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週末小説 音楽に意識が宿った 第二章その3

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  二〇〇一年 十月

 とは言ったものの、入院したての頃は多くの人に泣かれた。佐渡島からはるばるやってきたご両親は、声子の広くない吉祥寺のアパートに滞在し、彼女が入院している三鷹の病院に毎日お見舞いに来た。彼女の仕事に関わったタンジェリンサンセットのスタッフの皆さんは泣いてしまう人、必死で元気づけようとする人、など。前者は主に駿河屋ひばりさん達女性、後者は宿利兄弟やディレクターの人など男性が多かった。

 最初は彼女もお見舞いに来てくれた人たちを暖かく迎え、逆に元気づけようとしていた。病室に持ち込んだキーボードを用いて作った曲を披露したりして、自分の病状が良いことをアピールし、心配かけさせまいとした。その病院ではノートパソコンを使ってのインターネットが出来なかったので、宿利耕介さんに頼んで自分のホームページを更新してもらっていた。日記も、作詞作曲を行っている内に自分が感じたことや提供先の作品についての感想など、当たり障りのない内容を紙に書き、それを写してアップしてもらった。

 しかしだんだん、そんな彼女の表情にも影が見え始めてきた。

 その様子に気付いたのはただ一人、人間の最大のパートナーであり親友である、杉崎美緒だ。

「しょうちゃん……。私の前ではいっぱい泣いて、それからいっぱい笑ってね。笑うと癌って治りやすくなるらしいよ。ううん、だから他の人の前でも決して無理しないで。抗がん剤の副作用で体が弱って、その上ストレスも発散出来なかったら、治るものも、治らなく……いえ……。とにかくだから、お願いよ……わたし、しょうちゃんがいない『アミ』なんて活動したくないよ……」

 顔をくしゃくしゃにした親友を目の当たりにしても、彼女は微笑んでいた。人前で笑っていたり堂々と振る舞っているのは、決して無理をしているのではない。ただ誰かが喜んでくれれば嬉しいし、彼女自身にとってもそっちの方が心が軽くなれていいのだ。気丈さは、演出している部分はあるものの、それは自分に打ち克つための彼女なりの手段の一つであった。あくまで自分の為なのだ。

 だが彼女は、そして美緒も、もちろん私もわかっている。人は誰も自分の為だけに生きていける程強くないことを。故・三島由紀夫の言だ。

 でも意外と甘え下手の彼女はその線引きが苦手だったりする。突然素敵な旋律や詞が閃いたと思えば、そんな時に限って激しい頭痛や嘔吐、食欲不振や睡眠不足、脱毛、倦怠感などありとあらゆる形で身体が不調を訴えるそんな時は主治医や看護師の言う通り休む事に専念したりするのだが、数か月休んで点滴から体に抗がん剤を送り込み、程よい範囲で身体を動かし、少しずつ体調が良くなると、医師から少しなら自由にしてもいいとOKのサインをもらい、キーボードにヘッドホンを取り付けて耳に当て、作詞作曲に専念する。何曲か出来るとまたものすごい衝撃が身体を駆け巡るかのように、容体が悪化する。その繰り返しで一年3か月も入院生活を余儀なくされている。

 ある夜主治医が神妙な顔つきで病室に入ってきて、彼女の元に近づいてきた。彼女には彼が何を言おうとしているかは、すぐにわかった。

「ミュージシャンであるあなたには、カメラマンから命より大事なカメラを取り上げるようなことではあると思いますが……」

 従うしかなかった。ここは病院であり、患者の治療プログラムも当然全て病院が組んでいる。横になっていた彼女は起き上がってベッドから降り、床に置いてあるそれを持ち上げようとしたわけだが、現に今の彼女は九キログラムあるキーボードを持ち上げる事すら困難だった。すぐに彼女の代わりに医師がキーボードを持ち上げ、彼女をベッドで再び横になるのを待ってから、お預かりしますと呟いて病室を去っていった。

 声子は仰向けの体勢のまま泣き崩れた。夜中だった上、いつも症状が出ている時以外は明るく振る舞っている彼女の声を聞き、同室の入院患者は飛び起き思わずナースコールを押してしまった。声子は本当に、大事な持ち物を取り上げられた子供のように、ただただひたすら泣いた。病気を宣告されて、人前で初めて見せる彼女の号泣に、私も感化され苦しい気持ちになった。

   二〇〇二年 二月

 しかし、主治医の判断及び美緒の言ったことは正しかった。

 あれから毎日彼女は、1人の時は泣き崩れ、誰かが来ると心の底からケロッと笑った。それから彼女はそれまでの病状や副作用が嘘のように軽くなり、快復に向かっていった。私から見ても、ストレスやプレッシャーが以前より減り、リラックス出来ているのがわかる。

 そんな状態が3か月程続き、数週間に渡る検査を経てついに彼女は退院するに至った。主治医のいう事には、

「とりあえず目出度いことではありますが、必ずしも安心出来る状況というわけではありません。胃癌の再発率は決して低くなく、それも初雪さんの体力、健康状態、生活状況などにも密接に関わってきます。即ち、初雪さんの意識一つで、これからの人生が変わってきます。絶対にいろんなところで無理をなさったりせず、どうかご自愛ください」

 主治医と看護師、当時の同室の患者達に見送られ、退院の日に三鷹の白い建物に背を向けた。門前で耕介さんが軽自動車でお出迎えしてくれ、後部座席にはご両親が乗っていた。ご両親は降りてきて二人とも泣きながら彼女と抱き合った。もう絶対病気になんかならないで、お前の愛する皆の為にも、と。彼女も目を潤ませた。これからは周りの人に心配かけないようにしないと。彼女はそう決め、車に乗り、家まで送ってもらった。

 家に到着してから三日後、病院からキーボードが送られてきた。手元に戻ってきた黒のボディーとモノトーンの鍵盤を見て、彼女の心は高鳴った。家族の愛を多くの人に知ってもらいたい。

 インターネットを接続し、パソコンに電源を入れ、調べた。彼女はその中から既にアニメ化されたことのある、一つの作品に目をつけた。その作品は「ファミリーブーケ」。最初のアニメの評判はお世辞にも良くなく、原作を無視した設定や雑多なオリジナル展開などが槍玉にあげられていた。しかし彼女は、その原作漫画はおろか掲載されている雑誌が何なのかすら知らないままで、駿河屋ひばりさんに電話をかけたのだった。

 電話を受け取って声子の声を聞いたひばりさんはさすがに驚いた。病気や退院の話をほとんどせず、いきなり自分が過去に手がけたアニメ作品の名を出され、しかも二期をやる予定はあるの? などと聞かれたのだから。

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