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アはアーケードのア 第23回『マッピー』(1983年 ナムコ)

 『マッピー』は2方向レバーと1ボタンでネズミの警察官マッピーを操作し、ニャームコ屋敷内の盗品をすべて取り返すゲームです。

 主人公マッピーはレバーの左右で床の上を歩き、トランポリンを使って上下の階層を移動します。ボタンを押すと、マッピーが向いている側の直近のドアを開閉させることができ、敵を吹き飛ばして気絶させたり、マッピー自身をタイミングよくドアに挟んでダッシュ移動させることもできます。

 奇抜なアイデアーードアの“遠隔操作”――

 まず、この「ドア」の仕組みがとてもユニークなのです。軸が合っていれば、距離が離れていても遠隔操作で開閉できる。

 これは当時も今も、大半がそうだと思うのですが、アクションゲームでプレイヤーから離れた位置にあるものに対してアプローチする手段といえば、『ポン』や『ブレイクアウト』(ブロック崩し)のボールや、シューティング系ゲームのショット、それから『ペンゴ』のアイスブロックのような、いわゆる物体としての「飛び道具」を使うことになります。

 もう少しひねると、『ロックンロープ』『トップシークレット』のようなワイヤーアクション的なアイデアなどにもなります。

 そうした飛び道具がない場合は、操作主体そのものが、対象物の位置まで移動し接触することで、はたらきかけることになります(ドットイートだったり、アイテムを取ったり)。剣やパンチのようなヒット範囲を持つ攻撃は、両者の中間といえるかもしれませんね。

 だから、この遠隔操作のシステムは、目からうろこだった覚えがあります。

 まあ、ドアに向かって目に見えない電波が飛んでいるようなものだと考えると、これもある種の飛び道具ともいえますが、不可視であることと、入力から反応までに時間差がない点で、飛び道具とは印象が違います。

トランポリンによって移動が制限され、そこに思考要素が生まれる

 このゲームでもう一つ感心させられたのは、これだけ空間を立体的に使っているのに、移動操作が左右の2方向レバーのみで成り立っていることです。しかも、ジャンプなどに割りあてられたボタンがあるわけではない。トランポリンなるギミックを使って階層を移動する。

 このトランポリンのアイデアもまたじつに秀逸です。そのほとんどが縦に長い吹き抜けに配置され、降下中は操作が効かず、ただ自由落下に身を任せるしかない。上昇中にだけ左右の床に飛び移れる。チェイス型ゲームとして、移動タイミングが大きく制限されるという思考要素が一つ加わっているわけです。

 そして、トランポリン上で跳ねている間は、敵のミューキーズに触れてもミスにならない。この点でもゲームがより立体的になっています。幅と奥行きと高さがあるようなものです。

 このころのアクションゲームのミス条件の多くは、「敵と重なったら即アウト」だけのシンプルなものでした。そのなかでナムコは、この『マッピー』や『ディグダグ』で、特定の条件下では敵と重なってもOKという(『パックマン』で攻守が逆転するのともまた違う)アイデアを導入し、より複雑で多層的な遊びを実現したのです。

 余談になりますが、トランポリンなるギミックを採用したゲームといえば、1977年にExidy社から出た『サーカス』が最初に思い浮かびます。いわゆる風船割りゲームです。これがトランポリンもの(?)の元祖でしょうか。

 ただ、これは『クリーンスィープ』や『ブレイクアウト』における、ボールを打ち返すパドルのアレンジとしてのトランポリンでしたので、『マッピー』とはちょっと使いかたが違います。トランポリン自体が操作対象なのです(正確には「トランポリンを持った二人」ですが)。

 ほかには、『マンハッタン』(1981年/データイースト)というゲームもあります。左右のビルから突き出た無数のトランポリンを乗り継ぐようにしてゴールを目指す縦スクロールアクションゲームです。

 あと、同じくデータイーストの『バンポリン』が、やはりトランポリンを使った遊びだったらしいのですが、残念ながら市場に出回ることはなく、没になっています。

“リスキーなハシゴ”→“無敵のトランポリン”というコペルニクス的転回

 サイドビューの階層型アクションで、トランポリンのような移動方法を、それもサブ的なギミックではなく基本システムに組み込むという発想は本当にユニークで、考えてみると、このころのゲームの階層移動方法のほとんどは「ハシゴ」でした。『ドンキーコング』『スペースパニック』『ロードランナー』『ハンバーガー』『モンスターバッシュ』『Mr.Do! vs.ユニコーン』『カンガルー』等々……。

 (『ポパイ』『悪魔城ドラキュラ』のような、階段の断面タイプを採用したゲームも一部にありましたが、ごく少数でした)

 こうしたゲームにおけるハシゴの役割がどんなものだったか考えてみると、水平方向の床の上ではたとえばジャンプだったり、敵に対する攻撃だったり、穴を掘ったりと、そのゲームにおけるメインアクションができるけれど、多くの場合、ハシゴ上ではそれらができなくなります(そうでないものもあります)。

 それはおそらく、ハシゴを昇り降りしている間は体勢的に主人公キャラクターの手足がふさがってしまうし、ビジュアル的にも背を向けた状態になっているためにアクションをさせにくいのと、そもそも水平方向に動ける状態を前提につくられたアクションを、垂直移動時にも適用するのは無理がある(場合が多い)という理由から、必然的にそのような仕様になっていったのだと考えられます。

 結果的にそこで、床の上では敵や障害物への対処ができるけれど、階層を移動する際は無防備な“リスキータイム”になるというゲーム性が、副産物(?)として生まれたわけです。

 『マッピー』はこうした「無防備なリスキータイム」でしかなかった縦移動を、正反対の「無敵タイム」にしたところが、すごくおもしろい発明でした。しかも上下方向のレバー操作すらも廃止して。

 ビジュアル的にも、トランポリン上で正面を向いて、たくさんの敵と一緒になって飛び跳ねているマッピーの姿は、何ともユーモラスで印象的です。

 また余談になりますが、特殊な移動手段を持つゲームでいうと、同年に発売されたタイトーの『エレベーターアクション』は、その名のとおり、エレベーターやエスカレーターを使って階層を移動する遊びで、『マッピー』よりもカジュアル層にリーチしてヒットしていたと思います。

 ただ、『エレベーターアクション』の場合、エレベーターによる移動は、その間だけ操作対象が人間からエレベーターの箱に移るだけで、移動の概念が根幹から変わるわけではないんですね。エスカレーターに至っては、ただオート移動になっただけで、むしろゲーム性を排除した演出としての移動の時間になっている。

 だから、システムとしてのオリジナリティは『マッピー』のほうが上だと思うのですが、演出方向に寄せた『エレベーターアクション』の方がわかりやすく、より幅広い層にウケている。良し悪しではなく、そういう違いがあります。

『マッピー』のゲームデザインは綱渡りで成り立っている?

 このようにオリジナリティの高い『マッピー』ですが、遊んでみると、何というか、じつに危ういバランスで成り立っているように感じます。

 すべての通路にドアが配置されているわけではないので、そこで敵の挟み撃ちに遭ったら一巻の終わり。このゲームの通路はかなり長めな上に、トランポリンのせいで通過のタイミングを思いどおりに制御することが難しく、何より左右にスクロールするので、見えない範囲があって先がどうなってるのかわからない。敵がどこにいるかもわからない。しかも、アーケード版はモニターが縦型なので、本当に左右の視界が狭い。

 敵に触れたら一発でミスになるルールのゲームで、これはなかなか厳しい。

 かてて加えて、敵ミューキーズの数はラウンドごとに変わるし、タイムアップが近づくことで同一ラウンド内でも数が変わるしで、都度都度の状況判断がとても大変です。

 もちろん、基本的に通路上でしかミスさせることができないゲームですから、そこを予測が難しく、シビアな判断が求められるつくりにするのは当たり前なのですが、『マッピー』は先に書いたとおり、通路をわたるタイミングに大きな制約を受ける上に、画面に見えてない情報を加味した先読みが必要とされるので、非常にテクニカルというかマニアックなゲームだったと思います。

 また、同一トランポリン上で連続で跳ねていると、破れて落ちて死ぬというルールもあります。当時のアクションゲームの基準でいうと、プレイヤーのミス条件が二つ以上(それもまったく異なる概念のものが)ある時点で、やはり遊びとして高度な部類だったといえます。

 プレイヤーとしては、それ(破れて落ちて死ぬ)を避けるために、ベストでないタイミングでもトランポリンから横の床に降りないといけない。そこで同時に着地した敵と重なってミスしてしまう「ひっつき虫」なる現象もやっかいで、できるだけ確実に回避するにはかなりの根気が必要になってくる。

 (この「ひっつき虫」という何とも独特な死にかたも、トランポリン上では無敵というオリジナリティの高いシステムから派生した現象ではあります)

 アーケードゲームである『マッピー』には、時間切れになるとプレイヤーを強引に倒しにくる「ご先祖さま」なるキャラクターもいますので、「連続で跳ねると破れる」ルールがなくても、それはそれでゲームとして成り立ったとは思うんです。

 でも、そうすると、ゲームとしての緊張感が薄まるのもありますが、それ以上に、よくわからずに延々とトランポリンで跳ね続け、気がついたら時間切れになる人が続出していたでしょう。その結果、かわしようのない無敵キャラクターに捕まるという理不尽なやられかたをして、ゲームが把握できないまま終わってしまう。だから、この辺のルールは全部1セットなんですね。

 とはいえ、こうした昔ながらのパズルアクションとでもいうべきジャンルには、多かれ少なかれ、このような難しさとわかりにくさがあります。各々でルールの独自性が高い上に、プレイヤーにリアルタイムで考えさせることが多いんです。

 だから、長年の間にシングルで遊ぶアクションの多くは、基本的に撃つ/撃たれるだけでシンプルに完結するシューティングゲームや、『スーパーマリオブラザーズ』や『ゼルダの伝説』『メトロイド』のような、謎解きの比重が高めだったり、一つひとつのギミックを単体で考えながらクリアしていくようなつくりの、いわば課題が整理整頓された遊びに収れんしていったのだと思います。

 (近年、ソフトの価格やプレイ料金の自由度が上がってからは、こうした遊びもコンシューマゲーム・PCゲーム・スマホゲームで多少復権を果たしたようにも見受けられますが)

 ただ、遊びとして高度とは書きましたが、現実には『マッピー』は一千万点プレイヤーが続出していて、初心者に厳しく上級者に優しいゲームだったともいえます。これはぼくのような、あまりうまくならなかった人間の感想なんです。

 ――そうしたことを全部ひっくるめての“危うい”ゲームというのが『マッピー』のぼくの印象です。そういうギリギリのところで、よくもこんな変なアイデアの集合体みたいなものを遊びとしてまとめ上げたものだとつくづく感心します。この綱渡り感がすごくおもしろい。『マッピー』にはこんな風にいろいろ語りたくなるゲームデザインの妙があると思うのです。

 最後に、『マッピー』といえば、故・大野木宣幸さんの軽快なサウンドがホントに鮮烈で、同じく大野木さん作曲の『リブルラブル』の曲同様、いまだに仕事中にかけてしまうぐらい好きです。大野木さんとは、氏がゲームスタジオ社に勤務していた時期に何度かお話しさせていただいた程度のお付き合いでしたが、その穏やかなキャラクターがずっと頭に残っています。 了

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