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「ゲーム性」という言葉について自分なりの考えを語りたい

 少し前に、桜井政博さんの動画が発端となり、「ゲーム性」にかんする話題がトレンドに上がっているのを見ました。ゲーム性という言葉についてはぼくも昔から思うところがあったので、少し書いてみたいと思います。

「ゲーム性」にかんする古くて新しい議論

 ゲーム性なる言葉にはすべての人が共有する定義はないので、その言葉を使うことを否定的に捉える開発者の方は珍しくありません。強く否定はしないけれど自分では使わないという人もいるでしょう。ゲーム性という言葉を巡る議論はかなり昔からあって、検索するとゲーム性にかんする論文も見つかります。

 ぼく自身、開発の現場ではゲーム性という言葉は使いませんし、たぶん昔からほぼ使ったことはありません(あったらごめんなさい)。定義がない以上、制作の現場ではそうすることが適切だと思ってきましたし、今もそう思っています。

 ただ、開発現場以外で、たとえばそこまで厳密な言葉遣いが求められないところで文章を書くときであれば、カジュアルに使うこともあります。誰かがゲーム性という言葉を使うとき、おそらく多くの人が近いイメージをもって語ってるだろうと感じているからです。前後の文脈からそう思うことも多いです。でもたしかに曖昧な話ではあります。ズレているかもしれません。

 そうした中で、桜井さんは自身の公式動画でハッキリと「自分はこう考えている」と自分なりの定義を語られていました。ゲーム性とは「かけひき」そして「リスクとリターン」だと。

 その説明には、ぼくもほぼ同意です。おおよそそのような意味だと思ってきました。

 桜井さんがおっしゃったという理由で、「今後はこれを定義にしていこう」とか「ゲーム性という言葉を使うことは正しい」と言いたいわけではありません。

 ただ、実際に長年にわたり多くの人たちが使ってきた言葉であるところの“ゲーム性”とは何なのか? これは大変おもしろいテーマです。

 桜井さんのおっしゃられたこととかなり被ってしまうかもしれませんし、似たことを書かれているかたは過去にもたくさんいると思うのですが、ぼく自身の言葉でも少し書いてみます。お断りしておくと、桜井さんの動画や過去の書籍等をすべて見たわけではありません。

ゲーム性とは、プレイヤーの行為に応じて、適切なご褒美が返ってくること

 ビデオゲームを他の多くのエンターテインメントと区別する大きな特徴はインタラクティビティ(双方向性)です。ゲーム側からの課題(シチュエーション等といってもいい)の提示に対しプレイヤーが入力することによって次の結果が出力される。その繰り返しで場面が展開されていきます。

 ゲームプログラムを組んだ経験のあるかたはとくに実感があるかと思うのですが、ゲームは「もし○○なら××が起きる」の繰り返しなんですね。“IF〜THEN”「選択と分岐」です。本当にずーっとそれをやっている。選択と分岐がないまま絵や音が流れてるだけの時間は、ゲームでは例外なんです。

 シンプルな話でいえば、たとえばスクロールアクションゲームが始まって、何も入力しなければプレイヤーはその場に立ったままですが、スティックの入力があれば移動します。この時点でもう展開は分岐しているわけです。舞台は動いているし、敵とぶつかるかもしれないし、アイテムを拾うかもしれない。

 あまり意識せずに遊んでいる人も少なくないと思うのですが、プレイヤーは0.0何秒の単位で常に何かを選択しています。そしてプログラム側も同じ短い単位でプレイヤーの行動を確認し、次の処理を決めます。それはビデオゲーム(テレビゲーム)の定義の一つと言ってもいいかもしれない。

 そして本題のゲーム性とは何なのか、ですが、ぼくはけっこうシンプルに言えると思っていて、「プレイヤーが選択し、実現した行為の難易度に応じて、適切なご褒美が返ってくること」だと考えています。よく言う「ゲーム性が高い」というのは、行為の難しさとご褒美のバランスが適切ということです。

 たとえば『スーパーマリオブラザーズ』で、難しいトラップの箇所には大体コインが配置されています。そこでコインを取りつつトラップを抜けるのは、当然ながらコインを無視するより難易度が上がります。それを達成したプレイヤーには(マップを進んだというご褒美にプラスして)コインというご褒美が与えられます。

 よりシンプルなところでいうと、最初にこちらへ向かってくる敵クリボーに対し、プレイヤーは飛び越えても、踏んでも構いません。踏むほうが敵に接近する必要があるので難しい。だから、成功したら点数がもらえる。ちなみに、踏む場合もこちらから向かっていくか、待ち受けるかという選択肢があります。

 選択肢があって、それぞれに難易度と、そして結果の分岐があるから、どれを選ぶかという「思考要素」が生まれるわけです。また、選択肢の幅の広さもゲーム性の高さを生み出す要素になると思いますが、広いほど高いという比例関係にはなりません。とはいえ、一切の選択肢がなくてもゲームにはなりません。

 ゲーム性の高さを決定する要素にもう少し加えると、「どの選択が正しいか」の判断が“必ずしも”簡単ではないことも重要だと思います。「その後の展開を考えるとどちらが得か」「自分の技術や知識で実現できるか」が複雑に絡むことで選択を難しくし、深みを生み出します。

ご褒美についてもう少し具体例を挙げて掘り下げてみます

 また、ご褒美の内容は、そのゲームの考え方によってまちまちで、都度、多彩な意味を持ちます。これもゲームの楽しさや広がりを考える上で重要な点だと思います。もう少し例を挙げてみます。

 たとえば『ストリートファイターII』で弱パンチは簡単に出せるし、敵に当てやすい。その代わり、ダメージも小さい。昇竜拳は出すのも当てるのも難しいし隙も大きい(成功させるのが難しい)。その代わり、当たったときのダメージが大きい。ご褒美(敵へのダメージ)がより大きくなるわけです。

 似た例で自分がかかわったゲームだと、『カスタムロボ』のポッド(追尾能力弱めの誘導ミサイル)はノーリスクで撃ち出せる代わりに敵に当たる可能性も低い。ガンは速効性が高くダウン値も高い代わりに隙が大きくなる。『ストリートファイターII』同様、桜井さんがおっしゃった「リスクとリターン」ですね。

 思い付くままに挙げると、FPSのヘッドショットなどもゲーム性(を高める要素)ですね。ピンポイントで狙い撃って成功することで、少ない弾数で敵を倒すことができる。

 パズルゲームの連鎖系フィーチャーであれば、仕掛ける時間や手間のリスク、そしてそこに費やした高度な思考と引き換えに、敵に大ダメージを与えたり、少ない手数でクリアできてトロフィーの類いがもらえるなどします。

 最初期のビデオゲームであるテニスもの『ポン』は、受け損なうリスクを冒してパドルの端ギリギリでボールを受けることで、急角度をつけて相手に打ち返し、意表を突くことができます。

 全方向型のシューティングゲーム『アステロイド』は、その場に留まるより、慣性のついた難しい自機挙動を制御することで、より素早く確実に敵と渡り合うことができます。

 どれも、困難を伴う行為の実現時には、それに見合うご褒美(もしくはメリット)が与えられるという関係性があります。

 前述の『スーパーマリオブラザーズ』でもう一つ例を挙げると、同ゲームのゴールでは、より高いところにつかまるほど高い得点が与えられます。これも行為の難しさに応じたご褒美です。ちなみに、もしこの得点というご褒美がなかったらどうだったでしょう?

 おそらく、それでも当時のプレイヤーの多くは、
「俺毎回てっぺんにつかまってるw」
「わかるw」
「意味ないけどなw」
のような会話をしていたことでしょう。強いて言えば、これもゲーム性のうちかもしれません。難しい行為を達成した事実はそこに表現されてるわけですから、小さな達成感はあるでしょう。

 ただ、より具体的で効果的な見返りをゲーム側で用意するほど、プレイヤーがそこに「ゲーム性がある」と感じるということは言えると思います。

 たとえば、『スーパーマリオブラザーズ』もそうですが、昔はスコアという仕組みがあることで、それなりにゲーム性を表すことができました。長くうまく遊べた分だけ高いスコアが記録として表示されるわけです。

 スコアとゲーム性を絡めた仕様の例としては、敵を特殊な条件付きで撃破すると高得点、敵を一切倒さずに目的を達成すると高得点、そして、一定時間で消えてしまうボーナスターゲットの存在(欲張って取ろうとすることで敵にやられるリスクが高まる=難度の高い行為)等、たくさんあります。

 ですが、多くの場合、スコア自体はその後のプレイヤーを有利にする具体的なメリット等ご褒美をもたらすものではなかったので(まったくないわけではありません)、現代では昔ほどの効果は感じられないでしょう。でも、そういうストイックなゲームがあってもいいと思います。

ゲーム性はゲームのすべてではないけれど、ゲームたらしめる根幹の“一味”

 「行為の難しさ」については、「操作の難易度」だけでなく「機会のレアさ」も含むと思います。前述の旗につかまる行為は、1ステージにつきチャンスは一度きりです。やり直しもきかない。挑戦できる要素がいろいろあって、かつその機会もそれぞれまちまちのほうがよりゲーム性を感じます。

 もし自分の行為の結果がすべてランダムだったら早く飽きてしまいます。先に「適切なご褒美」という表現をしましたが、「根拠のある反応」と言い換えてもよいかもしれません。根拠があるほうが繰り返し試してみたくなるはずです。ビデオゲームは長年その反応を研磨してきたエンタメとも言えます。

 ただ、反応に根拠はあるけど、そこに難易度の差は存在しない、というものもあります。この場合、ご褒美として重み付けをすることはできません。RPGの村のシーンにおける、謎解きのヒントではない、世界観を補完するための雑談的な会話などはそう言えるかもしれません。

 もし本当にそれしかないゲームがあったとして、それも一つの形だと思います。ただ、そこにゲーム性はありません。でも、ゲーム性がないからゲームじゃないとか、劣っているとかいうことではまったくありません。そういう種類の遊びということです。ただ、数としては少ないタイプだと思います。

 恋愛シミュレーションゲームでは、最終的に相手を射止めるために、その性格も加味して正解ルートを見つけ出すという目的・ルールがありますから、これは難易度でありゲーム性と言えると思います。

 また、ここまで主にビデオゲームをイメージして話をしてきましたが、もちろんゲーム性という言葉はアナログゲーム(ボードゲームやカードゲーム等)だったり、スポーツ競技を語る際にも違和感なく使える言葉だと思います。……というより、発祥はそちらですよね。

 長々と書いてきましたが、多くの人が「ゲーム性」「ゲーム性が高い」と考えているものとは、おおよそこういうことを指すんじゃないかなと思っています。どうでしょうね。

 ちょっと奇をてらった表現をするなら、ゲーム性というのは料理における「旨味成分」みたいなものかもしれません。甘味、塩味、酸味、渋味に加え、料理を料理たらしめる根幹の一味みたいな。

アクション性とゲーム性はどう関係するのか?

 いろいろ書いてみて思ったのは、桜井さんもそうですが、アクションに重きを置いたゲームを作ってきた(もしくは遊んできた)人は、割とゲーム性という言葉を受け入れる傾向があるのかもしれません(皆が皆そうだということではありません)。

 アクション系のジャンルは、選択とご褒美がすごく短い時間で繰り返されていて、かつ選択の結果がよりシビアに成功と失敗に分岐することが多いため、ゲーム性(と仮に呼んでいるその概念)を意識する機会が多い、というのがその論拠です。ぼくの思い込みかもしれませんけれど。

 ターン制だったりアクションを抑え目にしたタイプのRPGは、アクションメインのゲームほどは選択ミスが致命傷にならず、比較的成功の幅が広い。だからこそ、そうしたゲームは遊び手のすそ野が広いということも言えると思います(今はアクション系も、その多くはある程度そうした配慮が組み込まれていますが)。

 逆に最初のほうで、ゲーム性構築の上で「どの選択が正しいか」の判断が必ずしも簡単ではないことが重要という話をしましたが、アクションメインのゲームは、限られた時間で判断しないといけないので、比較的その要素を、それもシンプルなルールで内包しやすいという長所があると言えます。

 わかりやすい例を考えてみると、もし『テトリス』でブロックが落下するまでに無限の時間があったら、ちょっとゲームになりにくいですよね(まったく成立しないということはありません)。ブロックが着地するまでの限られた時間の中で判断させられるからこそ、とてもおもしろいゲームになっているわけです。

操作性はどんなゲーム性をイメージしているかから決まるもの

 余談に近い話ですが、「操作性」はゲーム性とどう絡むのでしょうか?

 操作性はどんな遊び(ゲーム性)にしたいかで決まるものです。たとえば、機敏な動きで攻撃をガンガンかわすゲームにしたいのか、慣性のある動きである程度先読みが必要な遊びにしたいのか(すぐに動作が止められないので)。

 他にもたとえば、行動の予備動作の時間を大きくするのか、もしくは行動後の隙を大きくするのか(もちろん、こうした概念がほとんどないゲームもあります)。

 予備動作が大きいものとしては、シューティングでいえば溜め撃ちなどがあります。これを導入する場合、通常ショットとの使い分けを前提にしたゲーム展開・ゲームバランスが必須になります。

 対戦ものでいえば、予備動作の大きな行動は、相手との距離をとって使ったり、もしくはあらかじめ相手の隙をつくってから使うなどの遊びを想定することになります。

 予備動作ではなく行動後の隙が大きいものは、先ほどの慣性の話と同じで、行動を起こす前にその後の隙をカバーする方策をあらかじめ考えて遊ぶゲームになります。対戦ものだとよくある仕様ですが、シングル専用のゲームの場合、数値を大きくし過ぎると理不尽に感じられやすい仕様かもしれません。

 他にも「行動中」の隙を大きくするタイプもあります。FPS等シューティング系の対戦ものだと、このパターンが多いかもしれません。最近ぼくが『スプラトゥーン3』で使ってるカニタンクというスペシャルウェポンは、使用中の動きは遅いわ旋回は遅いわ後ろに回り込まれたらアウトだわで隙が多くて大変です(笑)。

 余談が長くなってしまいました。思うに、操作性がよい悪いというのは、本来それ単体で語られるものではなく、想定されているであろう遊びを実現する上で問題のある操作性かどうかということです。実現されているのであれば、それは操作性が悪いのではなく、そういうゲームなのだと思います。

ゲーム性という言葉があることによって生まれる何かがある?

 そろそろ最後になりますが、ゲームの(遊び部分に限定した)おもしろさを表現する言葉として「ゲーム性」の他に何があるか思い浮かべてみると、たとえば「攻略性」「戦略性」「戦術性」「思考性(思考要素)」「駆け引き」「中毒性(リピート性)」「奥深さ」のような言葉があります。

 上記のなかでは、少なくとも「戦略性」と「戦術性」の2つは明確に違う意味を持つ言葉ですが、おそらく他もそれぞれ少しずつ(もしくはかなり)異なるニュアンスで使う言葉ですよね。

 どの言葉もそれ単体だと解釈の幅が広く、そこから深掘りしていかないと具体的な分析にならない、という点ではゲーム性という言葉と一緒かと思います。にもかかわらず、ゲーム性という言葉がより論議の的になりやすいのは(そんなことない?)、比較的新しい言葉だからという理由もあるのかもしれません

 ぼくがゲーム性という言葉の議論の中で大事なポイントだと思うのは、最初のほうでも少し触れましたが、人がその言葉を使って話すとき、ほぼそこにゲームならではのおもしろさについての“理解”や“思い”を含んでいるであろうということです。そして、そのイメージはおそらく多くの人はそこまでかけ離れていない。ズレていない。

 定義がない以上、ゲーム性という言葉の功罪はどうしてもあって、あまりビシッとした〆は思いつかないのですが、抽象化された言葉があることで、新たにその概念の存在を知る人もいるでしょうし、ゲームについて考えたり、議論を深める面もあるのではないか、ということは思います。 了


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