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3年間で130名の新規雇用を生んだ日南市マーケティング専門官が語る「豊かな地域の絶対条件」【宮崎県日南市マーケティング専門官 田鹿倫基さん】

地方で根を張って生きる人たちのホンネとリアルをお届けする「ケンジン」インタビュー。今回は、宮崎県日南市マーケティング専門官の田鹿さんにお話を伺いました。
田鹿さんは事業会社でのキャリアを積んだ後、宮崎県日南市に移住し、地方創生関連事業に取り組んでいます。
日南市に根を張って活躍する田鹿さんが考える「豊かな地域の絶対条件」について、田鹿さんの考えを話してもらいます。

東京→上海、北京。
大都会でキャリアを積んで、なぜ日南市に?

田鹿さん
大学生の時、地元のお祭りボランティアで出会った大人たちが楽しそうだったんですよね。大きい会社だから人生楽しいとかあんまり関係ないだろうなって気がついて。
将来は即戦力として宮崎の活動をガッツリやりたいなというのは思ってましたね。まずは社会人としてパワーアップしようということで、ビジネスゴリゴリのリクルートを選びました。

その後、九州という地理的条件を生かすと、将来的に中国とかアジアとのビジネスも大事になるだろうということで、中国の上海と北京でウェブ広告の会社で働いてたんですけれども。定期的に宮崎に帰ってきている中で、今後5〜6年自分が成長できたとしても、5〜6年で衰退するパワーの方がでかいなと思って。28歳の時に宮崎に戻ってきました。

日南市に来たきっかけは前市長の声掛けで。2013年の日南市長選挙で、結果的に当選した崎田恭平さんという宮崎県庁10年目ぐらいの若手職員が立候補したんですね。で、公約の一つが、「行政もマーケティングを取り入れる時代だ」と。
その時に僕は上海で働いてたんですけど、「もう発展してるでかい町なんかもういいから、まずは日南を何とかするのを一緒にやってくれ」と言われて着任した感じです。

日南市来てどのようなことに取り組まれたのですか?

田鹿さん
着任した時にやってたのは外貨を獲得する、つまり、日南市の外からお金を日南の中に持ってくることです。

例えば農家さんと、栽培した大根の販路を一緒に作ってどんどん売っていくっていうのを一年ぐらいやってたんですけど。販路ができて大根がどんどん売れていくと、もちろん売り上げも増える訳ですよね。
農家さんもすごい喜んでくれて、それは僕も良かったなと思ってたんですけど。農家さんのお金は大体、都会に住んでるお孫さんのおもちゃとお年玉に変わっていくわけです。

で、3年目ぐらいから継続的にちゃんと入ってくる仕組みを作んなきゃいけないと。それで企業誘致だったり、日南の資源を使ってどんどん外に売っていく起業家を育成していくっていう方向に舵を切りましたね。

新しいことを始めたときに、町の方から反発はなかったのですか?

田鹿さん
なんなんだこいつはって見られていたのはあったと思いますね。
やっぱり町のなかでも全ての方が応援してくれるわけではなくて、「お前、市長の友達だから税金で飯食ってんだろう」みたいなことを定期的に今でも言われますし。冗談半分でもガチでも。

いや、そりゃそうでしょうと思いましたけどね。なんかよく分かんない若造がよそから来て、しかも市長と友達みたいで、税金でお給料もらってるってなると。僕が逆の立場だったらもっと強いこと言いますよ(笑)
むしろ逆に応援してくれる人には「何で応援してくれてるんだろう」と思ってましたもんね。北京で働いてた時とかは反日の方とかも結構いたりしたので。ラベルですよね。「日本人」とか「28歳」「若造」「市長の友達」とかラベルを見られて攻撃されることに慣れたのもあります。

あとは、市役所の職員の皆さんが事前に根回しをしてくれていたので。自分では飄々と楽しくやってるつもりだったんですが、後から聞いたら市役所職員が事前に話を通してくれてた、とかもありましたね。

東京や北京に住み続けたいとは思わなかったのですか?

田鹿さん
北京の時は結構楽しかったですけどね。でも東京にずっと住みたいと思ったことは一回もないし、上海でも北京でも、自分が現地の人より高いパフォーマンスを上げられるイメージがあんまりなかったですね。
例えば中国でやってた仕事って、中国進出した企業がマーケティングをするお手伝いで。5年後10年後にはもっと中国のウェブマーケに詳しい人が日系企業のサポートをした方が絶対にパフォーマンス上がるだろうなと。この仕事をずっとやり続けるのは多分無理だろうなと思ってましたね。

「日南市を変えたい」市長の想いと市民の意思が合致することが重要
持続可能性のある街に変えていくために意識したこと

田鹿さん
まちづくりの仕事をやっていく中で最終的な目的は何なのかと言われると、これは多分まちそれぞれ違ってしかるべきだと思ってまして。ただ、日南の場合は「持続可能性のあるまちに変えていく」ことで、僕の活動がそこに基づいてます、と。

この持続可能性が高いまちというと、人口ピラミッドが歪みなくズドンとなっている形のまちっていう感じですね。そこの形に変えていくためにIT企業の誘致もやれば、起業家の育成もやれば、地場企業の採用支援もやる、と。

もちろん他にも出会いの場を作るとか子育て支援をしっかりやっていくとかそういうことも人口ピラミッドの形を整えるという意味では非常に大事な仕事なので、やっていきたいと思ってますね。

田鹿さん
ただ、これを他の町にも広げていきたいかって言うとそれは違って、その地域が決めることだろうと思ってますね。人口ピラミッドの歪みを変えるということはそれなりに痛みも伴う訳ですよね。地域が変わるというのは、一部の人たちにとっては面白くないことかもしれないし。もう緩やかに自分たちのまちを閉じていくっていう選択も全然ありだと思ってて、それぞれのまちの人たちが決めることかなと思ってますね。

僕が日南でそれをやったのは、やっぱり崎田(前)市長が掲げていたのが「変える」ということだったからで。「このままの日南だとヤバいので、日南を変えたい」っていう公約を掲げてその人が当選している。市民としては変わりたいっていう意思がある訳ですよね。であれば、やっぱり変わりたいっていう人に対してはしっかりとやろうと。民主主義ですね。自分たちのまちは自分たちで決める、それでいいんじゃないかなと思ってます。

普段の生活の半分くらいが経費!? 「恩の貸し借り経済」!?
所得からは読み取れない、地方が豊かな理由とは

東京や上海を経験されて宮崎に戻って、ギャップはありませんでしたか?

田鹿さん
外から思われてるほど困ってない人も多いよね、と思いました。例えば都道府県別の平均所得とか出すと、大体東京が一位で沖縄が最下位で、みたいな。地方の方がパッと見低いじゃないですか。

ただ実際、結構多かったのが農業と会社員両方やってます、という人たちで。給与所得と事業所得が両方入ってくるんですね。両方やってると事業経費がいっぱい使えるんですよ。車とかも一部経費になるし、ガソリン代も経費になるし。飲み会も仕事に関係する人と一緒だったら接待交際費にも上げられる。で、経費を使うと勿論その事業所得はマイナスになる。マイナスになった分は今度給与所得から相殺できるので、課税所得も下がります。
しかもそこで赤字を出した分は給与所得から相殺してるから、結果的に払う税金が安い。

実際、所得の中央値で見るとこの前東京が最下位になったんですね。平均で見ると東京だとね、孫さんみたいな桁違いの高所得者がいるので、ガーンとめっちゃ上がるんですけど、中央値で見ると東京が一番貧しいですよ、と。

さらに、貨幣経済になってない部分が田舎には結構あって。
例えば僕の場合だと、今日両親に子供の面倒を見てもらってたんですよね。もしこれを東京でやると、託児サービスで1時間2500円とかかかる訳じゃないですか。あと、食費の部分でも普通にみかんとかお米ぐらいだったら貰えたりするし。

なので「物々交換経済」とか「恩の貸し借り経済」とか「自給経済」みたいなGDPに換算されない経済も結構回ってて。地方は裏で他の経済もぐるぐる回ってるんで、これが地方の豊かさの正体なんだろうなという風にも思いました。

田鹿さん
日南に限らず、「地域ってそもそも何なんだろう」っていうのを結構考えることがあって。で、今暫定的に「地域ってプロジェクトなんだな」と思ってます。

例えば日南という行政区がありますけれども、でも日南出身で今は東京に住民票を置いている人たちも日南に愛郷心みたいなの持っているでしょうし。仮に日南市が合併して隣の宮崎市と一緒になった時に、じゃあ日南市はゼロになるのかって言うと、多分日南という概念は残り続けると思うんですね。

やっぱこの日南っていうのは、もう一つの概念になっていて、かつその概念には社会に貢献すべき役割があるなと思ってるんですよね。日南の人と触れ合って日南というその概念が好きになりましたみたいなそういったプロジェクト。日南というものを使った、人の人生に貢献するプロジェクトをやってるんだと思ってて。「日南という概念を活かして人の人生を盛り上げていく」方に大きくシフトしていきたいなと思っています。

~ケンジンからの学び~
「地域」には、社会に貢献すべき役割がある。「地域」の最終目標は、その地域に住む人々が決める。地域資源の活用や地域を通じた交流の創出等、「地域」を通して誰かの人生をより豊かにすることができる。

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