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それでもあなたの選びがどうか

地元大学が目と鼻の先、学生街にある我が家の近くには私の行きつけのそば屋がある。
そこは天ぷらとざるそばがセットになった所謂「天ざる」が人気で、いつものようにガラリと年季の入った音を立てる戸を引くと天ざるを嗜む客で今日も賑わっている。

だが私はというともっぱらカレーライスだ。

友人と来ると毎度決まって「ここに来たなら天ざるが正義」と言われるのだが、それでもなお私はこの出汁の効いたカレーライスを楽しみに食べるのである。
さて、店員が来るまでの間、店に似つかわしくない海外製液晶を見上げると
「問題を起こした芸能人に対する誹謗中傷でSNS炎上」というニュースが流れている。
最近の…というと「昔のなにを知っているのか」とこれまた炎上しそうな月並みな言葉しかないが、最近の人たちはちょっとした機会によって意見が変わりやすいようにも見える。
「この人がいうからそう思う」とか
「この人がいうならそうなんだろう」
とか同調的なフワフワ感が否めない。
急激に発展した情報化社会の中で一人一人が声を上げられる時代「個人尊重の改革元年」が令和だと私は思う。
そしてこの流れに発言の自由と責任を感じ、とても感銘を受けるのである。
その反面、声のマジョリティやマイノリティによる誹謗中傷合戦も頻繁化し、個人尊重という光の下に多様性を認めない軽薄な暗い人間関係の闇も浮き彫りになったのではないだろうか。
前述のニュースで言えば問題を起こした者の責任追及は重要だが、それ以上に自分の責任を全うし得る自由を掲げ、一人一人が揺るがない「信念」を根源とした発言を交わし認めあう。
これこそ真の個人の尊重になり得るとしみじみ考えるのである。
そんな事を思いながらふとメニューの「天ざる」の文字を見ると私も「どこか意地になってるだけではないのか」などと、「天ざる」というマジョリティを受け入れようとも思えてくる。
なにやら文字のゲシュタルト崩壊も進む、天ざるは久しく食べていない。
いやそれでもなお、遅れて来た店員にかける言葉は
「カレーライスひとつ!」
今度は私が友人にカレーライスが正義と勧める番かもしれない。

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