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昔のアーケードゲームの移植作を同じ感覚で遊ぶことの難しさ

 ちょっと前になりますが、移植ゲームの忠実度についての話題を見ました。自分も思うところを少し書いてみます。長いけど個人的な感覚の話で、ほかのかたが書かれていることにどうこうという気持ちはまったくないです。

当時そのままの『パックマン』とは何なのか

 ぼくが昔のゲームの移植版(とくにごく黎明期のアーケードの)を遊んでいてときどき気になるのは、稼働当時の筐体で遊んでいたときのプレイ感の再現が難しいということです。これは何もトラックボール等の特殊デバイスのゲームという話ではないんです。

 1980年前後のアーケードって、主にテーブル筐体で、かつ初期はコンパネが垂直型=スティックが筐体から真横に出ているタイプでした。

 それで、たとえば『パックマン』でいうと、ぼくはナムコ純正筐体で、左腕の肘を筐体ガラス面に乗せ、かがみ込むようにして右手でスティックを持ってプレイしてました。

(補足しておくと、ごく初期のテーブル筐体でも、たとえば任天堂の『コンピューターオセロ』のような水平型のコンパネもありました。でも少数派でした)

 このときの『パックマン』のプレイ感覚って、コンシューマの移植版だと、標準のコントローラはおろか、アケコンを買っても再現できないんです。スティックの持ち方やプレイ中の体勢が全然違う(もちろん、致命的に遊べないかというと、決してそんなことはないのですが)。

 ただ、一部国内および日本以外のほとんどの国では、アップライト筐体で『パックマン』を遊んでいたわけで、ぼくが書いたことは国内限定のゲーマーとしての思い出なのですが。

 『パックマン』の操作感覚ってけっこうデリケートなところもあって、ぼくは続編の『チャンピオンシップエディション』が傑作だと思っているのですが、当時Xboxのコントローラで遊んでいて、なかなかうまく操作できなくてすごく苦労しました。ナムコのテーブル筐体で遊びたいなって何度も思いました(笑)。

 別のゲームの話で、ぼくは当時『ディグダグ』をタイトーの筐体で遊ぶのが好きでした。というのは、『ディグダグ』って迫ってくる敵をちくちくとモリで刺して足止めしては逃げるという技が必要で、スティックを上下左右に激しく動かすんですね。

 だから、当時まだスティックが真横に出てるタイプだったタイトー筐体のほうが圧倒的に(ぼくは)遊びやすかった。こっちのほうが手首の返しがしやすいんです。あと当時のナムコ純正『ディグダグ』は右スティック左ボタンでした。『パックマン』を右手で遊んでおいてアレですがこれもぼくは遊びにくいと感じた。

 『ディグダグ』というゲームはメチャクチャ好きなんですが、この操作感もコンシューマだと再現しようがなくて、ファミコン版なども移植度自体は高かったのですが、うまくプレイできる気がしなくて、あまり遊び込みませんでした。自分の感覚だと、前述の『パックマン』よりずっと大きな問題でした。

 だから、ぼくにとって当時の『ディグダグ』の忠実な再現というのは、非ナムコ純正である垂直コンパネで遊ぶことなんですね。

 「非純正が私にとっての正解なんです」だなんて「あんたの当時のプレイ環境は知らねーよ」ってツッコまれる話だと思いますが、ただ、これはさっきの「『パックマン』のプレイ感覚の忠実再現はテーブルなのかアップライトなのか」という話にもちょっと近いし、ナムコ純正筐体だけがリアルタイム世代の真実じゃないとも思うんです。非ナムコ筐体も立派な正規の遊び方だったわけですから(海賊版でも何でもない)。

 だから、当時のまま遊びたかったら究極的には「テーブル筐体を買うしかないでしょ」って人の気持ちは心からわかる一方、それは自分にとってメーカーの純正筐体とも限らないんです。

 ――とりとめのないことを書きましたが、いろんな理由で自分には当時の感覚で遊ぶのが難しいゲームってけっこうあるんですね。

 『バブルボブル』や『レインボーアイランド』なども、コンシューマだとうまく遊べない。あのゲームってボタンを同時に押したりホールドする必要があるので親指で全ボタンを操作するのは不可能で、LRボタンなら親指以外も駆使できるのですが、それでもアーケードとは違うなあと(アケコンなら行けますね)。

 ここまでに書いてきたことはほとんど個人的な感覚と能力の問題なのは理解していますし、だから何? って話だとも思います。また、先に書いたとおり、実際にはあまり気にせず遊べるゲームのほうが全然多いです。'80年代アーケードのオーラルヒストリー的なつぶやきの一つだと思っていただければ。

 忠実な移植を目指して制作し、後世につなごうとされているかたがたには心から敬意を感じていますし、ぼくもたくさん購入させていただいています。

未来の人たちはどんなゲーム史を見ているのだろう

 余談になるけれど、歴史研究的な視点で考えたときに、現代の研究者は百年後とか千年後のゲーム史のためにどんな記録を残せばいいんだろうってたまにふと思うんです(何でも残すに越したことはないというのは当然としても)。

 たとえば、たぶん未来とりわけ日本のゲーム史で『スペースインベーダー』は「若者がテーブル筐体で遊んでいる写真」が頻繁に引用され、アップライト筐体から始まった事実はあまり言及されてないかもしれない。さらに、元々左右の移動がボタン操作だった事実に至っては、ほぼ忘れ去られているんじゃないかな。

 当初インベーダーがボタン操作だったのって、歴史的に突然生まれたものではないんですよね。それ以前のゲームではスティックで操作することは主流ではなかったし(ガン、パドル、ハンドル等)、何よりボタンだけで操作するものも珍しくなかった(マイコン用ゲームもそうですしね)。

 でも、アクション性の高い遊びにかんしてはスティックのほうが遊びやすい、ということに制作者が徐々に気付いて、たぶんインベーダー付近を境にスティックが主流になっていった(耐久性や汎用性的な理由も?)。だからインベーダーが元々ボタン操作から始まっていた事実はとても大事なことなんですよね。

 そういう意味で、たぶん『コンピュータースペース』は誤解される要素がないですね。本当に筐体はあれしかないですからね。あの流線型のステキな筐体デザインは未来永劫(?)歴史に残るのではないかと。 了

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