あって当たり前と考えるのをやめる事。

※とある映画のネタバレを含む内容なので、ご注意ください。


昨夜、映画を見た。
内容は、電気が使えなくなってしまった世界の中、家族で東京から九州まで旅をする話である。

なかなかの今の社会に対するアンチテーゼのような話でありつつ、今のコロナの状況を別の観点で予見したような内容だった。
はじまりは家族同士でいがみ合っているような、寂しい家族のような印象をもった。家族それぞれがテレビや携帯に夢中、親戚から送られてくるものを迷惑がり、家族の会話なんてものは用件だけ。
しかし、意外とこんな家庭は多いのではないだろうか。

そんな中、突然電気が全て止まり出来ることが制限された。
電車、車、ガスや水道まで全て使えない。ATMやクレジットカードなんてものも、もちろん使えない。
今の社会は、これだけデータやインフラに頼りきった脆い社会であることを思い知らされた。

しばらく復旧の目処がたたず、東京に住んでいる主人公ファミリーがおじさんの住む鹿児島まで向かうプランを立てた。インターネット無しで。
私もめったに迷うことはないのだが。始めていく場所に携帯なしで行く経験はないので不安である。
紙の地図を読まないといけない、飲料水や食料の確保、雨を凌ぐ場所の確保など、今の便利な社会が持続する以上触れることがあまりないことへの思考の必要性。
どんどん便利になっていく社会においても、常に自分で生き抜いていける力を養っていかなければならない。

終盤になると、家族で一体となってその環境を生き抜いてきたことで、次第に仲良くなる。
そんな中、大きな事件が起こる。
父の行方不明だ。
それは普段あって当たり前のものを無くしてから初めで経験する感情。
最終的には家族全員で目的地に着くことができた。そこにたどり着くまでの流れや、そこでの自給自足の時間が家族の絆を深めた。


この映画から学んだことは、
あって当たり前のものに対する疑問。人やモノに頼りきらない生活。
これらはより必要となってくると感じる。
それらが人と人の協力、人と人をつなぐきっかけとなると感じた。

建築はただの箱ではない。快適な空間を提供する場というだけではない。
人間同士のつながりを創出するキッカケを作る場であると信じている。
その為にも、建築や都市を考えていく上で本当に必要なものかどうか疑う目線を持つことを意識する。(先生の考え方がわかってきたかもしれない)
※便利性も人と人を繋ぐ可能性を持っているので、それ自体を否定するわけではない。

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