マルクス経済学派と環境論:序論

[タイトル] : マルクスを読む(その1) : 環境経済学と「疎外」論の前提のために
富山大学教養部紀要(人文・社会科学篇), 20(1): 157-172, 1987.

現代の経済学界におけるマルクス経済学派の環境論の無視と人間論の欠落について, あれこれと言われてから久しい。小生が,シスモンデイ経済学の研究から福祉論を媒介し て,環境経済学に乗りだした時からすでに, 10数年は過ぎているのだが,例えば経済学史学会でも,この近年は少し変化がみられるものの、近代経済学の方が環境論の問題理解が早 いことを,嫌というほど感じさせられてきた。初期マルクスの人間疎外論を研究きれてい る方々に,自然への人聞の対応における環境論の地平を求めたのであるが,どうも多くは 期待はずれというか,く労働〉の読み方が小生のように環境論へと繋がらないようである。 この論文は,小生が大学院の修士課程のときに,社会思想のゼミで報告した粗稿をベー スにして,マルクス経済学からどのようにして環境論の問題地平を窺い始めていたかを振 り返ったものである。当時すでに,小生の王要な研究の的は,シスモンディをシスモン ディに即して読むということであった。マルクスやレーニンを通して読むこととは違った 感触が得られていたのだが,今から考えると,それはく農〉を工業的生産の様式と違った くひとの営み〉として,自然の恵みのうちに生かされてきた社会史として捉えていこうと いうシスモンディの視座の深きであったと思う。こうしたことが理解できるようになった のは研究室の外からであった。大学紛争とかちあった大学院・助手時代における紛争への 内面的な関わりでいえば,社会人から大学に戻ってきた小生には,年下の院生同輩諸君の 社会批判は実に新鮮であった。当時のエネルギ一転換期の炭鉱閉山と炭鉱災害多発の最 中,く水の聖〉に育まれて優しい筑後有明の人と風土に似つかわしくもなく襲う炭鉱の合 理化と事故にうめく地域社会の再編に,職業人(ケースワーカー)としての関わりに挫折 して複雑なものがあった。「宗教はアへンである」という初期マルクスの断言は,歴史的 に否定されてはいたが,原理としてカール・バルトの神学において否認きれ,人を疎外するく秩序〉としての社会を告発するラデイカルスの感性の炎に焼かれて,マルクスをもう 一度読み直そうとしたのである。主義者の解説では,三池炭鉱の争議やチッソ水俣の争議 を担った精神は「プロレタリア性」であるという。しかし,小生がみてきたそうしたく労 働者〉の多くはその有明や不知火の風土にいきるく農民〉でありく漁民〉一一ある部分は 沖縄の与論島の共同態一ーのくへそ〉の尾をくっつけた連中であった。「有明のく土〉と く海〉が,抽象的定在たるく資本〉にいじり廻され,都合で棄てられている」と,当時, ある行政誌、にルポをかいた時,「ナロードニキ」とレッテルをはられた。患者が行動する 前,漁民がチッソ水俣工場の水銀たれ流しにムシロ旗をたて,海苔の養殖漁農民が有明海 の淡水湖化調査船に海水のホースを見舞った時,小生はそうしたく資本〉の側にあり,行 政の人間であった。そして争議団のくイデオローグ〉達はといえば,そうした「旧中産階 層Jに冷やかできえあった。マルクス経済学のある部分は,そうした農民や漁民,そして 争議大衆のそうしたく農民性〉を「意識の自然発生性」と規定した。「なにかがおかしい」 そう感じた小生はマルクスを読みかえすことを,シスモンディ研究の傍らに始めた。 初期マルクスのく人間疎外〉論は,くプロレタリア〉性において読まれるべきである, と言われている。そしてそのくプロレタリア〉性は工場制に包接きれ,そこで資本のく商 品〉肢体を熔印された定在にかかわってのみ定義きれるべきとも言われている。他方で は,初期マルクスはプロレタリア性に関わる『資本論Jマルクスのくプレ(前段階)〉で あるにすぎないとも評価きれてきた。こうした論点,すなわち初期マルクスにおける諸規 定がマルクス経済学体系(『資本論』)においていかなる連続性と展開性をもっているか否 かというテーマは,これまでに多くの人達によって臨まれたことである。たしかに,マル クスの初期における社会批判理論の諸定義のなかに,その後の理論的展開の過程で次第に 「影をうすめてしまった諸傾向」を含んで、いると言える。あらゆる面から見て,マルクス の初期の諸規定は,『資本論』で円熟した社会理論への「準備的段階」を占めていたとい う限定をもっていることは否めない。初期マルクスの社会理論と『資本論』展開との断絶 を見るという場合における一般的な解釈は,「人間と自然との闘争の一般的形態」として のく労働〉の様式が,人間存在の全体を規定することによって,社会にその歴史的な基本 的タイプを与えるということから立論を置くところのく唯物史観〉,更には,それ以前の 諸著作の中にある諸規定・カテゴリーに科学的実証に耐ええないものを見ている。そして, そこでのマルクスの理論的作業の発展の告白として,「経済学批判Jの序説の公式化と, 経済学への課題を引き合いにだしてくる。つまり,ここでは,マルクスにおける理論的発 展が,青年へーゲル学派→フォイエルバッハとその克服→唯物史観の確立→科学的経済学 の確立と展開,というシェーマのもとに把握され整理されている。これではマルクスはそ の全体性において捉えられているようで,そうではないものがある。このことをまず体系 的にとりあげた最初の人は,おそらくマルクーゼである(『理性と革命』)。日本では梯明秀が部分的にそういう人と考える。 マルクーゼは,マルクスにおいて理論が「まさにその本質からして,全一的または全一 化的な社会理論Jであるとし,その出発点として唯物史観的命題を位置づけようとするこ とによって,マルクスの初期との断絶においてではなく,展開性において,その唯物史観 的命題にく新しい解釈〉を持ち込んだ。彼は,次のように言っている。「カントは,彼の 『純粋理性批判』の結論の近くで,人間性がのっぴきならない関心をもっ三つの問題点を 提議している。すなわち,く私は如何にして知りうるか〉,く私は何をなすべきか〉,く私は何を望みうるか〉。これらの問題とその解決の試みとは,実に哲学の真実の核心,つまり, 現実性喪失の只中にある人間の本質的な可能性に対する哲学的関心を含んでいる」。 マルクーゼによると,へーゲルはこの哲学的関心を彼の時代の歴史的な脈絡のなかに位 置づけたその結果,カントの問題が結局,現実の歴史的過程に帰着することを明らかにし た。人聞の認識・行為・願望は,合理的な社会を確立する方向に向けられたのである。マ ルクスは,この目標を妨げている具体的な諸力や諸傾向と,この目標達成を助成する具体的な諸力や諸傾向を論証するという作業に着手したことになる(p.357)。言い換えると, マルクスの理論は哲学を否定すると同様に,社会の客観的な現象を記述し組み立てるような科学とも,相容れない性格のものとなっている,と言いたいのである。マルクーゼによ れば,マルクスの理論の出発点をなす唯物論的な命題は,「第一に歴史的な事実を述べて, 全ての人間関係が統制きれない経済によって支配されている,現存の社会秩序の唯物論的 性格を暴きだしたものと言える。と同時に,マルクスの命題は,批判的な命題であり, く意識と社会的存在との聞の現存の関係〉が間違った関係であり,それが歴史的に克服さ れて初めて,く真実の関係〉が表れうると言うこと」を意味している(p.306)。だから, マルクスがく経済〉の分析に立ち向う時,彼はく経済〉とく人聞の類的本質(Gattungswesenもしくは Universelles W esen) >の関係としての問題を立てていることになる, とマルクーゼは言う(p.307)。それは,国民経済学が取扱ってきた範域を越えたところ の,いわゆる哲学的範域に関する問題として,彼マルクスのく全一的〉社会理論が出発す るということによって,初期の哲学的言語が『資本論』における経済学的カテゴリーによ る理論展開をみる, という見解である。 従来,初期マルクスと『資本論』のマルクスを連続的発展において見ょうとする場合 に,く唯物的〉社会(関係)としての資本制社会にたいする批判という観点はとりつつも, 労働と生産の主体としての人間と労働様式の歴史的規定において,きわめて論理的な展開 としての考察に限定されがちであった。だから,マルクスが,へーゲルにおいてすらも 「市民社会」にく理性の究極的実現〉を認めなかったところの,「一つの歴史的全体」とい う理論的なく場〉において,社会理論を発展きせているということの意味を,従来の多く のマルクス研究者は理解していない。 へーゲルにおいて,この「全体」とは,「理性の全体」,つまり「一つの完結した存在論 159 桂木健次 的体系Jのことであり,従って「世界形成における自己自身の譲渡」としてのく労働〉の 体系である弁証法的フ。ロセスは,「歴史が存在の形而上学的過程にそって働く,一つの普 遍的な存在論的過程」を意味していた,というマルクーゼの指摘は的を射ている(p. 350)。それに反して,マルクスの方は,存在論的基礎から切り離して,「一つの歴史的な 社会形成」として,く社会の全体〉を見ている。だから,マルクスの「哲学の否定」とし ての社会理論においては,(イ)く合理的な社会〉の理念追求というコミュニズム思想、と,(ロ) く労働の普遍性〉が社会組織の原理を構成するような,すなわち労働価値説が社会組織の 原理として社会の普遍性を主張しうるような,く歴史的全体としての社会〉への否定的な 関わりあいと,反面におけるあらゆる個体的な可能性の普遍的な充足を意味するような く一つの秩序〉でありく自由の王国〉であるコミュニズムの歴史的な必然性を主張する論理,こうした少なくとも三つの論理系が交差し絡みあっている。 従って,マルクスの分析した「国民経済学的諸事実」,例えば,労働の疎外,商品世界, 物神崇拝,剰余価値,資本,利潤,賃労働,搾取は,その根本的な諸関係において,国民経済学的な科学,客観的現象の記述と組成ではない。『資本論』は,社会理論もしくはポ リテイカル・エコノミーとして,資本制社会を告発する書でもある。こうして見ると,労 働者と労働の様式であるく疎外の論理過程〉一一それをマルクスはプロレタリア的人聞の 自己認識=自己確証の論理構造として,『経哲草稿』に粗デッサンしたーーが,『ドイツイ デオロギー』の中では更に展開されて,単にプロレタリア的人間主体との関連において捉えるのではなく,く歴史〉という時空の場において考察されてきていることに気がつく。 つまり,〈労働する諸個人〉の手を離れた生産物が経済的諸条件を構成している諸関係・社会関係としての交通形式によって規定きれていることを言おうとしていることの 主意がよく理解できる。


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