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ガフヴェハーネという男の社交場

 イランにはガフヴェハーネと呼ばれる喫茶施設がある。イランに最初のガフヴェハーネが作られたのは16世紀のことだと言われており、イランの喫茶文化の伝統を物語る施設と言っていいだろう。ペルシア語でガフヴェはコーヒー、ハーネは家という意味なので、ガフヴェハーネは直訳すればコーヒーハウスである。渋いマスターがこだわりのコーヒーを提供するイラン風のレトロな喫茶店を想像するかもしれないが、今日のガフヴェハーネでコーヒーが提供されることはまずない。提供されるのは、コーヒーではなく、水タバコと紅茶が基本だ。また、どこのガフヴェハーネも成人の男性しか入店できない。女性が入店しようとすると、大抵の場所では断られる。ガフヴェハーネは男たちの社交場なのだ。

 私が最初に訪れたガフヴェハーネは、若者向けのガフヴェハーネだった。カーテンショップを営む20代の青年アリーに連れられて、彼の馴染みのガフヴェハーネに連れて行ってもらった。店内はグループごとに木の枠とクッションで区切られた小座敷に座るかたちで、床には絨毯が敷かれていた。空いている小座敷に座ると、アリーが水タバコのフレーバーと飲み物について尋ねてきたので、オレンジのフレーバーと紅茶を頼んだ。店には店内の他の客とアリーは顔なじみであり、私のことを紹介しながら店員に注文をしてくれた。水タバコと紅茶が運ばれ、店員からは別々に吸う際につかうマウスピースが渡された。交互に水タバコのパイプを渡して吸いながら話しているうちに、紅茶を飲みほすと、アリーは次に何を飲むのかと尋ねてきた。紅茶以外に何があるのか尋ねると、コーラやオレンジジュースなどがあったがコーヒーはなかった。結局、また紅茶を飲むことにした。
 店員も、また店内の客もアリーの馴染みということもあり、初めて訪れた店であったが居心地はよかった。一般的に若者向けのガフヴェハーネは、友人たちと卑猥な下ネタを交えながら下世話な話をざっくばらんに語らい会う場所である。なかには度が過ぎた悪ふざけをする者もいる場合もあるが、和気あいあいとした雰囲気である。旅行者がいきなり訪れても、十分に楽しめるだろう。ところが、後日一人で老舗のガフヴェハーネに行ったときは、しばらくして後悔した。非常に場違いな雰囲気を感じ、居心地も悪かったからだ。

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 一人で飛び込んだ老舗のガフヴェハーネは、大通りに面しており、いつも前を通りかかるたびに気になっていた店だった。縦長の狭い店内は両方の壁が椅子になっており、その前に長いテーブルが置かれ、中央を店員が行き来できるようになっていた。店を入ってすぐ左手に店主の60代ぐらいのオヤジが座っており、彼に注文をするという形になっていた。オレンジフレーバーの水タバコが欲しいと頼むと、そんなものはここにはないと素っ気なく言われ、シーラーズかタブリーズならあると言われた。シーラーズもタブリーズもイランの地名であり、老舗のガフヴェハーネに行ったことがなかったのでよくわからなかったが、とりあえずシーラーズと紅茶を頼んだ。オヤジは大声で給仕係の店員に、注文を読みあげた。
 オヤジはあそこに座れとばかりに空いている席をあごでさしたので、私はそこに座ることにした。店内には私と同じように一人で来店し、目の前のテーブルに置かれた水タバコを静かに吸っている客が多かった。とはいえ、みな顔なじみであるようで、時折挨拶を静かにかわしていた。なかには知人と連れ立ってきている客もいたが、静かに会話をしていた。
 しばらくすると水タバコが運ばれ、前のテーブルに置かれた。シーラーズとは何なのだろうかと思っていたが、吸ってすぐに葉タバコを糖蜜で固めただけのものだということが分かった。味はまさにタバコを水のフィルターを通したものといった具合で、ニコチンも強く、すぐにがつんと脳が揺さぶられた。いつも水タバコを吸い終わるまでに30分ぐらいゆったりとするのだが、10分もしないうちにもう十分だった。何より雰囲気がどんよりとしていた。人生の疲れがその空間には漂っているようだった。
 若者向けのガフヴェハーネと老舗のガフヴェハーネでは、全く雰囲気が異なっていた。それはガフヴェハーネが男性の社交場であるものの、時代に応じて変化していることを示唆しているようだった。400年以上前からイランにあると言われるガフヴェハーネは、今日までどのように変化してきたのだろうか。

(つづく)

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