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旧東海道を往く

皆さん、こんばんは。Kenji Onoです。

今回は旧東海道に関して、さわりだけダラダラと書いてみたい。本稿での旧東海道が意味するものは、いわゆる東海道五十三次で歴史の教科書に出てくるあの東海道である(最近の社会の教科書は読んだことがないため、出てこない可能性も否めないところだが)。

実は、私は旧東海道を刻み刻みながらも実際に歩いている最中である。東京の日本橋から出発し、現在は三重県にあった庄野宿(三重県鈴鹿市)まで到達している。興味のない方からすると不思議に思うかもしれないし、実際に怪訝な反応を示されることは少なくない。ただ、自動車や電車などの文明の利器を使わないゆっくりとした徒歩だからこそ気づくことはあると思っている。今後、そんな旧東海道について少しずつ紹介したい。今回は、その予告と思って頂きたい。

・旧東海道とは?

Wikipedia(2024/1/12時点)より
※ここは文明の利器を活用させて頂くが許されたし
東海道は、江戸の日本橋から小田原宿、駿府宿、浜松宿、宮宿(熱田宿)を経て、七里の渡しで伊勢湾を渡り、桑名宿、草津宿を経て京都の三条大橋まで五十三次ある。
距離は約490kmあり、山間部の経路をとる中山道よりも約40kmほど短いが、東海道には行く手を阻む大きな河川が何本もあり、六郷川(多摩川)、馬入川、富士川、天竜川は船渡しによる渡河が行われたが、大井川をはじめ、安倍川、酒匂川では江戸幕府により渡し船が許されず、川越人足(歩行渡し)による渡河をする必要があった。
川の上流で雨が降ると川は増水したので、水位が増すごとに川札代も高くなり、七里の渡しの船賃よりも高かったといわれる。
さらに、雨で増水した川は川止めとなることもあり、川の流れが一定水位まで下がるまで、何日でも宿代がかさむこととなった。
箱根峠や七里の渡しも交通難所で、七里の渡しでは宮から桑名までの七里(約28 km)を海を船で揺られながら渡るのに、6時間余りを要した。
このため、これをバイパスする佐屋街道が尾張初代藩主の徳川義直によって開かれ、宮から桑名まで9里(約36 km)で結ばれた。
また幕府による「入鉄砲出女」の取り締まりが行われ、とりわけ新居の関は厳しかった。

・なぜ、旧東海道を歩こうと思ったのか?

きっかけは4~5年前に遡る。あるテレビ番組を視聴していた際、旧東海道の一部をタレントさんが歩いていた。それを妻が観ていたのだが、私たちも歩いてみないか?と言いだした。その申し出を受けた私は、視察を兼ねてビジネスの着想を得られるのではないかと考え同意した。これがきっかけである。なお、当時は日本橋から横浜ぐらいまで歩けば十分だろうと考えていたものだが、歩いているうちに知らない土地を知ることが楽しくなり、その結果として京都を目ざすこととなった。

・旧東海道の魅力は?

旧街道は日本の歴史的な街道であり、多くの魅力があると思いつつ、その中でも以下の3点を挙げたい。

  1. 歴史と文化の宝庫:
    旧東海道は江戸時代に築かれ、歴史的な町や寺社、城などが点在している。京都から東京までを結ぶこの道は、多くの歴史的な出来事や文化の交流があり、その一部が今も残っている。伝統的な茶屋や歴史的な建物を巡りながら、日本の歴史と文化に触れることが可能である。

  2. 美しい自然と風景:
    旧東海道は都市と田園地帯を結ぶ道のりであり、その間には美しい自然が広がっている。現時点ではあるが、箱根の山々や湖、静岡県の緑豊かな風景などが印象的に残っている。歩く時期にもよるが、四季折々の風景を楽しむことが可能である。

  3. 伝統的な宿場町の雰囲気:
    旧東海道沿いには、かつての宿場町の名残がある。これらの宿場町では、江戸時代の面影を感じさせる建物や街並みが残っている場所もあり、当時の雰囲気を味わうことができる。また、地元の食事や特産品も楽しむことができ、日本の伝統と風物詩が詰まった場所と言える。

本稿ではここで止めるが、不定期ながらも各宿場町などを紹介できればと考えている。

以上、駄文・悪文を許されたし。

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