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現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【1】宣言なき宣言文が現代を切り拓く

建築界のこの底知れぬ閉塞感と、夢のなさを肌身で実感する平成生まれの
20代建築家が、それでも建築に希望を見いだす術を模索した痕跡。

*『建築ジャーナル』2019年3月号からの転載です。

第一回  宣言なき宣言文が現代を切り拓く

著者・若林拓哉  

――私は建築を愛し、建築家を嫌悪する。

ここで言う「建築家」とは、あくまで1960〜70年代以降の「後期近代」と
呼ばれる時代❖1の、現在的な建築家のことである。従来の建築家の試みに対して極めて単純化すれば、彼らの建築はいわば“建築のための建築”であり、“目的化された建築”である。このトートロジカルな現況はひとえに

切実さの欠落

に起因すると考えられる。社会に対する建築の必然性を見いだせなくなった建築家たちが、建築をつくる意義を捏造し続けているのではないだろうか。いかに建築をつくるかばかりに気を取られ、なぜ建築をつくるのか、建築によって何を実現したいのかは一向に問われない。もちろん、この還元に対する反論は大いに在り得るだろう。だが、その無意味さは、昨今の社会における建築家のプライオリティの低さや知名度のなさに端的に発現されている。建築家の社会との断絶が、社会からの認識によって逆照射されている。
 平成の時代に生まれ、これまで建築界が日の目を見た状況を一度も体感したことがない私にとって、この建築界に蔓延する閉塞感こそが、切実に解決すべき課題である。建築を志して大学に入って以来、建築の虜になった。世界中の建築に触れ、感動し、そんな建築を日本で建てたいと感じた。しかし現実はどうだろう。手の届く現実しか語られず、本質的課題からは目を逸らし、自身が生き延びるために建築を弄び、意欲ある若者のやり甲斐を搾取
し、社会から逸脱していく。私が社会人として飛び立つまさにその時、そこに理想とする建築家の姿はなかった。仕方なく、私は彼らが生きる社会も、建築家も、選ばないという選択肢を取った。それから現在まで、フリーランス兼設計事務所協同というかたちを取っている。どうしても、現在の建築家が歩んできた足跡をなぞる気にはなれなかった。建築家が社会に歓迎される日に向けて、私が先陣を切ろう。

この社会

というのも、あくまで人間がつくり出した虚構でしかない。それはある特定の領域内における共同主観のひとつだからだ。社会とは、社会という虚構を信じる者たちのネットワークによってのみ成り立っている❖2。70年代において、“その社会が建築をつくる”とは林昌二のあまりにも有名なテーゼであるが、加速する資本主義経済のもと、持つ者がつくり出した虚構の近代社会は脆くも崩れつつある。その虚構に対してつくられた建築もまた、砂上の楼閣なのではないか。かつて建築が拠り所にしていた社会とは、実のところ本来的には大多数を構成しているはずの大衆を相手にしない、ある種のエリート主義的なものであった。
 そのカウンターとして、3.11以後により拍車がかかったが、昨今は情報を多種多様なまま、個別具体的に解答を出す時代へと向かっている。生存戦略のひとつとして選択された地方での活動は、地域主義的である一方、批判性の欠如したあまりにベタなリアリズムの反映として立ち現れることも少なくない。それら「漸進主義Gradualism」としての建築❖3はエリート主義的な建築とは別の社会を相手にすることを可能にしたが、その社会もまた限定的な対象であるという意味では同一である。一方で、“建築が社会をつくる”という立場もある。建築によって社会を再定義し得るという「急進主義Radicalism」としてのスタンスだ。ここで重要になるのが、

その社会に対する射程

である。これまで述べてきたように、ひとえに社会といっても、その意味内容は極めて文脈依存的だ。つまり、建築家がまだ見ぬ社会のために建築をつくることが可能なのであれば、その社会がいかなるものか、という想像力こそが問われていると言えよう。
 この先行きの見えぬ陰鬱とした日本建築界の惨状を打開する一つの指針として、

建築家が「大衆の社会」へと連関し、影響力を持つためのステートメント

を提示する必要性を問いたい。ここであえて「大衆の社会」としたのは、より没個性的で匿名的な集団を想定すべきであるという意思表示である。大衆こそが現代社会の大多数を構成していると考えるならば、彼らと共有可能なステートメントでなければ無意味だ。後に「メディア・モンスター」と称される黒川紀章は、日本建築史上、最も世間を賑わせ、大衆に愛された建築家と言えるだろう❖4。しかしその独尊的ヒーローは、冷笑とともに建築界から忘れ去られてしまってはいないだろうか。 

 20世紀初頭、イタリアの詩人フィリッポ・マリネッティは、その荒々しくも美しい革命的思想「未来派宣言」を高らかに謳った。その影響は、良きにつけ悪しきにつけ、イタリア芸術界に留まらず広範に波及していった。だが、アヴァンギャルドであれば影響が波及するかというと、それは必要条件かもしれないが、十分条件たり得ない。その理由は昨今の音楽市場を俯瞰すれば一目瞭然であろう。それよりも、そのステートメントが芸術家以外にも共有可能であったことにこそ価値がある。例えば、日本建築界では1920年に日本初の近代建築運動として、東大卒業生の石本喜久治、山田守、堀口捨己、滝沢真弓、矢田茂、森田慶一ら6人が「分離派建築会」を発足し、「我々は起つ」で始まる勇ましい宣言文を掲げたが ❖5、そのモチベーションは建築界における反・構造派としてのそれであり、建築界自体の自閉的枠組みを打破するものではなかった(むしろ、そのようなステートメントがかつて日本建築界に存在しただろうか?)。
 一方で、アンチとしての宣言は必ず短命に終わってきた。その「左派vs右派」の二項対立的構図を取り続ける限り、このテーマは永遠に再生産されるだろう。なぜなら、近代以降の社会はそれほどまでに健忘症的だからである。加速度的に成長スピードを高めてきた近代社会は、反省として立ち現れた思考を即座に忘れ去ってしまうほどに、愚鈍になっている。それは建築と社会の間の関係性にも通底する難題である。われわれはもはや、否定を繰り返す世の中に辟易してはいないか。それでは、その愚かさすら認めよう。過去を受け容れ、

別様な仕方を〈思索speculate〉

しなければならない❖6。
    建築は建築家がつくるものであるとするならば、ステートメントは建築のためではなく、建築家のために掲げるべきである。およそ建築家の思想を全く反映した純粋芸術としての建築は成立し得ない。建築は成立過程で他者の介入を一切免れ得ないのだから。仮に独力で建設したとしても、法的・社会的外力は依然として存在してしまう。これは逆説的に言って、建築家の思想とは別に、愛される建築は成立し得ることを意味している。建築家から建築へという不可逆的プロセスの間で、否が応でも社会性を帯びてしまうのだ。要するに、建築に罪はないのである。罰せられるべきは建築家だ。

 以上の論点を整理すれば、「建築家における、建築をつくる切実さの欠如」に対して、われわれは「大衆の社会へと連関し、影響力を持つステートメント」を「二項対立的ではない、〈思索的なspeculative〉可能性」として提示する必要があると言える。その前提条件を踏まえて、これからはそのステートメントを思案しよう。

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