けんじ

イランついて勉強しています。noteには専門以外のことを中心に書いています。

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最近の記事

サファヴィー朝とワイン1

 ブドウ品種シラーの話で話題に上がったシーラーズは、ペルシア文明の古地ファールスにあり、7世紀には都市として発展していた。いつからシーラーズがワインの著名な産地であったのかは定かではないが、サファヴィー朝期には名の知れたワインの生産地であった(ワインだけでなく、アヘンの有名な生産地なのだが、これについてはまた別に述べる)。ガフヴェハーネでも提供されたワインについて知るために、ここではお馴染みのRudi Mattheeの著書からサファヴィー朝期のワインについてみてみたい。  

    • イラン社会とアルコール飲料

       ガージャール朝期のガフヴェハーネのなかには、アルコール飲料を提供するものもあったと以前に述べたが、サファヴィー朝期の特定の時代にもワインが提供されていた。1979年の革命を経たイランでは、アルコール飲料は「ご法度」だが、革命以前のイラン社会ではアルコール飲料の存在は当然のように存在していた。  太陽を意味するシャムスとよばれるビールを製造していたシャムス社や、ウォッカやブドウから作られる蒸留酒アラクなどを製造していたメイキャデ・ガズヴィーン社などが革命前にはあった。革命後

      • 紅茶(チャーイ)とコーヒー

         今日の老舗のガフヴェハーネで提供される紅茶(チャーイ)は、ロシア式に入れたものだ。サマーヴァル(サモワールの転訛)と呼ばれるタンク状の湯沸かしの上に紅茶の入ったポットを置いて蒸気で煮詰め、客にはグラスに煮詰まった紅茶をタンクの湯で割って提供する。グラスはインドのチャイグラスほどの大きさで、陶器のソーサーにのせて提供される。頼む際に、薄いチャーイが欲しければキャム・ランギー(「薄い色」の意)と、濃いチャーイが欲しければポル・ランギー(「濃い色」の意)というと濃さを調節してもら

        • コーヒーは苦い飲み物?

           イランにコーヒーがいつ頃伝わったのかという話はすでにしたが、その当時どのように飲んでいたのかということをまだ話していなかった。  中東でコーヒーのたて方というと、粉状にして煮だすことで知られているが、大きく二つの流儀に分かれる。一つ目はアラビア半島で見られるような、浅く煎った豆を用い、少し緑みがかったクリーム色をしたコーヒーである。コーヒーに加えて、カルダモンやクローブ、少し贅沢になるとサフランなどのスパイスなどを入れることもある。二つ目は、こちらも場合によってカルダモンな

        サファヴィー朝とワイン1

          2つの「ペプシ・コーラ」とイラン

           現代の若者向けのガフヴェハーネでは、水タバコと茶のほか、清涼飲料水も提供されるということを以前話した。清涼飲料水と一括りにしているものの、もちろん店によって品ぞろえは異なる。とはいえ、現代の世界を代表する清涼飲料水がコーラであるように、大抵のガフヴェハーネにはコーラがおかれている。飲食店で炭酸飲料の「黒(メシュキー)」と言えば、コーラが出てくるほど、コーラは今日では一般的な飲み物だ。  イランにおけるコーラの歴史は、世界のコーラ二大メーカーであるペプシ・コーラとコカ・コー

          2つの「ペプシ・コーラ」とイラン

          「たばこ」と専売制

           日本にハイライトやセブン・スターといった国産「たばこ」の銘柄があるように、イランにも国産「たばこ」の銘柄がいくつもある。独断と偏見でイランの代表的銘柄というと、ライトやウルトラライトといった風味の違いで様々なラインナップを揃えているだけなく、サイズも通常サイズだけでなく極小サイズもあるバフマンだろう。他にもティールだとか、ファルヴァルディーンだとかいった銘柄もある(今あげた銘柄は全部月名に由来しているが、必ず月名が銘柄名というわけではない。)。いずれにしろ共通しているのは、

          「たばこ」と専売制

          イランと「たばこ」

           近年のガフヴェハーネでは、水タバコを吸うことができるが、紙巻煙草(以下、「たばこ」)を吸うことは禁じられている。これは2007年12月に施行された「喫煙に対する制御と国民闘争のための包括的法律」、通称禁煙法によって、ホテルやレストランを含む公共空間での喫煙が禁じられたからだ。そして同法第7条によって規定されているタバコの提供許可制度によって、ガフヴェハーネの店主は水タバコの提供の許可証を取得するようになった。「たばこ」も水タバコもいずれも喫煙なのだから、一方が禁止で、他方が

          イランと「たばこ」

          日本の水タバコの記録とイラン(ペルシア)

           ガフヴェハーネで提供されるのは、水タバコと紅茶が基本というのは、以前に話した通りだ。水タバコは、日本でも中東料理のレストランで提供されてきたほか、シーシャバーといった専門店もでき、近年ではすっかり馴染み深く、手軽に吸えるようになった。水タバコが手軽に吸えるようになったのは近年のことだが、水タバコの記述自体は江戸時代にまで遡れる。  おそらく初出は、『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子で、医師であった大槻玄沢が編纂した『蔫録』という、タバコの研究書だろう。文化

          日本の水タバコの記録とイラン(ペルシア)

          イランのタバコと水タバコの歴史

           今日のオヤジたちが集う老舗ガフヴェハーネから水タバコを除いてしまうと、もはや紅茶専門店だ。しかも選択肢もない。つまり今日のガフヴェハーネと水タバコの存在は切り離せないが、イランでタバコや水タバコはいつ頃から利用されていたのだろう。  イランのガージャール朝の文物について英語で知りたければ、まずウィレム・フロアー(Willem Floor)先生に訊けとというのは、今やイラン研究者の初歩的な常識になっている(と私は思っている)。1942年にオランダのユトレヒトに生まれ、アカデ

          イランのタバコと水タバコの歴史

          ガフヴェハーネの歴史

           ガフヴェハーネの歴史については、イランについて知りたければまずこれを引けと言われる『イラン百科事典(Encyclopædia Iranica)』の「コーヒーハウス」の項目を読めば、大まかなことが分かる。  コーヒーの発見の起源については、9世紀のエチオピアのヤギ飼いのカルディ少年の逸話や、13世紀のイエメンのモカのイスラム神秘家ヌールッディーン・シャーズィリーの逸話であるとか、15世紀の同じくイエメンのアデンのジャマールッディーン・ザブハーニーの逸話であるとか、いくつかの

          ガフヴェハーネの歴史

          ガフヴェハーネという男の社交場

           イランにはガフヴェハーネと呼ばれる喫茶施設がある。イランに最初のガフヴェハーネが作られたのは16世紀のことだと言われており、イランの喫茶文化の伝統を物語る施設と言っていいだろう。ペルシア語でガフヴェはコーヒー、ハーネは家という意味なので、ガフヴェハーネは直訳すればコーヒーハウスである。渋いマスターがこだわりのコーヒーを提供するイラン風のレトロな喫茶店を想像するかもしれないが、今日のガフヴェハーネでコーヒーが提供されることはまずない。提供されるのは、コーヒーではなく、水タバコ

          ガフヴェハーネという男の社交場