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サファヴィー朝とワイン1

 ブドウ品種シラーの話で話題に上がったシーラーズは、ペルシア文明の古地ファールスにあり、7世紀には都市として発展していた。いつからシーラーズがワインの著名な産地であったのかは定かではないが、サファヴィー朝期には名の知れたワインの生産地であった(ワインだけでなく、アヘンの有名な生産地なのだが、これについてはまた別に述べる)。ガフヴェハーネでも提供されたワインについて知るために、ここではお馴染みのRudi Mattheeの著書からサファヴィー朝期のワインについてみてみたい。

 非イスラーム教徒、つまりユダヤ教徒やキリスト教徒、ゾロアスター教徒によって作られていた。やはりムスリムが大っぴらに、イスラムの聖典コーランでも明確に禁止されている「ハムル(酒)」の代表である葡萄酒を作るのはまずかったのだろう。個人的にやはり気になるのは味である。Mattheeは17世紀にサファヴィー朝を旅し記録を残したフランスの宝石商人ジャン・シャルダンによる記述をもとに示している。またシャルダンはシーラーズの町も訪れ、街の全貌のスケッチも残している。彼によるとワインを飲むことは酔っぱらうことを目的としており、繊細さよりも強さと濃さが重要視されていた。また酔いやすくしたり、二日酔いになりにくいように植物の種を添加していたようである。ただし強さや濃さに関心があった一方で、当時のスペインのワインほどの強烈さはなかったようだ。

 余談だが、ワインの飲み方として、普通に杯に注いで飲むほかに、アヘンを混ぜて飲むというペルシア流の飲み方もあった。サファヴィー朝期にも後者のような飲み方がなされていたかはうるおぼえだが、この飲み方は古くからペルシアではあったようだ。10世紀に活躍したペルシアの哲学者・科学者・医師であったイブン・スィーナー(アヴィセンナ)の死因の一つとして、この飲み方によるオーバードーズだったと言われている。世界に名を轟かせ「近代医学の父」の呼び声も高い大学者の最後が薬物の過剰摂取であったとは皮肉なものである。

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(イブン・スィーナーが没したハマダーンの近年の街並み)

 本題に戻ればサファヴィー朝期のワインは、一般に社会のエリート層によって消費された。サファヴィー朝初期には、君主は軍の主力であったトルコ系遊牧民から注がれた酒杯をあけるということを儀礼的に執り行っていた。酒の強さが君主の美徳であり、なかでも初代君主であったシャー・イスマーイールは蟒蛇(うわばみ)であった。こうした「酒豪王」としての君主による儀礼的な飲酒方法は、軍事改革もあり時代が下るとともに薄れていった。

(つづく)

参考文献
Matthee, Rudi 2005. The Pursuit of Pleasure: Drugs and Stimulants in Iranian History, 1500-1900. Washington D. C.: Mega Publisher.

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