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批判的思考が低い上司に、部下の批判的思考を育むことはできない

  News Week の最新記事から『批判的思考が低い日本の教師に、批判的思考を育む授業はできない』。

  教職課程の学生が、年次が上がると授業の技術に加えトラブルへの対処や保護者との付き合い方など実践的な学びに偏り、社会問題などへの関心が薄れてしまう、というデータをもとに、教員として巣立つ時点で批判的思考を失っているという問題を指摘する記事です。

    OECDの統計からも、日本の教員が諸外国の教員に比べて「生徒に批判的思考を促す」とする割合が著しく低いことが判ります。

    記事は、学生の間に批判的思考を退化させている教員に、生徒の批判的思考を養うことはできない、としています。

  私は、この批判的思考の『批判』という語感に大いなる誤解があるのではないかと思います。ムラ社会で、ムラから出ることが“死”に直結する日本では、批判すること、それ以上に批判されることに大きな精神的障壁があるのではないでしょうか。

  しかし、批判的思考は、議論や思考を深め、また真実を深く探求するために欠かせないプロセスであり、一つの手段です。(批判的思考は批判ではない)

   “批判”という耳障りの悪い言葉を別の言葉に置き換えて、議論すること、論理的に検証することの訓練を一つのカリキュラムにしてはどうでしょうか。

   教育プログラムを変えるのは難しくても、「企業」に置き換えてみると検討の価値はあると思います。

    そう考えてタイトルを少し言い換えてみます。

『批判的思考が低い上司に、批判的思考を育む指導はできない』

   こう言われると、部下の成長を著しく妨げているのでは、と反省したくなります。

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