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社会で子育て 考える機会

勿凝学問413

朝日新聞2023年3月16日

耕論 児童手当の所得制限

字数の都合で、消えたところ

だから彼ら(ミュルダール夫妻)は、高齢期の生活を社会全体で支える制度をなくさないのであれば、「出産と育児に関する消費の社会化」という言葉を使って、子どもに関する費目を個々の家計から国家予算へと移すしかないと論じました。

これから、現在の日本にふさわしく、多くの人が納得でき、進んで協力したくなるような制度を考える、今は良い機会だと思います。ちなみに私は、少子化対策という言葉は、まず使いません。高齢期の生活を社会化しているのかだからとしか言ってきていません。

まぁ、仕方なし(笑)。
もっと気になる社会保障』には、次がある。

加えて,私が政策を提案する際には,その論拠にも,なにがしかの特徴があるのかもしれない.たとえば,子育て支援や両立支援,子育て費用の社会化は,高齢期の主要な生活費が社会化されているのだから当然ではないかとしか言っておらず(20 年近く前からそう言っている),私自身が少子化対策という言葉を使っている箇所はない.

『もっと気になる社会保障』xiv頁

為政者の保身の初出は2009年に出した『社会保障の政策転換――再分配政策の政治経済学Ⅴ』の「第21話 基礎年金の租税方式についての国民的議論はすでに終わっているよ」

二〇〇八年五月一九日一五時~一八時一七分、三時間以上かけて会議が行われる。この日は、『日本経済新聞」、『朝日新聞」、『読売新聞』三紙の年金改革案を説明してもらうために、大林尚日本経済新聞論説委員、梶本章朝日新聞論説委員、小畑洋一読売新聞東京本社編集局社会保障部長が招待されていた。
会議では、まず、三紙の年金改革案が説明された。続いて香取内閣参事官より、年金財政シミュレーションが説明された。その後、フリーディスカッション入る。一通りの議論を終え、会議の終了間際、一巡目では一番最後の発言者として、僕は次のように言う。
権丈委員 最後となると、答えたいことがいっぱい出てきますね。
・・・
私は、(現行の保険方式から租税方式への)移行の難しさとか難しくなさとかというのは、「実行可能性」が非常に重要な意味を持つと思っております。では、その実行可能性とはいったい何なのか。私の文章に「政策論は価値判断と実行可能性という制約条件下で織りなされるアlトである」というものがあります。私の学問というのは、「価値判断とはなんぞや」とか「実行可能性とはなんだ」ということまでぶつぶつと考えるのですけれども、実は、為政者に強い権力さえあれば政策な
んてものは何でも実行できるんですね。要するに、為政者というのは権力の強さの度合いに応じて政策の自由度が高まっていくわけで、その権力者の力を抑制するものはいったい何なのか、などと考えたりするわけです。
そのときにキーワードとなるのは「為政者の保身」という概念です。歴史的な事例をいろいろと考えてみますと、為政者が自分の為政者としてのポジションを守るために、これはできるかできないかを判断し、いろいろと妥協をしたり、やりたいことを抑えて、その結果、被統治者にとって望ましい善政を行ったりするわけです。そこで、現代民主主義の下での「政治家の保身」という概念が重要になってくると思うのです。
今日は、政治家は伊藤補佐官しかいらっしゃいませんので、補佐官に聞くしかないんですけど(笑)。基礎年金の租税方式への移行の実行可能性を問うポイントとして五つの問いを考えていて、これに「イエス」と答えるか「ノl」と答えるか。これが実行可能性を問う分岐点になると思っております。だから、補佐官には、私の聞いに対して心の中で「イエス」「ノー」を答えてほしいんですね。
その五つの判断基基準というのは(次の①から⑤に続く)

『社会保障の政策転換――再分配政策の政治経済学Ⅴ』148-153頁
『社会保障の政策転換――再分配政策の政治経済学Ⅴ』153頁


『社会保障の政策転換――再分配政策の政治経済学Ⅴ』154頁

この五つの問いに対して、すべて「イエス」とクリアできないと、租税方式には移行できないなあと。私のような一研究者には、ある政策を実行できるかできないかというのは分からない。私たちは間接的に「為政者はどう判断するか」という想像力を働かせながら、実行可能性があるかどうかを考えていくわけですけれども、そういう意味でこの五つの問いは、政治家(為政者) たちが逃れることができない問いだと思っております。

『社会保障の政策転換――再分配政策の政治経済学』154頁

今回担当してくれた新聞社の人たちは、『もっと気になる社会保障』における「為政者の保身」あたりをよく理解してくれていたようで

実は今回、パンフレットという言葉を使っていたのだが

担当記者とのやりとりの中で、一瞬、次の文章になっていた時も

1934年にスウェーデンのミュルダール夫妻が「人口問題の危機」というパンフレットで指摘していることを、

トマス・ペインの『コモン=センス』が影響力をもったパンフレットとして有名であり、マルサスの『人口論』もパンフレット、つまり時事問題小冊子、時事評論文と位置づけられており、ケインズの次の言葉などはよく知られている。

経済学者たちは四つ折り半の栄誉をひとりアダム・スミスだけに任せなければならず、その日の出来事をつかみ取り、パンフレットを風に吹き飛ばし、常に時間の相の下にものを書いて、たとえ普及の名声に達することがあるにしてもそれは偶然によるのでなければらない。

ケインズ全集『第10巻 人物論集』における「第14章 アルフレッド・マーシャル」

と言っても、そうした話を多くの人は知らないだろうということで、今回の記事から、「パンフレット」を消す。

今回、パンフレットという言葉を思い出していたのは、次の本のレビューで、アスクレピオスさんが、「パンフレット」という言葉を使っていたからでもある・・・だろうか。


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