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還暦を過ぎて思う

この3月に還暦を迎え半年が過ぎました。

ここまでの自分の人生を振り返ってみると、ここに至るまで「こうなりたい」という明確な目標を持つことなく過ごしてきたように思います。

その結果として現在に至るわけですが、これといった目標を持たずともなんとかなってきた。とりあえずここまでは。
しかし、ここから先の人生はどうなんだろう。
などと思うわけです。

それまでは、自分の人生の目標など考えたこともなく、無自覚に生きていました。無自覚というより考える暇がなかったというのが正確かもしれません。それだけ周囲から求められることがあって、それにおっつけていくことにせいいっぱいだったということだったのだろうと思います。それは必ずしも悲しいとか苦しいといった感覚はなく、少なくとも退屈ではなかったと思います。

定年となって仕事の第一線を退いてみますと、現役時代の仕事量を100とすれば、いまは20か30ぐらいの感覚です。 年寄りが出しゃばるよりも、これから将来を担う人たちに仕事はまかせて、自分はサポートに回る立場であるべきなんだろうと思います。

しかし頭でそれを理解していても、なにか物足りない感覚があります。
会社に所属していれば、会社が目指すべきところを与えてくれます。
企業理念の実現。中期計画の実現。年度、半期、四半期、月次の売上利益予算の達成。こうした与えられた課題の実現に没頭することで、自分の時間は消費されていきます。退屈や疑問など感じる暇もありません。

その代わりそれなりの経済的なリターンもあり、家族とともに不自由なく暮らしていけるだけの糧はありました。しかし、そうした「与えられた課題」がなくなった時点で、さあこの先、自分ははなにをすれば良いのだろうかということに向き合うことになったのです。

改めて考えてみると、これまで自分の意思で目指すものを考えたことがありませんでした。やりたいと思ったことがない。というよりも、なにかをやりたい、実現したいという気持ちに蓋をしてきたために、気づいてなかったのかも知れません。
会社の存続のために尽力してきましたが、自分が頑張らなくともよいという立場になったときに、さあどうしようかとなるわけです。
これまで順風満帆な人生だったというわけではありません(そのあたりのエピソードは別途書こうと思っていますが)でしたが、本当にありがたいことに、これといった努力もしないまま、不自由なく生活できていることは本当に幸運であったと思います。
しかしこの生き方にはおそらく再現性がありません。再現性のない幸運をまぐれといいます。ここまではまぐれの人生であったけれども、この先同じまぐれが続くかどうかはわからない。このままでは行き詰まるかもしれないという漠然とした不安がありました。

このようなことに気づいたのは、実はわりと最近のことで、そこから自分がどうありたいかを考えて試行錯誤してきました。
「還暦過ぎてこれからですか?」と笑われるかもしれませんが、人生100年時代だとすれば、あと40年生きていくわけです。日本人男性の平均寿命だったとしても、あと20年以上あります。
決して長くはないかもしれませんが短くもないこの先の時間は、自分で舵をとって生きていきたいと思っています。
そのために自分がどうありたいかを考える。
ありたい自分であるために何をどうするのか考える。

そんな日々を過ごしていこうかと思う昨今です。


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