PC巣鴨の思い出

プレイシティキャロット巣鴨店(以下PC巣鴨)の思い出を少しだけ書いてみる(大した話は無いけれど)。しばらく前にFacebookに書いたコラムに少しだけ手を入れたものです。

PC巣鴨はその昔、ゲームファンの集まるお店として有名だったナムコ直営のゲームセンター(名称は変わったけど今もお店はあり、活況を呈している)。ぼくは新規開店時からアルバイトをしていた。

PC巣鴨は都内のナムコ主要店舗の中では比較的後の方にできたお店で、オープンしたのは1984年2月。既に、新宿、一番街、ゲームブティック高田馬場、ミライヤをはじめとする、名の知れた多くの店舗があったけれど、巣鴨店はそれらの中でもトップクラスに規模の大きな店だった。

それまでゲームファンに最も知られたお店と言えば、何と言ってもゲームブティック高田馬場だったと思うけど、店の規模は小さかったので、多くの人が集まるには不向きだった。有名になってしまったがためにドッと人が集まり、元からいた常連さんに迷惑をかけてしまうようなこともあったと聞く。

GB高田馬場はぼくも何度か遊びに行ったけど、洋ゲーをよく設置してくれるところで、異彩を放つ魅力的なお店だった。その後、敷地面積の広い巣鴨にもピンボール含め、多くの洋ゲーが設置されるようになったのはとても有難かった。

巣鴨というと、地蔵通り商店街があって、お年寄りの街のイメージが強いのだけど、都営三田線とJR山手線の駅があって、近隣にはたくさんの中学高校、専門学校もあったので、平日の午後になると学生でいっぱいだった。今のナムコ巣鴨店も同様だと思うけれど。

PC巣鴨に多くのゲームファンが集まるようになったのは、立地のよさとその店舗の広さ。その広さを活かして、よく参加無料のゲーム大会も開催されていた。ぼくも他の店員と一緒に大会を企画したり、イベント進行を担当したりした。

これは巣鴨に限ったことではないけれど、毎月雑誌へ送るためのハイスコア申請締め切り日近くになると、ハイスコアラー系のお客が増える。有名店なので遠征してきてまで記録を出していく人がいる一方、情報を見せたくないので有名店では記録申請プレイはしない人もいたりなんて駆け引きもあった。

PC巣鴨が一年で最も「らしい」賑わいを見せたのが、アミューズメントマシンショーの時期。全国からゲームファンが集まって、一大記録会&交流会の場になっていた。雑誌のハイスコアコーナーで名前だけは知っているようなプレイヤーが集まっていて「ああ、あの人がそうなのか」みたいな。

PC巣鴨はVG2というゲームサークルがよく集まっていたことでも知られていて、近年、各所SNSの懐かしアーケードクラスタでも、比較的話題に出ることが少ない気がするのだけど(ぼくが知らないだけ?)、当時日本で最大規模のサークルだった。

何をもって最大かというのはあるし、規模が大きければ良いということでもないのだけれど、当時あれだけ精力的に活動していたサークルもそうはないのではないかと思う。メンバーも多かったのでいろいろあってVG2を苦手とする人もいたと聞くけど、コミュニティの存在は多くの人の受け皿になってた。

VG2は一つのサークルではなく、複数サークルの寄り合いでいわば連合構造だった。会長は植村伴北氏(後の初代ゲーメスト編集長)。ぼくがPC巣鴨で彼と初めて出会ったとき、ぼくは店員で彼がお客という立場だった。彼も開店当初から頻繁にお店に足を運んでいた。

植村氏はVG2の会報を定期的に発行していて、よく頑張ってるなあと思って見ていた。話好きな男で、人を集めて学園祭的にワイワイやるのが好きだったのだと思う。VG2の活動が新声社の人の目に留まって、ゲーメストが始まった。

だから初期のゲーメストはVG2っぽさが色濃く出ていて、同人っぽいなんて揶揄されたこともあったけど、それはやっかみ半分で、若くて素人同然のライターが原稿を書いてたというのは、当時のゲーム関連誌ならどこも大なり小なりあって、ベーマガもそういう面が多分にあったし、ぼくもそうだった。

ゲーメストが立ち上げ時にあれだけ勢いをつけることができたのは、VG2の功績によるところが大部分だったのではないか。植村君の人脈であれだけゲーマーを揃えることができたし、とにもかくにもアーケードゲーム誌として体裁を整えることができた。

閑話休題。PC巣鴨は新製品のロケテストが行われることも多く、たしか『源平討魔伝』や『イシターの復活』のときなどは、ナムコのお偉いさんが何人も視察に来ていた覚えがある。結局没になった同社の『ステラニアン』も巣鴨で見ることができた(他店でもテストされてたけど)。

『ローリングサンダー』のロケテスト版は、しょっちゅうバグでフリーズしていた覚えがある。相当厳しい進行だったらしく、結局、実質未完成バージョンで発売された。発売後にROM交換で本当の完成版になって最終的に秀作に仕上がったのは、スタッフの粘りの賜物以外の何物でもないだろうと思う。

PC巣鴨は地下にお店があって、階段を降りていくと徐々にゲームセンターの喧騒が耳に入ってくる。「プレイシティキャロット」の名を冠したゲームセンターは既にこの世から消えてしまったけれど、あのとき感じたワクワク感は一生モノだなとしみじみ思うのです。おっさんトークでした。 おしまい。

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