「たばこ」と専売制

 日本にハイライトやセブン・スターといった国産「たばこ」の銘柄があるように、イランにも国産「たばこ」の銘柄がいくつもある。独断と偏見でイランの代表的銘柄というと、ライトやウルトラライトといった風味の違いで様々なラインナップを揃えているだけなく、サイズも通常サイズだけでなく極小サイズもあるバフマンだろう。他にもティールだとか、ファルヴァルディーンだとかいった銘柄もある(今あげた銘柄は全部月名に由来しているが、必ず月名が銘柄名というわけではない。)。いずれにしろ共通しているのは、外国産のたばこに比して非常に安価だということだ。「たばこ」を吸わなくなって久しい私だが、2015年以前に喫煙していた時には、上記の銘柄も吸っていた。値段の変動はあったものの、平均して20本入りのバフマンのノーマルが約20円ぐらいだった。
 道端の売店では1箱だけでなく、「たばこ」を1本から買うことができ、値段も良心的に1箱を1本あたりで割った値段と手軽に手に入った(とはいえ、最安の「たばこ」である極小サイズのバフマン(1箱約7円)はさすがに1本単位では売ってくれないらしい)。1本で買っても、1箱で買っても1本あたりの値段が変わらないのは、タバコの生産、流通、販売に関して専売制がとられているからであり、販売者が勝手に「たばこ」の値段を変えることができないからだ。

 タバコの専売制は近代の多くの国家によって採用されている制度である。もちろん目的はタバコの販売を通じた税収のためだ。日本では明治時代から葉タバコの生産、外国産の輸入も含めた葉タバコの管理一般、「たばこ」の生産、「たばこ」の販売といったように段階的にタバコの専売をめぐる範囲が拡大されて、専売制が運用されてきた。
 イランの場合も1915年以降、段階的にタバコの専売をめぐる範囲が拡大されていった。輸出入のみならず、製造、販売、輸送に至る全工程での専売制がとられるようになったのは、1929年に議会で承認されて以降のことだ。ただし日本では専売公社時代も含め専売制は大蔵省の専売局によって担われたが、イランの場合には財務省だけでなく他の省庁にも段階的に移されていった。たとえば、「たばこ」の製造に関しては、1958年に「農業省」に移され、革命後には産業省に移されている。

 日本では1904年のタバコの生産にまで及ぶ専売制がとられるようになったあとに、「たばこ」の生産も民間の工場を買い上げた専売局の工場が担った。一方、イランの場合には完全な専売制が1929年に施行されたあと、どのように「たばこ」の製造を行っていたのか、今の私にはよくわからない。この点は課題として調べておきたい。ただ1937年にテヘランに国営企業として「イラン・タバコ会社」が設立されたことははっきりしている。そしてこの会社が革命後も存続し、上述のバフマンなどの国産「たばこ」銘柄を生産してきた。

 なおイランに初めて訪れた2002年には、衝撃を受けたのは少年が「たばこ」を吸う姿だった。というのも、当時喫煙年齢に関する法律がなかったからで、当時の『地球の歩き方』にも喫煙年齢に関しては定められていないと書かれていた。なお先述した「禁煙法」によって、18歳未満への「たばこ」の供給が禁じられており、喫煙年齢は実質的に18歳以上になっている。

つづく

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