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プライマリ・ケアって何?――松田晋哉先生、草場鉄周先生との鼎談

「勿凝学問410」


2017年に刊行し、翌年に増補版を出した『ちょっと気になる医療と介護』の重版出来の連絡が届く。第3版にしようかと思い、新企画の一つとして、プライマリ・ケアに関する鼎談を思いつく。産業医科大学の松田晋哉先生と日本プライマリ・ケア連合学会理事長の草場鉄周先生との鼎談は、とてもおもしろいものになったので、オンラインでの公開も行うことにした。
(写真は草場先生提供)

日本プライマリ・ケア連合学会、草場理事長挨拶


Ⅰ部 プライマリ・ケアって何?

色々と相談でき診てもらえ治療も大丈夫なワンストップサービスの意味するもの

権丈 今日は良い機会なので、草場先生に伺いたいのですけど、たとえばの話として、行きつけのお店にでかけたら、お帰りっと言ってくれて、温かく迎えてくれる馴染みの店員さんがいるほうがいいと思うんですよ。健康という、誰もが気にかかる問題に関して何でも相談できるお店に馴染みの店員さんがいる。そうした関係がプライマリ・ケア医なんだよと話をしても、プライマリ・ケア医の先生達に失礼ではないでしょうか。

草場 いえいえ、むしろ嬉しいお言葉です。

権丈 ほっ(笑)、ありがとうございます。

草場 ちょっとした体の不調でもふらりと寄ってもらい、色々と相談してもらえることが僕らプライマリ・ケア医にとってのやり甲斐です。

コモンディジーズは病気の8~9割をカバー

草場:発熱や咳、息切れ、腹痛、頭痛、腰痛、皮膚のかゆみ、めまい、気分の落ち込み、身体のだるさ、食欲不振、小さなケガ、ねんざ、尿のトラブル、便秘、物忘れなど、生活していたら誰でも出会う色々な症状について相談に乗り、身体の診察、そして必要な検査を実施して診断し、みなさんがかかる病気の8〜9割については治療も行います。

また、高血圧、高脂血症、糖尿病、腎不全、気管支喘息、前立腺肥大、認知症など、長くおつき合いしなければいけない慢性的な病気の診療も継続的に提供していきます。

こういった症状や病気がコモンディジーズ(Common Disease)と言われるもので、プライマリ・ケア医がもっとも得意とする分野です。

権丈:ご説明ありがとうございます。この世界、コモンディジーズという言葉の理解が、第1関門ですね(笑)。プライマリ・ケア医は、僕らみんながこれまで、外科に行ったり、眼科にいったり、内科にいったりしていた病気の8~9割を治療ができるわけだから、ほとんどワンストップでいいということですね。

草場:もちろん、患者さんの病状によって各科の専門的な診療が必要な場合は、地域で信頼できる専門医を速やかに紹介し、連携しながら診療を続けていきます。

全人的医療、それは医師の家族化のようなもの

権丈:たとえば、僕の家族のことも相談していいんですよね。

草場:もちろんです。だから、家庭医なんですよ。

年代についても、赤ちゃんの湿疹や発熱、予防接種も担当しますし、思春期の方については不登校の相談にも乗りますね。

権丈:それは家族も大助かりですね。

草場:中高年の方はもちろん、後期高齢者として治らない病気が増えてきた場合には老年医学の考え方に基づいて生活の質を高めるための治療やリハビリをご紹介します。

そして、心不全、呼吸不全、がんなど、人生の最終段階の病気に向き合う患者さんについてはその方の生き方の指針を大切にしながら、ご家族やパートナーと相談しながら、在宅医療も含めたその人らしい最期の時間を過ごすために症状の緩和や療養のアドバイスなどのサポートをさせて頂きます。

権丈:ACPですね。

草場:そうです。

草場:こういった患者さんの身体面、心理面、また家族や生活する環境全体に配慮しながら提供する医療を「全人的医療」といいますが、決して診療姿勢だけでなく具体的なアプローチが大切です。

権丈:なんだか、プライマリ・ケアというのは、医師が家族の一員になってくれる、医師の家族化という感じですね。

草場:そうなんですよ。病気になった方にだけ関わるというような話ではなく、病気が無くお元気な方も年に1回の定期健康診断を実施しながら禁煙や食生活に関する健康相談に乗ることもありますし、インフルエンザや肺炎球菌のワクチン接種を通じて病気にならないための予防医療も提供していきます。

訪問診療

プライマリ・ケア医はたいへんではないのですか?

権丈:そんなに我々生活者の面倒をみてもらって、プライマリ・ケアの先生達は、たいへんではないんですか。

草場:いえ、むしろそれが楽しくて仕方ないんです。健康相談や予防医療を通じて、健康に暮らすことの大切さを実感して前向きに歩まれる方のサポートも行い、また色々な経緯で病気を持っていても楽しく学び、働き、暮らす皆さんのお役に立てる伴走者として頼りにしてもらえることは医者冥利に尽きると思います。

病気が治っても、治らない場合でも、僕らは患者さんの側にいることを大切にしたい医者なんです。

ソロプラクティスよりもグループプラクティス


草場:だからと言って、長時間労働をしているかというと、全くそんなことはありません。遅くても夜7時にはクリニックは人がいなくなります。というのも、我々はグループ診療体制を組んで、医師が最低3人、多い診療所では5名ほどで外来・在宅診療に取り組んでいるからです。今の時代、働き方にメリハリが無い職場は若い医師には敬遠されます。

診療所内でのチームカンファレンス

松田:フランスやイギリス、ドイツでグループ診療を選択する若い医師が増加しています。フランスでは2005年4月にBerland報告というものが出されていて、この中で若い医師の働き方に関する意識調査の結果が説明されています。それによると 、若い医師は技能形成に関する魅力及び生活環境を開業する地域を選定するに当たって重視していること、若い医師は、医療技術のレベルの維持向上及び家庭生活との両立を図るために、ソロプラクティスよりもグループプラクティスを好んでいること、多くの医師、特に専門医は開業医よりも病院医師として勤務し続けることを望んでいること、若い一般医総合医(Medecin generalは一般的には一般医と訳しますが、ここでは総合医と意訳します)は徐々に開業をしなくなってきているが、その理由として長い診療時間があることなどが示されています。実際、グループ診療の診療所で働くにしても、常勤医ではなくパートタイムの非常勤医として働く若い医師が増加しています。

こうした動向はイギリスもドイツも同様のようです。グループ診療には、同僚医師の目が入ることで、医療の質に対する関心を高める効果があるし、交代で休暇もとれるので、生活の質も維持できると私がインタビューしたフランスの医師は答えていました。こうした職業観、生活感は日本の若い医師にも広がってくるのではないでしょうか?

それからもう一つ、グループ診療は医師だけでなく、看護師やPT/OTなどの他の医療職も一緒にチームで行うようになってきているのも、最近のヨーロッパの特徴であるように思います。高齢患者が増え、医師による診療に加え、家庭での療養生活の指導の必要性が高まっていますので、治療的健康教育(Therapeutic Health Education)の担い手としての看護師などの役割が重要になっています。こういうトータルなサービスがあって、かかりつけ医制度のようなものは機能するのだと思います。

権丈:グループ診療がベースで、その上でかかりつけ医機能などを考える。当たり前のような気もするのですけど、けっこう、いろんな議論を見たり聞いたりしていると、ソロプラクティスを前提とした日本での今の姿の話になったりしていますよね。
2013年の『社会保障制度改革国民会議報告書』には、僕は報告書の起草委員として、チーム医療という言葉で次のように書いていたのですけど、みんなに無視されていました(笑)。あれから10年、あの報告書の次の箇所を前面に出す――僕らのこの鼎談は、そのためのものでもあるような気がします。


「総合診療医」は地域医療の核となり得る存在であり、その専門性を評価する取組(「総合診療専門医」)を支援するとともに、その養成と国民への周知を図ることが重要である。もちろん、そのような医師の養成と並行して、自らの健康状態をよく把握した身近な医師に日頃から相談・受診しやすい体制を構築していく必要がある。これに併せて、医療職種の職務の見直しを行うとともに、チーム医療の確立を図ることが重要である。

『社会保障制度改革国民会議報告書』(2013)

そして当時、僕の本の中では、「チーム医療については、医療ガバナンスの観点からも、医師と患者が1 対1 の閉ざされた関係であるよりも望ましい医療のあり方としても求められる」(『医療介護の一体改革と財政――再分配政策の政治経済学Ⅵ』373頁)という説明をしていました。


モンスター・ペイシャントへの対応は?

権丈:ところで、モンスター・ペイシャントとか心配されませんか。そこは信頼関係が醸成されれば大丈夫という感じでしょうか。

草場:もちろん過剰な要求をつきつける患者さんはいらっしゃいますし、それが威圧や怒りの発言や行為につながる場合は組織として毅然と対応します。ただ、そうした方はほとんど無く、多くは検査や治療についてある期待を抱いて強く要望を伝える方でしょう。それが、医学的な常識や適切な対応とずれが大きいときに、「不当な要求」と医療者が捉えてしまうことが「モンスター」と位置づけられます。

ただ、我々家庭医は「患者中心の医療の方法」という臨床技法をトレーニングで学んでいます。

ここでは、患者さんが何らかの症状や病気を持つ場合に、その方の過去の経験、家族の経験、価値観などに基づいて、感情が動き、独自の解釈が生まれ、診療に何らかの期待を抱き、生活に影響が出てくることを前提に考えます。そうすると、医療者の科学的判断とは当然食い違うわけです。
この技法ではこうした患者の病い体験(Illness)を疾患の病歴(Disease)と同時にバランス良く情報収集していきます。そして、一見「不当な要求」に見えた患者の発言の背景を理解し、そのギャップを埋めるための対話を丁寧に実施します。

例えば、医師からは風邪症状と判断できる咳の症状に対して肺のCT検査を強く要求する患者さんがいるとします。最初は理解できませんが、何か心配な病気がないかたずねると肺癌が心配であること、そして、自分の父親が同じ年齢ぐらいで肺癌にて若くして亡くなったために不安が強いことがわかりました。であれば、最近の肺癌検診の実施歴や喫煙歴を確認して不安を取り除く、あるいはCTではなくまず胸部X線で検査して肺癌をチェックするといった提案を行い、患者の理解が得られるか確認することになります。

こうした技法を日々実践すると、「モンスター・ペイシャント」は日本人としてはやや珍しく自分の意志を医療者に対して明確に打ち出すだけの普通の患者さんではないかと思うことも多々あります。そして、このプロセスを進める上で、医師と患者の信頼関係が醸成されていれば、更にスムーズかつ短時間でこうした対話が可能になるのは間違いありません。このようなコミュニケーションのプロといった側面が家庭医にあることも是非知って頂きたいところですね。

権丈:自信を持ってコミュニケーションのプロといって頂くと、なんだか安心できますね。

日本人はプライマリ・ケアという世界が未知。だから、政策の選択肢として議論するのが難しい

権丈:先生が話されている世界は、ほんっと、日本の人たちは見たことも聞いたこともないから、想像力が及ばないところでしょうね。想像力が及ばない世界を政策の選択肢として議論するのは心底難しくって、今までその難しさに、プライマリ・ケアの話はブロックされてきたよにも見えるんですよ。

お馴染みさんの医者がいてくれれば終身給付の公的年金があるのと同じくらいに安心感を与えてくれる・・・はずなのに

権丈:はじめに話したように、行きつけの病院があってお馴染みさんの医者がいてくれたら、どれだけいいことかと思うんですけどね。床屋も飲み屋も、僕が行くところは、だいたいそういう状況なのに、困ったことに、肝心の医療はそうなっていなくてですね。いざという時、しかも将来必ず来るいざという時に馴染みの医者がいてくれるというのは、終身給付の公的年金があることに匹敵するくらいの安心感を与えてくれるものだと思うんですよね。でも、そういうニーズはこの国にはない、と決めつける人たちがいる。でも、一生活者として、僕にはそうしたニーズはあるんだから、勝手に決めないでくれと言いたくもなるんですよね(笑)。

「地域が抱える社会的課題に向き合う」とは

権丈:先ほど、不登校の相談にものるという話がありましたが、大門未知子だったら「いたしません」と言いそうな話も含めて、プライマリ・ケアでは、「地域が抱える社会的課題に向き合う」ということも重要になりますよね。僕はそれがとても魅力的に見え、僕が第8回全世代型社会保障構築会議(2022年11月11日に提出した資料(権丈構成員提出資料4頁)にも、そのように書きました。そのあたりの説明を少ししてもらえますか。

草場:はい。日々診療していますと、外来診療の中で不登校の子が最近目立つなとか、通院するのに困っている高齢者が持病を悪化させるケースが増えているなとか、患者さんを取り巻く地域事情が診察室からも見えてきます。そうした時に、学校の保健の先生に相談したり、高齢者向けの通院に関するアンケート調査をすると、こうした問題が個々の事情だけでなく、実は地域全体が抱える構造的な問題であることが分かることもあります。例えば、農業が多忙な地域で子育てに十分な時間がとれず子供の養育環境が悪化している事実、更には、坂が多い町で頼りにしていた公共バスの便数が減少している事実などです。

こうした時には、目の前の患者さんの治療に取り組むだけではその上流にある根元の問題を見過ごしてしまうことになります。ですので、地域の医師会で問題提起を行ったり、地方自治体の担当者に相談を持ちかけたりして、何か良い解決策がないかを模索していくことになります。結果的に、不登校を考える地域サークルを立ち上げたり、議会でバス会社への補助を再検討するような展開につながることもあります。大門さんやドクターコトーと比べると地味で時間のかかる活動にはなりますが、我々家庭医は常にそうしたマクロの視点も忘れずに地域全体を健康にする活動が重要だと思っています。

権丈:ありがとうございます。先生のお話をうかがうと、社会的課題に向き合うというのも、なるほど医療そのものですね。周りよりも患者をよく見ている大門も、もちろんドクターコトーも、しっかりとやってくれそうな話でしたね。大門さん、失礼しました、まさに「いたします」の話でした(笑)。

地域のお祭り救護活動

家庭医への道

権丈:ところで、先生は若いときに、岐阜県の久瀬村という人口1,500人程の地域で3ヶ月間研修をされ、「修業僧のように早朝から深夜まで診療や勉強をする日々でした。・・・家庭医って、こういうことなんだと実感できた」と話されているのを見たことがあります。久瀬村での研修前と後で、先生ご自身、どのように変わられたと思いますか。

草場:一言で言うと、家庭医として生きることそのものを学んだんです。もちろん医学的知識、技術は不可欠です。ただ、それだけでは家庭医にはなれない。

住民が相談するあらゆる内容に真摯に向き合う強い覚悟、そして、一人で抱え込まず、同僚の医師はもちろん、看護師、薬剤師、リハビリのセラピスト、ケアマネジャー、保健師など、あらゆる職種と連携しながら、チームで立ち向かっていく柔軟さと腰の軽さ。久瀬村の指導医だった山田隆司先生、吉村学先生が理論だけでなく実践で提供していた医療のあり方そのものが教科書でした。

外来診療

久瀬村での研修を終え、北海道十勝の更別村に9ヶ月赴任したのですが、まさに久瀬村で学んだ全てを実践しようと試行錯誤しました。もちろん、簡単ではなかったのですが、村民の声、役場の方からも手応えを感じ、自分の診療スタイルが確かに通じるのだと心に刻み、家庭医としてのアイデンティティが確立したと思っています。

家庭医とプライマリ・ケア医の違いは?

権丈:いま家庭医という言葉を使われましたが、プライマリ・ケア医と家庭医、どのように使い分けされていますか。

草場:プライマリ・ケア医はプライマリ・ケアに携わる医師を広く包み込む概念だと思っています。例えば、私が理事長を務める日本プライマリ・ケア連合学会ではプライマリ・ケア認定医を養成しています。彼らは元々専門的な内科医であったり、外科医であったりと出自は様々です。ただ、プライマリ・ケアの概念を大切にし、日々の診療に活かしています。

一方、家庭医は欧米と同様にプライマリ・ケアの専門研修を受けた医師の集団であり、プライマリ・ケアの専門医です。この領域の診療を牽引するべく日々研鑽を積みながら、後輩の教育、更には臨床研究を通じてプライマリ・ケアの学術的な発展に貢献する力量も持っています。

これからの日本ではこの両者が必要です。比較的若手の家庭医が領域の深みを更に増していくことで他の専門医療と伍する位置づけを医療界で獲得する一方、プライマリ・ケア医が日本全国で面として質の高いプライマリ・ケアを提供するべく拡大していく。縦糸と横糸がしっかりかみ合ってこそ、日本のプライマリ・ケアは強靱なものになると思います。

権丈:ベン図を描けば、家庭医はプライマリ・ケア医に含まれる部分集合で、プライマリ・ケア界を牽引しこの世界の裾野を広くしていく期待の星と考えてもいいですか。

草場:おっしゃるとおりです。諸外国でも専門家としての家庭医が質量ともに充実するまでは、同じプロセスを通ってプライマリ・ケアを担う体制が構築されてきました。古くは米国、英国、最近では韓国や台湾も同じ環境です。その過程ではどの国でも家庭医に対する既存の医師集団からの一定の反発があるのも同じでして、日本はその渦中にあると考えています。ただ、それが長く続いていることが日本の特徴ですね(笑)。

ベン図として捉えて頂ければ、家庭医は未来志向でこれからの日本のプライマリ・ケアを担う期待の星であり、決して現在の医師集団を否定したり脅かす存在ではなく、むしろ今頑張っているベテラン医師達の実践を受け継ぐ後継者として応援すべき存在だと分かって頂けると思います。

では、総合診療専門医とは?

権丈:もうひとつ良いですか。制度、政策的には総合診療専門医という言葉になるわけですが、この言葉は、どのように位置けられますか。家庭医、プライマリ・ケア医、総合医、総合診療専門医、使っているうちに慣れてくるんですけど、はじめて聞く人たちは分かりづらいかもしれないですね。

草場:はい、おっしゃるとおり、実に複雑で分かりにくいです(笑)。ただ、総合診療専門医は日本における家庭医と捉えて頂いて問題ないと考えています。1980年代の旧厚生省の家庭医構想の際に国際標準である「家庭医」という言葉が政治的に使用できなくなったため、その代わりに厚労省は1990年代に大学医学部に「総合診療部」を設置しました。そこから、「総合診療」という言葉が使われるようになり、2013年にこの領域の専門医の名称を決める際に「総合診療専門医」が採用されたという経緯です。大変もめましたが、皇室医務主管をされていた東大の金澤一郎先生が議長をされて鶴の一声で決定したことを良く覚えています。

この名称はNHKの「総合診療医Dr.G」などの影響も受けて、難しい病気の診断のプロという病院総合診療のイメージもあるため、医師像がぶれやすくなるのは事実です。ただ、我々は診療所・小病院に大病院も含めた大きなくくりでまずは総合診療に取り組む若手医師を増やそうという思いで、この名称を尊重し使っています。ちなみに、私の学会が養成する専門医は、この総合診療専門医を学んだ後に取得するサブスペシャルティ専門医として「家庭医療専門医」という名称を使用し、その機能を名で体現しております。

権丈:2010年頃の「総合診療医Dr.G」ですね。たしかに病院の中での総合診療医でした。そのイメージが強いとなかなか難しい話になりますね。先生のおっしゃるように、大きなくくりとして、僕らも総合診療医という言葉を使わせてもらいます。ありがとうございます。

Ⅱ部 なぜ、日本では普及してないんですか?

プライマリ・ケアを進めたフランスの経験

権丈:松田先生に伺いたいと思います。プライマリ・ケアの訓練をしたことのない多くの日本の開業医が、プライマリ・ケアを日本の医療制度に組み込もうとすると反対するのは理解できます。先生は、ジュペ・プランが出る4年ほど前の1992年にフランスにいらしたわけですが、当時のフランスではプライマリ・ケアに関してどのような問題が意識されていましたか。

松田:その当時もっとも問題となっていたのは医療資源の偏在です。フランスは公的病院が主体なので、病院の配置や機能に関してはある程度医療計画でコントロールできるのですけれど、プライマリ・ケアを担う地域の診療所については、自由開業制の歴史もあって、そこへのアクセスに大きな地域差が生じていました。また、病院にしても、過疎地では医療職が足りず、開業医が病院の入院治療を担うということが行われていたのですが、これもうまくいかなくなっていました。事例ベースでこうした問題は報告されてはいたのですけれど、実はきちんとしたデータがなく、そのことが問題になっていました。当時のレセプトの記載内容というのは、患者に対して外科的処置を50点分やったということしか書かれていなくて、なんという傷病にどんな処置を行ったのかが全く分からなかったのです。これでは対策が打てません。

権丈:その状況から、どうやって政策を展開していったんですか。

松田:そこで医療情報の透明化を行い、その結果に基づいて、プライマリ・ケアも含めて医療提供体制の再構築を、民意を巻き込んでやっていこうというのが当時の状況でした。保健民主主義という言葉を、当時の保健大臣だったベルナール・クシュネールがよく使っていました。

権丈:なるほど、医療情報の透明化が重要な意味をもつわけですね。日本では、そこで躓いたりするわけですが、透明化された医療情報に基づいて政治のリードで国民参加の運動にしていった。

松田:保健民主主義という理念のもと地域医療計画の大幅な見直しが行われていました。いわゆる1991年病院改革法というものです。この法律に基づいて、すべての病院に医療情報部門が創設され、そこで電子化された退院サマリが作成され、国に報告される仕組みが構築されました。これによって、各病院がどういう傷病に対して、どのような治療が行われているのか、そしてその結果、例えば在院日数や転帰、コストがどうなっているのかが透明化されました。ちなみにこれはフランスの病院医療にいわゆるDRG分類(フランス語ではGHM)に基づく支払いを導入する準備でもありました。ただし、当初はDRGに基づく1入院あたり包括支払い方式ではなく、当時フランスで病院への支払いに採用されていた総額予算制の精度をDRGに基づいて高めていこうというものでした。

さらに開業医医療についてもCCAMという新しい診療報酬表のようなものが導入され、どのような病態に対してどのような治療を行ったのかが保険者に集積される仕組みとなりました。これらの制度導入により、フランスの医療政策の実効性は大きく高まりました。

そのほか、プライマリ・ケアに関しては、高齢者が増加し、複数の慢性疾患を持っている患者を地域で適切にケアすることが必要だという認識が高まっていました。

権丈:日本の2013年社会保障制度改革国民会議の時の問題意識と同じですね。日本では20年遅れでしたか。といっても、1980年代半ばには、日本でも家庭医の動きが出てきたのですが、当時の、日医の常任理事、村瀬(敏郎)先生たちに潰されましたね(1992-1996年、会長)。

松田:フランスでは、1990年代に、認知症や気分障害の初期診療も含めて、総合医を中核とした総合診療が必要であるという意見が強くなっていきました。他方で、患者のドクターショッピングや休業給付目当ての不適切な受診の問題も指摘されていましたので、イギリスのようなゲートキーピングを総合医を中核にして行おうというモデル事業も行われていました。これに対しては、専門医の団体から、自分たちの相対的な地位が危うくなるということで、強い反対が出されていました。

フランスと日本の政治環境の違い

権丈:そこなんですよね。フランスでは、専門医の団体が、強い反対をする理由について、共通の理解があったということになりますが、日本では、家庭医やプライマリ・ケア医に対する日医の反対理由が、なぜだか国民には分からないままできた。それとも関連して、フランスではプライマリ・ケアに反対する医療団体と政治が対立して改革が進められたのに、日本ではプライマリ・ケアに反対する医療団体と政治は対立していない。難しいところですね。

松田:総合医の協会も、患者による医師選択の自由というフランスの「町医者」の伝統は尊重されるべきという立場で、そうしたゲートキーピングの導入には反対していました。

権丈:でしょうね。

松田:自由開業制、患者による医師の選択の自由といったフランス医療の伝統と、質と財政との両面から医療サービスをいかに適正化するかという議論が激しく行われたのが1990年代のフランスだと思います。

権丈:医療の伝統か、それとも質と財政かという問題意識は、日本よりもはるかに進んでいる気がします。当時、松田先生たちがなされているような研究が、自由開業制、フリーアクセスという医療の伝統は質を高めるものではなく、医療の質を高めることと財政はトレードオフではないということを示していたんでしょうね。

そうした政策環境の中に、首相のジュペが登場してくるわけですね。1996年にジュペ・プランを出したジュペは、反対者である医療者が望まないことを、どのようにして実行していったのでしょうか。

フランスの医療改革と政治力

松田:ジュペが行ったことは情報の整備とその透明化です。透明化された現状の改善に関して、各関係者はどのような責任を持っているのかを明らかにしたうえで、その改善のための実行を当局と各関係者が契約し、複数年でその実行状況がモニタリングされるという仕組みを作りました。地方ごとにあるべき医療提供体制と改善すべき課題を数値目標とともに可視化したのが地方医療計画であり、それを国レベルで財政的な面も含めて目標化したのがONDAM(社会保障支出目標)です。

ONDAMではデータ分析に基づき、公的病院医療、民間病院医療、開業医医療など部門別に年間の伸び率の目標値が設定され、それが毎年国民議会で議決されます。

日本では伸び率管理という数値のみが注目されましたが、もっとも重要なのはそれに関連して出されているアネックスの記載です。そこでは、例えばプライマリ・ケアの充実によって、不適切な救急部門の利用を何%削減する、ジェネリック薬の処方を何%増やすことで、医療費を何%削減するというような具体的な項目が記載され、その効果が検証されます。

こうした政策の背景にある基本的な考え方は、医学的管理(contrôle médicalisé)というものでした。これは透明化された情報に基づいて、質が担保された医療を提供することで医療費の適正化も行っていこうという考え方です。

この対策の流れの中に総合医の役割が位置づけられていきます。複数の慢性疾患をもった高齢患者に適切に対応するためには、総合的な視点で患者の診療ができる医師が、その入り口にいるべきだという考え方です。また、生活習慣病対策として生涯にわたる健康管理が重要であるという認識のもと、そうした健康管理を担うものとしてフランス版のかかりつけ医(médecin traitant)制度の創設につながっていきます。

権丈:日本でもできるはずなんですけ、厚労省がやろうとすると大騒ぎになるでしょうね。僕は昔から、いたるところで、医療保険の介護保険化が必要と言ってきました。介護保険は医療保険の欠陥を長くみてきた人たちが、その弱点を克服する形で制度設計したものです。だから介護保険では保険者である市町村が3年毎に財政計画を立て、給付と負担の牽連性が確保されるように設計されています。公共政策の下にある公的医療保険も、例えば、都道府県が保険者である国保については、財政計画を立てて、政策をPDCAで回しながら、給付と負担は密接につながっているという牽連性を制度の利用者たちに意識してもらえるようにする。公共政策として当然ですね。ある県では、そうしたことをやろうとしていたのですけど、厚労省と対立していましたね。

理念、それは世論を味方につけるため

松田:そうですね。このような取り組みを進めるにはやはり明確な理念が必要で、そこにジュペは注力しました。具体的には、こうした変革をジュペは社会的正義と社会的公正の旗印のもとで行っていきます。世論を味方につけようとしたわけですね。

権丈:先生は以前から理念の大切さを論じられていて、この前の『ネットワーク化が医療機器を救う』でも触れられていましたけど、世論を味方につけるために社会的正義と社会的公正の旗印を掲げるフランスの政治というのはたいしたものですよね。日本との違いは、国民なのか政治家なのか、考えたくなるところですね。

松田:そこは難しい問で、改革プランの公表前に利害関係者から妨害が入ることを恐れたジュペは、一連の改革をまとめた計画、これをジュペプランと言いますが、この計画を信頼できる数名の側近官僚とまとめ上げ、発表の日までまったく秘密にしていたという逸話が残っています。もっとも、今まさにフランスで大規模なデモの原因となっている年金改革に手を付けたため、ジュペはその後失脚するわけですが・・・。しかし、彼の掲げた制度改革の理念は、政権が保守政党から社会党に代わっても維持され続けています。

権丈:僕のように、時勢が政治を動かすと考える者から見れば、社会的公正を掲げたジュペが登場し活躍するまでには、それなりの時勢の変化があったと思うわけですが、なるほど、先ほど先生が言われたような、「フランス医療の伝統と、質と財政との両面から医療サービスをいかに適正化するか」という議論が1990年代にはじまっていたわけですね。

日本におけるプライマリ・ケアの先人達

権丈:日本ではなかなかそうはいかず、草場先生の先輩方は、随分と苦労されたと思うのですが、先生の先輩たちは日本の歴史をどのように見られていますか。

草場:松田先生のお話を伺うと、当時、世界的にプライマリ・ケアをいかに強化するという点では先進国で共通の認識があったことがよく分かります。日本でも、権丈先生が先ほど言われていたように、今後の急速な高齢化が予想される中でプライマリ・ケアの制度導入が必要と考えた旧厚生省のもとに1985年に設置された「家庭医に関する懇談会」の話は良く伺います。

その少し前に、日本医師会の武見太郎会長は「家庭医制度や主治医制度は疾病と健康の地域性を知悉(ちしつ)し、(略)広範で多様な立場から健康の維持・増進を考える人だが、今ではそのような医師の養成はどこの大学でも行われなくなった」という問題意識を持ち、厚生省に働きかけて優秀な臨床研修指導医を欧米に送り込み家庭医の養成を期待しました。しかし、彼らが日本に戻って「さぁ、家庭医として頑張るぞ」と活動しようとしたら、突然急ブレーキがかけられてしまった。「家庭医に関する懇談会」は日本に必要な家庭医のあり方を的確にまとめましたが、家庭医の制度化は開業医を基軸とする日本の医療提供体制を揺るがすものとして否定されてしまいました。

権丈:聖路加国際病院院長だった福井(次矢)先生は、武見留学プログラムの最初の4人の留学生の1人だったんですよね。福井先生は4年間の留学を経て1984年に帰国されていて、その頃は、留学プログラムで医系技官も留学していた。ところが、1985年に立ち上げられた「家庭医に関する懇談会」による家庭医構想は、当時の日医が葬った。武見さんは1983年に亡くなられていますね。

そのあたりの話を知ったとき、天正の遣欧少年使節団を思い出しました。彼らが訪欧している間に、秀吉がバテレン追放令を出すんですよね。

草場:それからはまさに失われた30年でした。米国に派遣されていた木戸友幸先生のブログなどは、そのリアルな記録だと思います。

1986年に閉じた「家庭医に関する懇談会」以来、表舞台には立てませんが、先輩方はプライマリ・ケア、家庭医療、総合診療と表現は様々でしたが診療、教育に地道に取り組み、我々のような世代にバトンをつないでくれたんです。いくら感謝してもしきれない思いです。2018年から日本専門医機構で養成が開始された総合診療専門医は日本のプライマリ・ケアの先人達の努力の結晶であり、我々の希望の光です。

総合診療専門医を標榜できない理由

権丈:総合診療専門医は、広告可能な診療としては認められていないんですよね。内科学会とプライマリ・ケア連合学会は、日本医学会分科会としては同列なのに、どうして、総合診療専門医は標榜が認められていないんでしょうか。

草場:標榜可能な診療科目については、医療法に関連する政令として2008年に出された厚労省医政局通知が根拠となっています。私たち日本プライマリ・ケア連合学会が日本医学会に加盟したのが2010年、更に日本専門医機構で総合診療専門医の養成が2018年に開始され、第1号の総合診療専門医が誕生したのが2022年です。こうしたタイムラグの問題が大きいと考えています。

前回の改正では性病科、こう門科等が廃止され、アレルギー科、心療内科などが追加されました。「総合科」の新設も議論になったのですが、残念ながら時期尚早ということで認められなかったようです。それからすでに14年が経過していますので、そろそろ新たな通知を出す時期に来ているでしょう。その際には是非「総合診療科」を標榜科目に入れるべきですし、認められる可能性が高いのではないかと考えています。我々現場で実践する立場からも厚労省などに対してそうした働きかけを行っていきたいと思います。

権丈:これまでの経験からして、見直しが先送りされる力学が働きそうですけど、そこを含めて、草場先生たちに託された期待はますます大きいですね。

Ⅲ部 医療は需給者間の情報の非対称性がある世界の極

個別性、不確実性が強い医療


権丈:ところで、健康雑誌はよく売れていて、病気に関する情報を自分で調べている人は多くいますけど、系統立てて医学を学んでいない人ががんばって時間をかけても、医師がPHR(Personal health record)などをみて見える世界とは全然違うんでしょうね。

草場:TVや雑誌、更にはネットの情報に基づいて受診する患者さんと対話する機会はここ数年増えてきています。実際、様々な情報を整理し勉強されている方には感心することも多々あります。ただ、医学知識は分子生物学、組織学、解剖学、生理学、免疫学、細菌学、病理学、薬理学など200年に渡る医科学の重厚な研究や実践に基づいたもので、検査の選択、薬や手術の選択など、一見マニュアル化されているように見えますが、決してそうしたものではありません。更に、この医学知識自体も医科学に基づく一般論であり、人間一人一人の個別性はもちろん反映されておらず、我々医師は患者さんの遺伝要因、生活要因、健康感、家族環境、治療への志向性などに基づいて、適切な検査や治療の選択肢を吟味して提示し、対話を通じて決断を共有していきます。PHRはまさにそのプロセスで有効なツールです。

権丈:この鼎談は、もともとは『ちょっと気になる医療と介護』第3版のための新企画で、あの本には、

医療には、 「不確実性」、「個別性」という経済特性の他に「情報の非対称性」 という強い特性があります。サービスの利用者と提供者の間に強い 情報の非対称性がある場合、この問題を解決する有力方法は継続的な人間関係の中で築かれる信頼の構築です。

『ちょっと気になる医療と介護 増補版』264頁

と書いているのですが、日本の医療制度は、なかなかその方向に進んでくれない。医療の国際比較のデータなどをみると、日本は、医療機関が、患者のパネルデータ、PHRを持っていないことで特徴付けられる、不思議な国ですよね。

草場:そうですね。ますます専門的になりつつある医療はまさに提供者と利用者の情報の非対称性の極みでして、中途半端な理解で判断や選択をしてしまうと、取り返しのつかない結果になり得ます。巷に広がる医療情報を吸収することはもちろん問題ありません。ただ、自分自身の生活習慣を変えたり、特定の医療を受けようと判断する前に、プライマリ・ケア医に是非相談をして頂きたいと思っています。

権丈:でも、誰がプライマリ・ケア医なのかが分からない(笑)。

日本での可能性を考えるとすれば

松田:そういう意味では、特定健診・特定保健指導を地域の開業医の先生のところで行う仕組みにするのが良いと私は考えています。健康に関する情報は難しいですよね。健診の結果についても、添付されている紙の解説だけではわかりにくいところがあると思います。健診結果をもとに医師と患者がコミュニケーションをとり、必要に応じて保健師や栄養士の健康指導を受ける、あるいは場合によっては専門医の診察を受け、その結果についてもかかりつけ医からわかりやすく説明してもらい、日常の生活管理に役立てる、そんな仕組みが必要だろうと思います。

フランスではかかりつけ医が1年間に1回、必要な対象患者についてはその健康状態を要約するということを行いますが、特定健診・特定保健指導を同じような機会として使えるのではないかと私は考えています。こうした体制がないとPHRも上手く活用されないと思います。よく考えてみると、これは母子保健の仕組みと一緒で、この仕組みを他の年齢層にもいかに広げていくかというのが課題ではないかと思います。

また、今回のCOVID-19の流行でも、ワクチンのことが問題となりましたが、そのようなワクチン接種もかかりつけ医のところで行い、その記録がかかりつけ医のところに残り、また事後的に効果の検証にも使えるような枠組みにした方がいいと思います。これも母子保健の仕組みと一緒です。

権丈:この国も、まずは、そのあたりからはじめるという感じになるでしょうかね。

Ⅳ部 地方と都会

医師不足地域とそうでない地域の違い、そして類似点

権丈:秋田県の医師会会長である小泉ひろみ先生は、「東京と地方のかかりつけ医は、おのずから違ってくると思います。・・・地方では、日頃は健康管理や予防接種を行い、病気になったらその治療をする。しかも、一人のみではなく、家族丸ごと診るという、いわゆる家庭医がかかりつけ医ではないでしょうか」と話されています。
プライマリ・ケア医の地方と都会での役割にはどのような違いがあると考えればいいでしょうか。

松田:まず現状をきちんと客観的にみておくことが議論の出発点として重要だと思います。私たちは今医療のかかり方についてレセプトを用いた分析を行っていますが、その結果をみると、かかりつけの医療機関が必要な患者のほとんどは、継続してその医療機関を受診しています。高齢者、小児、難病を持つ患者さんたちです。

ただし、都市部のように専門診療科の診療所が多いところでは、傷病に応じて、高齢者はそれぞれのかかりつけの医療機関を受診しています。例えば、内科以外に眼科、皮膚科、整形外科、泌尿器科、耳鼻咽喉科などを受診しています。フリーアクセスに慣れている日本の患者はこうした診療科別のかかりつけ医を持つことを支持していると思います。日本医師会もこうしたかかりつけ医の在り方を支持しています。これを前提として考えると、都市部の場合には、こうした複数の開業医をICTを用いてネットワーク化し、バーチャルなグループ診療体制を構築することでプライマリ・ケアを行っていくというのが、当面は現実的な路線ではないかと考えています。

ただし、こうした多科受診の存在自体を支払い側は問題視しています。支払い側はイギリスやオランダのように、まずかかりつけ医が診察をし、必要に応じて他の専門医に紹介を行うというゲートキーピング機能を求めているのだと思います。そして、こうしたゲートキーピング機能を持つために、かかりつけ医は総合診療機能を持つべきだというロジックになります。ここに診療側と支払い側の対立があります。

他方で医療資源の少ない地方では、実質的にかかりつけ医の仕組みができています。ただし、こうしたかかりつけ医に対しては多様な疾患に対応できる能力が求められます。ここで論点が都会とは代わってきます。すなわちこうした地域ではかかりつけ医としての総合医あるいはプライマリ・ケア医が必要だという論調が強くなります。この点については診療側も支払い側も同じ意見で、両者の間で大きな対立はありません。ただし、地方では医師が足りない上にその高齢化が進んでおり、医師の偏在問題の解消が、総合医の育成強化と合わせて要求されています。

このように都会と地方ではかかりつけ医をめぐる問題の構造が異なります。この点を踏まえて制度設計を行っていく必要があります。個人的にはまずプライマリ・ケア医の重要性が認識されている地方でモデルをつくるのがいいのではないかと思います。ただし、そのためには、そうした過疎地域を抱えた地域がある大学の医学部教育が変わらないといけないとも思っています。

権丈:当面の現実的路線と言えば、そうなるでしょうかね。提供体制の改革は、区画整理のようなものだと昔から言っていまして、すぐに動かすことはムリで、時間がかかる。ジュペも、時間をかけるサラミ戦術をとっていくんですよね。

草場:私も十勝の更別村で診療にあたり、地方でのプライマリ・ケアの役割を実感しました。そもそも医療機関や専門医の選択肢が乏しい地方では、プライマリ・ケア医は様々な症状や病気を持つ患者を幅広く診療することが必須となります。更には行政と連携しながら、保健活動、予防医療に携わることも当然の業務となります。また、家族ぐるみで診療することも一般的で、地域にしっかりと足をつけた医療へと自然と近づきます。つまり、理想的なプライマリ・ケアが提供できる環境なのです。

しかし、松田先生のおっしゃるように、都市部では多数の医療機関と専門医が存在し、住民も直接専門医や病院に受診する機会が多いでしょう。ただ、その際に的確な受診ができているかどうかは別の話です。腰痛で整形外科に数ヶ月受診していたがなかなか症状が改善せず、実は腎がんの末期だったケース。気管支喘息で呼吸器内科に定期的に受診しており安心していたにも関わらず、癌検診は実施しておらず、進行大腸癌がみつかったケース。予防医療も含めて包括的なプライマリ・ケアが提供されていない場合は、こうした落とし穴に落ちることは珍しくありません。私は都市部であっても、質の高いプライマリ・ケアを提供し、様々な医療機関、専門医、介護・福祉施設と連携できるハブの機能を果たすことが重要と思っています。

日医の意思の意味は

権丈:地方、人口減少地域でのプライマリ・ケアの必要性はほとんどの人たちが感じているところですよね。その点、全世代型社会保障構築会議(第11回、2022年12月14日)で僕が話しているように、

日医の会長選というのは、各都道府県から代議員が376人選ばれて投票が行われる間接選挙となっています。この代議員の11%を東京が占めて、9%を大阪が占めています。対して、人口減少が激しく地域医療の崩壊が今も進んでいる北海道は3%、東北6県合わせても7%、そして、山陰の鳥取、島根を足しても1%台です。

全世代型社会保障構築会議(第11回、2022年12月14日)

地方の危機感が、日医の方針には、組み込まれにくい仕組みになっていますね。僕は全世代型社会保障構築会議で、地方の地域の離島化という話をしています。

日本では、専門医の必要数についてなかなかデータがないのですけれども、ただ、循環器内科専門医の必要医師数の論文があるのですが、それだと日本に大体9,000人が必要と試算されています。これで日本の人口を割ると約1万3,000人。つまり、プライマリーケア医は人口が少ないところでその地域の8割から9割の医療ニーズに対応できるわけですけれども、離島ではプライマリーケアでしか機能しないわけで、循環器内科が離島にいるという状況を考えると、仕事もないし、その地域の医療ニーズにはほとんど対応できていないというような状況になります。だから、人口減少が進んでいる地域ではプライマリーケア医とか総合診療医を求める声というのは悲鳴のような声で上がっています。ところが、トップが東京とか大阪の人たちの組織からはそうした声が出てこない。それは必然です。

全世代型社会保障構築会議(第10回、2022年12月7日)

日医の方針の意味を考える際には、日医の376人の代議員のうち、今年の会長選のときの時点での年齢構成は、60歳未満は僅か8%に過ぎず、60歳代は59%で、70歳以上は33%であることも考慮しておいたほうがいいかもしれません。構築会議では、次のような話もしてますね。

仮に代議員の地域別構成や年齢構成を反映したものが日医の方針であるとするならば、日医とかその意向を酌む人たちの提供体制の改革論というのは都会の意見がかなり反映されていて、地方の実態は反映されておらず、医療ニーズ、患者の視点に立って論じられてきた医療改革の方向に自ら進んできている突然変異グループあるいは創造的破壊者たちと私が呼んでいる人たちの声は当然黙殺されることになります。

全世代型社会保障構築会議(第11回、2022年12月14日)

専門specialと総合generalという言葉の使われ方と医療の現状

権丈:また、都会での医療のあり方については、専門specialと総合generalという言葉の意味を考えたくなるところです。

いま仮に、幅広く、コモンディジーズ全般を診療することができるgeneralが医療ニーズの8割から9割の診療をカバーできるとする。

generalが扱うことができるコモンディジーズ以外の部分のみに対応しているspecialにとっては、generalは補完的な関係になります。こうした関係の下では、generalというのは、大将、将軍なのだから、辞典にもあるように、general、すなわち全体的、総合的に物事を見ることができるgeneralが、specailと一緒にチームを作って、有機的な関係を監督することになる。

しかしながら、generalと診療が重なるspecialにとっては、generalは競合的な関係になる。しかもgeneralは幅広い診療ができるために、ワンストップでサービスを提供できる。加えて幅広い診療ができるわけですから、多角的な観点から患者を診ることができるために、初期段階での誤診が少ない。specialを名乗るために細分化してきた従来のspecialistには勝算がありそうもない。だから、この問題は、昔から、誰に医療費を分配するかという一種の分配問題、言葉を換えると、人類史上、昔からある「水争い」として政治問題化するわけで、医療側に武見さんのような強力なリーダーシップがある時にしか動こうとしなかった。そうした難しい政治問題であることにも触れた資料を第10回全世代型社会保障構築会議(2022年12月7日)に提出して若干の説明をしています(権丈構成員提出資料)。 

この方面の話では、医師需給分科会で、先ほども名前を挙げさせてもらいました、福井先生が言われていた、「医療の方向性を考える上で、最初にジェネラリストがどれくらいいれば効率的になるのかという議論をぜひしていただいて、それでジェネラリストが扱えない部分についてのみ専門家が対応する、そういう全体の方向性をぜひどこかで考えていただきたい」(2020年1月29日第32回)という言葉も大きな意味を持ってくると思っています。

さらに言えば、その医師需給分科会での福井先生の話から2年後の医師需給分科会・医療従事者の需給に関する検討会の合同会議で、日本病院会会長の相澤(孝)先生が言われている、医師が働く場所が診療所に偏っているという「勤務場所の偏在」に関する話にもつながっていく。「私は最近、地方の診療所をやらせてもらって感じたこと、住民2,000人を大体1つの診療所でカバーすることができます。かかりつけ医機能をもってやればできます。日本の人口は1億2,000万ですね。2,000で割ると6万か所のかかりつけ医の診療所があれば、いわゆる診療所としてのかかりつけ医機能は果たせるのです。とすると、今、10万か所あれば4万あまるのですよ。4万人の方が病院に勤めてもらえば、かなり病院の勤務の不足は解消されるのです」。

といっても、診療科が分かれて面としてつながった上で、かかりつけ医機能を果たすというのであれば、やはり10万人必要になる。この話は、プライマリ・ケア医は、地方のみならず、都会においても必要とされているという話と関わってきますかね。

松田:今後、都市部では複数の慢性疾患をもった高齢患者の絶対数が増加します。現在の状況であれば療養病床や介護施設でケアを受けるような状態像の高齢者が在宅でケアをうけるようになります。ここで必要とされるのは、在宅医療を積極的に行ってくれる総合医と多職種のチームだろうと思います。今後、こうした現場からの急性期傷病の発生も増えるでしょう。そうすると在宅医療と急性期入院医療の直接的な患者のやり取りが増加します。こうした状況はおそらく医療人の意識を変えるだろうと思います。総合医の重要性に対する急性期医療側の認識が変わり、そのことが卒前・卒後の医学教育、看護教育の変革につながるのではないかと私は予想しています。

権丈:今後の都市部での高齢患者の絶対数の増加に対応して、療養病床、介護施設を増やしていくのは難しく、在宅という選択肢になりますね。だから早くから、地域包括ケアは、都市部の超高齢化に間に合うように考えられていたんですよね。ありがとうございました。

内生的医療制度論

権丈:それと、僕はいろんなところで書いては話している内生的医療制度論を説明しておきますね。『もっと気になる社会保障』では、次のように書いています。

自然科学の世界とは違い、人が大きく関わる世の中での法則はなかなか成立しづらい。そうした中、医療の世界の1 人当たり医療費はどういうメカニズムで決まっているのか、何が1 人当たり医療費の水準を決めているかという研究は、長く世界で展開されており、広く共有されている結論がある。それは、1人当たり医療費は1 人当たり所得がほぼ9 割決めているということである。

『もっと気になる社会保障』117頁

「ほぼ9割決める」というのは、対数をとっているから別に元の変数が線形関係にあることを意味していないのですけど、所得が医療費の水準を決めているというのは、どうも法則に近いんですね。医療費決定要因を分析していったら、高齢化水準などの医療ニーズや医師数という提供側の要因は一国内の医療費の地域配分に影響を与えてはいるけど、一国全体の1人あたり医療を決めているわけでもないわけです。そうした事実は、医療制度が総医療費を決めているのではなく、所得と医療費の関係がさほど大きな変動することなく、むしろ中長期的には安定するように医療制度そのものが変わるという仮説と整合的であったりします。つまり、医療制度のあり方は制度の中で内生的に決められていく。

いかんとも動かしがたい力学は、所得に連動して医療制度は動くという、医療制度は内生的であるという事実である。そのなかに財源調達側の集団と医療提供側の集団があり、双方が交渉していくわけだが、時代時代においては、所得の伸びの度合いが力のバランスを決めていくことになる。その力のバランスの変動を、人の問題とみなす向きもあるのだが、人の問題など誤差のうち──そう解釈するのが、医療制度は内生的であるという仮説である。

『もっと気になる社会保障』124頁

僕は、どうしても、この内生的医療制度仮説に基づいて医療費の過去や将来の推移を考えるので、プライマリ・ケアが医療費にどう影響をするかということは、僕にはわからないですね。公的医療保障制度を持つ国では、費用負担側の集団と提供者側の集団の間で双方独占的な交渉が行われて価格、値付けがなされるわけですが、その際の双方の力のバランスに、所得の伸びが影響をする。そんな感じでしょうね。医療費は極めて政治的に決まっています。それに僕は、国民のニーズに応えて質が高まるんだったら、医療費も高くなって良いじゃないかと思っていたりします。でも、僕がそう思っていたとしても、医療費は、政治的に決められる――要するに費用負担者と医療提供者の間の価格付け交渉しだいであって、そこに最も影響を与えるのは所得の伸びで、人物や医療ニーズではないわけです。

さて次は、松田先生の方から、話題を立ち上げてもらえますか。

Ⅴ部 医学教育のありかた

医学教育が地域のニーズから乖離してしまっている

松田:先ほども少し触れましたが、プライマリ・ケアの重要性が増しているのに、それに対応できる人材が不足している。この問題の根本にあるのは医学教育だろうと思います。明治時代から続く講座制と専門医制度が複雑に絡み合って、医学教育が地域のニーズから乖離してしまっているように思います。以前、私の教室では公衆衛生学の実習の一環として、地域の開業医の先生のところに医学生を行かせて、そこでプライマリ・ケアの現場を経験するということをやっていたのですが、臨床系のある教授から「へんな癖がつくからやめた方がいい」というありがたい(?)忠告を受けました。「へんな癖」って何なんでしょうね。こうしたヒエラルキーの問題も解消していかないとだめなのだろうと思います。医学生の時は総合診療に対する関心が高い学生が多いのに、そうした医学生が卒業して初期臨床研修を終えて帰ってくると、専門医志向が非常に高くなっている。こうした状況をどう改善したらいいのか?現場からみて、草場先生が今の医学教育に感じておられる問題意識はどのようなものでしょうか?

草場:松田先生がおっしゃる現象は全国全ての医学部や臨床研修病院で多かれ少なかれ起きていることだと思います。一番の問題は総合診療、プライマリ・ケア領域は医学部を卒業すれば誰でもできるレベルの低い医療であるという偏見が根強いことです。かつては救急医療も同じ歴史を歩み、当初は医者なら救急ぐらい誰でもできるから必要ない分野だと専門医から罵られた悔しさを伺ったことがあります。日本はある特定の部分の精緻さにこだわる職人のような方を尊ぶ文化がある気がします。ただ、畳職人さんが家の設計をできないのと同様、患者を全人的に把握して診療し、必要な場合に臓器別の専門医と連携する医療があってこそ、互いが有機的に機能を発揮できます。それを大学で説得力を持って語るロールモデルが少ないのが問題なのだろうなと思っています。

権丈:そのあたりは先ほど言った、本当の意味での専門医に診てもらうまでは、多角的に全人的医療を行わなければならないのに、日本の現実はそうなっていないということですね。

僕は2017年11月の第14回医師需給分科会で、経済学のカリキュラムの話にたとえていますね。政策論に本当に必要なのは歴史とか制度の知識だということが、年を取ったらしみじみと分かるようになるのですけど、いかんせん、経済学の先生たちは理論経済学とか、なんだか数学や物理に近い方がいいものだと思っていたりする。これじゃ、社会的なニーズに対応したカリキュラムの改革はできないと。

変化の兆し

草場:そのあたりは、医学教育の世界では少しばかり変化が起こっていて、各科の専門医の中でも、総合診療と各領域の連携の必要性を語る方が少しずつ増えつつあることも実感しています。そういった医師全体の意識変革と現在展開する医学教育のモデルコアカリキュラム改革が連動すると、面白い化学反応が起きるのではとたいへん期待をしているところです。

権丈:それは期待できそうですね。

草場:昨年発表されたモデルコアカリキュラム2022では「総合的に患者・生活者をみる姿勢」が大きな学習目標として位置付けられ、そこでは<全人的><地域><人生><社会>の視点とアプローチが必要とされています。まさにプライマリ・ケアそのものでして、我々がプライマリ・ケアの専門家として医学生の教育に自信を持って関わらなければと気持ちを新たにしております。

権丈:そうした動きに対する学生さんたちの反応はどうですか。

草場:今のように語ると堅苦しい話に聞こえますが、プライマリ・ケアの学びは楽しいものです。例えば、日本プライマリ・ケア連合学会では夏期セミナーという医学生向けの家庭医療の合宿型勉強会の場を用意しています。学生自身が実行委員会としてテーマを選び、我々ベテランが講師としてワークショップを提供し、車座になってプライマリ・ケアのこと、キャリアのことなどをざっくばらんに語り合う素敵な会です。もう30年近く続いている人気企画で、この会を経て地域で活躍する医師もたくさんいます。臓器別の先端医療の話も科学の視点からはエキサイティングなのはもちろんですが、病いに苦しむ患者さんの声を聞きながら、そこにどう医療を提供するか学ぶこともワクワクする体験なんです。なぜ、医学部に入り医者になろうと思ったのか、そういった原点を思い出させる医学教育をこれからも提供していきたいなと思っています。

北海道家庭医療学センター

権丈:ありがとうございました。この対談の中でも何回かでてきた医師需給分科会で、最後の日に(2022年1月12日)、東京大学医学教育国際協力研究センター教授の北村(聖)先生がおっしゃったことはとても印象的でした。北村先生は、第38回の会議(2022年1月6日)で、「今、地域枠と呼んでいるのが1,000人くらいあります。これを、総合診療医枠と呼んだらどうかと私は思います」と発言されて、あの会議で、誰も異論を唱えませんでした。いや、みんな賛成だったんじゃないかと思います。そして、第40回医師需給分科会(2022年2月7日)では、次のように発言されます。

「地域偏在、診療科偏在、それを医学教育でやっていても、皆さんがモノトーナスな人で価値観が同じ感じがします。そういう人たちは同じところ、都会で働き、お金が簡単にもうかるような、そういうところを志向しているように思います。お願いというか、自分に対してもそうなのだけれども、入学者の多様性の確保というのは大事だろうと思っています。この格差社会の中である一部の高学歴層から医師の卵を選ぶのではなくて、地域の人、あるいは貧困にある人、社会のいろいろな人から医師を選んで、そういう人たちがまた元のところで働く、あるいは違うところで働く、違う価値観で意見を述べるなどの医療職の多様性をしっかり確保する必要があると思います。それが回りくどいようですがいずれは地域偏在や業種の偏在とかそういうものの是正につながるものと思います。外国でもそういうことが行われています。」

第40回医師需給分科会(2022年2月7日)

松田先生が、最後に医学教育に関する問題提起をしてくれたわけですけど、かなり根深い問題があるところですね。僕も、2018年になりますが「日本の大学の医学部教育は何が問題なのか?」というのを書いています。

どこの医学部も、進学校である中高の時の同級生というような状況になっているわけで。そのあたりは、『医師の不足と過剰』を書かれた、東京大学名誉教授の桐野高明先生との対談もあります。

Ⅴ 未来に向けて


権丈:この根深い問題を、鼎談の読者たちも理解してもらうところから、フランスでの医療改革を導いた保健民主主義ははじまるのでしょうかね。ただ僕は、医学部が変わらないと、プライマリ・ケアの普及は起こらないとは考えていません。医学部が従前のままだったのに、草場先生たちがいるわけですから。しかしその苦労たるもの、察するに余りあるものだと思う。先生がインタビューの中で「“誰かが捨て石にならないと、家庭医療の次の世代は生まれない”――結局、僕はこう考えた」、という文章を記憶しています。

草場:まだ若さと鼻息の荒さを感じる発言ですね(笑)。ただ、北海道で家庭医療を実践するだけではなく、家庭医を養成する仕事を本気でやっていこうと覚悟を決めた時には、ある種の覚悟と悲壮感があったのは事実です。当時はまだ卒後7年目で北海道家庭医療学センターの所長を継承するタイミングでしたので、果たしてこの領域が本当に大きく成長するかどうかは不透明でしたし、たくさんの若い医師を呼び込んで良いのだろうかというためらいが無かったというと嘘でしょうね。

ただ、実際にふたを開けてみると、実に優秀で心優しい医師がたくさん入職してくれるんです。そして、厳しい冬でも喜んで往診に行きますし、看護師や薬剤師などとの時間外の会議も楽しんで参加してくれる。命令やインセンティブは不要です。医療制度や医学教育が簡単に変わるようにはとても思えない保守的な日本だけれども、現場で医療を提供する医師とそれを受ける患者のあり方は確実に変わっていく。それを家庭医療というモデルとして北海道、更には日本に広げていくことによって、関心を持ってくれる国民、医療者、更には行政担当者、学者、政治家が増えてくれば、少しずつ変わってくるのではないかという思いが原点にあります。百聞は一見にしかずですから。

時代の先駆けとなるモデルは現世的なメリットを享受することはどんな時代でも基本的にありませんから、「捨て石」という表現がしっくりきたのだろうと思います。ただ、こうして権丈先生、松田先生とお話しできている現状は当時よりは随分前に進んでいる実感がありますから、「日本もまだまだ捨てたものではないよ」と当時の自分に教えてあげたいですね(笑)。

権丈:なるほど。先生のいまの言葉を伺って、『ちょっと気になる医療と介護』の中で紹介させてもらっている、東京大学名誉教授、森亘先生のご講演の言葉を思い出しました。もう亡くなられましたが、次のようにおっしゃっていました。

そもそも医師という道を選んだ以上は、その人生において、自らをある程度犠牲にしてでも、健康維持の面で広く人々に奉仕せねばならない使命と運命を背負ってしまったことを自覚せねばなりません。

『医とまごころの道標』(2013)

ここで、森先生は「では、それらに対する報酬は何か?」と続ける。

率直に申して、それに見合うだけの物質的な報酬は必ずしも期待できません。得られるものがあるとすれば、それは一方では自らの誇りであり、他方、社会の中での尊敬でありましょう。誇りや尊敬というものの有する価値は、今日の日本では著しく下がってしまったような印象を持っておりますが、それでも私はなお、知的社会においては何にもまして価値あるものと心得ております。

『医とまごころの道標』(2013)

僕は、現場が変われば、タイムラグはあるだろうけど、教育も変わらざるを得なくなるとも思っている。第8回全世代型社会保障国地区会議に提出した資料には、次のような絵を描いていました(権丈構成員提出資料4頁)。左に描いている【医学教育】の左の矢印にtime lagと書いているのは、そういう意味です。

そして、去年(2022年7月)の上智大学教授の香取(照幸)さんとの対談の中で、次のように答えています。

「政策的支援がさほどないのに、すでに地域医療の中での連携やプライマリ・ケアを行っている医師はかなりいる。彼らは進化上の突然変異にも似て、いわゆる好事例なのだが、周りからはそうみられず、出る杭とか余計なことをすると思われているかもしれない。自然界では自然環境が進化を促すが、政策の世界では制度が彼らを適者とする役割を担う。制度設計者の役割は重要だ。」

僕ら社会科学系の人間は制度設計に関わっていくことになるわけですが、ここに話している「制度設計者の役割」を強く意識していきたいと思っています。

本日はありがとうございました。


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