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週末小説 音楽に意識が宿った 第1章その2

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 カフェで声子(しょうこ)は美緒に、今までの音楽活動で自分がしてきたこと、されてきたことを全て打ち明けて、それから再び二人の付き合いが始まった。

 声子は美緒に叱咤激励され、ミュージシャン初雪声子として再出発することを決意した。美緒の言う事には、あなたは声量は少し足りないけどそれがあなたの場合大きな特技になっている、小鳥のような穏やかな声が、アップテンポを歌いこなせる綺麗なファルセットと、バラードを魅惑的に染める囁き声を活かしている、自分を見失っていないでその歌声を存分にいろんなところでそれを披露しなさい、あなたがやりたいことをやらないのは世の中にとっても多大な損失だよ、などと。声子は音楽歴はそれなりにあるけれど、自分の歌声を面と向かって評価されることはそんなに多くなかったので、客観的に自分を見られないところもあった。彼女は美緒の言葉を受け取り、二十四歳にしてようやく吹っ切れた。自分のしたい音楽をやっていこうと。誰かの為じゃなく自分の為に歌ってもいいんだと。

 それから声子はカラオケボックスでアルバイトをしながら、新たな曲を作り、美緒の紹介でライブ会場を借りたりミュージックスクール主催のコンサートに出演するなど、地道に活動を続けた。自分の曲に詞も綴った。作詞は心得がないわけではないが、それほど慣れていなかった割には、割としめやかな言葉で形作られていた、と私は思う。

 その間、に少しばかりのファンも出来た。中でもコンサートを見に来ていた二歳年下のコピーライターの男性とは話が合い、喫茶店やCDショップなどでデートしたりなど、プライベートでも会うようになっていった。その彼の名は芹沢弘樹(せりざわひろき)といい、会社帰りに距離感のないライブハウスなどに通う事を趣味としていた。彼は声子自身及び曲の事を、自分が観たアーティストの中でも一際個性的で優しく、前向きな楽曲を作っていて、まるでお菓子の家のようだと評した。その理屈でいくと声子は魔女、ということになってしまうと私は思うのだけれど、彼女は単純な性格なので素直に喜んだ。そして自分に興味を持ってくれ、懇意にしてくれる彼に好意を持ち始め、たちまちそれが恋愛感情に変わった。初めてそれを知った時私は微笑ましく思う反面少し嘆息した。声子の方がお客さんから好意を持つのならわかるが、これでは立場が逆だ。初心な声子はそんな自分にあまり違和感というか、疑問を感じなかった。

 彼と友達以上恋人未満のような関係を続けながら九十三年に、彼女はコンサート会場に視察に来ていた大手レコード会社「クイーンレコード」の内部レーベル「タンジェリンサンセット」のスカウトと話す機会があった。タンジェリンサンセットは、当時から現在に至るまで、ドラマ、アニメ、実写映画など様々なコンテンツ及びそれに関する音楽を提供する会社で、ここで声子は再び、彼女の曲を世に送り出したい、という誘いを受けた。一度手痛い目に逢っている声子は最初不安がったものの、昔よりも自分の音楽や生き方に自信のついた声子は、今度こそどんなことがあっても毅然とした態度で受け止める、相手を探ったり頼ったりするのではなく、自分の音楽に自信を持てばいいんだ、と勇気を出して事務所に出向き、直接話した。

 そこで彼女は、面談を担当したプロデューサーの宿利耕介(しゅくりこうすけ)さんという人がとても誠実で優しい人だとわかった。音楽業界に長くいることによって、彼女も人を見る目が少し身についていたのだ。彼女は快く、自分の曲のCDを売り出す決意をし、シンガーソングライター初雪声子としてメジャーデビューを果たした。宿利耕介さんは、そのまま彼女の担当マネージャーとなった。

 同時に専属アレンジャーも紹介してもらった。かつて日本放映協会教育番組で様々な局で活躍していて今はフリーの編曲家、キーボードプレイヤー、レコーディング&ミキシングエンジニア、サウンドデザイナー等々複数の肩書を持つ彼の双子の弟、宿利響介(きょうすけ)さんを紹介された。その名を聞いて私は、なるほど新人を耕すからマネージャーの兄の方は〝耕〟介、弟は音響に関わる仕事をするから〝響〟介か、と思った。が、声子の心の内をもう少し読み取った所、それが本名だと言うからついつい感心してしまった。

 弟の響介さんは彼女に出会うなりこう言った。

「最近ファストフードみたいに大量〝凄惨〟されていく音楽業界に疑問を持ち始めていてね。二十年先も多くの人に聴いてもらえるような音楽を作りたいと思っていたところだったんだが、眠たくなるような歌い手しかみつからなくて。兄貴から受け取った君のデモテープを聞いたところ目がさえたままなのに肩の力がスッと抜けた、いろんな意味でね。君の十年後、いや二十年後の誕生日に、君のファン達が集まって君の曲を流す。その為の音楽を僕にアレンジさせてくれないか。面倒なことは兄貴に全部任せるけどね」

 もちろん彼女は二つ返事でOKした。この日を境にその兄弟は片一方はマネージャーとして、片方は編曲家としての活動の全てを声子の曲に捧げることを決意してくれた。声子は一挙に二人の協力者を得た。それくらい声子の曲は業界で既に幅広く活躍していた彼らの心に響いたのだ、という事が窺える。

 同年九月、明るいアップテンポな曲をシングル曲「ずっといっしょ」をリリースした。これは密かに芹沢弘樹への想いを綴ったラブソングで、ライブでもたびたび披露していた曲だった。そして、そのB面には私である「ひたむき」が収録されている。このカップリングのチョイスは声子自身が提案したもので、A面に対し主張しすぎないゆったりめのバラードということで、宿利さんも快く引き受けてくれた。私もナイスなセレクトだと思う。

 もちろん、テレビやAMラジオなどに出演したりするようなミュージシャンのように華々しいデビューというわけではなかった。九十三年の頃と言えばトップテンどころか本業ミュージシャンでない芸能人ですらも一つ歌えばミリオンを超える売り上げ枚数を誇る程のCDバブルである。声子のファーストシングルは週間ランキングにしても総売り上げで見ても、トップの百分の一の枚数にも満たなかった。輝かしい一流アーティスト達の活躍で音楽業界が浮き立ち、世間もその流行に染まる中、声子は無名のライブアーティストの域を出ていなかった。

 それでも彼女は嬉しそうだった。デビューしたことよりも、自分が作り、歌う曲を少しでも今までよりも多くの人に聞いてもらえる、何よりこれで思い切って彼に告白できる、と。彼女は直接言葉や手紙で男性に想いを伝えられない、とてもシャイな人だった。

 しかし結果はあえなく撃沈。シングル曲である「ずっといっしょ」は当然芹沢弘樹も聴いていた。けれどその曲がまさか自分に当てられたものだとは思っていなかった。その上声子ときたら、そのラブソングはあなたを想って作った、と伝えた。それだけ。でもそんな告白でも、彼女にとってはすごく照れくさくて、精一杯の思いで伝えたのだった。そして彼はただこう返した。

「何だか君は遠くにいってしまったんだね」

 声子はきょとんとした。状況を把握できなかった彼女は、続けて背を向いた彼に、「さようなら」と告げられた。そこでようやく鈍い彼女も、自分が彼に嫌われたのだと悟った。ただ理由まではわからなかった。でも人一倍感受性の強い声子は、彼の冷たいその声で、本当に数億光年先に見える星の光程に追いつけないくらいの拒絶感を感じた。人を見る目が少しできたと思っていた彼女も、その点についてはまだまだだった。

 さて、失恋したその日の夜に話を戻す。

 鍵盤の上に涙をこぼしそうになりながら、私を弾き終わった。彼女はピンク色のカバーをキーボードに敷き終った後、ベッドの上にうつ伏せになり、少女のように嗚咽を漏らした。

 声子の心の中に私は入ろうとする。しかしツメの割れたカセットテープのように、彼女は心の扉を閉ざしていた。こうなると私は退散するしかない。

 私は悲しい。私はラブソングであり、聴いた人にときめきとゆったりした気持ちになってもらうために存在するのに、私を作ったその人のことすら癒せないとは。おまけに私は歌だから会話も出来ない。ペットやぬいぐるみですら人間に話しかけてもらえるのに、私にはそのような機会もなく、当然返答することも出来ない。

 しかし私は同時にこうも思う。本当に私がもし人間だったら、彼女を筆頭に誰かの心を救う事が出来ただろうか。人生に躓いて気持ちが沈んだ時、最終的に自分を救うのが自分しかいないのであれば、他人はその手助けをすることしか出来ないだろう。そういう意味では私も他の人と変わらない。私はただ私を聴いた人にあらゆる意味で生きる励ましを与えるだけだ。音楽というのはそういうものだと思うし、人が人を元気づけたり精神的に支えたりする時も同様なはずだ。

 今宵の楽器は乙女の忍び泣き。梅雨と七夕が同時に来たような、何ともないはずなのに苦々しい夜。

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