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森林経済学者を目指すまで

僕の今の目標は、森林経済学者と して持続可能な森林経営のありかたについてなにかしらの知見を加えること。そしてそれで生計を立てていくこと。人の経歴って結構面白いものだから、僕のそ れにも関心を持ってくれたり、なんかの参考になる人もいるかもしれないので、ここに至るまでの経緯を書いてみようと思う。

高校2年生のある日、家で朝日新聞を読んでいるとそこに掲載されていたのがサハラ砂漠の緑化に関する意見広告。確か砂漠が村を飲み込んでいくような写真が使われていたように思うけど、すごい心に響いた。そこで僕は「砂漠化」をなんとかすることをしよう、と決意した。

それにはどうしたらいいか。進学先としては、寺社仏閣が好き、京都弁を話すかわいい女の子と仲良くなりたい等などの理由で、京都がいいなあと思っていたので、そこで近い学科はなにかと検討して農学部農業工学科を目標に設定した。幸運にも現役で合格。あの年の春の哲学の道沿いの桜吹雪は一生忘れないと思う。

入学後、ある国際交流サークルに入って外国でのエクスチェンジプログラムや国内でのカンファレンスの企画運営に参加したりと楽しくやっていたのだけど、肝心の専攻の授業がさっぱり面白くない。

最終的に、これは違う、と思ったのは、スイカの収穫マシンを開発しているというある先生の話を聞いた時。確かGPSを使って収穫ロボットを動かす、みたいな話だったと思うけれども、そんなの人が収穫すればいいんじゃない?なんかずれてない?と思ってしまった。一般教養の数学と物理の授業にもついていけなくなっていた、という事情もあり(これは教える方の問題もあったと思う)、転学科を決意。経済学を勉強しようと思った。アルバイトしたり、いろいろなイベントの企画に顔をつっこんだりしているうちに、経営、ということに関心を持つようになってた。

経営学ではなくて経済学、というのが少しずれていると思う向きもあるかもしれないが、経営というのは問題とする対象を示すのであって、それを分析するツールとしての経済学を学ぼう、という発想は今にして思えば間違ってなかったと思う。経済学部に行くか、農学部の農業経済学科に行くか迷ったが、入試の成績から前者への転身はNGということで、農業経済学科へ。

砂漠化の防止、ということに関して大きな出会いがあったのが4回生に上がる春休み。そろそろ卒業論文の支度をしないと、と考えて、砂漠化に関する記事をいろいろ探して読んでいると、雑誌「現代農業」に大阪に事務所のあるNGOの活動内容が紹介されているのを見つけた。元々、中国の歴史が好きだったし、中学1年生から2年生に上がるときの冬休み、当時、静岡県が企画した中高生の交流事業に参加して1986年当時の上海と杭州を旅した経験もあって、強く惹かれてさっそく事務所に行った。行動力はあったと思う。

直接の目的は、農村の現状をその目で確かめること。1995年時点で、中国の農村を実際に訪れる機会はまずめったになかったのだが、ここの植林ワーキングツアーに参加すると、大同市の農村地帯を訪れることができることがわかり、さっそく参加することに。それ以来4回通っているのだけれど、結局、このNPO法人緑の地球ネットワークの活動に参加し続けていたことが、今に至るうえで大きな影響を与えたことになる。

増え続ける人口に対し、限りある各種資源を効率よく利用できる仕組みを地球レ ベルで構築し、なんとかして生活の質を一定に保ったうえで乗り切っていかなければならない。資源の枯渇が戦争に結びつくというのは歴史の必然。それを未然 に防ぐには、利用可能な資源の絶対量を増やす、資源の配分をうまく行う、エネルギーロスを最小限にすることの3つが肝要。そして、森林資源だけがすべてではもちろんないけれど、それが日々の生活を送るうえで重要であることは間違いない。中国での経験から、森林の存在がどれだけ農村の生活の在り方に大きな影響を与えるか。そして、水資源の涵養や木材の供給、はては地球温暖化対策にいたるまで、森林の持つ多面的な機能の大切さを実感できたことは、僕にとって大きな財産。

そこから今に至るまで10年余りの回り道。日本農業の立て直しも必要じゃないの、と思っていたのがその原因。そして、卒業論文を書く段にあたって、どうやって書いたらいいかわからなくなってしまったということ。論文提出ができないとなって海外逃亡。

結局、研究者の道を一度はあきらめて、ある大手の農業法人に就職、それから2回転職して、再び大学院生となり、今に至ります。日本の農業を 自分の力で少しでもなんとかしたい、ということについては、仕事を通して十分できたというのが実感。そして、途中で体調を崩した時期が数年あったけど、し ばらくの休養の後、直近の勤め先で規則正しい生活を送ることで体調の良さを取り戻したこと、そしてよいパートナーと出会い、彼女の後押しを受けられるよう になったことが大きい。

この記事を通して「こういう回り道をしてきた人もいる」ということを知ってもらい、悩み多い後輩諸君の励みになればと思います。先輩諸氏には「バカな奴だねえ」と、引き続き暖かいサポートをお願いしたい次第です。


オリジナル版公開日:2012年3月11日


追記(2024年5月20日):気持ちだけが先走った恥ずかしい文章で、公開したけど一度引っ込めました。でも、社会人経験を経て、大学院留学をしてみたい、と思っている方に対して、このぐらいのパッションだけの人でも、なんとか海外(ドイツ)での博士号取得までたどり着くから、心配しないで、と自信をもってもらう(?)ために、再編集後、改めて公開しました。

研究者生活も10年近くになりますが、ようやく、ちょっとコツが分かってきたような気がしてます。どんな仕事も、独り立ちまでは最低10年はかかるんでしょうね。

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