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森元斎さん(長崎大学大学院准教授) 『国道3号線』 インタビュー・1

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               福岡での出会い

杉本 雑談もしたいところですが、早速、森さんが今年出された本書について伺いたいと思います。私はこの本をすごく興味深く読ませていただき、付随して他のひとの本とか資料とかDVDとかも観て、かなりハマってしまったんですよね。それは「何故かな?」と。何故こんなに自分の中でこだわっちゃったのか。自分でも実はイマイチ理由がよくわからない所があるんです。
 考えるにおそらくひとつはコロナ禍で、自粛の要請があったりしたこと。もちろん僕は元々こもりがちですけれども、なお一層ひきこもりがちになったり、全体に今もそうだと思うんですけど、多くの人が今年、そしておそらく来年もそうかもしれないですけど、ちょっと心持ちや感情が「変な年」だったなとのちのち、振り返って思うような感じなんじゃないかと思うんですね。で、一時、春先から今の「Go Toトラベル」あたりの間にかけて、“命か経済か“みたいな。現代の産業構造として、二項対立的な議論にならざるを得なくなったように思うんですよ。私の母親も来年94歳になりますし、認知症でその介護もあるので、私の場合、当然発想は“命の大事さ“という所に行くんですけど。こういうことで二項対立になってしまったのは何故かな?というふうにぼんやりと思っていた中で、この本に出会ってですね。色々去来するものとして経済とか、「近代主義」と言ったら話が大きくなり過ぎますけど、そういうことも頭に浮かべながら読んだんじゃないかという気がします。
 森さんも「はじめに」の部分である程度、“なぜ”という部分に関しては書いていると思うんですけど、この本は九州という土地の急速な近代化と、その副産物としての普通の人たちの受苦や抵抗の運動史ですよね。そのあたりを書こうと思った動機とか、改めて話していただければと思うのですが。


 動機は、少し身近な話をしてもいいですか?


杉本 どうぞ、どうぞ。


 はじめて福岡に行ったのは2003〜4年くらいでした。当時お付き合いしていた方で、今現在のパートナーが福岡出身なんです。当時は私もまだ学部生で、休みになると「青春18きっぷ」を買ってフラフラ旅行に行っていました。パートナーと一緒に旅行しようとなり、どうせならと福岡に行くことになりました。鈍行に揺られて福岡に到着すると、パートナーが「面白い人がおるけん、その人に会ってみらん?」と言われ、言われるがままに行った先が河合塾でした。そこで紹介してもらった方が、長髪で、作務衣を着た仙人のような方でした。生徒の質問に対しても無骨な感じで、とても雰囲気がある。その方はパートナーの恩師で、実は拙著にも登場する*茅嶋洋一(かやしま ひろかず)さんだったんです。会うなり「きさん、何期生や」と言われました(笑)。お前は何期生かと。わけがわからずポカンとしていたら、「お前は福高じゃないとや?」と。福高とは、福岡高校のことです。東京出身ですと返事をした上で、「へえ。じゃあお前、早稲田か?」みたいなこと言われて。「早稲田じゃなくて、中央大学です」と言ったら、何か急に興味をなくしたみたいで、つまんなそうにしてました。(笑)


杉本 (苦笑)


 本人は福高出身で、早稲田で東洋哲学を学び、その後高校教師となり、伝習館高校で教鞭をとられていました。会話からもわかるように、地元意識や同胞意識が非常に強い方でした。


杉本 なるほど。


 僕は今までの生活でそんな人にあったことがなかったので、これはもう、衝撃でした。


杉本 ははは(笑)


 「どこ出身だ?」などほとんど聞かれたことはありませんでした。出身高校に対しても愛校心なんかまったくありません。そうこうしていると、もう仕事終わったので、ウチに来いとおっしゃっていただき、車に乗って、茅嶋さん宅に行きました。


杉本 その日のうちにですね?


 そう。茅嶋さんの家に到着するや、一升瓶がドンッと置かれ、「さぁ、飲むぞ」と。


杉本 九州ぽいなあ(笑)。


 こうした経験が動機といってもいいです。話していると*玄洋社とも親戚を通じて関係があるとか、*宮崎滔天が好きだとか、そして*伝習館事件裁判の話もしてくださいました。実は、私は当時その裁判のことを知らなかったのですが、当然のように話すので、知らなかったら怒られそうで、こっちもちょっと知っているふりしたりなんかしつつ。伝習館裁判は最高裁まで争った教育裁判で、ものすごい闘争が繰り広げられました。気づけば、このおっさん、いや、茅嶋恩大は、ものすごすぎると(笑)。そして、もうむちゃくちゃ優しいんです。私など、どこの馬の骨だかわかんない人間なわけですが、どこそこ行ったら、茅嶋の名前を出して頼れとか言ってくださる。なんでこんなに優しいのか。他にも*上野英信さんだったり、渡辺京二さんだったり、九州派の画家だったり、いろんな茅嶋さんが会ってきた人の話を聞いて、ちょっとずつ自分で掘るようになって、そこから裾野が広がり、その辺の人たちの書籍を読むようになっていきました。


杉本 ああ、じゃあ初めて福岡の土地を訪れて、結構すでに九州はインパクトが大きかったんですね。


 いきなり茅嶋さんですからね(笑)。それが最初の動機となっています。


杉本 私はてっきり、もう3年くらい前になりますか。この時期にお会いした時は人のお宅を借りてコミューン生活を始めていらしたじゃないですか?いま長崎に移られたという話ですが、その頃から徐々に芽生え始めた九州に対する関心なのかなと思ったのですが。もうそれくらい前から関心が芽生えていたんですね。


 はい。


杉本 じゃあ福岡に、まあ奥さまの実家があるから福岡が生活するのには良いというのもあったのでしょうが、それも含みつつ、興味ある九州に住んでみたいという気持ちが芽生え始めた感じでしょうか?


 基本的には、そうです。住む場所はある意味どこでもよかったのかもしれませんが、ちょうどそのタイミングで子どもが産まれ、実家にお世話になるといった仕方で、福岡だったということもあります。


杉本 奧さんのお父さまなども含めて、やっぱり何というんでしょう。男気がある土地柄というか?


 そうです。本当に優しい人ばかりでした。恵まれていたのかもしれません。


杉本 九州男児というイメージ通りの印象がありますね。


 パートナーのオトンとかとはもう毎日のように飲み会です。

             国道3号線沿いに広がった

杉本 (笑)なるほど。強いですね、九州の人はお酒。で、話を本の方に持っていきたいんですけど、あえて言えば『国道3号線』というタイトルで、北九州から南九州まで貫徹している国道3号沿いに、門司の老松(おいまつ)公園というところからずっと南下して南九州の鹿児島の照國(てるのくに)神社。これは島津斉彬が祀られているのかな?そこには一点一点取り上げただけで一冊の本が書けるような、大きな事件や事故なり、あるいはほとんどは名もない人たちが動いた運動でしょうが、知る人ぞ知るような人も表現者として登場したりするわけで。改めて現在九州での日々を過ごしているなかでその辺りを掘ってみたいと思うような、深まっていったような感じでしょうか。


 そうですね。たまたま福岡に来た後、哲学の勉強をもちろんしなくてはいけないけれども、どうせなら何か地元の知らないことも知って行きたいという思いもありました。元々*谷川雁(水俣出身)とかは読んだりはしていたのですが、きちんと読みはじめたのは福岡に来てからです。それともちろん茅嶋さんから教わってきた固有名詞の人たちを拾っていきました。なかでも*「サークル村」などは大変私には刺激的で、そこから派生して読書体験が広がっていきました。石牟礼さんや水俣ないし水俣病もそうです。水俣病に関する運動だとか、言説を作っていった人たちからも刺激を受けたり、荒尾という場所出身の*宮崎兄弟にも影響を受けたりしていきます。


杉本 なるほど。


 どんどん広がっていって、何となくそれをマッピングしていくと、いつも九州自動車道や国道3号線を通って資料館に行ったり、いろいろ各地に遊びにいくようになっていく。それで「国道3号線」というタイトルになった。実はその前提として何となくぼんやり*空族(インディ映画チーム)の『国道20号線』という映画がありまして、タイトルがカッコいいなというのがあって、そういうのも使いたいという直感があったので、すぐに結びついたんです。それなら自分は国道3号線だなあと思いながら書いて、調べていったんですけれども、実はまだまだあります。書けなかったことなどで幾つか挙げるとすれば、例えば久留米だったら、*丸山豊さんという詩人の方ですね。『母音(ぼいん)』という詩集を作っていて、そこでは谷川雁とか、*森崎和江さんなんかが寄稿していました。あとはちょっと歴史の古層みたいなものにも興味はあります。一番最後の方に*安曇(あずみ)一族のことを書いていますが、他にも例えば「菊池」とか「山鹿」という場所があって、その辺は南朝・北朝の時代に南朝の政権を支える部隊がいて、実は九州独立を一時的にではあれ、実現していた時期がありました。菊池城の場所なんて、とても中世や近世からだけの歴史では語れなさそうな、重層性を感じます。そういうある種の古層に触れることができたのもこの間の経験として重要です。
 あと3号線から外れちゃうんですけど、やっぱり阿蘇の方にも大変興味があります。嘘か誠かわかりませんが、爆発で無くなったはずだけれど、いまだに縄文遺跡だと言い張っている謎の遺跡があったりとか。そういうのも含めて面白い地域だなあ、と。こうした場所に実際に訪れて、だんだんと目が開かされていきました。


杉本 なるほどね。九州は朝鮮半島とか、大陸の方から海を渡ってきて、その前はざっくり日本は縄文文化だったのが、おそらくですが、コメ文化の弥生文化に変化していくのは、朝鮮系の人たちなどが、大陸から追われてというか、いろいろあって日本にやってきて、いわゆる「王権」みたいなものが九州からコメ文化とともに上陸し北上して、今の近畿地方とかで大和王権が各部族を殲滅したというかね(笑)。綺麗に言えば、平定したと一応歴史的にはそういうふうなことになっていると思うのですが、その前に長い長い、南の方のいろんな動きがあったというようなことでしょうか。


 まあおそらくそう思います。考古学とか歴史学の専門家ではないので、詳しいことはわかりませんが、安曇一族ひとつとってもそういったところが見える気がします。志賀島(しかのしま)をセンターにして、そこから滋賀県の由来になっている志賀だったりとか、アズミと書いた、遠く安曇野とかもあります。熱海や渥美半島とかそういうところに人々がどんどん自発的に行ったのか、あるいは飛ばされたのかその辺はよくわからないですけれど、一族が移動してきた歴史があるわけで。やはりそういうのがすごく面白い。いきなり時間や空間のスケールがグッと拡大しますよね。

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*茅嶋洋一ー河合塾 国語科現代文・小論文講師。早稲田大学第一文学部哲学科卒。元伝習館高等学校教諭(伝習館闘争の中心人物)。
*宮崎滔天ー本名は虎蔵 (寅蔵) 。西南戦争で熊本協同隊を率いた宮崎八郎の弟。徳富蘇峰の大江義塾,東京専門学校に学び,小崎弘道のもとで洗礼。犬養毅を通じて孫文と交わった。頭山満らと中国革命を積極的に援助し,恵州の挙兵計画にも参加,またエミリオ・アギナルドのフィリピン独立運動をも支援。 1905年東京における中国人留学生の革命組織中国革命同盟会の結成に尽力し,孫文の委嘱でその日本全権委員になった。 1911年辛亥革命が起こるとこれに参加,孫文の南京政府樹立を助け,第2次,第3次の革命も支援。その死にいたるまで中国革命を支持し続けた。自伝『三十三年之夢』『革命評論』などがある。(コトバログより)
*伝習館事件ー伝習館高校に勤務していた3人の教師が、授業における教科書の不使用、学習指導要領の逸脱、成績の一律評価をしていたとして、学習指導要領違反、教科書使用義務違反、一律評価による法律違反等を理由に、懲戒免職処分を受け、処分を受けた教師が当該処分の取り消しを求めた訴訟である。最大の争点は学習指導要領の法規性、つまり要領が教師の教育活動の適法性の有無を判断する根拠になりうるかであった。最高裁は法規性を認めた。
日本教職員組合はこの3名の教師が日教組内でも最左派であったこと、生徒の保護者に支持を受けていなかったことなどからこの3名の教師を支援しなかった。
*上野英信ー(1923-1987) ルポライター、小説家。
大正12年8月7日生まれ。炭鉱労働者としてはたらき,昭和33年谷川雁(がん),森崎和江らと「サークル村」を創刊。坑内労働者たちの生活をえがく記録文学などを発表。のち自宅に筑豊文庫をひらいた。昭和62年11月21日死去。64歳。山口県出身。京大中退。本名は鋭之進。著作に「追われゆく坑夫たち」「天皇陛下万歳」など。 (デジタル人名大辞典より)。
*谷川雁ー(1923-1995)詩人,評論家。
大正12年12月25日生まれ。民俗学者・谷川健一の弟、東洋史学者・谷川道雄の兄。「西日本新聞」記者となり,「九州詩人」「母音」の創刊に参加。共産党に入党し、労働争議で解雇される。昭和29年詩集「大地の商人」,34年評論集「工作者宣言」をだし,三井三池争議や安保闘争を支援。のち「十代の会」「ものがたり文化の会」を主宰した。平成7年2月2日死去。71歳。熊本県出身。東京帝大卒。本名は巌(いわお)。著作はほかに詩集「天山」,評論「原点が存在する」など。(デジタル人名大辞典より)。
*空族(くぞく)ー空族(くぞく)は、日本の映画作家集団。
2011年、『サウダーヂ』が第64回ロカルノ国際映画祭で独立批評家連盟特別賞を受賞。2016年、『バンコクナイツ』が第69回ロカルノ国際映画祭・インターナショナルコンペティション部門で若手審査員賞を受賞。代表的な族員として、富田克也や相澤虎之助がいる。(ウィキペデアより)
*丸山豊ー福岡県広川町に生まれ同県久留米市で育つ。旧制中学明善校時代から、同県小郡市出身の野田宇太郎(詩人)と詩誌を刊行するなど詩作に励んだ。早稲田大学第一高等学院を退学、九州医学専門学校(久留米大学医学部)に進学。1947年に野田らと詩誌「母音」を創刊。日本現代詩における代表的存在として活躍した。代表作は詩集「地下水」「愛についてのデッサン」、戦記「月白の道」。日本現代詩人会主宰の先達詩人顕彰受賞(89年)。74歳で死去。(西日本新聞ワードboxより)
*森崎和江ー1927年大邱生まれ。
福岡県女子専門学校卒業。1950年詩誌『母音』同人となる。
福岡を根拠地として炭鉱、女性史、海外売春婦などについて多くのノンフィクション、また詩集を刊行。(図書出版 石風社サイトより)
*安曇一族ー阿曇氏(あずみうじ、安曇氏)は、「阿曇(安曇)」を氏の名とする氏族。海神である綿津見命(わたつみのみこと)を祖とする氏族。
古代日本を代表する海人族、海人部として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じた奴国の王族であったとされ、神武東征後に最初の本拠地である北部九州の福岡志賀島一帯から離れ、畿内へ進出した後に、摂津国西成郡安曇江を根拠地として、全国の海人集団・海部を管掌する伴造の地位を得たとされる。(ウィキペデアより)

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札幌で人文社会系のインタビュー活動をしています。自由と社会を軸に考えつつ、時々、道外にも取材に行っています。マガジンも充実中。 「インタビューサイト・ユーフォニアム」運営。サイトURL https://www.kenjisugimoto.net/

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