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週末小説 音楽に意識が宿った 第二章その1


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第二章

   二〇〇四年 六月

 何故この人の心を読めるようになったのかわからなかったし、今でもわからない。

 初雪声子(はつゆきしょうこ)の曲「ひたむき」を聴く人や思う人の意識を少しだけ共有し、生きる。それが私という、人に聞いてもらう音楽そのものの特徴。いや、他の音楽が私みたいな意識をもっているのかどうかは知らないけれど、少なくとも私はそう。私は生みの親である初雪声子の精神、意識、記憶には深く宿すことが出来るが、それ以外の人には本当に私という曲を先述の形で認識したときだけ。しかもほんの少しの間と量。人が大事にしている記憶やプロフィール、心の深淵や隠したい事など踏み込むことなど一切出来ない、本当の話。

 あまつさえ、この男、私を聴くとき話しかけてくる。

「今日も良いメロディーだね……」

 最初私はギョッとした。こちらからは人間相手に話すことは出来ないのにまさか向こうから声をかけるとは、しかも肉声、心中問わず。でもそれよりびっくりすることがある。私自身の身に対しての事だ。

 私には、彼の全てがわかる。

 声子と同じように。

 宮森裕哉(みやもりゆうや)、二〇〇四年時点で十九歳。一九八五年二月二日生まれ水瓶座、血液型AB型。家族構成や過去の記憶の全てはもちろん出生体重や初恋の人の名前まで読み取れてしまう。

 最も境遇はそれなりに悲惨で、幼い頃から、飲んだくれの父親に家庭を支配され、物心ついたときから虐待を受ける。五歳の頃、その父親が急性アルコール中毒が原因で死亡。母一人子一人の生活となる。

 その母親も若干情緒不安定な面があり、事あるごとに仕事や家事のストレスを子供に当たり散らすことが多々あった。裕哉は母親に意見することを許されず、殴られたり煙草の火をおし付けられたり、心身共に圧力をかけられ続けながら育ってきた。学校でも家庭の圧迫感から内向的になり、友達も少なかった。学校でいじめられたりすることもあったが、幸い学校の教師には恵まれていて、人生に絶望してしまう程にひどくエスカレートする前にいじめっ子を諌めてもらい、何とか不登校にならずに人並み程度の学校生活を送ることは出来た。しかしそれも高校までで、本人は早く家を出たいあまり、大学に行くという選択肢は彼になく、高校卒業後と共に派遣会社における派遣社員となり、寮付きの仕事をあてがわれ、低賃金ながらもせっせと働いている。

 そんな彼の思春期の支えになったのが、ゲーム、漫画、アニメなどのサブカルチャーだった。小中学生の頃には漫画やゲーム、高校からアニメにも手を付け、それに没頭するという、傍から見ればれっきとしたオタク少年。しかし私には感じてしまう。この少年にも暗くて悲惨な学生時代の中、そういった文化によって救われたという確かな過去があったということを。

   二〇〇二年 十月

 それで私が彼の何が気に食わない点があると言えば、初雪ももが最も愛する曲である「ひたむき」である私を知ったのが、随分と後になってからということだ。彼は声子のことを高校三年生の頃に知り、そのとき没頭していたアニメのテーマソングに一目ぼれしたのだった。

 駿河屋ひばり監督作品「ファミリーブーケ  セカンドシーズン」。目のパッチリした女の子や男の子が沢山出てくる、少女漫画チックというよりは今でいう「萌え絵」に近い画風でありながら、中身は両親を亡くし五人の姉妹に支えられながら成長していく少年を主人公とした、家族愛をテーマにしたコメディ&ハートフルなアニメがあった。世間的な知名度はそれほど高くないながらもその温かみのある絵とストーリー、魅力的なキャラクターから熱狂的なファンが存在し、スノードロップとは全く逆のベクトルでコアな人気がある。

 中学以前はもともと萌え要素にはあまり興味のなかった彼だが、ある日ちょっと夜更かししていて何気なくテレビをつけた裕哉がこのアニメを始めて観た時、それが「ファミリーブーケ」及び初雪声子の曲との出会いだった。彼は主人公に自分を投影し、同時にそのアニメに出てくる女性キャラクターに本気で恋をした。その作中では、恋愛感情など少し家族の垣根を超えてしまいそうな含みのある描写が散見されることがあり、そこが彼のようなファンの胸をときめかせ、悶えさせた。

 声子がこのアニメに関わる点は、一人ひとりの女性メインキャラクターにテーマソングを一曲ずつ合計五曲提供し、歌った点である。それぞれのキャラクターの合わせた彼女の曲は、これまでと同様に既存ファンと共に新規ファンを獲得した。彼もその中の一人である。

(馬鹿な…………こんな綺麗な歌が世の中にあるなんて…………)

 冗談のように聞こえてきそうだが、彼の記憶を紐解くと、彼はそのアニメが放映され、挿入歌やエンディングのシーンで声子の曲と歌声が聞こえたとき本当にそう感じたようだ。またその一方で、声子の曲が作品の価値を高め、素晴らしいものに仕上げたのもこれまでの活躍と同様であったのだから、感動もひとしおだったことだろう。たちまち彼はそのアニメにとどまらず、初雪声子のファンにもなったのである。

 それからは確かに、彼の人生は良い方向に向かったように思える。これまで両親を始め同じ学年のいじめっ子など、自分より強い者に服従するしかなかった彼は、初めて誰かを愛する心を知ることにより、自我を確立し始めた。過去、誰かに片想いしたことはあっても愛された事が数えるほどしかない彼は、彼女の歌声に感じるものがあったのである。事実彼はその半年後、高校を卒業してから母親に強く反発し、家を出、自分で働き始めた。自分で自分を愛せるようになり、誰かをも愛せるようになるために。

 さて、それで私の何が不満なのかということに話を戻すと、それだけ彼女の歌に感化された癖に、彼はしばらくはそのアニメのキャラクターソング五曲だけで満足し、これまでの彼女の渾身の作品を手に取ろうとする気が何故かあまりなかったところである。もちろんこの私のこと(曲)を知ったのも、初雪声子というアーティストを知ってから二年以上経っている。

 何たる無礼者、私の事だけならまだしも、これまでの彼女の歩んできた道程すら知ろうとしていないなんて。

 まあしかしそんなことで怒っても詮無いことだ。第一声子の曲と声で救われた人がここにもいることは事実なのだから。

 しかしやはり疑問だ。

 何故この人なんだ? 他にも声子の歌に救われたという人は沢山いるのに。

 あれこれ考えると、何だかその内「そもそも音楽という私はどんな存在なんだ、というややこしい話になってしまうのでやめた。私はただ初雪声子の曲の一つとして、声子及び宮森裕哉、そして聴いてくれる人たちの少しの心をたゆとう、それだけの存在。人間は考える葦と言われているようだが、私は人間ではない。

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