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週末小説 音楽に意識が宿った 第二章その2

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  二〇〇四年 二月

 彼は就業後二年も経たない内に派遣会社の契約を打ち切りにされてしまった。

 理由は、仕事のストレスによる過労及び胃潰瘍。業務内容は自動車工場におけるライン作業だったのだが、一秒も休まる暇もない流れ作業と連日続く残業や夜勤や休日出勤無理がたたり、勤務中に倒れて入院してしまったのだ。

 内視鏡検査や直腸検査、悪性腫瘍の疑いをかけられた挙句超音波検査まで施されて、彼は三週間の休職を余儀なくされた。しかし正社員でない彼は、会社から休職、復職の処置がおりる従業員の対象にならず、「身体の負傷が原因で、完全な労務提供が出来ない」という理由でその工場をクビになった。派遣会社側からは「病気が治ったら新しい職場を紹介してあげる」みたいな都合の良いことを言っていたが、本人の責に問わない理由で辞めさせられたと考えている彼にそんな言葉が救いになるはずもなく、彼はもう勤労意欲を失い、自分は今まで何のために生きてきたのか、死んでしまった方が良いのではないかと考える事すらあった。

 しかしまるっきり救いがないわけでもなかった。裕哉が高校卒業後すぐに家を出たため、実家には母一人で暮らしていた。この二年近くの間、母もようやく自分が息子にしてきた愛情や教育が不十分であったことを反省し、「仕事中に倒れ、入院した」という報せを受けた際真っ先に病院にかけつけ、彼の身を本気で心配した。彼が退院、無職になった後も、「もう無理しなくていい、家に帰って休んで仕事はゆっくり探せばいい」と言ってくれたので、彼は成人間近になってようやく母と和解し、尚且つ人生の猶予期間を設けることが出来た。

 だが、彼も実家に戻ってすぐにやる気を出した訳ではない。まだ十九歳とは言え自分の持久力がさほどないことを知った訳だし、学歴も普通科の高卒で、その上での中途採用となると、彼に出来そうな仕事の中で正規雇用での求人と言ってもなかなか見つからなかった。彼は就職活動だけで既に疲れきってしまった末に鬱状態となり、実家で悶々とした生活を送るに至った。

 失業保険の給付期間が残りわずかになりつつある時期を迎えようとしていたその月、彼はこれまた偶然という形で、心に大きな衝撃を受けた。

 実家でとっている新聞の三面記事を、たまたま見たのである。


   二〇〇〇年 五月

 病魔におかされた時、また失業や環境の変化など人生の大きな岐路に立たされた時に、自分の生死について考えない人などいるのだろうか。

 二〇〇四年の宮森裕哉にしても、苦しい少年時代を過ごしながらも、自分が死んだ方が良いなど、そのような深刻なことまで考えたことはなかったようだ。しかし、必死で頑張った結果無職という社会の無常さを経験した後、自分の存在価値について深く考える機会を得た。

 しかしそれが、多少なりとも自分の責任などではなく、一方的な宣告及び天からの運命による残酷な現実であれば、本人はどう受け止めればよいのか。

「初雪さん、よく聞いてください」

 人間の医師という聖職扱いされている身分の者がこう言う時、たいていは逆の意味で盛っている可能性が高いことは、私でもわかる。もちろん私のご主人様である声子にとっても。声子はもともとそれほど気が強くなく、むしろわりと泣き虫な面さえある。他人からも、もしかしたら彼女の事を、それほど苦労して生きてきた訳じゃない、とか、わりと順風満帆な人生を歩んで生きているなどと言われて、傷つくこともあったかも知れない。事実、九六年時点での田中正子さんの手紙に書かれてあるように、卑怯者呼ばわりされてしまったり、直接言われなくても誰かに思われているかも知れない。ただ私は、そんな時声子が傷ついているのかどうかなんてことは、探ろうとしないし知りたくない。私はあくまで日々一生懸命生きている声子が好きなのだ。

 ライブ活動、ドラマやアニメの挿入歌などの制作活動。当時のオリコンに名が乗るアーティストと比較すると地味な音楽人生を経て、これから徐々に彼女の曲を聴いた人の気持ちを暖める。そんな光明の筋が見えてきた矢先。

肉体はそれを許さなかった。

「誠に遺憾ですが、悪性です」

 X線検査をした後、苦しい思いをして胃カメラを飲んでそれほど日数も経たない内に、彼女は宣告された。

(胃癌か…………)

 不思議と、彼女と私の意識がシンクロした。七年も連れ添って同時に同じことを思う、なんてことは、もしかしたらこれが初めてかも知れない。

   二〇〇七年 七月

 便利な世の中になったもので、今はインターネットを使ったホームページというものがある。これで近況報告をお手軽に出来たりプロフィール、ディスコグラフィー、日記、バイオグラフィーはもちろん、最新情報、ディスコグラフィー、ライブ予定など仕事に関する情報もすぐに記載できる。これで声子の負担は減るし、メールのやりとりも可能なのでファンとの交流もより広く深くなる。

 しかし、書かなかった。

 声子が大きな病気を患ったことに関しては。

 決してファンの皆さんに心配させたくないからとか、ましてや病気を隠してひたすら頑張る自分に酔っているわけでもない。ただ彼女は単純なのである。

「外科手術で根治することは不可能ではありませんが、腫瘍が既に広がり始めている段階の為、リスクが高いのです。また、進行度でいえば比較的初期の段階ではありますが、初雪さんはまだ三十代とお若いため、今後早いペースで進行するが予測されます。従って、化学療法――いわゆる抗がん剤ですね――で長期に渡って治療を進めていく方法があります。放射線治療などもありますが、先程も申しました通り腫瘍が既に広がり始めているため、余分に時間がかかってしまう可能性が高くなります。……ご理解いただけたでしょうか?」

 不思議と私は悲しい気持ちにならない。それは私が彼女の意識を共有し、気丈な精神をそのまま受け継いでるからだろう。どんなときでも揺るがない、そんな強さを彼女は持っていた。

 どのような形でも声子が自らの病と闘うことに変わりはない、と私も彼女も思った。彼女は医師に用意された入院のための書類に目を通し、サインした。

 彼女はいつも通り、自分と向き合いながら音楽を続ける事に変わりはない。それに彼女は、誰かに心配されたり、泣かれたりするのも苦手だった。


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