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社会保障と経済成長――需要からみた国民経済

        勿凝学問407


選択する未来2.0」(内閣府)というところで話をした記録である。
第7回「選択する未来2.0」(2020年4月27日)は、朝7時半からzoomオンライン会議。

当日の配付資料

講演録「選択する未来2.0」第7回議事要旨より。


○座長
第7回目の「選択する未来2.0」を開催する。
初めに権丈委員から社会保障と経済成長について15分ほどお話しいただき、その内容について質疑応答を15分程度させていただく。その後、これまでの議論の振り返りを行った後、1時間ほど自由討議をしていただく。

○権丈委員
本日は、「社会保障と経済成長」というテーマで報告させていただく。結論から述べると、日本の経済は、こうした会議や民間のがんばりのおかげで、他国と比べ遜色のない成長を遂げてきた。しかし、もう少し賃金を上げる努力をして所得を今よりも平等に分配していけば、さらに成長するのではないか。そのためには、この国の経済政策のベースとされてきた経済学については考え直した方が良いという話である。
では、始める。スライド2は(配付資料参照。以下同じ)、予習をお願いしていたオンライン記事である。
スライド3には、社会保障の定義が書いてある。本日は後半の「マクロには・・・」に続く話をする。

まず、経済はどのようなメカニズムで成長するのかを考えたい。スライド4には予習して頂いたオンライン記事の中の、ある程度消費が飽和している社会の話が書いてある。

スライド5に載せているのは耐久消費財の普及率の図である。こうした耐久消費財は、高度経済成長期以前は家の中に何もなかった。アメリカのライフスタイルにキャッチアップしながら家に入ってきた時代が高度経済成長期である。

スライド6にまとめているのは、経済の3面等価の話で、生産と分配と支出は等価になる。多くの人は生産に焦点を当て、これをいかに増やすかを考えあぐねるのだが、この国の病は生産ではなく分配にあると論じていたのが、私のオンライン記事である。出所のところに初出と書いているように、2011年に額賀(福史郎)さんと加藤(勝信)さんに呼ばれてこの図を用いて報告をしている(自民党国家戦略本部第Ⅰ分科会成長戦略)。その時に、西村大臣も出席されていた。本質的には、あの時と同じことを話すことになる。

第1回目の会議で、女性の非正規比率が高いという話をした。それがスライド7の胃袋型のグラフである。 他の先進諸国の女性の非正規比率は、日本の男性と同じような形をしている。女性の非正規比率が年齢とともに上昇していく状況だと、出産をしてなんらかの理由で離婚をしてしまったシングルマザーの多くは貧困に陥る。子どもの貧困問題は、シングルマザー問題に行き着くが、女性の非正規比率の日本的特徴を考えれば、当然の話である。
スライド8からは、『所得再分配調査』の結果を紹介している。

第1回目の時に、社会保障は灌漑施設だと話をした。農地に水を供給し、そこで青々と農作物を茂らせる。つまり、社会保障は基礎的消費部分を社会化することにより、広く全国に有効需要を分配するための経済政策として機能する。それはちょうど、2019 年末、中村哲さんをおそった突然の出来事の後に、繰り返しテレビで放映されていた、彼がアフガニスタンに作った灌漑施設にも似て、絶え間ない水の流れが砂漠を青々とした緑の大地としたよう
に、今の国民経済に作用する。

社会保障はいくつもの次元で所得を流している。社会保障の給付の中で9割を占めている社会保険も、その中で相当に高所得者から中・低所得者に所得を再分配している。

その結果、スライド9「地域ブロック別再分配整数」に見るように、所得の高い地域から、所得が低い地域に相当額の再分配を行っている。
スライド10では「公的年金の地域経済を支える役割」を紹介しているが、加えて医療も介護も、地域経済を随分と支えている。
スライド11は、再分配政策によるジニ係数の改善、不平等の改善を示している。社会保障による格差の改善である。社会保障はジニ係数の改善、つまり格差問題の改善に寄与しているが、再分配を考える上で注意すべきことは、スライド12をみれば分かるように、医療費は65歳以上が6割、介護費は65歳以上が9割8分を使っている事実である。

医療、介護への支出が高齢期にどうしても偏ってしまう。これを若いときから関わって、負担を平準化しようとしているのが医療、介護保険である。
その役割は高齢期に必要性が出てくる年金と同じである。これを消費の平準化consumption soothingと呼んでいるわけで、将来的には、介護保険の費用負担を二十歳までおろそうという論などは、そうした消費の平準化の話に基づいたものである。

では、所得の再分配がどうして、成長戦略と結びつくのか。それは再分配というのは限界消費性向が低い高所得者・高資産家から、限界消費性向が高い方向に所得を移転するために、消費を増やすことになるからである。かつて、と言うか、大恐慌くらいまでは、成長には安価な資本が必要であり、その資本を供給するのは高所得者たちの貯蓄なのだから、総貯蓄を減少させる所得の再分配は控えるべきという論が、社会の通念であった。しかし、資本が足りないから投資が起こらないのではなく、期待収益率が低いから投資が行われないという考え方もできるわけで、そうなれば再分配を積極的に展開して、消費性向の高い中間層を意識的に分厚くしていく政策は成長戦略になる。

成長のメカニムズをどのようにみるかは、実は、手にする学問によって異なってくる。
それを示しているのが、スライド13で「社会保障と関わる経済学の系譜」という形でまとめている。
ここに書いている右側の経済学と左側の経済学は、マクロの経済政策に関してまったく逆の政策解を提言する。
右側の経済学と左側の経済学の仮定の違い(合成の誤謬vs.見えざる手)をまとめたのがスライド14である。

右側の仮定をおくと、上げ潮政策とトリクルダウンのセットが演繹されて、貨幣数量説も前提されているため、リフレが肯定されたりもして、成長戦略としては、供給サイドに焦点があてられることになる。
しかし左側の経済学に基づくと、上げ潮はあり得ない上、トリクルダウンも考えられない。まして、中央銀行がベースマネーを増やしたからと言って、マネーストックが増え、インフレが起こるなんてあり得ないという話になる。
また左側の経済学では、貨幣数量説と一体化した貨幣ヴェール観ではなく、貨幣それ自らが効用を与えるものであり、貨幣よりも財・サービスの方が効用をもたらすときに消費は動くと考えるために、消費が飽和してくると経済は安定成長に入る。
そして、右側の経済学は、所得の不平等分配は成長にとって必要悪だが、左側になると、所得分配は平等である方が成長力は高まるというストーリーになる。こうした議論の分岐点になるのは、スミスとマルサスの見解の相違である。

スライド15「スミスとマルサスの対立」に紹介しているように、アダムスミスは、投資の源となる貯蓄こそが成長の源泉と考えていたから、倹約家を社会の恩人と褒め称える。しかし、マルサスは、それは本当だろうか?と考える。つまり、マルサスは「生産力と消費への意志との双方を考慮に入れた場合に、富の増加への刺戟が最大になる中間点がなければならない」と考えていた。

このふたりの見解の相違を図示したのが、スライド16である。
横軸には、社会全体の総ストックをとっている。このストックは、所得分配が不平等化していくと高まっていく。

所得分配のあり方や、様々な状況の下で、市場による所得の分配が、極大点の右側になる。そうした社会では、高い成長を求めて、ストックのフロー化を図りながら継続して購買力を支えていく必要がでてくる。その一つの手段が社会保障による社会サービス、所得再分配であり、賃金の上昇である。つまり、分配を苦手とする資本主義は、社会保障に頼らざるを得なくなる。

スライド17には、どのような政策が必要になるかをまとめている。これは本当に手にした学問が異なると答えが変わるという形で、右側の視点から見るとこうなる、左側の視点から見るとこうなるというのを書いている。

とはいえ、社会保障のような再分配政策を実現するためには、財源が必要になる。しかしスライド18に書かれているように、この国には、すでに給付先行型で福祉国家を充実させてきたという歴史がある。

スライド19「ドーマー条件という恒等式」は、広井委員も紹介されていた公的債務残高の対GDP比が、大きくならないようにするためには式1の左辺がゼロである必要があることを示す恒等式である。

たとえの話として、金利が成長率よりも1ポイント高いとすると、公的債務残高の対GDP比B/Yが2を超えており、Y、つまりGDPが500兆円だとすれば、T-Gのプライマリーバランスは10兆円の黒字を出さなければならない。と言ってもこの時財政は破綻していない。しかしそこで行われている所得の移転というのは、公債を保有できる人たちの資産を守るために、国民みんなで増税に耐え、あるいは社会保障のカットが進められていることになる。
この時インフレが起こっているのであれば、社会保障のカットは勢いを増して、望ましくない逆再分配が加速される。

これを表したのが、スライド20で、金利と成長率の大小次第では、将来は、高負担ならば中福祉、中負担ならば低福祉になりかねない。給付先行型福祉国家は、財政的にかなり厳しい。しかしながら、成長の余地はこの国にはあると見ている。

SNSなどを見ていておもしろいのは、国債は借金ではなく国民の資産なんだという話がよく書かれていることである。それはたぶん彼らの資産ではないと思う。
経済学では、代表的個人をひとり登場させてモデルを組むという癖があり、一国に1人しかいないのであれば、国内で消化された国債はその個人の資産となる。しかし、国債がもたらす分配の問題を考えるためには、少なくとも、一国内に、richとmiddle、poorがいるモデルを考える必要がある。給付先行型福祉国家では、richが所有する国債を守って財政を破綻させないようにするために、middleやpoorたちがせっせと貢ぐ社会、それが給付先行型福祉国家の帰結となる逆再分配社会である。

話を戻すと、事前に読んでもらったオンライン記事の中に、人口が減少している社会の経済指標は総GDPではなく、1人当たりでみるべきで、その日本の実績は、他の先進諸国に比して遜色がないと書いていた。スライド21「先進国のGDP」は、元日銀総裁の白川(方明)さんがよく使っていた図だが、総GDPでは元気がない。

しかし、人口1人当たりでみるとそこそこ頑張っていて、生産年齢人口1人当たりでみると、けっこう頑張っているではないかということになる。事前にオンライン記事「AIで本当に人間の仕事はなくなるのか」で、生産性という言葉には物的生産性と付加価値生産性があることを読んでもらったが、経済成長というのは、付加価値で測っているのだから、成長戦略とは付加価値生産性を高めることだということを共有しておきたい。

スライド22は、日本に住んだことのあるアメリカ人とアメリカに住んだことのある日本人による、それぞれのサービスの評価である。概して日本の評価の方が高いが、成長戦略というのは、こうした満足度を高める政策ではない。スライド23、24の日経新聞のように、日本の医療、介護の付加価値生産性が低くなっているのは競争がないからとかそういう話ではない。

この間、診療報酬と介護報酬が引き下げられたから、付加価値生産性が下がっている。これは付加価値生産性に関する恒等的関係である。恒等式の関係としては、中小企業の付加価値生産性が低いのは、星先生、深尾先生の報告でも言われていたように (注)、安い賃金ではやっていけるからだということにもなる。

(注)第2回「選択する未来2.0」(2020年3月27日)における星岳雄先生の報告「生産性を中心に」、第6回「選択する未来2.0」(2020年4月15日)における深尾京司先生の報告「生産性低迷の原因と向上策」参照。

だから、社会全体の付加価値生産性を高めるために、高い労務費を設定してそれ以上でないと、経営を認めないという政策を展開し、星先生もおっしゃっていたように、新陳代謝、創造的破壊を促すことは、成長戦略になる。
この点、第2回会議でも話していたように、小国のスウェーデンが世界と張り合うために1950年代に考えていた、経営者にとって厳しい成長戦略が参考になる。

スライド25のレーン=メイドナー・モデルは、事前に読んで頂いたオンライン記事の中で説明していた話である。小国であるスウェーデンは生き残るのに必死で、労働者、生活者は守る。しかし経営者には自己責任を求めて突き放すという成長戦略を展開してきた。

スライド26は、昔から使っている図で、真ん中に、ダイナミックな市場と書いてある。この右側のところは八代(尚宏)さん達が作ったグラフで、アメリカのように公的医療保険がないところでは所得に応じて医療費が増えるが日本は所得と医療費は関係がない。アメリカのようにすべきだという論文である。この図の真ん中に「ダイナミックな市場」と書いている。この辺りが、日本の生産物市場は、ダイナミズムに欠けるわけである。以前の会議でも話したが、この国では、「非正規にすれば賃金は安くて済みますよ」、「社会保険から外せば労務費を節約できますよ」、「再雇用、再任用は安価な制度でしょう」とやってきたわけである。これを見直していく。

前回第6回の会議で話したように、中小企業の付加価値生産性の低さ、つまりは生産物の価格の低さの恩恵を受けているのは、大企業である側面がある。ゆえに中小企業がやっていけなくなったときに、大企業が困る。しかし大企業には内部留保というバッファーがある。そこまでを、中小企業の付加価値生産性を高め、労働への分配にも使ってもらうことを考えていく。

そして、未来を選択するのであれば、これまで経済政策のベースとして何十年間と使ってきた新古典派の経済学には見切りをつけていいのではないかと思っている。資本主義の成長を阻む問題は分配にあるということ、働く人たち、消費者の犠牲の上に経営者たちの言い分ばかりに耳を傾ける政策は、合成の誤謬に陥り、逆に成長力を削ぐ。そして今日の資本主義は消費の下支えに頼らざるを得ず、それは社会保障が果たしてくれてることを多くの人たちが理解した未来になることを願いたい。

最後に、少子化に触れておくと、少子化の原因はスライド27のように、こどもへの需要曲線と供給曲線を描くとすれば、子育てに要する直接費用や機会費用が上昇したために供給曲線が上方にシフトしたゆえと考えられる。政策としては、そうしたコストを社会全体で負担して子育てを社会化すること、あるいはコストを縮小するように、継続就業しやすい環境を整備することが必要になる。

高齢期の費用は社会化しているため、子育の費用も社会化しないと、人の意識の上でバランスが悪く、いろいろと問題が生じることになり、高齢期の社会化された制度が非難されることになる。そのための財源としては、数年前から、スライド28に描いている、医療、介護、年金などが拠出して子育てを支える「子育て支援連帯基金」の話をしている。
この制度の創設を機に、スライド29のように、介護保険に参加するのは二十歳からとする。
そうした、連帯、助け合いの意味を理解し、所得の再分配という政策手段を有効に活用できる成熟した社会、そして、それを実行できる信頼された政府を国民が持つことができることを、将来は選択できればと思っている。

後記

翌、2020年4月28日、事務局に連絡。
―――――
こんにちは。昨日はお世話になりました。
でっ、すみません。
資料の追加を行いましたので、下記を、みなさんに送って頂けますとありがたい。

昨日の質疑応答に基づいて、スライドを追加しました。
34-36、56-57、60、64です。

スライド34-36
西村大臣との話の中で、今回の年金改革でなされる50人超の企業数が総事業者数に占める割合は極めて少ないと話しました。少なさの根拠「3.1%」、およびそうした事実への評価です。
質疑応答時に話した「前回の適用拡大時に、就業調整した人より労働時間を延ばした人の方が多い」はスライド33にあります(そこでは「実際に適用を受けた短時間労働者の収入は増加傾向」も)。


全世代型社会保障という言葉は民主党政権下の「社会保障改革に関する有識者検討会報告」(2010 年12 月)で宮本太郎先生が「全世代を対象とした社会保障」という形で使い始めます。
それを宮本先生も委員であった2013年の社会保障制度改革国民会議で踏襲しますが、それを実現する際に、国民会議ではどのような留意事項が意識されていたかの説明したのがスライド56です。

ちなみに、スライド52に描かれているように、2040年の年金給付費対GDP比は今よりも減少します。

スライド28の子育て支援連帯基金、スライド31、32の年金積立金を活用した所得連動型返済学生ローンの話は、そうした話と関係します。

西村大臣との話の中で、資産課税の話題がありました。それについては、公平性の観点から積極的に行うべきであるということを示す資料。ただし、資産課税は、野球に例えると、財源を得るための主力打者にはなれそうにないということはスライド57スライド70にあります。

スライド64は、大臣からの、今の状況の後、どのような時代になるかとの問に答えるとき、ショック・ドクトリンとNHSの話をしています。そのあたりの解説です。

追記
NHSに対する英国民の思いについて、6年ほど前に次の文章を書いています。ロンドンオリンピックで20世紀の象徴として表現されたのがNHSでした。
守るべき国民医療とは何か」『週刊東洋経済』2014年1月11日号

「選択する未来2.0」最終日での発言。


第10回議事要旨より

○権丈委員
まず1点だけお話しさせていただく。
「選択する未来1.0」では「生産性」という言葉は山ほど出てくるが、付加価値生産性は出てこない。今回の2.0では付加価値生産性が9回、全要素生産性が13回、全要素生産性は付加価値生産性のようなものであるから併せると22回。何もついていない生産性が20個しかない。これはみんなよく頑張られたのだと思う。
Ⅳ章3(2)の2段落目に「成長戦略として高めるべきは付加価値生産性であり」という文章があり、これは本日の資料にはそう書いてあるのだが、以前送られてきたバージョンでは「高めるべきは」から始まっており、私は今日は「高めるべきは」の前に「成長戦略として」を挿入してもらいたいとコメントしようと思っていたが、これは既に入っていた。
そういうことで、この報告書は、私は丸という形で行きたい。この会議、そして内閣府としては、成長戦略を考えていると思う。その経済成長というのは「付加価値」の総計であるGDPで計る。経済学者も成長とか生産性とかを、「単位当たり付加価値」で計る。一国の「付加価値生産性」の平均値を高めるためには、上を伸ばすか下のほうにある低い生産性のところに合理化を図ってもらったり退出してもらったりするしか、技術的に、算術的に方法はない。
今、問われているのは経営者たちの経営力、付加価値を生むビジネスの能力、より高い価格で売ることができる商品力である。ゆえに適用拡大や最低賃金の引上げによって経営者たちに合理化のインセンティブを持ってもらうというのが有効になるということで、これを成長戦略としてというように書くかどうかはお任せする。そして、「付加価値生産性」というものをしっかりと意識していけばよい。
例えば、この会議は途中でオンライン会議になった。私どもは非常に便利になって仕事の効率は高まって、仕事ははかどるようになったが、全員交通費を節約している。広井委員は京都からの移動費も必要ではなくなってきている。この会議で集まったときには弁当が出ていたわけだが、今は弁当代も必要でなくなっている。そうした交通費や弁当代の分、この国の付加価値は減少している。つまり、この会議による一国の付加価値生産への寄与は小さくなっている。これは明確に意識したほうがよい。そうしたことはただ「生産性」という言葉を使っていたのでは気づかない。ここに書いてあるように「高めるべきは付加価値生産性である」ということを意識しておくことは、成長戦略を考える上の基本中の基本であるため、こう書いておくと、賃金が低い女性とか高齢者の付加価値生産性を高めるためには、分配面から見た付加価値である賃金を上げるしか方法がないことが分かる。賃金を上げることができるように経営者に頑張ってもらい高い付加価値を生む仕事を準備してもらうしかない。女性、高齢者の賃金をあげるためには彼らが大部分を占める非正規のあり方を改善し、高齢者については低賃金を制度的に保障する再雇用・再任用は大いに問題ありということがわかる。
そういうことが分かるように、高めるべきことは付加価値生産性であり、成長戦略として考えていかなければいけないものは付加価値であるということが、全要素生産性という言葉と併せて22回登場してくる。前回の選択する未来の報告書には1回も登場しないという有り様で、全要素生産性は出てくる一方、生産性という言葉が、無定義で議論されていると、何をやればよいか、Howのところまで進まない。そういう意味で、こういう「付加価値生産性」という形で生産性が明示されているというのは、これまでの内閣府や様々なところでの報告書の中で一歩も二歩も先に進んだと評価すると同時に、ぜひほかのところにも援用していろいろと同じような考え方で進んでもらえればと思っている。

発言が委員の間で一巡後

○権丈委員
翁座長に一任するということで、今、何もついていない生産性という言葉が20個ある。これを付加価値生産性に置き換えることができるものなのか、できないものなのかということをもう一回考えていただければと思う。なぜなら、付加価値生産性を高めるということは、仕事がはかどるとか効率性を高めるとかいうような話ではないからである。成長戦略というのは、付加価値の総和を高めることである。だから、こういうオンライン化をしたとかいう一見成果に見えることがかえって今、この会議自体が国の総付加価値に対してマイナスの影響を与えているということをやはりしっかりと自覚しておくのがよい。オンライン化で、みんな交通費も何も使わないで会議ができており、弁当代の支出も何も全部減ってしまったのだから。
したがって、この状況で付加価値を高めるためにはどうすればよいか、そして、先ほども申し上げたように、賃金が低い女性、高齢者の付加価値、生産性を高めるためには、分配面から見たら、付加価値として定義される賃金を上げるしかない。むしろ低い賃金しか払うことができない経営者のほうが悪いという話になって、しっかりと合理化を図っていく、そして、高値で売ることができる商品力をしっかり持つ、こういったことを経営者に促すというようなことこそが成長戦略になる。
これから成長戦略ということを考えていくときには付加価値を高めなくてはいけないということを考えて、誰に責任があるのかということを、みんなでしっかりと考えていかないといけない。日本人の労働者について、ヒューマンキャピタルの質の面で、ほかの国と比べ平均的に高いということであれば、問題は、人や働き方ではなく、その人達に仕事を準備する経営者だということになる。仕事が付加価値生産性を持っているのである。先日の事前レクで話したように、有能な兵士に旧式の武器しか準備できなければ戦で負けるが、それは兵士の責任ではない。責任を問われるのは旧式の武器しか準備できない将の方である。この報告書の中にも、生産性を高めていくための適用拡大とかをやっていこうとするときに、ビジネスのほうが危なくなると、「働く人たちは守るという姿勢を堅持し、積極的労働市場政策を展開していく必要がある」という文章が入っているため、とてもよいと思っている。
あと、少し冗談めいた話をしておけば、広井委員と私は広い世の中では、ほんの隣のところにいるようなもので、同じような方向を目指している。同じような方向を目指しているけれども、世の中の大きなお金を動かそうというときには、物は言いようというのがあるだろうというところで、ほんの少し違うというところがあって、財源を考えるというのは多くの人たちを味方にしていきながらやっていかなければならない。やろうとしていることは同じであり、子育て支援連帯基金とかいう私の主張は、きっと医療、介護、年金のほうに共食してもらいながら子育て支援を充実させるとかいうのは、広井委員の主張と本当は同じことなのだと思う。財源を考えるときに、負担してくれる当事者たちが支持してくれるような説得の仕方、論の組み立て方を考える方がよく、世代間の対立を招くような表現は使わないというところがある。再分配を重視しない世知辛いこの世の中で、仲よくやっていきたいと思うので、よろしくお願いしたい。
最後に少し付言すれば、内閣府の人たちと話をしているとき、私はとにかく丸い表現をしておくようにと言っている。そのため非常に皆さん苦労されたと思うが、とにかく丸い表現がよい。これから先、やはりちょっとつらいことがこの国に起こると思う。ちょっとつらいことが起こっても、隠さなくてもよい内容にするためには、今の状況をもろ手を上げて喜ぶような表現は避けたほうがよいということをいろいろ言っていたため、皆さん、事務局の方々は非常に苦労をされたと思う。しかし、多くの人たちの支持を得るために、やはり丸い表現というのは大切なのではないかと思っている。


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