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週末小説 音楽に意識が宿った 第一章その4

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   一九九七年 二月

 ヒットに恵まれないながらも少しづつCDを出し続け精力的に活動を続ける声子。アニメやドラマの主題歌やサウンドトラック制作なども手掛け、インターネットの台頭と共に、「知る人ぞ知る」名歌手となる。彼女の声を聞くだけで優しい気持ちになれる。声子の曲を知る人は誰もがそう思い始める。

 しかし来るときはやはり来るものだ。そんな声子にもアンチが出現してしまう。

 その手紙主は、音楽大学に進みながら、自分の作曲の独創性に才能のなさを感じつつ、氷河期真っただ中に五十件以上一般の企業に応募した末に受かった保険会社で、セールスレディとしての厳しい業務をこなしながらもミュージシャンを目指している石川正子(いしかわまさこ)という二十七歳の女性。十枚つづりの便箋に手書きで書かれている乱れた筆跡でもって、声子に対する怒りを露にした部分を抜粋した内容は以下の通りだ。

【初雪声子。

 私はあなたを殺したいほどに嫌いだ。私は現状仕事も音楽活動も上手くいかず、デモテープを送ったりライブに出ていても全く相手にされない。相手にされないのは仕事面でも同じ。再び好景気になるという望みを捨てきれない人間にあふれる人々は生命保険など見向きもされない。ただ自分はいたずらに歳を重ねていくだけ。自分以外の人間が羨ましい。私の先輩は皆バブル期に大企業へと就職を楽々と決め、私より若い子は皆にぎやかな音楽業界で食べていけるチャンスが山ほどある。ましてや、あなたのように音楽で成功している人間には絶対にわからない。人間やりたいことをやれ、とは既に私が学生の頃から言われてきたことだ。しかしやりたいことをやれる人間なぞ数えるほどしかいない。早い話、成功できた人間は、今この国に溢れかえっている厳しい毎日に揉まれながら生きなければならない人間の気持ちをわかることの出来ないクズだ。あなたもだ。この卑怯者。あなたは誰よりも人の心を動かすすべを知っている。それはあなたの曲を聞けばわかる。だからこそあなたは私のように悶々とした日々を送る人間がいる現実から目を背け、遠くから見て笑っているだけだ。私の周りの大人もそうだ。何が夢を叶えろだ。何が自己責任だ。周りの私より年上の恵まれている人間はそんなふうに皆無責任な発言をする。もちろんあなたもその内の一人だろう。私は逃げない。あなたのように。あなたの歌を聞いても決して心は晴れない。それはそうだ。所詮歌は歌でしかないのだから。歌を作ればそれがお金という実利に変わるあなたにはそれがわかるまい。もし私のこの手紙に何も反論できないのであれば今すぐ音楽を辞めろ。さもないと住所を特定し、抗議、いや、暴行をも辞さない覚悟だ。それが出来ないのなら私が死んだって構わない。どうせこんな世の中だ。私にしろあなたにしろ、いてもいなくても同じだ。もう一度言う。初雪声子、私はあなたが嫌いだ。こんな世の中消えてなくなれ。

                      From 石川正子  】


 私はこの手紙を読んで激しく動揺したものの、肝心の声子自身は、さほど見た感じではざわついた様子を見せなかった。そんな中、私はあえて彼女の心の奥底を探ろうとしなかった。深く傷ついているかもしれない、もしくは優しい声子のことだから、この手紙の持ち主の事を憎むどころか逆にひどく心配し、心を痛ませているかもしれない。はたまたあるいは、自分の歌を聞いて不快にさせたという罪悪感すらある可能性も。いずれにせよ私は、そんな声子を見たくないし、感じたくない。

 それからの声子は、幸い今まで以上に音楽づくりに精を出し、創作に乱れをきたしている様子もなかった。少しばかりのメディアとのタイアップを除けば、地道という他ない彼女の音楽活動。そんな彼女の元に届くファンレターの中には、脅迫状とも取れる石川正子からの手紙が、半年に一回程届く。そしてそれは時が経つにつれて三月、二月に一回とスパンが短くなってくる。

 声子は彼女の元に届く手紙は全て目を通している。そして次第に私は、石川正子の手紙を読む際、彼女の心から即座に離れる癖がついていた。間違いなく彼女はこんな恐ろしい手紙が届く度に嫌な思いや苦しい感情を抱いている。私が声子と同じ人間であるなら、彼女のことを助けることが出来たかも知れない。しかし私は歌だ。彼女の辛い心を読み取ることしか出来ない。手紙の内容では、声子自身だけでなく曲にまで批判が及んでいる。つまり私自身についても批判している。しかし私のことはどうでもいい。私は歌なのだから傷つかない。そのかわり彼女が苦しめば私も苦しい。極端な話彼女が幸せならば私も幸せで、彼女が死ねば私も死ぬ。私は肉体を持たず、実存性という意味だけでなく、形而上的という意味でも無力だ。私はただ佇むだけ。そんな私は、たとい肉体を得、彼女と交流が出来たとしても助けられるかどうか甚だ疑問だ。

   時は過ぎ

   一九九八年 九月

 最近声子は音楽活動以外でも忙しい。どういうことかというと、約二年前、空前絶後の大ヒットを飛ばしたSFアニメの二匹目のドジョウをを狙おうと、多くのアニメ制作会社が多大且つ過密なスケジュールであらゆるジャンルのアニメを制作した。しかしその無理のある制作環境や杜撰な計画の為多くのアニメが不完全な状態で世に送り出され、そしてVHS化もされず、忘れられていっている。声子の曲もその有象無象のアニメと共に消えていった。

 しかし彼女が懸念していたのは自分の音楽が再び大量消費されていったことなどについてではない。

 声子の所属していたタンジェリンサンセット(略してタンサン)のアニメ制作部門も例外ではなく、その流れに乗ろうと、今でいうデスマーチ同然の環境が当たり前に構築された。そしてその九割以上が多くの人達に大した感動もメッセージも伝えきれず撃沈していく。クイーンレコードの子会社とは言え、タンサンもグループ内で派閥争いが起こるのではないかという噂すら流れた。

 アニメ制作については門外漢である声子だが、そんな会社の雰囲気を見かねて、宿利耕介さんにある提案をした。ここは一度原点に戻って、熱心なファンに支持されている小説や漫画など、基盤のしっかりした原作をアニメ化したらどうか、と。耕介さんもアニメ制作に関しては専門でないため「版権や使用料が関わってくる原作付きを利用し、当てられる時代は終わっている」と、その時は彼女の提案も一笑に付した。しかし実はその時、彼は彼女の意図を読み取っていた。

 三十年前、大手出版業界S社から排出されているメジャー少女漫画雑誌の妹誌として創刊された老舗月刊誌「ミサンガ」で5年以上細々と連載されている作品に、宿利耕助さんは目をつける。アニメ事業部の責任者に許可をもらってからS社に出向き、編集者にアニメ化の話を持ち込んだ際、一瞬歓迎されたと同時に動揺された。

 雪が降り止まない架空の北欧の町を舞台とした、男女(時に同性同士)がお互い恋愛や愛情に心を温まらせたと思うと、何かの気持ちや意見のすれ違い、事件などが発生して最後には必ず破局・破滅的な展開で幕を閉じるという話を中心とした一話完結型のオムニバス漫画「スノードロップ」(ちなみにスノードロップの花言葉は「あなたの死を望む」)。作者名「瑞野樹里亜(みずのじゅりあ)」。少女雑誌に似合わぬその暗さなどからコアなファンはいるものの売れ行きや人気は正直パッとせず、それどころか連載開始直後から現在に至るまで掲載順の最下位、または下から二、三番目を行ったり来たりしている。どうしてそんな漫画に白羽の矢が立ったのか、編集者は全くわからなかった。S社側からの意向としてはこうだった。「未だアニメ化されていない準看板レベルならともかく、打ち切り候補に何度も選ばれながらしぶとく残っている作品をアニメ化したいとおっしゃるのには、それなりの理由があってのことなのでしょうな、その証明を頂きたいものだ」と。確かに、S社は原作を擁している立場であるとはいえ、もしアニメが大コケしたとすれば、出版社としても決して少なくない損害を被ることは必至だろう。興行的に失敗してより大きな打撃を受けるのはこの場合アニメ制作会社のはずなのに、それくらいその作品は出版社側から見ても地味で、期待値の低いものだったのだ。

 しかし耕介さんは、S社のその言葉を待っていた。

 耕介さんの経過報告を聞いてから、声子はすぐに取り掛かった。他のドラマ、アニメの主題歌の依頼は断った。その作品のイメージに合う詞、曲、そしてそれを乗せる自分の歌声のクリエイションに集中するため。そして私自身も声子がどんな曲を作るのか楽しみだった。何故ならそんな暗い作品に合っているようなダウナーな曲を、彼女の持つ作品の中では私は一曲も知らないし、何より前向きで優しい彼女がそんな作品に関わる、いや、知っていたこともまた意外だったからだ。もちろんそれの主題歌を作る気でいる彼女の気持ちそのものに対しても意外であった。私はまたしてもあえて彼女の心を読まず、出来上がるのをただひたすら待つ。

 …………と思いつつ、そっと彼女の心を覗いてみる。

 すぐにいつものももと違う雰囲気を感じた。彼女は滅多に、詞を先に作って曲をその後に組み立てる「詞先」という手法をあまり使わないのに、今回はそれを頭の中で組み立てているからだ。次第に彼女の頭の中で詞がイメージから具体的な形になり、それを紙に書く。

 タイトルは「甘いカンテン」。その詞はこうだった。

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 冷たく降りゆく白い雪は 僕らの心と体の奥

 凍らせ静々冷たくして 明日の空もきっと

 朝露も輝くこの町の色はまっさらな白

 こっそり見せるお日様も冷たさにはかなわなくて

 そんなときはみんな木々も花も動物も人も

 温まるお話探そうとするのさ

 君と会う時話すとき心はいつもぎゅっと

 暖かく守られている気がするんだよ

 ありふれた言葉なのに君が言うと

 こもってるよ 何故だかね 気持ちしっとり

 冷たくきらめく寂しさの粒 昨日よりも今日そして明日の方が

 身に染みて感じるような雪 鳴りやまない心

 いつでも刻み込むように記憶の中赤々と

 少しでも思い浮かべるかじかんだてをほぐす仕草

 待ってる君の事こんなかすかになんかじゃなくて

 めーいっぱい あたためてあげたい

 辛い時もあるはずなのに君は君はいつも

 微笑み絶やさずにいてくれてるんだね

 こんな時でもいつも以上に僕を

 なんて思っている 願っている 冷たい寒天

 冷たくしたたる待ち合わせの場所につく前に僕の心

 この雪よりも冷え込んじゃって 落ち込むばかりなんだ・・・

 冷たく迎えるただ一人の僕の愛する人は目の前で

 手を振りながら僕にすっと 傘を差しだした

 冷たく降りゆく空の雪を天に仰ぐよう遮る君と僕

 今日の天気は雪のち晴れ 二人片手重ね

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 こんな歌詞だったので、私は違和感を感じずにはいられなかった。

 確かに今までの声子のイメージとそれほど違わない、寒さや辛さの中にどこかしら暖かさを感じさせる彼女らしい詞だ。しかし求められているものや提供先に合致するイメージは、このような希望を感じさせる歌なのだろうか。

 続いて彼女はわずか一日でメロディーを仕上げた。そこでも私は驚く。陰鬱な作品のそれとは違い、寒い季節の暖炉のような調べ。同時にそれは、まるでもともと完成されている曲を大胆にアレンジした後のような気もする。例えるなら連続したスタッカートで明るく小気味良いアップテンポな演奏を、そのままレガート中心のゆったりしたバラード調に仕上げた、歌詞にもある通り本当にしっとりした音階による仕上がり。調に至ってはヘ長調の4分の4拍子、BPMも92で曲の長さも四分五十三秒と何もかもが標準的な仕様。こちらに関しても暗さらしい要素はほとんど感じない――別にだからと言って世の中のそのような音楽の全部が全部、紋切型の手垢のつきまくってるものというわけではもちろんないのだが――。今回の「甘いカンテン」は、彼女の作品にしては表現が有名なクラシック曲なんかを聴いた時に感じるスケールと共通しており、良く言えば王道、悪く言えば少し自身の個性を捨ててしまっている。やや気色が異なる点があるとすれば、彼女が手書きで作った五線譜を見てから気付いた事だけれど、やけに装飾音符が目だって、一番と二番のリズムが少し定まっていない部分があったりするところくらいだろうか。それとも、異色的な作品にこういったストレートボールを繰り出すのは、彼女なりのメッセージがあったりするのだろうか。

 むしろ彼女にとっては、その歌を作った後の作詞作曲、すなわちB面曲であり、スノードロップのエンディングテーマを作成することこそが、難産だったかもしれない。何故ならその曲は、「甘いカンテン」の三分の二程の長さしかないのに、生み出すのにA面の二倍くらいかかったから。そしてこちらもやはり静かながらも明るく、少しおしゃれなカフェで流れるボサノバチックな曲。イ長調で穏やかなテンポ。タイトルは「忘れないで」。その題名だけ見れば明るいのか暗いのか判断しづらい曲だが、実際には聞いた人を、たちまちゆるやかな心にさせ、前向きな語り手を連想させるような出来に仕上がっている。

 その翌日、耕介さんは彼女から録音したテープと、歌詞と音楽記号がラフ書きされている五線譜を受け取り、響介さんに渡した。私は期待よりも不安が強かった。

 が、それが出来上がった時、私の不安及び抱いていたその曲に対するイメージが完全に誤解であったことを思い知らされた。

 「甘いカンテン」はいつもの初雪声子の美しい詞とメロディーが織り成すだけじゃなかった。少なくともメジャーデビュー直後の時点では、プロとしてはお世辞にも作詞作曲声楽以外の音楽技量に関する知識という面では造詣が深いと言えなかった彼女の一歩先を進むための道程となった。そして宿利兄弟にとっても彼女の曲を信仰するあまり、本当の意味で彼女自身の才能を理解していなかったことに気付いた一歩となるきっかけを作った作品であった。つまり、この二つの楽曲及び映像作品に対するコラボレーションは、その二つの進歩の証とも言えた。

 彼女の曲のほとんどをクラシカルにアレンジしてきた宿利響介さんは、得意のミキシングで弦楽器の伴奏を中心とした更なる独特な編集で彼女の個性を守りつつブラッシュアップする形で、その曲を世に送り出した。

 編集まで全て完成されたこの作品は、やはり提供する先の漫画作品「スノードロップ」の印象とは違っていたが、さすがにここまでくればただの音楽の一つに過ぎない私でもわかる。

「この曲はこの漫画作品を新しく、いや、アニメというコンテンツそのものを変える」と。

 ディレクターに完成された音源を渡し、声子、宿利兄弟、ディレクター、そしてアニメ制作担当の駿河屋(するがや)ひばりさんという方(これまた本名、女性)で、ミーティングを行う。通常、こう言った会議のような場では、歌い手が誰の場合であったとしても曲のイメージ一つ変更、決定するだけでも数時間かかることは珍しくない。もちろんそれ以外にもフィーチャーさせる楽器、それ以外に目立たせる部分など、意見がまとまらず長丁場になることも多々ある。最も専門的な話になればなるほど、ディレクターや役職クラスのお偉いさんは専門家任せにしてしまう所があるため、主眼が置かれるのはタイアップされる音楽と作品の相互的な相性、そして視聴者やユーザーが聞いた時の音楽のイメージがどう受け取られるか、という客観的な判断について討論になることが多い。他の会社はどうか知らないけれど、タンサンは上の部門になればなるほど、音楽の知識から遠ざかる傾向にあるようだ。最もそれが必ずしも悪いこととは言い切れない部分もあるにはあるのだが。現にトップの面々は、社の売り上げ的な意味でも赤字というほどではない範囲で活動している声子、そしてそれを手助けしているマネージャー、アレンジャーのことも内心認めている。

 そしてそんな企画会議は、かつてない程にあっさり通った。この時、参加したディレクターが何を思ったかは、声子や私には、いや、そこにいた全員にとってもおそらくわからない。ただ一つ彼の言葉の中にこんな台詞があった。

「これで、社は少しでも無駄な人件費を抑えられるかもな」

 どういう意図かはわからない。しかしとりあえず、ダメなものはあっさりダメという彼が、直接的な否定を投げかけなかったことはゴーサインの証だと、その場にいた全員が理解した。ディレクターは特に文句をつける事すらせず、一番に席を立った。ミーティング室のドアが閉まる音と同時に同時に、声子の曲のミーティングに初めて参加する駿河屋ひばりさんも、素直にこの曲を評価した。

「今までのアニメにない感じのテーマソングだわ。きっと売れる、ううん、売ってみせる」

 ❝売る❞とは、彼女の立場から言えば、この曲そのものではなくスノードロップのアニメ作品のことだろうけれど、きっと何かを閃いてくれたに違いない。それこそ、血も凍りつくような荒れた制作現場を根本から正すため、いや、業界全体に、春とまではいかずとも、傘を差しだしてあげるくらいのゆとりを持たせてあげようと思ったのであろう。

 アニメの放映期間も決定した。1999年7月から、2クール。あらゆる意味で運命の日が訪れる時期。果たして彼女の人生にとってもそれ以外の人にとっても一つのターニングポイントとなりえるか。

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