はるか昔の秋の頃
高校2年の秋の大会のことだった。
先輩が引退し、新チームになり、2年の我々が最年長になって「さあこれから何とか頑張ろう」という時期であった。
会場は、甲子園の優勝経験があり、潤沢な資金に物を言わせて広大な敷地を持つ桜美林(おうびりん)高校のグラウンドであった。
相手は忘れもしない、都立広尾高校であった。
我が母校と大して変わりのない、特段どうということのない相手であった。先制点は取られたが、いずれ逆転できるだろうという根拠のない自信はあった。
普通の都立高校にしては珍しく、190センチはあろうかという長身の左腕から、僕は四球を選んでランナーとなり、なんだかんだで気づけば三塁にいた。
その時僕は、バッターに対して「スクイズ」(いかなるボールが来ようとも、必ずバットにコツンと当ててランナーを進める戦術の一種)のサインが出されたのだと思った。しかしそれは僕の錯覚であった。ここは絶対スクイズだろうという先入観で、僕は大いなる思い込みをしてしまったのであった。
バッターは、ボール球を当然のように見逃した。ボール球を見逃して、つまり、手を出さないのは本来なら当たり前の作法である。
しかし僕は錯覚していた。だから飛び出していたのだ。三塁(サードベース)を。
広尾のキャッチャーはそれを見逃してはくれず、すかさずサードにボールを送り、僕は三塁手とキャッチャーとの間に無惨に挟まれて、無様にアウトになった。
試合後、OBである学生監督は僕に何も言わなかったが、顧問の体育教師が僕に向かってハッキリとこう言った。
「お前のせいで負けたんだ」と。
それが教育者の言うセリフなのかと耳を疑った。
しかし不思議なことに、人は本当に、心の底から悲しい時には怒りもわかず、涙も出なかったりするものだ。
僕は何の言葉も発することができず、仲間と共に母校に戻った。
秋の頃であるから、同級生たちが文化祭の準備をしている。
おかえり。手伝ってよ。
そう言われて心から救われた思いがしたのを今でも憶えている。
僕は不器用な手でハケか何かを手に取り、何かの出し物の看板になるはずの壮大な絵の一部に、懸命に色を塗った。
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