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京都旅行3日目ー大徳寺、永観堂、南禅寺

今日はまず特別拝観がある大徳寺へ向かう。京都駅からはバスで50分あまりあるから結構遠いと言えば、遠い。朝、京都市バスで9時ごろに三十三間堂や清水寺へ向かう修学旅行生などが列をなして並んでいるのでこれは大変だと思ったが、幸い大徳寺に向かう北大路は座れるくらいには並んでいない。それでも駅河原町、河原丸田町あたりから結構人は乗り込んでくる。99年にバスを利用して観光の移動した時も、自分を含め観光客に地元の人はかなり混雑に巻き込まれてるなと思ったし、その辺は地元のひとも複雑な思いが多いのではないか。実際少しラッシュからズレてきたためか高齢者の乗車が多く、病院へ行く会話などが聞こえると、自分を含めて迷惑かけてるなと思う。そして修学旅行生は別に考えると、圧倒的に観光は海外からの人が多い印象だ。

大徳寺特別拝観
 大徳寺の職員の方が解説をして下される形で、日ごろは拝観できない大徳寺の中心、三門、塔門(豊臣秀吉が作った聚楽院からいただいたもの)、方丈、法堂と上部天井に描かれた天井龍をこと細かい説明をいただきながらじっくりと見学。
 大徳寺は特に茶道や作庭などに圧倒的な美学由来をもつ巨大なお寺で、数多い塔頭を持つ。特に歴史でも有名な一休さんがこの寺の中興の祖であり、堺の豪商から資金を集めたそうだ。戦国時代になってさまざまな戦国大名たちが大徳寺の土地に施主となって数多くの塔頭が作られた。その名残は日本庭園や石庭として幾つかの院において見ることができる。

外から見た大徳寺三門です

 話変わって、豊臣秀吉の恩寵を受けたのはその堺の出身でのちに侘び茶や茶室で有名、茶道の確立者、千利休。彼の悲劇の要因になったのが、この大徳寺の三門だと言われる。朱塗りの中華的な山門なのだが、その二層部分に最近注目を浴びている長谷川等伯が天井壁画を書いたのに加え、山門二層のくぐり口に自分自身の立像を立てた。その下を豊臣秀吉もくぐることになるので、天下人になった秀吉の怒りを買い、利休は切腹を申しつけられ、かつその首はさらし首になったという。切腹の原因は様々な説が語られているが、この三門の利休像自体も磔刑になったというから、切腹の要因の一つであるには間違いないのではないかと思われる。

外から見る唐門


 唐門は、今はない豊臣秀吉が作った絢爛な政庁及び邸宅の聚楽第。甥に譲ったあと、その絢爛豪華な場所は秀吉自身の手でとりこわされたのだが、その一部を譲り受けて、いまこちらに残っている部分とのこと。日光東照宮のモデルとなった一部でもあるようだ。

 方丈は半分改修中で、半分外から中を拝観させてもらえた。本尊は釈迦如来像である。

襖絵は狩野探幽の作画である。当時はいわば権力者の御用絵師の座を勝ち得たのは狩野派で、長谷川等伯は無名の絵師であったが、千利休の取り立てで三門壁画を描き、長谷川一門の名を世の中に聞き及ぼすきっかけとなる。そう考えると足軽出身から天下人になった秀吉の出世ぶりは日本で並ぶところはないが、一介の堺商人だった千利休の文化人としての権威権力を得る道すじも負けず劣らず相当なものだろう。

 法堂は仏像はなく、文字通り法主が上座に座り、寺院僧侶と問答を交わす場であるようだ。天蓋の大龍は狩野探幽の作で手を叩くと龍が鳴いたように響くという。試させてくれたが、確かに堂内に振動が響いた。

いずれにせよ、武門と禅宗や茶道は所縁が深いが、ここには著名な戦国大名たちの頭塔ばかりが立ち並んでいる。いま現在一般に見学が可能なのは畠山氏の龍源院、大友宗麟の瑞峯院、細川忠興の高桐院などがある。

・興臨院
 畠山氏の菩提寺で、畠山氏が没落後に前田利家によって再建された。今回、特別拝観できる。日本式庭園と枯山水を持つ。(室内は写真不可)



・瑞峯院
 大友宗麟が建造した。和室と枯山水を持つ庭園様式。(室内写真不可)

・大仙院
  枯山水としてはもっとも古い庭園のひとつ。応仁の乱直後から作られた。耕作四季を描く狩野之信の襖絵が素晴らしかったです。(室内は写真不可)


・〈そのまま南禅寺へと〉 
 広い大徳寺を浴びるほど見て、すでに圧倒を感じながら、南禅寺へと向かいます。これはまた逆方向へ、千本通から丸太町を延々とバスは走ります。今日は私は1100円の1日バス地下鉄フリー切符を用意していまして、それが有効な働きをしました。でも、1時間近くバスに乗っても230円均一の市バスは正直安いです!
 東天王町で降りて乗り換え、南禅寺永観堂に。歩いていく途中で南禅寺と思って入った寺院は永観堂禅林寺でした。拝観エリアの予定に入れたなかったのですが、ここが実に良かった。



・永観堂禅林寺
 著名な隣の南禅寺に比べるとあまり取り上げられることが少ない印象の永観堂さんですが、名とはちょっと違って浄土教のお寺です。山を背後に持ち、自然の豊かさをお庭の借景とし、見立て見事なお寺です。全く見飽きるところがない。長谷川等伯とその一門の襖絵、竹虎図が見れますし、ご本尊は「見返り阿弥陀」という横を向いている(振り返る頭)珍しいものですし、南朝の租である亀山天皇が離宮として使った隣の南禅寺で出家し亀山法王になった後に移られたのがまた、この永観堂ということです。



・南禅寺
 能書きもいよいよ疲れてきましたw。この先は軽く。南禅寺は禅寺なので、お庭には枯山水があります。また、屏風絵には小方丈に狩野探幽筆の「水呑みの虎の図」があり、その躍動感は見事です。
 三門は天下の悪党、石川五右衛門がその山門の上から「絶景かな、絶景かな」と叫んだ歌舞伎で有名な場面。その三門はけっこう急だけど登ってみると確かに京都市内や、京都東山山系を望むことができる。まさに絶景スポットであります。



以上。あとは写真で。
京都は本当に歴史があるなーとしみじみ思います。もっと深掘りしたくなってしまう。また、この京都の土地と奈良にずっと何もせずお寺を参内できる日々なら、最高だろうなとも思います。見飽きないですもん!
でも、人間の観念はそれで満足できるようにもどうもできてなくて。難しいところですなあ。

おまけ

京都だけに限らないかはわからないのですが、禅寺には龍の天井画が描かれていることが多かったです。おまけで龍の歴史の詳細な解説動画を。龍の源流はワニ?

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