見出し画像

御岳山

(from tumblr Nov. 2016)

こういう景色をカメラに収めているとき、内側から湧き上がる静かなる興奮。それはきっとおじいちゃんの遺伝子。祖父は、中国山地を中心に山を撮り歩いていたそうです。僕自身は直接写真の話をできないままでしたが、おそらく僕の100万倍の行動力を持っていたはず…笑

写真という具体的なツールもそうですが、誰かとの関係の中で祖父が持っていた祖父性や父が持っていた父性を僕自身が発揮するとき、それはとてもスピリチュアルな体験です。どんな人も自分が属する様々なコミュニティで、その日その瞬間いろいろな役割を求められ、それに応えながら生きていく中でそのような経験をしていることと思います。

失ったと思っていたものが自分の一部になり輝いていると知ることや、こうやって時々言葉で整理しておくことは、自己を癒す力を最大限に高めてくれます。思考や行動を通じて魂を癒す能力は、僕たち人間が持つ大きな特徴ですね。「我々は霊的な経験をしている人間ではない。人間的な経験をしている霊なのである。」という言葉も腑に落ちるような気がします。
もちろん霊長類も自然の一部ですから、自然を見つめて自分に気づくことも山ほどあるのでしょう。自給自足の生活をしている人たちには当たり前のことだと思うと、とても恥ずかしく感じますが…。

こういう形で亡くなった家族に想いを馳せることができるのは、思い出したくなるような穏やかな記憶を残されたということでもあります。それがどれだけ恵まれた環境を表していることでしょうか。

>>>>>>>>>

カメラを構えている最中にこうやって考えているわけではありませんが、日々人間の頭の中を駆け巡る思考は、あらゆる生産活動の中で表現されてしまうはずです。そこにはそれぞれ、個性が存在しています。特に目立つわけではなくとも、とても芯のある個性です。

表現されたものから自分を見つけ、自分について理解を深め、他者と共有したい感情を自分で選ぶ余裕が心に生まれる頃には、周りの喧騒が気にならなくなるものでしょう。そんな充実感のようなものを少しでも感じられるように、他者や物事と向き合っていきたいと思います。SNSもその一部です。まだまだ道半ばで生意気な話ですが、人生の先輩方にはいくらか共感して頂けるのではないでしょうか?笑

よろしければサポートお願いします^ ^ もっとあなたとお会いできる機会が増えますように♪