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大澤真幸 この世界の問い方 第一章


この世界の問い方ー普遍的正義と資本主義の行方


 今までの読書会で取り上げた本よりは、論証立てづらい筆者の直感的な考えも多いと思われるゆえに、説明しづらい本かもしれないが、逆に言えば、この本を軸にいろいろ各自が推論や想像、連想を膨らませるのには大変興味深いものではないかと思います。
(著者、大澤氏の直観的な考えも、ラディカルに本質をついていると思われた)。

よって、今回の自分の担当は、この本に沿いながら、他の本からの興味深い発見も多かった。この本を読む際に資料として使い、推論が多い本書を軸として、もうひとつ自分の推論を重ねる思いで読めた気がします。

第一章の資料:
 『歴史の終わり』フランシス・フクヤマ 文庫・上、中、下
 『ロシアの思考回路』三浦清美 扶桑社新書
 『ロシアとソ連邦』外川継男 講談社学術文庫
 『文明の衝突』サミュエル・ハンチントン(一部)

ー本書が取り上げている全体の(時事)問題ー
・ロシアのウクライナ侵攻
・中国と権威主義資本主義
・アメリカの変質
・ベーシックインカム
・日本国憲法

<まえがき>

・ウクライナ侵攻に関して ー なぜ大きなコストをかけてこんなことをやるのか。プーチン大統領以外にわからない。いや、プーチン本人さえ、自らを駆り立てる無意識の衝動を十分自覚できてないかもしれない。戦争を規定している説得力ある論理や法則が見当たらない。

・中国とアメリカの対立について ー 権威主義と資本主義の結合は、社会科学がこれまで前提にしてきた法則からするとあり得ないものだ。
(それは本当だろうか?→ F・フクヤマ「歴史の終わり」を参照。)

・公共圏に関してー いま(先進国を中心に?)ひとつの国の中でも公共圏が崩壊しつつある。逆に、同時に地球環境危機などに対するグローバルな連帯の必要性が生まれている。私たちはそのことを自覚しつつもその状況で公共圏が今までになく縮小している。公共圏の状況は、私たちの必要に対して完全に背馳している。

混乱、無秩序は常に悪いものではない。既存の秩序の構造が人々の要求との間で圧倒的なまでに噛み合わなくなったとき、例えば「革命」のような状況にそれは必要な条件だ。では私たちがいま直面する混乱や無秩序は、そのような良性のものなのか?どのような条件のもとで、混乱と無秩序が希望に結びつくのか。私たちがどこからきて、どこへ向かおうとしているのか。明確な展望を持てること、それが必要な条件だ。

第一章 ロシアのウクライナ侵攻

⑴何のための軍事侵攻か

発表者の仮説ープーチンの衝動とは?

●ビザンツ帝国由来の東のキリスト教(東方正教、ロシア正教)と、ローマ・カトリック(その延長としてのプロテスタント)との根深い対立、あるいはコンプレックス?
●ロシアが持っている歴史性?
●地政学的条件(?)
⇨ 大澤氏は、もっと深いレベル、いわば世界の構造レベルで考えているように思われる(後述)

・NATOの接近に対抗してのウクライナ侵攻だ、という理由ー表向きそう言われ、プーチンも認め、一般的に人口に膾炙するが、そうであるとして、それがいちばんの理由なのだろうか?むしろウクライナ侵攻によってNATOを逆に引き寄せることになってしまったのではないか?(緩衝的な立ち位置だった北欧のNATO加盟申請など)。

・果たしてロシアはヨーロッパなのか?
プーチンの問いであり、著者・大澤氏はプーチンはロシアはヨーロッパであると思い、その点に関してコンプレックスがあると見るが、実はプーチン自身、西欧に対する疑念があるかもしれない(…西欧はロシアをヨーロッパとみなしてくれていないのではないか、と)
※ここから、東方正教ロシアとヴァチカン西欧(ローマン・カトリック)との歴史的な確執、葛藤が見えるかもしれない。  
・それは「どこまでが西か」をめぐる競争でもあり、あるいは、キリスト教の正統性を巡る闘争としてもか?

ヨーロッパには、西と東をめぐる対立がある。
西の方が優位であることを皆、認めている。「西」こそが、本物のヨーロッパなのだ。
👉 果たして、ロシア人はそれを受け入れるか(歴史が絡んでくる)

ウクライナ戦争では、プーチン氏は「ルーシの世界」の1000年の歴史と言って、ロシア国家黎明期の歴史を押し出した。

以下、(参考:「ロシアの思考回路」三浦清美)

ロシアという「国」の深淵を辿ると三段階に深淵がある。
・1。キエフ・ルーシ(9世紀に成立した東スラブ最初の国家のこと)がコンスタンティノーブルからキリスト教を受容したこと。←これがプーチンのいう、「ルーシの世界」。
 しかし、このキエフ・ルーシは、南方からの度重なる騎馬民族の侵入に苦しみ、最終的にモンゴルのタタール族によって滅びた。(タタールのくびき)。これで一旦ゼロになる。これがキエフ・ルーシの第一の深淵。

・2。第二の深淵ー14世紀から17世紀半ばにかけて、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三つの国が別々の道を歩む。その中でキエフ・ルーシを継承したのが、「キエフならびに全ルーシ府主教座」を自らに引き寄せ保護したモスクワ公国で、それがロシアの原型となる。とはいえ、ウクライナ、ベラルーシも、ともに「正教」文化が花開く。これが第二の深淵。

・3。第三の深淵ーピョートル大帝の時代。地理的な関係から早くから西洋文化を受け入れたウクライナ、ベラルーシの知識人らの影響によって、西洋化改革が進められ、ヨーロッパの列強となる18世紀が第三段階の深淵。

・18世紀のピョートル時代以前ーキエフ・ルーシの創始者、リューリク16世紀のモスクワ大公国のツァーリ・イワン雷帝がロシアの代表人物

・ロシアがなぜこれほど西欧を恐れ、憎むのか。ロシアのキリスト教は、西欧のキリスト教とは違う宗教と考えた方が良い。
1.「ルーシの世界」のはじまり
『過ぎし年月の物語』(ロシアで最古の年代記)ーキエフ・ルーシのの歴史を語るときは、だいたいこの年代記が史料となっている。(日本で言えば、古事記、日本書紀の感じ?日本では『ロシア原初年代記』として出ている)

 キエフ・ルーシは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの共通祖先である東スラブ人がごく少単位で集住したところから始まり、少しずつ大きくなった国である。建国期、東スラブ諸族が内輪揉めを起こしたため、ノルマン系バイキングの首領であるリューリクを指導者として招聘したと言われる(リューリク招聘伝説)。リューリクの出身がヴァイキングのルーシ部族だったため、それがそのまま国名となった。ルーシをロシア語で発音すると、「ロシア」になる。

 キエフ・ルーシはユダヤ教、ローマ・カトリック、ギリシア正教、イスラムの境界上にあり、キエフ・ルーシの創始者、リューリクの孫、ウラジーミルが多民族を束ねるため、多神教からビザンツ帝国(コンスタンティノーブル)のギリシア正教に改宗する(988年)。
 ルーシは、9世紀から13世紀30年代まで存在した。

 キリスト教はローマ帝国の迫害を受けたので、ローマ、コンスタンティノーブル、アンティオキア(シリア)、アレクサンドリア(エジプト)、エルサレムの五つの教区に分かれた。うち、7世紀にローマ、コンスタンティノーブル以外はイスラムの手によって落ちた。ローマとコンスタンティノーブルは、1054年に分裂する。分裂の契機は8〜9世紀にかけての聖像破壊(イコノクラスム)にあった。

 キエフ・ルーシはモンゴル襲来によって、一度、完全にゼロにリセットされた。モンゴル襲来後、森の中にある北東ルーシがやがてロシアになり、南西ルーシはリトアニアやポーランドに支配されるが、ポーランドによるカトリック支配を嫌って南ロシアの平原地帯へ逃げたコサックたちが作ったのがウクライナという国である。ーそれだけにウクライナは隷属を嫌い、敵を武力で斥ける、自由を愛する気風がある。

 そして15世紀末、オスマントルコによってビザンツ帝国(東ローマ帝国)が滅亡すると、モスクワ大公国がビザンツ帝国に代わる正教勢力の盟主として名乗りをあげる。モスクワは、ローマ、新しいローマのコンスタンティノーブルに続く、「第3のローマ」と主張するようになる。

・ロシアを中心とする東方正教会の世界観と、西欧キリスト教の世界観の違いとは?
①イエスキリストの捉え方②言語への態度③暦のあり方④過去への姿勢⑤統治機構の構造

 世界の理解についてー三位一体説の中で、天上の構造を地上に下ろしてくるとき、地上の世界の神の代理人は誰なのか。西のキリスト教はローマ教皇であり、宗教権威と、世俗権力は分離している。他方、東方キリスト教会では、神の代理人の位置づけは、皇帝である。コンスタンティノス大帝(274?―337。キリスト教を国教化したローマ皇帝)が、世俗権力の権威も兼ね備えていた。→⑤統治機構の構造

 故に、④過去への姿勢も、東方キリスト教はコンスタンティノス大帝以前には遡らない。宗教から学問が独立するプロセスは存在しなかった。
 これに対して西欧は、過去に対してもっと開かれた姿勢を持っていた。13世紀後半から西欧各地に創設された「大学」という学術機関ができ、神学部以外にも法学部、医学部も併設された。
 さらに重要なのは、古典古代、ギリシア、ローマの文化遺産への回帰によって起こったルネサンスの刺激も受けて起こった宗教改革であった。西欧は宗教改革によって、キリスト教の教義を相対化できた。それに対してビザンツ帝国は宗教改革を果たせず滅亡。ロシアではルネサンスも宗教改革もなかった。ウクライナはやや違い、ポーランドを通してルネサンスが入ったが、ポーランドのように開花したとは言えない。
 ③暦の作り方も西暦ではなく、天地創造暦とも言われる「ビザンツ暦」が用いられた。西暦1699年12 月31日以後にやっとユリウス暦に基づくキリスト生誕暦に変わり、現在の世界標準、グレゴリオ暦が用いられたのは1918年。ロシア革命後のこと。
①イエスキリストの捉え方について。
 キリスト教では、キリストは「完全な人間であり、完全な神」とされる。(451年のカルケドン公会議)
 神であり、尚且つ人間であるという二重性がポイントになる。

 800年、ローマ法王レオ三世は、フランク王、カールをローマ皇帝として戴冠する。ここに西洋社会の社会構造が出来上がった(宗教的権威と世俗権力の二つの中心をもつ楕円構造)。
 その頃、文明的に西欧よりもはるかに先を進んでいたビザンツでは、9世紀初めにスラブ人への伝道を始める。
 聖書に関しては、ローマ・カトリック教会は異端に発展するリスクを抑え込むため、共通言語をラテン語に集約した。言語は宗教的権威のラテン語と、各カトリックの土地土地の民族語に分かれていた。この状況を打破したのが、マルティン・ルターによる宗教改革である。
 これに対して、ビザンツ圏のキリスト教は寛容で、言語によって各民族の教会を統制することはしなかった。
 古代教会スラヴ成立の経緯は、はっきりしており、「キュリロスとメトディオス兄弟」が、9世紀中葉に、ビザンツ帝国のどこかでスラヴ人にキリスト教を広めるため、スラヴ語の方言を土台に宣教した。キリスト教伝道のために作られた言語がキエフ・ルーシに入り、東スラヴ人の言語になった。キリスト教が入る前のキエフ・ルーシは無文字社会だった。キュリロスらの兄弟の偉業を受けたキエフ・ルーシには、自分達は遅くにキリスト教に改宗した未開な人種であるという劣等感と、であるが故に神の特別な恩寵を受けた特殊な存在であるという優越感が入り混じる不可思議な民族意識が生まれた。

 遅れたキリスト者となった東スラブ人は、神の恩寵を強調し、神がキリストの名において人間として生きた以上、恩寵に応える努力をしなければならないという努力の考えと、「99匹の羊を置いても一匹の羊を探す」心優しい神のイメージ、という表裏の側面を持つ。地上の神の代理人である皇帝はそのような存在として求められるし、この統治者観は、選挙で大統領を選ぶ現代ロシアにも脈々と息づいていると思われる。
 目指すべき像が「慈悲深い神から怒れる神に変わる」事例がロシア史の中にしばしば見出されるが、その典型が16世紀のイワン雷帝だろう。統治の前半はほとんど善政と言って良いものだったが、その後半はテロルの連続だった。
(三浦清美:「ロシアの思考回路回路l」要旨)

 「東ヨーロッパ」には、ヨーロッパの東という意味以外に、ヨーロッパの外、という含みがある。東西冷戦の鉄のカーテンが降りたあとの「境界線」が明瞭でないことが、ロシアの今回の行動で見えてきたことのひとつ。ここには単純な地理概念に還元できない問題がある。それがキリスト教の問題である。つまりローマン・カトリックか、東方正教なのか、という問題である。
(「歴史の終わり」の時代には、「生活と文化」の問題になる ー フランシス・フクヤマ)

ヨーロッパにおいて西が優位になったのは、資本主義と結びついた近代化に西側キリスト教諸国が圧倒的に成功したからである。西欧が特別視されるのは、そこが近代と資本主義の起源であり、いまだにその中心であるからだ。アメリカは地理的に隔絶しているが、圧倒的に別格な「西」である。

(2)「文明の衝突」ではあるが….


 プーチンは実は「理念戦争」を仕掛けている、という推察。
ふつう戦争は、現実的利益を覆い隠すために「理想」「理念」を旗頭に掲げる。ところが、今回のウクライナ侵攻は、「NATOの脅威」などという現実の被害を口にするが、そこには説得力がない。現実被害が説得力がないのに口にされるのは、逆の思惑があると考えられる。

 この戦争は、サミュエル・ハンチントンが論じるところの「文明の衝突」のひとつの現れであり、このような認定はある条件を前提にしたときに受け入れられる。その条件とはフランシス・フクヤマが論じた「歴史の終わり」である。著者によれば、フクヤマの「歴史の終わり」ではヘーゲルに依拠しつつ、東西冷戦が終わったことは、つまりイデオロギーの時代が終わったということ。それがいわゆる「歴史の終わり」で、これは明るい見通しだ。見出される最高の社会秩序は「世界規模のリベラル・デモクラシー」であると。
(私見:著者はフクヤマの「歴史の終わり」に、世界規模のリベラル民主主義の勝利によって歴史は終わる、という楽観主義を見ているが、発表者にはそのような簡単な結論になるとは読めなかった。もちろん、フクヤマがリベラルデモクラシーが一番大切なものと捉えているのには異議はないが…。むしろ新たに「生活文化」「宗教」「権威主義と民主主義(平等主義)」の対立が生まれる、と読めた。そしてそれを止揚するのが、リベラルデモクラシーであると。


「歴史の終わり」の時代には、文化の間の葛藤や緊張が、つまり「文明の衝突」へのポテンシャルが社会空間の随所にはらまれる。歴史の終わりの政治の一義的な目的は、この葛藤や緊張の処理にある。
 現代社会は、世俗の大義(イデオロギーや政治的スローガン)が大衆を動員する力を持たない。大衆を動員するのは結局宗教か、民族への帰属意識しかなくなる。政治的指導者もまた、宗教か民族的アイデンティティに準拠しない限り、自らを鼓舞することができない。ロシアによるウクライナへの侵攻、西側への挑戦も、こうした衝突の深刻なケースであろう。

「歴史の終わり」時代の政治は「文明(文化)」のあいだの葛藤、衝突という形式をとる。たたし、諸文明は、平等にそれぞれ特殊なものとして相対化されているわけではない。実は西洋文明だけが文明間の競争・闘争のための場を与える普遍的標準として機能している。

 著者(大澤)に言わせれば、歴史の終わり後はリベラル・デモクラシーに対しての真の挑戦者は現れない。だが、そこには限定がある。その限定とは資本主義である。「資本主義の枠内で」リベラル・デモクラシーは勝利したのだ。真の勝利者は資本主義である、と。

 資本主義のグローバル化は階級的搾取の関係を、一国内に閉じ込めないものに拡大していった。グローバル化した階級的搾取なのが現代である。つまりグローバルサウス時代である。
※(グローバルサウスとは、「途上国」と同様の意味で用いられる言葉。アフリカ、ラテンアメリカ、アジアの新興国などが当てはまり、国際連合は、77の国と中国をグローバルサウスに分類している。)

 プーチンの西側への挑戦の過剰性は、意外にも階級的搾取に由来するルサンチマンや不遇感が加算されている。いわば階級闘争へ向かうはずの怒りや情念が、この戦争に「文明の衝突」的なものとして付加されている。(ロシアは、冷戦の敗者として遇されることに強い屈辱を覚えている)
 もちろん、プーチンが目指すのは階級闘争では無い。階級闘争におけるプロレタリアートは、支配階級を打倒したあとは自分たち自身のプロレタリアートの条件そのものを無化しなければならない。
 プーチンが目指すのはロシアの大国化であって、自己否定への衝動はいささかも持っていない。
 ナマの階級闘争は、世界のどこにもあらわれないだろう。なぜなら世界のどこも現在がすでに「歴史の終わり」を受け入れいるから。 
 「歴史の終わり」の受容とは、資本主義が最後の選択肢であることを、前提としていることを意味している。階級闘争は、さまざまな運動や闘争に“当事者には自覚されることなく”寄生している。

・西側の決定的な弱点
 西側諸国はエネルギー価格の高騰ばかり心配している。それは結局資本主義市場とウクライナを天秤にかけているに等しい。「ウクライナを応援しよう、しかし市場が決定的に破綻しない限りで」と言っているのと同じ状況がある。

 ウクライナが仮に勝利するとして、それはまだ文明の衝突の枠内のことである。しかし問題の真因は、まさに資本主義的な市場にあるかもしれないのだ。普遍的連帯への破壊的作用、つまり階級文化を生み出す搾取関係こそが、戦争という形で現れた問題の真の原因かもしれない。

⑶ 偽善ではあるが、しかし……


 ラテンアメリカや、アフリカ諸国は西欧による「ウクライナの正義、ロシアの悪」の図式に偽善を見ている。欧米は「西側」理念と正反対のことを、いわゆるグローバルサウスに属する諸国に対して行ってきた。プーチンのロシアは、西側のこのような弱点を見据えていたように見える。ロシアは国際的立場の弱い国々に、軍事や治安の援助を行ってきた。武器供与や軍事訓練などによって。

(フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』より要旨参照)
第二次大戦後の「近代化理論」ーニュアンスの違いはあれど、その行き着く先は先進工業国のリベラルな民主主義体制が横たわっているという方向性は誰もうたがっていない。ところが近代化理論は「自民族中心主義だ」と非難にもさらされる。西ヨーロッパ、アメリカでの社会発展を、その地域特有の「文化的制約」でありうることについて、なにも考えないまま普遍的レベルまで高めてしまった、と。

 プーチンロシアが、西側の植民地主義に苦しめられてきた国々を支援するのも、階級闘争的なものの痕跡である。だが、実際はロシアがやっているのはむしろ独裁国家の支援など、そのやり方は西側の植民地主義的な介入の仕方なのだ。
 ロシアは、西側に抑圧されてきた諸国の同盟者になろうとするが、実は自分もグローバルサウス抑圧に加担している側なのに、その責任は全て西側にあるかのように振る舞っている。

 著者によれば、偽善があっても、西側の方がはるかに良い、と。偽善が可能な状況は、偽善が原理的に不可能な状況よりもずっと良い。

 偽善が生じるのは誰にも適用されるような倫理の普遍的基準がある場合である。その基準を前提として認めているのに、一部の人にはそれが適用されないとき、偽善が生じる。これに対して特殊性や、差異への権利や承認を要求して、最終的に特殊性や差異が制覇する世界ではどうなるか。そうやって実現される世界の内部には、偽善なるものが、そもそも定義上ありえない。なぜなら偽善という判断の前提となる普遍性を要求する基準がないからだ。

 偽善は大問題である。しかし、偽善には希望がある。偽善は、まさにそれを偽善とみなす基準に依拠して克服することができるからだ。偽善をなすものは、それを掲げ、引き受けている倫理の基準に反していることを自ら自覚できる。偽善という判定は、他者にだけ属する基準によってではなく、自分自身も引き受けている基準によって下されているからだ。

⑷ 戦争の最も望ましい終わり方を巡って


 戦争の理想的な収束については、ロシア国内で大規模な反戦運動、反政府運動が起こり、プーチン政権が倒れることだ。世界中の人たちがこれを最も望ましいことと考えているはずだ。しかし実際にはこのようなことが起こりそうな状況では無い。

・ロシアの戦争反対の動機として望ましいもの。
ロシア人がウクライナ人が戦争で経験している苦しみに対する同情や共感、むしろ「共苦」から戦争に反対する、あるいは自分たちの政府がこのような戦争を遂行していることを恥じて反政府運動が起きたとしたらどうだろうか。それはわれわれにとって以上にロシア人にとって良い。これはたとえば経済制裁に伴う生活苦とか、自分や身内が戦場に送られることへの拒否等の、基本的に利己的な動機よりも、ウクライナの人々への「共苦」や自国政府が誤っていることの「恥の意識」のほうがより高い倫理性を持つのは明らかだ。
 西側のキリスト教の教えはシンプルで、それは隣人愛である。この隣人愛の世俗化された近代的な表現が、こんにち「自由」「博愛」「民主主義」などの政治理念になっている。

(参照)
キリスト教が自由の理念を実現する最後から二番目の形態となったのは、神の前では万人があまねく平等だとする原理を初めて打ち立てたからだ。自分に対する気概に満ちた価値観は、キリスト教信仰者の内なる尊厳や自由とどこか共通点をもっている。
しかしながらキリスト教の問題点は、それがやはり単なる一種の奴隷のイデオロギーに過ぎないこと。キリスト教は自由についての正しい概念は持っているが、結局は現実の奴隷たちにこの世での解放を期待するなと説き、彼らの自由の欠落した状態を感受させてしまうのだ。ヘーゲルによれば、キリスト教徒は、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったということに気づいていない。人間は自由という理念のひとつの投影として神を作り出した。キリスト教は奴隷から抜け出す現実的な手立ては与えなかったが、目指すべき目標はいっそう明確に示してくれた。その目標とは、自由で自立した人間になり、その自由と自立によって認められ、さらに万人が広く互いに認め合えるようになることである。(フランシス・フクヤマ『歴史の終わりより』引用の要旨)

 ロシア政府の侵略的戦争を恥じて反政府の運動を起こしたとしたら、それが意味したものはロシア人はヨーロッパの最良の部分を代表する理念を、ヨーロッパ人以上に忠実に実行していることになる。このとき初めて、ロシア人は、ヨーロッパに対する劣等感を克服することとなる。そうなれば、圧倒されるのはヨーロッパの方になる。

愛国主義、ナショナリズムを通って普遍主義へ至る道がある。それは、ロシアに対して愛国的であるがゆえに、ロシアが普遍的に妥当な正義や理念に立脚して行動するロシアの人たちである。ただの愛国主義者、ただのナショナリストではダメである。いきなり普遍主義に飛びつく人もダメである。希望を見出すことができるのは、ナショナリズム、愛国主義を経由し、それを突き抜けるようにして普遍主義にたどり着く人たちである。

私たち日本人が(ロシアに)「まともな市民」がもっと沢山いれば良いのにと思うとき、その期待を寄せている人間像を純化させると、それは「愛国的であるがゆえに普遍主義に立脚することができる人間」である。では、日本人はどうだろうか。日本人は「まともな市民」だろうか。
 わたしたち日本人は凡庸なナショナリストである。たとえば、ロシア-ウクライナ戦争においてウクライナの側に立つにあたって、日本人、あるいは日本の政治家は、それが国益にかなっているかだけを考えている。何をすることが普遍的正義に適っているかという発想はない。

疑問:
→ この理想主義的な考えと、第二章の中国に対する現実主義的な考えとの整合性は?

※ 第二章に関して。
台湾を巡る中国の軍事行動を考えるとき、アメリカの側につくべきと言う著者は、この第一章の「資本主義問題」とロシアのナショナリズムを経過して普遍主義に到達するロシア市民を展望する論理が失せてリアリズムになるのはなぜか?(最終章で、答えを出してはいるが、それでも二章の内容との整合性が感じられなかったーこれは発表者の宿題)

※「権威主義的資本主義」の可能性について→フランシス・フクヤマの議論の一部抜粋

概ね各種の権威主義政体よりもリベラルな民主主義を好むというのは事実だとしても、なぜそのような好みが生まれたかという理由はまだ不問に付されたままだ。そして、民主主義びいきが工業化のプロセスそのものの論理から導き出されたものでないことは一目瞭然だ。なんにも増して経済成長を国家の第一目標にするなら、それに一番相応しい体制は、リベラルな民主主義でもレーニン流の社会主義でも、社会民主主義でもなく、自由経済と権威主義の組み合わせた形がベストである。この体制は「市場指向型の権威主義」と名づけていいものかもしれない。

 「市場志向型の権威主義政権」は、民主主義と共産主義の最良の部分を兼ね備えている。つまりかなり厳格な社会規律を国民に押しつけながら、同時に、技術革新や最先端テクノロジーを進んで採用する自由を認めてやるのだ。
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』より

※こちら(コテンラジオ)でロシアとウクライナの関係の歴史が非常にわかりやすく動画解説されています。ぜひご覧ください。


(フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』1992)
(『ロシアの思考回路』三浦清美 扶桑社新書)
(外川継男『ロシアとソ連邦』講談社学術文庫)

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