90年代柔道部レポート3 時限爆弾を抱える業界

過去の告発が起きたら非常に危うい業界

2012年のロンドン五輪の後、日本の柔道の指導者達のパワハラ問題、並びにそれを容認する腐敗した体制が明るみに出た。90年代では暗黙の了解だった事をそのままやっていて、世界の基準からすると<メチャクチャ問題だらけ>である事を自覚できるような自浄能力は柔道業界には無かったのだ。正確には、90年代でも体罰がいけないという事は常識になっていた。にも関わらず、武道の「シゴキ」というにもちょっとやりすぎな蛮行がまかり通っていたのは今考えると非常に不思議に思う。だがもしかしたらこういう事の全ては、ある意味で文化の違い、言い換えれば<柔道からJudoへの意識の転換の途上期>であったが故の事と言えるのかもしれない。

近年は<キャンセルカルチャー>と言って、主に欧米のSNSから突如として過去の告発が次々と噴出してくるような風潮がある(BLM運動、Me too運動のようなハッシュタグ政治運動)。過去の告発と言ってもどれほど遡って断罪する事が出来るのかは分からない。だが最近、ちょうど当時と同じぐらいの時代の、とある雑誌記事の内容が問題になってある著名人がオリンピック関連の仕事から直前でおろされたりしている。一昔前に何故かお咎めなしだった悪事がこのように浮き彫りになるのは当然だと思う(個人的にこの一件に関しては当該人は完全なクロだと感じる)が、これは同時に冤罪や誤解の類のリスクも上がっているのだ。

根性という概念を禁止されたらどんな教育理念が残るのだろう

「いやぁ〜、お前らの代なんて全然マシだぜ!?俺らの頃なんてもっと厳しくて殴られまくって……etc」
という事を先生や先輩どもはどこでも必ず後輩に言って聞かせていた。こういう類のマウンティングは何千年も前から行われていた事がとある遺跡の壁の落書きで証明されている。「自分よりお前らは恵まれている」とでも言いたげな、やっかみを孕んだ下らないフレーズだと思う。というより、他人同士で辛さ比べなど意味がない。月に1回殴られるも半年に1回殴られるも嫌に決まってる。にも関わらず、そういう理不尽に耐えうる能力こそが<根性>だという見方をする人もいる。なので「俺らの代はナァ」的な事を言う時に、
「頻度の軽い被害者は文句を言うな」
とでも言いたげな圧力が働いて負の循環が起きる(しかもそこに先輩後輩と言う結社の契り的なものも加わる)。多分、日本のスポーツ競技者は「根性ないなー」と言うフレーズに弱かった。これは俺にとっても完全な<ガード不能技>的フレーズであった。
正直に言うと当時から俺は<根性>という概念に非常に胡散臭いものを感じており、そういうフレーズをやたらと口にしてくる人間が今でも好きではない。だから俺は多分そういう人から見たらメチャクチャ根性なしだ。しかし、そもそも正にその<根性>というやつを柔道を通して教えているつもりの先生ばかりだったので、その土俵に乗らないなら去らなければならない場合が多かった。流石に理不尽ではないのか、と思う事があってやめようと思っても背中越しに「おーい!根性ねーなー!」と言われると、例えばその人が根性なんてものに執着が無かったとしても戻らざるを得ないリングにもう引き込まれている。根性が欲しいわけではないのだが、その後の学校生活で先生や先輩方から嘲笑を受け続けるのは面倒だ。人に微笑われるのが嫌で戻るというのは、見方によっては非常に他人の目を気にした根性なしの行動のようにも見えるのだが、少なくともこれは戻る方が根性があるとされる。ちょっとこれは全体主義っぽい教育だし、社会でそういうものが必要とされる風潮はどんどん減っていっている。内実はどうあれ、理不尽をも飲み込んで結果を出す。勝負の世界はそういうものだと現役の人に言われればそれまでだが、ちょっとこの辺の事は意識しておかないと今後、JUDOの指導者は大変なリスクを負ってしまう日が来るかもしれないと真面目に思う。
「理不尽に耐える訓練をしているのだから理不尽の再現をしてあげている。」という、言ってみれば可愛い子を崖に突き落として鍛える的な発想は、古代ギリシャでスパルタという国が行っていたそれと全く一緒であり、基本的に現代の欧米社会ではやってはいけないものとされている。これはまさに武道が本来は古来の時代の発想のものであるので現代の西洋的な風潮と相容れないのは当然だ。ただ、基本的に柔道は初めからスポーツとして広く普及させる事を見越して柔術から分派している。なので、世界に広く Judoが普及した今、大会に出て結果を出すために柔道に携わっている人間は武道ではなくスポーツとしての環境を作らざるを得ない時代なのだと思う。日本の教育のシステム自体がそうなのだが、特にスポーツの世界にはまだまだ軍国主義的だと見られる要素が沢山ある。日本の武道には鍛錬や苦行の文化があるが、それが現代においてオリンピックなどの国際舞台を目指すスポーツなのであれば「ハラスメント」というフォルダ行きと紙一重なのだ。特に年功序列に任せた強い主従関係のようなものは軍事ファシストっぽくて毛嫌いされる風潮があるなと自分が住むフランスでは強く感じる。でもそのフランスの方が柔道人口がずっと日本より多いのだ(遂には2021年の東京五輪の団体戦でフランスは金メダルを獲った)。日本のオリンピックでの成績は素晴らしいままだが、競技者人口の面では既にマジョリティではない。これは、ある意味で西洋民主主義的な環境作りの義務が既に課せられている事を意味しているようにも見える。

黒の中の黒と白

身長150センチ未満の部員を「未熟児軍団」と呼んでいた先生がいた。とあるリゾートの町にある居丈高(いたけだか)中学校の剛田(ごうだ)先生という人だ。拳で顔面ありの指導で俺と同じ代の全国出場チームを輩出はしたが、案の定というか数年後に一般人相手に暴力事件を起こして追放になった。生徒に結果は残せたが、大人になってから結婚式などには殆ど呼ばれる事もないらしい。当時、俺たちの代の西中はこの居丈高中が主な練習相手で毎週のように一緒に練習をしていた。明らかな暴力行為(拳で殴る、参ったしている生徒を締め落とす)を伴った指導はその当時としても明らかにブラックの中のブラックであった。中学生としては非常に拘束時間の長い部活動で生徒達は精神的、肉体的に疲弊しているものが多く、西中の生徒との練習後の触れ合いに細やかな癒しを求めていると見れるものもいた。皆、大会前になると20人以上いる生徒達はお揃いの五輪狩りになっていて、言い方は非常に悪いが、時々まるで全員が孤児のように見える時があった。柔道の指導としては錦山先生曰く

「あんな成長期に筋肉ばっかりつけさせてガチャガチャとややっこしく組み手争いばっかりやらせて、見た目が汚い柔道だな。まぁ今勝てりゃいいんでしょ。」

という事であったが、それでも団体個人共に全国大会出場選手を出していた。その為、感謝している世代はしていたのもあってか、告発する人間は出てくる事がなかった(女子生徒の顔面平手も感謝されたのだろうか)。

その当時でも教育としてはブラックであったはずの事が問題として表面に出てこなかったのは大まかにいって「報復やリスクを恐れた」パターンと「結果的に感謝している」からの2種類のパターンがある。少なくとも我々の西中の指導者であった錦山先生という人は恐らく後者にあたる。剛田先生は結果は出したが、前者の要素もだいぶあるタイプだったのではないかと思う(いくつかそういう声を聞いた)。指導者の場合、要は恨みを買ってしまったら告発されるという事な気はするが、錦山先生はそう言ったリスクはあまりなさそうに思える理由はなんなのだろう。


錦山先生という人

当時我々の西中の指導者であった錦山先生(当時アラフォー)という人物について紹介しよう。
・身長は160ぐらいの小柄。大学で軽量級個人全国3位。
・時として理不尽な厳しさがあったが指導力は本物。
・知能派、戦略家の指導者。生徒の進路が絡むと政治的な立ち回りをする。
・クラシックな技術から最先端の技術まで相手のレベルに合わせて提供出来る引き出しがある。
・この先生に教わった中学生は打ち込みと投げ込みがとても綺麗になる。
・パチンコ好き。これの結果に機嫌が左右されているとの噂があった。
・暴力はたまにあった(蹴りと頭はたき、一応顔は無し)。が、言葉の冷徹なる暴力の方が中学生にはさらに強力な武器だった。
・何故か大病院の医師を信用しておらず、怪我をした生徒をまず病院ではなくて接骨院に行かせようとする。
・問題児や不登校児とコミュニケートするのが上手く、今で言うとソーシャルワーカーのような事を毎年請け負っている(この道で出世した)。
・なんだかんだで受け持った生徒の多くから結婚式に招待されている。でも下戸なので本人は絶対に飲まないで金だけ多めに置いて一足早く去る。
・本人なりに生徒の為と判断した場合は一般ルールのスレスレの事をやったりする。
・遠征や大会の際に結構な自腹を切っていたようだが、そういった事で人に恩を着せるような素振りは全くなかった。金銭的な部分でも非常に黒い事をしていた指導者もいた中、そこはホワイト。
・逆にいうと本人の労働環境はブラック過ぎだ。

結果、あまり恨まれていない。むしろ大人になっても生徒と関係良好

当時の強い運動部の指導者の指導法の特徴をこのように箇条書きにした場合、自分が知る限りほぼ全てに体罰やパワハラの項目は入ってくるのではないかと思う。
学校の先生であるはずなのだが、ほとんどが現在の感覚で見た時に<漆黒の漆塗りジェットブラック>ぐらいに真っ黒な教え方がメインストリームだった。まだブラック〜のような言葉が出てくる前だったのでそういう概念がなかったと言いたいところだが、時として明らかに道徳感の欠如した指導者の行いが野放しにされていたのも事実だ。これは、極度の閉鎖的なコミュニティであったが故であり、ロンドン五輪のあたりで柔道部界隈の暴力問題が社会の明るみに出る前の話だ。そんなある種「ブラックじゃないと勝てない主義」の中において、錦山先生という人間もブラック項目は持ちつつもマシな方であったと言える。これは、暴力の頻度が相対的に少なめだったとかそういう部分よりも、結局は「その人なりの真心」が大方の人に認められているという情緒的判断に委ねられている。しかしそれは当時の、<極度に閉鎖された環境>においてのみ成立し得たもので、令和の現代においては「非常に危ういリスク」を孕んでいる前提だったなぁと感じる。だが、大人になった生徒と錦山先生の関係を見る限り、恐らくそう言うリスクはあまりなさそうに見えるし、自分も感謝をしている。

実は、俺は中学校の時にこの先生にムカつきまくってチェゲバラよろしくのボイコット騒動を起こした事がある(当時としては珍しい事だったと思う)。全て仮名にしているので、次回は中学校の時の自分が見た錦山先生との事を書いてみる。


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