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写真が撮れて「当たり前」な話

 写真を仕事にしていると、依頼主は「ちゃんと撮れて当たり前だろう」と思うものだ。例えば、飲食店に行って、注文通りの食べものや飲みものが運ばれてくる感覚と同じである。


 ところが、写真がオーダー通りに写せるかどうかの不確実性は、実際のところ高いと思われる。想定されうる理由を挙げればキリがないが、機材の故障、天気や室内環境に何かしら異変が発生すること、撮影時間が突如短縮される、あるいはその機会が極端に減らされることなど、である。


 撮影の仕事に従事し、お金を貰う以上「何も撮れなかった」では済まされない。制約のある中でも最善を尽くさなければならないのである。ある先輩カメラマンは「リスクを減らすのも仕事のうち」と話していた。その考え方はもっともである。ミスを回避しつつ、しっかり結果を残すのが大切だからだ。これは決して冒険をするな、という意味ではなく、使える写真は何があっても最低限撮影してくるのがプロだということだと思う。


 先日、久しぶりの撮影現場で仕事をする機会があった。講演会の記録撮影だが、講演が始まると壇上の照明はスライド表示のために消され、かなり撮りづらい状況に陥った。本来であれば講演中の講師の表情を撮るのが理想だが、条件的には厳しい。いくら増感したところで、暗いものは暗い……。
 結局、講演会の後半に質疑応答に入ったところで照明が全て点いたので、このタイミングでなるべく多くのパターンを撮って事なきを得た。
 納品した際、依頼主は写真に満足してくれたようで、「よく撮れていますね」とお褒めの言葉をいただき、こちらとしては一安心だった。


 「ちゃんと撮れて当たり前」のために、実はけっこうハラハラしながらシャッターを押しているわけだ。

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