夏という坂の

夏はまるで
坂を上るよう
しかし夏という
坂のてっぺんから
下りはじめるときの
さびしさはなんだろう
夏は来年もいつもどおり
やってくると分かってても
さびしいのはなぜなのだろう
              
さびしいとわかってはいても
またきてしまうものなので
さびしさを求めるように
また上りはじめている
てっぺんまでの道を
本来求めてるのに
てっぺんからの
眺めを求めた
はずなのに

さびしさは
次の夏までの
糧にしましょう
夏の次にはいつも
秋が飽きずに訪れて
冬もとうとうと訪れて
春ははるばるやってきて
夏が来るまでにはおそらく
さびしさも発酵しきってます
              
前の夏の発酵したさびしさを
かかえて今年も夏の坂道を
汗をかいて上っていけば
舗装の焼けるにおいや
熱い草いきれたちと
混ざりじゃれあい
あのさびしさは
甘露のように
なるのです

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