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週末小説 音楽に意識が宿った 第一章その3

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   一九九六年八月

 ポツポツと私の意識が日本各地に飛ぶようになってきた。ある時は七月に新しく出来たアニメショップの中で。ある時はあらゆる東京名物の景色が見えるモノレールによく似た新しい鉄道の車内で。またある時は――これが一番多いのだけれど――様々な民家一室の中で。

 一九九四年にセカンドアルバム「アプリコット」を発売し、シングルも六枚出ている。ソロの活動としてはもちろんのこと、「アミ」でのライブ活動も並行して行い、歌う曲もファンもある程度共有している。そのような地道な活動の中、少しずつ、ほんの少しづつ初雪声子はファンを獲得していった。それに併せて、彼女の曲が、CDプレイヤーから、カセットテープから、ウォークマンから、流れる。

 全楽曲の中でとりわけ多い、というわけではないけれど、私「ひたむき」も流れる。再生ボタンを押した回数だけ、加えて音楽が流れていない時でも誰かの頭の中に私のメロディーや詞が刻まれたとき、私の意識は縦横無尽に駆け巡る。

 とは言え先述の通り、私が声子の意識に入り、声子の事を何でも知っているのと同じように、「ひたむき」を流した人の全てを、私はつかみ取れるわけではない。ただ私が流れている間その人の目線に立てたり、聴いた人が「ひたむき」をどんな風に思いながら聴いているか、わかることはそれくらい。その人の記憶や意識、内的世界には、わずかに得られるそのような情報から間接的に得る事しか出来ない。

 ただわかることは一つだけある。自惚れになってしまうかも知れないが、私を聴いているあいだ、思い浮かべているあいだ、その人は心に腰を掛けて一息つく。幸せを感じるのでもなければ、癒されるのでもない。「ただ胸が休まる」。そんな個性を私は持つ。

 もちろんこれは私ではなく、声子の音楽的才能の事績によるものだ。私を聴いて怒る人や不快に思う人には、幸いにも出会ったことがない。

 ただアンチがいないということは、逆に言えば世間的知名度も高くないという事。

 町中をときめかせるポップスとそのCDの売り上げは、声子がメジャーデビューした旺盛な音楽需要の時期から考えても留まるところを知らない。中でもシングル曲が二、三曲収録されているだけの税抜き二千九百十三円するディスクが飛ぶように売れる、そう、アルバムの売り上げはすさまじいものがあった。参考までに、その年の売り上げトップテンの中にはそのアーティストのベストアルバムが一切入ってないどころか、スマッシュヒットを飛ばしたシングル曲の入ったデビューアルバムが環境を席巻していたという始末。

 そんな時代の中、声子はメジャーデビュー以降三十曲目の曲を手掛けようかという時期に、三枚目のオリジナルアルバム、ベストアルバムを同時リリースした。そのベストとは、ファンの方々が好きだと言ってくれているものが多いもの、そして何より声子自身の好きな選曲で占められていた。おまけ程度ではあるが、プロデューサー、アレンジャーコンビの宿利兄弟によるライナーノーツも綴られている。

 細々と、音楽以外にストイックで贅沢を望まない彼女は、今も変わらず吉祥寺のアパートに住み続けている。家が古くても、慎ましい生活を強いられている程経済的に苦しいわけではないことは私から見ればわかるが、彼女は本当に無駄な欲を抱かない。テレビに出演しては燦然と輝くソウルフルな音楽を作り出し歌うスターとは文字通り手の届かない程遠い身分にいることに、不思議なくらい受け入れている彼女。口では自分の作品を、これほどキラーチューンがないベストアルバムも珍しい、などと独り言ちたりすることもあるものの、心情的には綺麗に手入れされている毛糸玉のようにふわりとしていた。そんな彼女を見る度に、これも声子のいいところ、なのかなあなんて思ったりする一方で、私も嬉しい気持ちになれていた。本当にウキウキするほど。

 私も嬉しいその理由。それはベストアルバムの中に「ひたむき」が収録されていたことも大きかった。

 デビューシングルであり、失恋のきっかけでもある「ずっといっしょ」は当然の如くベストに入っていて、B面の私は見向きもされないだろう、と思っていたところでまさかの大抜擢、しかも最後のトラックでトリをつとめる。これで私はいろんな人やその世界に意識を飛ぶことになる――ううん、そんなことどうでもいい。私は彼女に少しでも私という曲を忘れずにいてくれることが、とても嬉しかったのだ。

 歌手のことをアーティストと呼称するのが当たり前になってきた時代に、初雪声子も自分なりの活動を続ける。もちろん一アーティストとして。

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