倫理観について考える

自分自身の人生において影響のある出来事だったので記録しておこうと思う

2020年1月9日23時42分、珍しく父から電話があった。祖父が92歳だったので、ついに来たかと思って電話にでた。

「おかんが脳内出血で運ばれた。すぐに病院にこれるか?」

そっちか!!

以前にも母は脳内出血で入院していており、他にも疾患があったので近々起こるとは思っていたが、やはり衝撃だった。先日61歳の誕生日を迎えたところだ。

病院に駆けつけると、父が待合室にいた。話を聞くと、21時頃父が自宅に戻ると母がリビングに横たわり自力で救急車を呼ぼうとしていたところだったらしい。出血場所は『脳幹』。前回と比べてもだいぶまずい所だ。

夜中1時、手術をする準備ができ、手術室に移動された。

「術中、ご家族に判断を仰がねばならないことがあるので、家族待合室にいてください。」改めて言われると緊張する一言だ。

手術開始10分ぐらいで執刀医の先生が出てきた。早速判断を仰がれる状況になった。

「麻酔をし、動かないよう頭を固定するボルトも入れ、うつ伏せにした瞬間、口から大量の吐血がありました。食道にあった静脈瘤が破裂した為です。」※肝硬変なので、血が固まりにくい薬を飲んでいた。止血がしにくい。逆に血を固めると肝硬変が一気に悪化し、肺等への影響も想定される。薬を中和したといえ、全然とまらなかったらしい。

①「このまま手術を続けると、術中に亡くなる可能性が極めて高い。(中略)。仮に成功しても他の病気も悪化し長くはない、また重度の後遺症が残ります。」

②「手術を止めるなら今です。意識は戻りませんが、明日なくなるかもしれないし、1カ月持つかもしれない。脳幹の状況によります。」

中々きつい判断を迫られたなぁと思った。母の命にどう向き合うのかだ。

父と私は②を選択しました。

生きているうちに会える限りの人に会ってもらうのが一番いいという判断だ。

その時は温かいうちに会ってもらうのが良いと思った。

しかし、意識が無い状態での面会となると、冷たくても一緒だったのか?それなら①にして生きれる可能性数%に賭けるべきだったのか?と思ったりもする。

脳内出血×肝硬変×肺疾患だったので、2030年まではもたないだろうと思っていた。

前回は私の結婚式の翌月に倒れ、今回は子供が退院した1週間後だ。等々、思い出を振り返ったり、未来を想像すると悲しくなる。しかし幸か不幸か、残り長くないだろうと意識して一緒に過ごしてきたので、直近過ごしてきた日々に悔いは少なかった。

13日現在、母は生きている。

是非、自分がその立場にあったならどうするか考える機会になればと思う。

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