ここまでの道のり #1生まれて高校進路決定まで
私は頻繁に講演やセミナーで自己紹介を行います。そこで私の活動や経歴について話すことが一般的ですが、実際には講演やセミナー後の交流会で参加者から経歴に関する質問をよく受けます。クライアントや私が支援するアスリートからも同じような質問を受けます。そのため、普段話している内容をnoteに書き留めていくことにしました。
未熟児で生まれる
1978年に生まれ、体重が1740gの未熟児でした。医師は両親に「いつ亡くなってもおかしくないので、せめて名前だけは決めてください」と告げたそうです。両親は私が健康に育つことを願い、「健二」と名付けました。漢字の「二」が入っていますが、実は長男です。よく次男ではないかと聞かれますが、なぜ「二」を選んだのかは今も謎のままです。
肥満児からの球技を手放す
幸いにも元気に成長し、小学2年生から中学3年生まで、立派な肥満児でした。短距離走は得意で、速く走ることができました。現在はアスリートや格闘家をサポートしており、多くのスポーツに精通していると思われがちですが、小学校時代の地域のソフトボール大会では、ボールを打つことも捕ることも投げることもできませんでした。バスケットボール、バレーボール、テニス、卓球も同様です。ただし、サッカーだけは何とかできましたが、小学校の時点で球技は諦めました。しかし、幼い頃からプロレスや格闘技、ジャッキー・チェンの映画が好きだったので、小学3年生の時に少林寺拳法を始め、それが自分に合っていたため、小学6年生で初段を取得することができました。中学では陸上部に所属し、砲丸投げをしていました。
担任の提案
少林寺拳法の初段を取得したことで、高校への推薦入学が可能となりました。人生にはターニングポイントとなる人物や言葉があると思います。私にとって、その一人が中学3年生の時の担任の先生でした。勉強が苦手だったため、普通科への進学は考えていませんでした。工業高校への進学を考えていた時、担任の先生が進路相談で「工業高校ではなく、造園土木科がある学校はどうだ?その高校には少林寺拳法部があり、お前は有段者だからスポーツ推薦で入学できる。授業は実習が多く、好きな少林寺拳法を3年間続けられるぞ」と提案してくれました。決め手となったのは「受験しなくてもいい」という言葉でした。そうして、私の進路は決まりました。
続く
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