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週末小説 音楽に意識が宿った 第1章その5

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   二〇〇〇年 四月

 

 春は、声子の最も好きな季節。そんな暖かくなる陽気の中、彼女は歩きながらぶるぶる震えていた。

 地上波初の初雪声子テレビ出演。毎日関東圏を放送対象地域としているテレビ局による早朝音楽情報番組「ミュージックDAM」。生放送で送られるこの番組に出演するため、彼女はアナウンサー並に早く起きて、そこへ向かった。そして彼女が震えている理由が、残寒によるものでないことも、暑さ寒さを直接感じることの出来ない私でも容易に読み取れる。

 あれほど人前で歌う事を望んでいた時期もあったのに、今の彼女は少し臆病になっている様子。最も彼女が上京して本格的に音楽活動をしてから彼女自身だけじゃない、世間も目まぐるしく変わっていき、それに伴って彼女の歌も周りの人も環境も何もかも全て、変化し続けていったのだから仕方ない部分もあるのだが。

 彼女がアニメ「スノードロップ」に曲を提供し、無事放送開始から終了し今に至るまで、良い話と悪い話がある。まず悪い話から。

 残念ながらアニメ放送終了後も、原作スノードロップの人気は高まることがなく、単行本の発行部数も低空飛行のままだった。それどころかこの出版不況で、業界では老舗と名高い「ミサンガ」もアニメ終了後半年程経過してから休刊してしまい、それに伴って掲載作品の中で常にドべかそれに近い位置にいた漫画スノードロップの連載も、同社他誌に引き継がれることもないまま終了した。内容は、最後の最後まで救いようのないバッドエンドだった。オムニバス形式による一話完結型だったので、突然の休刊になっても漫画の内容的な意味で取りこぼした伏線などが特になかったことが救いといえば救いだが。

 アニメの人気や業界の環境なども、ひばりさんが思い描いていたようにはいかなかった。放送局は今回これから声子が訪れるテレビ局なのだが、そこはアニメ放送を主軸としたプログラムの歴史は全局の中でも浅い部類で、先述したSFアニメがとてつもない大ヒットを飛ばした事以外にはこれといった実績もなく、制作会社における意欲作もそれほど大々的に宣伝する財力もなかったのであった。まあそのせいでヒットしなかったとは言わないが、落胆した関係者がタンサンの制作現場で寝袋を持参している現実も変わらないまま。アニメ版スノードロップも、その余波で大量生産された作品の一つに過ぎないと思われていたせいもあって、あえて視聴率という数字だけで評価するなら「比較的高い部類」程度に収まった。結局アニメ産業がてんやわんやでスタッフの多くが薄給激務である現実は、バブルが崩壊して十年近く経つミレニアムの頃になっても変わらなかった。その後このテレビ局は、民法キー局の中で屈指のアニメ放送、制作に携わるチャンネルとなることは、また別のお話。

 そろそろいい話をしようと思うが、客観的に見た上での声子にとってのいい話とは、せいぜい彼女の世間的認知度とCDの売り上げが少し上がった程度、そして地上波でテレビ出演させてもらえる機会を頂いたこと。マネージャーやアレンジャー、ひばりさんも相変わらず意欲的に活動していること。その程度か。

 だがいつの時でも私にとって、そして何より彼女にとって、嬉しいことというのは、そういった外面だけで見た事象で収まるものではないのだ。

 まず何より、お手紙を沢山頂くようになった。もちろんそれまで応援してくださったファンの方々からのレターも嬉しいけれど、スノードロップを通じてシングルを買って聞いてくれたことや、新たに初雪声子を知ってくれた方が、こんなにもいてくれるなんて思ってもみなかった。

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「こんな歌声初めて聞きました。アニメ初回放送の翌日、すぐにCDショップに行って初雪さんのCDを買い揃えました(神奈川県在住:J・Iさん 二十代男性)」

「素敵です! 今のJ‐POPにこんな声を出せる人がいるなんて! 歌詞もグッとくるものがあって、私も将来初雪声子さんのような人になりたいと思いました(千葉県在住:T・Tさん 十代女性)」

「確かに『甘いカンテン』『忘れないで』共に素敵な曲だし、僕もそこから入ったクチだけど、その後に聞いたベストに入っていたファーストシングルの『ずっといっしょ』が至高。まさに原点にして頂点(東京都在住:K・Aさん 三十代男性)」

「どうしたらこんな甘くささやくような声が出せるんですか? きっと神様に選ばれているのですね。私は子供の頃から猫型ロボットのような声でコンプレックスなので羨ましいです (埼玉県在住:S・Wさん 二十代女性)」

「あなたはきっと、『雪がとけたらどうなる?』という問いにこう答えるでしょうね。『お金になる』と。冗談です。あなたの声と歌は春という季節より美しい (群馬県在住:K・Mさん 十代男性)」

「私の地域では関東と違って土曜日の朝早い時間帯にスノードロップが放送されていましたが、学校が休みの日でも子供はアニメを見ています。そして私はあなたの歌声に癒されています。親子そろって、素敵な時間を過ごさせていただいてどうもありがとうございます。これからのご活躍期待しております。(和歌山県在住 K・Dさん 四十代女性)」

「結婚してください(栃木県在住:S・Yさん 四十代男性)」

「高校生です。アニメ関連のグッズを買う時、ショップでいの一番にあなたのCDが収められているラックに向かいます。貧乏なので見るだけで変えないんですけど(笑)。早く『甘いカンテン』以外のCDがレンタルされないかなぁ……。 (東京都在住 R・Sさん 十代男性)」

「曲を聞きました。そして思いました。あなたは、私のように『大好きです』『素敵な歌です』としか言えない人の分まで背負って、多くの人を元気づけようとしているのがわかります。でもごめんなさい、私にはそれが精一杯です。なので、いえ、だからこそ言わせてもらいます。『私はあなたの素敵な歌が大好きです』。 (千葉県在住 I・Kさん 二十代女性)」

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 手紙の中には何やら危ない内容のものも散見されたが、これまでの声子の曲と同じように、「有名ではないが、聴いた人が皆癒され、救われる」という評価を頂けたと思う。それだけなら、少し一般の知名度が上がっただけでこれまでと何ら変わらないように見えるが、注目すべきは、〝スノードロップという漫画が、アニメ化に当たって絶望の中に優しさや希望を見せる内容の作品に変化したこと〟である。そしてそれを実現したのが、間違いなく声子の作った歌だった。そのためアニメは、原作とは違うベクトルで以上のファンレターのように、子供から大人まで楽しめる内容となったのであった。

 後で声子の心を読んでわかったことだが、やはり彼女はスノードロップの作品を知っていた。そして宿利耕介さんとこの原作について談話したこともあったそうな。この原作自体元々作風が万人受けするものでないとは言え、プロットや話の主軸がしっかり練られている漫画であったため、そして声子がそれをちゃんと認識していたため、彼女の曲と歌声に端を発したアレンジメントが上手くいったのであった。失望や絶望、抑鬱感や不条理さはそのままに、アニメ版スノードロップは、さすがに社会現象とまではいかずとも、観賞した人の多くに生きる希望や愛を教えることに成功した、と言えた。

 その活動を認められた証の一つとして、これから声子は新たな活躍の一歩を踏み出す。

 ……のはいいのだが今の声子、こんな身構えながら胸の鼓動を激しくさせているのは何故なのか。いくら地上波テレビかつ生放送だからと言って、もともとそんなあがり症というわけでもあるまいに。とは言え私が彼女の今の心境を読み取って何か力になれるわけでもない。ここは一歩退いていつもの声子を信じよう。

 彼女が出る時間帯の番組進行は、司会者とコメンテーターが初雪声子に簡単なインタビューをして、それから彼女の代表曲となった「甘いカンテン」の弾き語りで。とは言っても実際にそうするのではなく、エアボーカル&エア演奏。つまり歌はCDの音源をそのまま流す。スタジオにはパフォーマンスを行う声子がその身振り歌振りをやりやすくするため、インストゥルメンタルバージョンが流れる。

 もしかして声子は今緊張しているのではなく、それに対して不満というか、何か煮え切らないものを抱いているのだろうか。ちゃんと演奏したい、番組の都合で自分はピアノの前で指を動かしながら口パクするのは何か視聴者の皆さんを騙しているみたいで、とか考えているのか。だとしたら彼女はやはりまだちょっと純粋すぎる。確かにそもそも「甘いカンテン」はピアノ伴奏部分はあるものの、単なる弾き語り曲ではない。一般の音楽番組のように、バックに他の演奏者がいなければはたから見てもこの番組ミュージックDAMの演出そのものが少々違和感のあるものだともいえる。しかしそんなことは、テレビという媒体では当たり前に行われていることだというのは、この私でもわかる。ましてや昔テレビ業界でさんざん痛い目にあわされた経験をもつ彼女自身なら、なおさらのはず。

 とやかく考えていても始まらない、ここは気合を入れて精一杯期待に応えよう。そう伝えることすら私には出来ないまま、ついに声子はテレビスタジオの建物の中に入る。

 挨拶、案内、スケジュールの確認を経て、声子は楽屋に入る。時間前に再びテレビスタッフの人に案内され、番組開始前に所定の場に座る。後は放送開始を待つだけ。全ては何の滞りもなく進み、声子も先程一人でいた時のように表情を曇らせることなく、まるで私情を一切出さないやり手のキャリアウーマンの如きスタッフや出演者に接している。一体彼女の先程の浮かない顔の正体は何なのか。

 時刻は六時二十八分。ついに放送開始まで二分を切った。カメラマンや照明など、裏方のスタッフが見えない位置で、レギュラーの出演者二人と声子がスタンバイ。ここに来て声子の顔に迷いは見えない。私はやはり彼女の心を読まない。

 放映開始の合図が鳴る。無事番組が始まる。

 コメンテーターが隣に座っている声子を紹介する。それに対して快く応じる声子。全ては台本通り。

 しかし、彼女の演奏と曲を流すコーナーになった時、異変は発生した。

 司会者が彼女の代表曲「甘いカンテン」を紹介する。ピアノの前で鎮座している彼女にスポットがあたる。CDの音源が流れる。ここまでは何ともなかった。後は同曲の演奏と歌のフリを行う。終われば彼女の出番は番組終了後の「今日のゲストはシンガーソングライターの初雪声子さんでしたー!」の締めと共にスマイルしていれば良いだけ。

 その時だった。急にこの私がグイっと引っ張られるような感触を覚えたのは。

(このイントロは…………)

 ハーモニカ部分がピアノになっている点が通常と違うが、私はここに来て意識を覚醒させる。ライブなどで彼女が私を演奏する時と同じように。

 そう、声子は今、私を演奏していた。

 別の曲の伴奏が流れているこの状況で、周りにしか聞こえない状況で、しっかりと私の曲をピアノで弾きながら詞をAメロから囁き始める。

 彼女自身が一番好きだと思ってくれている「ひたむき」を。

 表向きだけ見ると、番組はオンエア中放送事故もなく無事終了したように見える。テレビ画面からは演じたものとは別のCD音源が流れているだけで、彼女自身の表向きの対応等演奏と歌以外の部分についてもしっかりこなしていたのだから。

 しかし彼女はやってしまった。テレビの前では「甘いカンテン」が流れ、スタジオではそのOFFボーカル版が流れる中、全く違う曲の弾き語りを。しかも「甘いカンテン」とは曲調もリズムも、もちろん使われている楽器もピアノ以外全く違う、この私を。共通点があるとしたら全体の曲の長さが同じくらいなことか。彼女はこなしてしまった。インストゥルメンタルが流れているスタジオ内で、全く違う曲を弾き語るという離れ業を。

 声子以外のスタジオ内の人々は、司会者、出演者、カメラマンなどなど、ある者はきょとんとし、またある者は焦る気持ちを必死で抑えようとし、動揺していた。曲目が違うということはピアノを弾く手の挙動も口の動きも違うということ。よく見ると露骨に違うので、見る人から見ると放送事故一歩手前というレベルだったかも知れない。

 それでも私は声子は、精一杯演奏し、歌い、表現した。お茶の間に直接届くことのない曲を、本当に「ひたむき」に。

 それからスタジオ内で何があったかなんてことはいちいちここで言いたくない。まあ一つ言ってしまえば、もう彼女はテレビ出演のオファーはもうないかも知れない。視聴者にとっても、読唇術が使えるレベルならもちろん、少しピアノを知っていたりとか、注意深く見ていた人なら、違う曲を弾いて歌っているな、と感づいてもおかしくないくらい、不自然な部分があったのだから。もちろんそのようなシーンも生放送ゆえ編集でごまかしきれるはずもなく、カメラを通してお茶の間にばっちり映っていた。

 お仕事終了後、どこか険悪なムードの中、声子はスカッとした気持ちになりつつスタジオを後にし、帰路についた。

 私もとてもすがすがしかった。

 あの状況で誰にも聞かれることのない演奏をするなんて、そしてそれに私が選ばれるなんて。今彼女の心の中を覗いてみると、放送前のドキドキの正体はこの企みだったことがわかった。そして彼女は、ただCD音源が流れるという番組プログラムの中で、自分が演じたい歌を歌いたかったのだった。

 それだけわかればもう十分だった。私は同時に安心もした。例え知名度が少し上がっても、時の人となる日が将来訪れるとしても、声子は声子でしかない。そしてそれに従って、私も彼女の一部として、歌として生き続ける。私以外の他の歌に魂が宿っているかどうかは知らない。でも少なくとも、私は初雪声子から生まれた歌で本当に良かった。今まで何度も思ってきたけど、今回はとりわけそう思う。

 そしてもう一つ私がほくそ笑んだ出来事があった。宿利兄弟や駿河屋ひばりさん、「アミ」の相方である杉崎美緒、テレビを見てくれた声子の知人の多くからはすっかり見透かされていた。

「何やってるの本当に…………フフフフ」

「初のテレビ出演おめでとう。ちゃんと演奏出来てたし歌えてたじゃない、ファーストシングルのカップリング」

 そのたびに声子はちょっといたずらっぽい顔をして口角を緩ませた。

 嬉しいのは、放映から数日後しばらくしてから、ファンレターでもそういった指摘があり、尚且つ誰もそのことに対して概ね好意的に受け取ってくれた事。

「四月十日のミュージックDAMで歌った曲、違う曲だったかと思いますが、何だか初雪さんのお茶目な一面が垣間見れたような気がして何故か嬉しかったです。 (群馬県在住:T・Uさん 二十代男性)」

「私にとってどんなことがあっても初雪声子さんは初雪声子さんです。いろんな活動やサプライズ(?)を心待ちにしています。 (東京都在住 M・Kさん 十代女性)

 それから数週間後。

 声子はライブ活動を控え、作詞作曲に専念し続けた。彼女の思念によると、どうやら「アミ」での音楽活動にも更に専念することも考えている様子。どうやらこの前の一件で、今まで以上に自分の好きなように音楽をやってしまうことを大っぴらにやってしまうことの気持ちよさに味を占めてしまったようだ。

 再び杉崎美緒と組んでライブ活動を行うという事は、古参ファンの為に、昔からある私という曲目も演奏してもらえるチャンスが増えるという事。それだけでも私は嬉しい。少しでも多くの人を喜ばせられることはもちろん、声子と一体になれて、流れることが出来るのがこんなに楽しいと感じたことは今まであまりなかったのだから。

 春も終わる頃の暖かい陽気の下、声子の家に届いたファンレターの中に、こんな長いものもあった。

【初雪声子さんへ

 私は今まであなたを誤解していました。それと同時に、自分という人間をも不当に低く見ていました。

 スノードロップの原作を読みながら自分の絶望的な毎日と照らし合わせ、鬱に浸りながら自己満足の日々を送る私の耳に、同作品がアニメ化されたと同時に、あなたの作り、歌う曲がテーマソングとして起用されたと知った時には、正直仰天しました。

 それだけではありません。私はアニメが放映されてから知ったのです。起用されたのはあなたの歌ではない。あなたがスノードロップを起用し、再生させたのだと。

 一つの音楽が原作を、アニメを変えてしまう。そんなことが日常茶飯事なのか、それとも全く初の試みであるのか、業界に詳しくない私にはわかりません。しかし原作ファンとしてこれだけは言えます。あなたは命を吹き込んだ。作品に対して、ではなく、アニメ及びあなたの曲を聞いた人が抱く絶望というイメージの荒れ地に、希望という命の光を。

 それから私の生き方、考え方は変わりました。いや、本当はわかっていて、それに対して目を背けていた自分に気付いた、と言った方が正しいかも知れません。だから私は、あなたを始め、自分の弱さを周りのせいにしていました。でもそんな中でも、あなたは私のような人間に反抗するでも、無視するでもなく、ただ自分のやりたいことを表現してきました。うっすらとそう感じたのです。

 それが確信に変わったのは、先日のあなたが出演したテレビの生放送を見てからです。

 全く音楽に詳しくない人が見ても若干疑問符のわくあの時の演奏が、ピアノの動きと口の動きから見るに流れていた曲のそれでないことは、一応音大卒の端くれの私が見れば一目瞭然でした。最もそれ以前に生演奏でないことはあなたのCDを持っている人なら皆わかることだと思いますけれど。でもだからこそあなたは好きな歌を歌ってしまえ、という思いがあったのだと思います。

 こうして文章に書くと、あなたの行動は何気ないものの一つに思えるかもしれません。テレビ局やマスコミから愛想を尽かされた程度で、あなたが信念を曲げる人でないことも、私は知っています。しかし、あなたの誠意を超えた、生き様を見て、私も生き方を変えたいと思っております。

 私は、音楽のアレンジャーを目指します。

 そしていつかあなたの音源を素敵な伴奏で彩るのが夢です。

 犯罪者やストーカーまがいのような手紙を送ってはあなたにとんでもない暴言を吐き続けた私に、こんなことを言う資格がないことはもちろん、もはや警察の御用になってもおかしくない身分であることはわかっています。しかし間違いなく、あなたは私を、聴く人の人生を変えました。今更になってしまいましたが本当に申し訳ありませんでした。何度謝っても許してもらえるとは思いませんけれど。でも、私が謝罪と同時にこんなことを書くのも変ですが、あなたが欲しいのはそんな言葉ではないかも知れませんね。あなたの音楽を聴いた人の感想、ですよね。

 おそらく多くの人から受け取っていて、既に聞き飽きているかもしれませんが、私からも是非言わせてください。

 素敵な曲をありがとう。

                         From 石川正子】

 

 私にも感じた。

 声子の心の中に、乾いた地に水が潤うような、生命の胎動を思わせる響きが。

 石川正子は声子を嫌いだと文面にひたすら書き続けていた。そんな彼女を声子は変えた。でも実際はそうじゃない。声子は音楽で人を救ったのではなく、石川正子をはじめとする自分の曲を聴いてくれる人、そしてお世話になっている周りの人や友人と、互いに必死に生き続けただけだったのだ。それは他のどんな生き方とも違う。ただ彼女らしく。

 生まれて初めて私は人間という生き物に嫉妬した。何故私は人間として声子のようになれないのか。せめて声子のそばにいたり、会話すら出来ないのか。そして何故、声子は沢山の曲を作り、歌えるのに、私には私という一つの歌でしか表現が出来ないのか。

 でも手紙を読む彼女の嬉しそうな顔を見ると、そんな考えもあさましいと感じるに至った。私は彼女をとても素敵な人だと思う。しかし私は人の心に入り、私という音楽を聞いた人の気持ちをほんの少しだけ知ることが出来る。こんなことは普通の人には出来ない。だから私も彼女の曲の一つとして、もっと誇っていいんだと。まして彼女自身が一番好きだと言ってくれている、「ひたむき」を。

 ありがとう初雪声子。私を生んでくれて。

 これから声子は、きっと大事なものを忘れずに生きていく事だろう。私としても、彼女と共にいろんな人の心に響かせることが出来るのであれば、私の人生(曲生?)としての天寿は全うしたといえる。そう思えるくらい、彼女は今までも、そしてこれからも誰かと共に本気で生きていけるんだと、信じている。

 私は嬉しい気持ちでいっぱいだった。

 こうして郵便受けの前で立ちながら手紙を読んでいる彼女の頭の中でも、私という曲が流れている。やはり今でも私は彼女を感じることが出来ている。

 頭の中で私の歌詞が、メロディーがループする。二回、三回、四回、と。

 ずっとずっと。ずっとずっと。

(………………声子………………?)

 天井から汚れた油が一滴落ち、彼女が両手で持っている手紙の文面が赤黒く濡れた。しかし、私の視界は声子から離れないままでいた。その赤黒いものは、ポタリポタリと垂れ続けていた。

 私は、それが、天井からではなく、彼女の口から流れていると気付いたのが少し遅れた。


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