムで立ち会えたのは、個人的に幸運なことだったと思っています。

 少々唐突に、自分の好きな漫画の世界で例えますが、藤子F・Aや石ノ森章太郎世代の漫画家のほとんどが、子供のころに手塚治虫の「新宝島」などを読んで大変な衝撃を受けたという有名な話があります。その衝撃がどれほどのものであったか、後の世代が推し量るのは難しいのですが、『スペースインベーダー』はぼくにとって「新宝島」だったのかもしれません。

 ブーム時の出来事の時系列については、もしかしたら正確ではないところがあるかもしれません。個人的な思い出ということで、ご容赦いただければと思います。 了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?