見出し画像

週末小説 音楽に意識が宿った 第1章その1

 一九九三年 十月

 なんと声子(しょうこ)はこの大事な時期に片思いの彼にふられてしまった。

 声子は毎日、吉祥寺の木造モルタル造りのアパートの二階の自宅で、四年も使っている安価のキーボードで、音楽を奏でる。最近奮発して買ったデジタルシンセサイザーは、毎夜の演奏には用いない。

 こんなときくらい自分に課している毎日のキーボード演奏は、別に休んでくれてかまわない、と思う。もちろん声子と心を通わせられない日があったら、それはとても寂しいけど、自分の作ったラブソングを失恋したその日に弾くなんて、こっちまで人生というもののペーソスを感じてしまう。本当にストイックな方なのだなあと、今頃になって私は気付く。

 声子は、誰もいないこの部屋で「ひたむき」の伴奏を弾き始める。声子自身が作詞作曲したものの中で、最も気に入っている楽曲。そしてこの曲が作られた半年前から、毎日欠かさず演奏している。ピアノ弾き語り形式のシンプルな曲で、歌うのももちろんご主人様である声子。ちなみにCDに収録されている音源とライブの時は、間奏部分にハーモニカパートが加わる。

 でもこの日はさすがに歌う元気がなかった模様。前奏が終わった時点で、私はその様子の違いに気付いた。声子は泣いているではないか。これでは弾くことは出来ても歌うことは出来ない。嗚咽が聞こえる中そのまま伴奏のみが流れていく。それと同時に、私はご主人様である声子の苦しみを、いつものように肌で感じる。悲しい。自分の好きな人に思いが届かなかったり、彼の事を考える度に辛い思い出まで蘇ってくるようになるのは本当に辛い。

 私は今年の春に生まれた新参者。ハ長調で曲の長さは四分五十五秒。BPMは前奏と後奏部分が百五で本奏が八十八。楽器は先述の通り、ピアノとハーモニカのみ。それが私。

 男性でも女性でもない。

 しかしラブソング。

 そう、私は音楽。私は歌。

 ミュージシャン初雪声子(はつゆきしょうこ)の作った楽曲「ひたむき」だ。


 誰かが初雪声子作「ひたむき」を、どのような形でもいいので、聴いた時、演奏した時、そして心の中で私という曲を思い浮かべられた時、私はその人の記憶と意識にほんの少しの部分だけ宿る。

 生まれてからそれほど時間が経っておらず、世間的な知名度がそれほどない今、私が意識を捉える相手はほとんどの場合、生みの親である声子だ。

 他の人が私を思う時と違い、声子の場合は例外で、彼女が私の心に刻んだ時、私は特に深く彼女の意識に宿る。まるで私自身が彼女になったかのように。彼女が毎日の日課として演奏している時、彼女の内的世界に入り、人間のそれと近い形で意識をもつことが出来る。私は彼女の意識を共有し、彼女の別人格のようになることが出来る。常に彼女を監視している訳ではないのだけれど。

 従って、私は彼女のことなら何でも知っている。1965年生まれ十二月二十六日生まれの山羊座。血液型はO型。出身地は新潟県の佐渡島。高校二年生の頃、軽音楽部に入り、その時の部員であり同級生でもある杉崎美緒(すぎさきみお)と共に女性デュオ「アミ」を結成する。担当はメインボーカル。曲風としては、その当時の流行に色濃く影響を受けた歌謡曲やテクノポップを中心に演奏していて、作詞作曲も主に彼女が行っていた。上京し都内の大学に入ってからも時たま帰省するなどして美緒と交流を続けた。

 それと並行して二十歳の頃から個人で音楽を作っては、様々なレコード会社に持ち込みをする。彼女はシンガーソングライターとして音楽活動を行うつもりであったのだが、どこに行っても相手にしてもらえなかった。中には、今の世の中求めているのはルックスだと言われるたり、身体を触られそうになったことも。声子は傷ついたけれどそれでもめげずに自分の作った音楽を歌いたい、と思い、売り込みの方法を変えた。当時まだ新しかったカセットテープに自室で音楽を録音し、あらゆる音楽事務所へ送ったのである。それから声子の元に一件の電話が鳴る。電話先の男は、弊社は今後ミュージシャンの輩出よりアイドルの育成に念頭を置く予定である、君の送ってきた歌は素敵だからうちで使用させてもらいたいのはもちろんのこと、君自身にもテレビに出演してもらいたい、一度こちらに来て話を、と。声子はアイドルには興味がなかったし、自分がその器ではないことを自覚していたけれど、人前で歌えるのなら千載一遇のチャンスとばかり、ノコノコと出向いて行ってしまった。

 結論から言うと、声子の曲を使われることは使われたが、声子自身がテレビに出してもらえることはなかった。彼女は「桃井雪子」という名義を与えられ、当時人気絶頂だったアイドルグループに対抗するべく、事務所の抱えている女性アイドルに声子の曲があてがわれ、大量消費された。おまけに所属社員の編曲により、繊細で優しいタッチだったももの曲が、キャッチ―で陳腐なメロディーや伴奏に置き変えられたりデチューンされてしまう事も少なくなかった。気の弱い声子は、なけなしの勇気を振り絞ってプロデューサーに抗議をしたこともあったけれど、いつも適当に言いくるめられるだけだった。今テレビに出ているコが売れたら出番のチャンスもあるなどと言われ、しまいには、お茶の間に芋臭い顔を晒したきゃそれをカバーするくらいの売れるモノを作ってからほざけなどと罵られることも。

 それでも声子は、自分の音楽が誰かの役に立つなら、と思いながら、桃井雪子として事務所の求められたジャンルの作曲及び音楽の提供をし、それを大学を卒業した後も二年程続けた。

 しかし、曲がもともと華美な世界と肌が合わないのか編集やマーケティングが悪いのかはたまた両方か、彼女の作る曲はなかなかヒットに恵まれなかった。声子の歌を歌っていた所属アイドルも、スターとして輝ける程の実績も得られないまま、やがて世間ではアイドルそのものの需要が落ち着き、テレビの露出が減少した。世間がバブルまっただ中で浮かれていた時代にありながら、その芸能事務所は数千万単位の営業赤字を叩きだした。

 声子の記憶によればその時もかなりひどいことを言われたようである。この恩知らずの穀潰しめが、クビにされたくなきゃ今まで売れずに迷惑かけてきた分体売ってでも稼いできて払え、最もお前みたいな小便臭い小娘なんざ場末のキャバレーですら門前払いだろうがな、などと。広いミーティングルームの中で、大勢の社員と同年代のアイドルの子の前でそのようなことをがなり立てられた。声子のすすり泣く声もその場にいた大勢の笑い声でかき消された。

 まるで夜逃げ同然に、声子は自分から所属事務所から姿を消し、家にも帰らず貯めたお金で放浪した。夜の新宿にはきらびやかなネオンサイン、シーマを乗り回す男、ボディコン姿の女の子。目の前の華やかな外観も芸能界も、全てが自分には遠い世界の出来事のように見えた。こんなにうるさいくらいに明るく夢やお金に満ち溢れた世の中でも、自分には何一つ得られていない。相談出来るような人もいない。思い返してみれば昔から内気な性格で友達も少なかった。小さい頃叔母から習っていたピアノくらいしかこれといった特技もない彼女は、自然とレコードやラジオで音楽に親しむ子供時代を過ごしてきた。将来はもっと広い世界で、華やかでなくてもいいから自分を元気づけてくれた音楽に恩返しをしたいと思い、シンガーソングライターになろうと決意したのであった。しかしその結果、恩知らずと言われてしまうようであっては、自分が何のために頑張ってきたのかわからない。

 気が付くと、声子は街ビルの前に立っていた。三階と四階の明かりの見える窓を見ると全国でも有名な音楽スクールのロゴが貼られており、彼女は物思いにふける。このようなスクールに通いながら楽しく音楽をやっている人の方が、他人の為に音楽を作っている自分よりずっと素敵な生き方をしている。もしかしたら自分はプロには向いていないのかも知れない。でも音楽を辞めたくはない。声子の胸の内に気持ちの悪い靄がかかる。

 ビルのエントランスから、誰かが出てくる。ももはスクールの窓を見上げたままの姿勢でいると、その出てきた人に声をかけられた。

「しょうちゃん……?」

 声子が不図声の方向を見ると、久しく会っていない友人がそこにいた。

 美緒ちゃんどうしてここに、と口に出そうとしたが、動揺で声が出なかった。

 かつての音楽仲間、杉崎美緒がももの顔を見ながら、

「だって私ここの講師やってるし、どうしてしょうちゃんこそここに、……ってしょうちゃん?」

 美緒がためらったのは、突然声子が顔をくしゃくしゃにしてすり寄って来たから。美緒は、彼女が自分に会いに来たのかそれとも偶然なのかわからないけれど、今はこの小さな身体を受け止めてあげなくては、と思い、声子のトリートメントされていない髪を撫でた。

「とりあえずどこかでコーヒー飲みにいこうか、しょうちゃん。美味しいティラミスがある場所を知ってるの」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?