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08. I'm Private Army

「ノートと交流証名簿をありがとう! 白河君、お姫様を救いに行かないかい?」

お昼休みのとても気分の良いデートのせいか妙なテンションで白河君に話し掛けるとあまりの元気の良さと突然の意味不明なお誘いにびっくりする白河君。

少しだけ気合を入れ直しすぎたようだ。

「お姫様? 一体誰のことでござるか? 午後の授業はずっと居眠りしっぱなしだったでござるな。佐々木氏は髭面の水道管工事野郎にでもなったつもりでござるか?」

「うむ。1-β、水恩寺莉裏香と接触したいでござる。また魔術科棟への冒険の旅にお付き合い願いたいでござる」

白河君は呆れた顔をしながらも笑みが溢れているのできっとこの冒険を楽しみにしてくれているのだろう。

お昼休みの不思議な世界へのデートは此処とは違う世界の違う時間軸だったらしく、短い冒険のつもりがぐったりと身体中に重くのしかかるほどに疲れが溜まっていたけれど、ゆるゆるの授業を聞きながら惰眠を貪ってすっかり元気を取り戻してしまった。

芹沢さんも同じく疲れてしまったらしく酷く眠そうな顔で授業が終わると寝ぼけ眼で目をこすりながら帰宅してしまった。

今日は一日芹沢さんオンパレード、きっと未だ誰も見たことがない芹沢さんを十二分に堪能出来たような気がする。

「仕方ないでござるな! ではさっそく梶川に交流証を交渉するデござる」

いつもと変わらぬ白河君にすっかりというより二度も死の淵から帰還しているという事実がちょっとだけ馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

鞄を持って携帯電話を忘れずポケットに入れ、職員棟へ向かう。

「ターゲット確認」

「引き続き対象の」

「尾行を続けちゃうよ!」

普通棟のコの字型に曲がりくねった角付近で黒髪ストレート、茶髪のうねうねパーイオ団子頭の青いチェックのスカートの生徒が三人、佐々木和人と白河稔の姿を尾行している。

まるで誰かが仕組んだように静かに歯車が回り始める音がした。

まるで一分の乱れもないようにして。

ピピッ。

『予定通り先回りを頼む。その方が彼らの為だ』

「──りょうかい!──」

交流証をぴらぴらとなびかせながら、白河君に頭の中でずっと聞こえてくるスサノオの独り言を悟られないように左手を握る。

なんだ、こいつ、ただの寂しがり屋なのか?

「白河君。左手が疼くのだ。ぼくはもうこいつを抑えつけるのが限界かもしれない」

「佐々木氏の忌呪帯法が不完全だから黒龍が暴れているデござるな。日課を忘れているわけではござらぬか」

「ふむ。敬うでござる。白河二等兵の殊勲に敬礼でござる」

と下らない話でしながら魔術科棟へ歩いて結界へと向かう。

もはや二度目、慣れた手つきで結界を打ち消す動作、白河君はかめはめ波まで習得したようだ。

「まさかチャオズの分際でかめはめ波とはおぬしやりおるな、でござる」

すんなりと魔術科棟に侵入。まずは1-βまで真っ直ぐに向かう。

魔術科と普通科は変動時間割制を取り入れている為、授業終了時間に二時間ほど差が出来る。

普通科と魔術科では授業の始業時間と終業時間に二コマ分の差が作られていて、その為に、もちろん登校時間と帰校時間に差が出来ている。

魔術科は夜の魔法使用及び習得に特別課外授業の手間を省く為なのではと白河くんは推測しているけれど、真偽のほどは定かではない。

魔術科のことは授業内容も含めて基本的には部外秘とされてしまっている。

年齢以上に威厳がありすぎる理事長や神人棟を見た後ではこの学園の何もかもが複雑な絡繰の一部であるかのように感じてしまう。

今まで気にもしていなかった変動時間割制ですらとてつもなく大きな意味があり、ぼくらを七星倫太郎が作り出すシステムの中に閉じ込めようとする意志のようなものを感じてしまう。

『そんなことはないさ、選択の自由は常に手にしている、手を離すなと言っただろう』

『類』は本当におしゃべりだ。

あんなところに閉じ込められ続けていればこうなるのはわかるが事あるごとにキャッチーな格言でぼくのハートを掴もうとしてくる。

「そういえばお昼休みはどこへいっていたでござるか? サンドイッチの味がまだ口の中にのこってそうでござるな」

端々に嫌味ったらしさを滲み出す白河君に豪速球を投げ返すチャンス到来。

「白河君! あれは不思議魔導師でござるよ! あなたのスマートフォンになりたいでござる! という名セリフまさか忘れたわけではあるまい?」

どぎまぎする白河君とは新しい感覚。

渡り廊下を抜けてふと右を向いて向くと巡音花音がどこかの教室へ入っていく。

普通科棟だとあそこは資料室だ。

魔術科棟もおそらく同じ構造であろう。

芹沢さんがいた音楽室も普通科棟と同じ配置であった。

「むむ。佐々木氏の急所責めは男心に火をつけるデござる。魔法少女の後を追ってみる気はござらんか。水恩寺のクラスはどうせ授業中でござろう」

魔術科のカリキュラムを把握しているわけではないが、いま一年生は五限が始まるところと推測する。

暇潰しがてら世にも珍しい痛い系少女の後をストーキングは確かに一興。

白河君の提案を迷わず呑んで頷く。

「あそこはおそらく魔術資料室。思わぬお宝が発見できるかもしれないでござるな」

魔術資料室の引戸を左側に開けて中を覗くとスチール棚がいくつか並びファイリングされた資料や得体の知れない道具が至る所に乱雑にしまいこまれている。

ちょうど陽の当たらない場所の上、カーテンがぴっちりと厚手の布で閉じられている為、資料室内は薄暗い。

室内を見渡すと中央の窓際の黒いカーテンの下には真っ黒で綺麗な長髪で長身の男がパイプ椅子に腰掛けて何かの本を読んでいる。

「だからぁ。ここにある資料はだいたい調べたってば。授業中だよ、いま。使いパシリで資料室行ってこいとか何を考えているのさ!」

どこからかひそひそと女の子の話し声が聞こえてきた。

向かって左側の方だろうか、声のする方にはこそこそと動いて何かを探索している巡音花音の姿を確認する。

彼女はまた一人で話しているかと思いきや、今日はまるで普通の女子のようにスマートフォンに向かって怒り散らしている、

ツンデレ属性付与、魔法少女の鏡みたいな女の子だと白河君の気持ちに少しだけ危うく共感してしまいそうになる。

「大河の言う通りだとすると、出席番号四十一番百舌、私の後ろの席の人に関する資料があるはずなんでしょ? いくら探しても使いかけのマンドラゴラとか古臭い箒の作り方とかそんなのばっかりだよ! まったく私を魔法道具か何かだと思ってるんでジョ!」

眼に涙を浮かべながら資料室を漁る魔法少女。

シュールな絵だなと思いつつ、理想的な魔法少女という完成された見た目についつい魅入ってしまう。

「今回は案外まともでござるな。たぶん相手はあの銀髪。鳴らない電話と話す不思議少女だと思っていた小生の眼は節穴でござるか」

「けれどあのルックスは目の保養にはぴったりでござるな。それにしてもさすがは魔術資料室、見たことのない不思議な道具でいっぱいでござる。このまるで人形のような植物はなんでござるか」

目の前の棚にあった箱に無造作に放り込まれていたのは、茶色い根っこがまるで手足のように伸び、頭部には緑色の葉がアンテナのように芽吹いてる植物で、手にとって握り締めると、──ビギャー──と金切り声があがり中央上部に動物の目のような部位が登場する。

すると、何かの警報装置に触れてしまったように鼓膜を刺激する異音が鳴り響いてあたりが光のまったく届かない灰色の空間へと転位していく。

「停電でも起きたのでござろうか。只でさえ暗い部屋なのに何も見えなくなってしまったデござるよ」

白河君は停電でもなければ眼鏡の曇りのせいで視界が遮られたと思い眼鏡を何度も拭いている。

しょぼくれた目をぱちくりさせているがぼくと同様に白河君もあたりが急に暗くなってしまったことをうまくは把握出来ていないようだ。

ぼくのスマートフォンに突然通知が入る。

『少女地獄』がメッセージを受信したようだ。

アプリを立ち上げて初めておきる動作を確認する。

──やばいでぇす! ご主人様の大ピンチレス! いくら検索しても抜け出せそうにありませぇん!──

『少女地獄』に原因不明の挙動発生。

ツンデレ女王の見た目まで変化してしまうとまたしてもぼくのオタ心を刺激するゴスロリメイドに変化している。

彼女のポテンシャルは無限大なのであろうか。

「また趣味で作った二次元彼女アプリとお話でござるか。佐々木氏ももう小生と同様に現実なんて本当は興味がないのであるよ。もうぼくもいっそのことこのまま暗闇に埋もれて誰にもわからない場所で」

白河君が丹精こめてつくりあげている侍イメージの自我が崩壊しかけている。

すっかり素のマイナス思考全開のキャラが全面に出てしまっている。

気のせいかぼくもこの場から動くのが面倒で億劫で仕方がない。

やる気が根本からネコソギ奪われているような気がする。

「あーあ。私なんてどうせサ。いらない人間ってだしさ、大河なんてどうせサ、私のことなんてまるっきり興味ないくせにさ。なんで期待しちゃってこんなとこまで来てるんだろー、あぁあぁ死にたいなー」

さっきまでテンション高くスマートフォンとお話していた巡音の様子もおかしい。

──ようやく気付いたか。オマエが眠らないように般若心経を唱え続けていたことに感謝するんだな──

『類』がはっきりとした大きな口調でぼくの意識を呼び戻す。なんとか気怠さが払拭される。

──なんだい、ここは。電気が消えたみたいに灰色だ、やる気も削がれる。さっきまで魔術科棟の魔術資料室にいたはずだろう──

──そうだ。『イド』だ。欲望の渦。欲求の掃き溜め。悪意の温床。抜け出せるか? ──

そう『類』が頭の中で話すとガチャリとこの部屋にドアを開けて誰かが入ってきた音がすると同時により深い灰色で室内が包み込まれてどうやらぐねぐねと空間自体が歪んでいくような気がする。

パサリと誰かが本か何かのページをめくる音だけが部屋の中央付近から聞こえてきた。

「やられました!」

「すっかりしてやられました!」

「やつらは井戸の向こう側!」

「完全に!」「完璧に!」「完膚なきまでに!」

「──オズの魔法使い! 取り逃がしちゃいます! ──」

──了解した。白銀の仕業だ。その場に潜伏せよ! ──

魔術資料室の前で三人の女子高生が口惜しそうに地団太を踏んでいる。

彼女たちが先回りして追跡していた小柄な女子高生が魔術資料室に入った途端に何かの魔術が発動し、目の前の扉がまったく開かなくなってしまったようだ。

三人は腕組みをして向かい合い悩んだふりをして立ち尽くしている。

「巡音、聞こえるか。お前は今どこにいるかわかっているか、しっかりしろ。そのまま放置するとなけなしのエーテルごと『イド』の餌食だ。『受け継がれた歌の崩れない意志』ならば、そちらと通信が取れるはずだ、とにかくもっていかれるな、『死のエーテル』を持っているお前じゃなきゃダメなんだよ!」

いじいじとしゃがみこんで床を指でなぞり続けている巡音花音は床に落としてしまっていた携帯電話の声を聞き、我にかえると携帯電話に話しかける。

「あーへいへい。回路なしの私が悪いですよーどうせそんな高等魔術はあなたの力なしじゃ使えないですよー」

「回路なしか。巡音家にしか生まれ得ない『死のエーテル』。どれだけの魔術師が欲しがっているのかわかってないんだな。まあ、とにかくその教室に『羽根なし』が二人混ざり込んでいるはずだ。合流してなんとかそこから抜け出す方法を見つけろ」

あたりを見回してぼくら二人を発見する巡音花音がのそのそとひどく面倒くさそうに近づいてくる。

「あー。いつかのブサイクコンビじゃんかー。おまえもわたしも回路なしー飛べない人。大河が仲良くしろだってさー」

──こいつだ。たぶんコイツが必要になる。『イド』に一番近い場所からクォークがエネルギーを供給されている。肺が死んでいるのか──

スタスタスタと不自然なほど音が途切れた空間を誰かが資料棚に挟まれた部屋の中央を歩く音が聞こえてくる。

そういえば、さっきからエアコンの音や蛍光灯の小さな電気音すら全く聴こえてこないのに気付く。たぶん、『イド』、と呼ばれる空間にいつのまにか入り込んでしまったのだろうか。

足音のする方へ振り向いてぼくと白河君と巡音で空間に唯一存在している音の後を追う、そういえばぼくらからは自分の足音が聞こえない。

足跡を追ってみると1-β、水恩寺莉裏香で彼女の隣には先程から魔術資料室にいた長身の男が足組をして頬杖をつき佇んでいる。

「ふむ。君たちは、偶然ここへきたのではないのだな。ならば敬おう」

彼が右手の平から試験管を出すと水恩寺は手に持ったガスマスクをして頭から被る。

長髪長身の男は左手から緑色の光を産み出してその光を試験管の中に注ぎ込む。

光は液体化して緑色の光を放つ液体が毒々しく試験管の八分目あたりまえで満たされる。

長髪長身の男は試験管を何回か横に振って中身をよく攪拌した後で床に放り投げ、落ちた試験管はパリンと割れて緑色の液体が蒸発して気体化する。

「時間は少ない。彼女は手強いぞ」

長身長髪の男はそう言うと立ち上がり、灰色の空間に吸い込まれるようにして姿を消してしまった。

ぼくら三人はまともに緑色の気体を吸い込んでしまい、ごほごほっと咳き込んでしまう。

何か得体の知れない刺激物が身体の中に侵入してくるのを感じる。

ぼっーとしていた隙をすっかり突かれて気が付くとぼくと白河君、巡音の指先は黒く変色してそのシミのような色が徐々に身体中を埋め尽くすように拡がり始めていることに気付く。

「ぷはぁー! 後一時間!」

百舌の手によって生成された術式によって濁った空気がすっかり消えてしまったのを確認して水恩寺はガスマスクを外して大きく呼吸する。

──魔術生成された悪性の病原菌かウィルスか何かに身体が侵食されている上に、『イド』そのものにエネルギーを奪われ続けている。ガスマスクを被った女の言う通り後一時間ほどで、お前たち死んでしまうぞ──

無限の思考を漂いながら実態をぼくの脳内で偶像化しようとする『類』がいつになく真剣にぼくの頭で念仏を言うのをやめている。

「巡音の傍にいるんだよな、お前のことは『E2―E4』でも掴んでいる。『スサノオ』で彼女を守ってやってくれ、俺たちがその場で三人が揃うように嵌めたのは事実だがお前たちにしか任せられん。頼んだぞ」

巡音のスマートフォンから声がする。

ぼくに向けてのメッセージだろうとわかり巡音と白河君の姿を確認するとさっきよりはましな顔をしてお互いに状況を確認しようとしている。

「はてさて、それでは集団リンチといこうかな!」

水恩寺は髪の毛を一本抜いてふぅっと息を吐くと、彼女の吐いた二酸化炭素が髪の毛と化学反応を起こして灰色の空間が干渉し合い彼女そっくりの泥人形が姿を現わす。

「ここでなら私はいくらでも分身を作り出すことが出来るんだ、私がここにいてもいい理由。泥ってきっと私たちが吐き捨てたゴミみたいな気持ちで出来ていると思うんだヨねっ!」

灰色の泥人形は水恩寺の姿を模していて、ぼくらを覆い尽くして食べてしまうかのようにどろどろとした粘性の身体を溶かして襲って来ようとする。

水恩寺はさらに三体ほど泥人形を作り出してぼくらの周りを取り囲もうとする。

のそのそと歩いて近づいてきた水恩寺の形をした泥人形に白河君は思わず発狂して思いっきり猫パンチを食らわすとどろりと泥人形は崩れ出して消えてなくなってしまう。

「これ、見た目ばかりですぐ壊せるデござる! 通信教育で習った功夫の出番でござるな!」

と自分の手で泥人形を簡単に壊した充足感からか妙にいきりたつ白河君がへなへなパンチで次々に泥人形を壊していく。

白河君の功夫は頼りがいがあるのかないのかわからないけれどとりあえず三体を壊してしまうと溶けた泥の後方からゆっくりともう一体が近づいてくる。

「あーえっとー女の子にそういうことはなしだと思う。君らに任せるから早く片付けてよ!というか黒いシミがどんどん広がっているんだけど!」

なんという我儘魔女、巡音花音! この期に及んで美白を気にするとはやはり頭が飛んでいるのか! しかし残り一体の泥人形はぼくの左腕がうなり粉砕する。

勢いをつけすぎてそのまま転倒して水恩寺の足元に倒れ込むと水恩寺のピンク色のパンツが見えてしまう。

「あーこの変態! いいもん! すぐに増やせるもん!」

水恩寺は口惜しそうな顔をしてパツンッとまた髪の毛少量抜き、さらに四体の泥人形を作り出す。

ほぼ? むげん? 彼女がスキンヘッドになるまでこれは続くのか。

「あー待った、待った! どうしてぼくらをやっつけようとするんだ! というかそもそもあんな泥人形で何をしようというんだ、おかげでぼくらはどろどろだ、それになんなんだ、この粘っこい液体は!」

ぼくがパンツなんかに目もくれずすっと立ち上がって怒鳴ると水恩寺はちょっとだけ身を引いて仰け反る。

こんなさては結構気が弱いのだな、これはいける!

「なんなんだっていうの、どうせ百舌さんのエーテルで毒毒モンスター混ぜてもらわなきゃ役立たずダもん」

途端に意気消沈して勢いがなくなる。

心なしか泥人形の動きも遅くなっている。

「だいたいそんなちんちくりんで何が魔術だ! 一年生は授業中のはずだろ! ほら、みてみろ、お前のせいでもう手首まで真っ黒だ!なんとか協力しろ!」

後ろを振り向いて巡音に合図をする。勘の鋭い巡音がふらりと身体をよろけさせ、白河君は巡音の肩を両手で支える。

「うう。協力ってじゃあ何をすればいいのよ。」

──きもちわる──と巡音が白河君の吐息の荒さに正直な気持ちを吐き出すのを無視して話を続ける。

「こんな真っ黒じゃどう考えても死んじゃうに決まっているだろ! どうすればいいんだ、血清とかそういう一発逆転のアイテムみたいなのあるんだろ!」

「なんだよ、せっかく普段の虐めの鬱憤を返してやろうかと思ったのにさ。廓井さんが持ってると思う。」

「誰だ、それは! どこにいるんだ!」

「たぶん体育倉庫だよぉ。なんで私がそんなことするの」

「うじうじ言わないでいいから案内しろ!」

ぶつぶつと文句を言いながらぼくらと魔術資料室を出ると一階まで降りて魔術科棟の玄関を出るぼくら。

どうやら泥人形は彼女の精神状態に大きく左右されるらしい。

とりあえずでたらめにでも怒っていれば案内してくれるようなので事あるごとに──この蛆虫メが! ──と罵りいうことを聞かせる。

魔術師といってもたいしたことがないなぁと少しだけ油断して気持ちを緩めながらほんのちょっぴり彼女に同情する。

なんにせよ、すでに腕が一本真っ黒だ、なのにまったく悲壮感がない。

本当に死ぬの、これ?

──たぶん本当に死ぬぞ、急げ──

『類』の声が妙に冷たく感じてしまう。

白河君は事あるごとに巡音に優しく話しかけ気持ち悪がられている。

この助平ギツネメ、どうしてくれよう。

そうこうしながらも、魔術科棟一階の生徒入り口から出て、学園北西部にある体育倉庫へ向かう。

校舎の外に出てもあたりは真っ暗で灰色の雲と灰色の空気で包まれている不可思議な空間にいるようでいつのまにか夢の世界のような場所に侵入してしまったようだと気付く。

『イド』、つまり超自我の世界において意識が判別する現象や事象は物理法則など超越した世界になることが多く自我を保有している個体のリビドーを転写した世界になり得ると考えられている。

けれど、ぼく自身の性的衝動のようなものが反映されているとは言い難く、つまり、ここは誰かの夢の中に封じ込められてしまったと考えるのが妥当だろう。

──その通りだ。いま現在知覚している世界はオマエたちの誰かが作りだした認識上の世界ではなく、おそらくあの長身長髪のエーテルによって作られた仮想空間と断定することが出来るはずだ──

『類』はどうやらぼくらの存在が定義されている現在時空でさえ、擬似記憶によって植え付けられたいわば空想上の世界だと伝えているようでぼくはちょっとだけ恐怖を感じてしまう。

──つまりこの病原体による侵食はこの世界にいることの出来る時間、言い換えればぼくらが共通して認識している時空の未来と過去における自我の劣化と再生成が十二分に完結した状態に至ることで完了してしまうということか──

──その通りだ。つまりはあれだ──

『類』がぼくの意識を中央図書館によく似た建物の中央に位置している時計に向ける。けれど、その時計は現実世界のものとは違い、十二個に等分された円形の表示板にこの世界において唯一色を灯す青い炎がぐるりと中央を取り囲むように八個分灯っている、

「白河君、あそこの時計に今八個の炎が灯っているデござるよ。この泥使いはあと一時間だと先ほど我々に伝えた、そしてぼくらの身体は実際に黒い侵食が進み続けているデござる」

白河君もぼくが伝えた事実に気付き、眼鏡をクイッと上にあげて質問に答える。

「つまり一時間、六十分を十二等分、炎一つにつき五分といったところでござるな。悠長なことは言っている場合じゃなさそうでござるな」

前を歩いている水恩寺が軽く後ろを振り向いて吐き捨てる。

「ようやく気付いたぁ? わかっているのならちゃんと戦えよ、もう!」

巡音はスマートフォンに向かってどうやら百舌と呼ばれる男の超自我の世界の外側と交信し続けていたらしく、合点がいったのかぼくらにも彼女たちの結論を伝える。

「あぁー。えっとね、この世界は私のクラスの出席番号四十一番、まぁ、現実には存在しないことになっている人なのだけど、私たちが百舌と呼んでいて、それから君たちの一部の生徒の間ではOZって呼ぶ人の『イドのエーテル』が作る固有結界ってことになるのかな」

白河君は巡音の前では連れてきた犬のように大人しい。

ぼくは巡音とこの世界からの脱出方法を話し合う。

「ではそのOZだか百舌だかわからん我儘登校拒否児に鉄拳制裁してやればぼくらは外に出られるデござるか」

「うーん。たぶん、鍵のようなものがあるはずかな。なんか心当たりある? 夢の世界だっていえばわかるはずだって大河は言ってる」

夢? そういえば水恩寺は体育倉庫に行くといっていた。

以前、自室のベッドでまどろみながらみた夢なのか現実なのかわからない光景をはっきりと思い出し予感を直観に変えて巡音の質問に答える。

「あるといえばある。そう。たぶん、ぼくらのクラスメイトだった二人もそこにいるはずだ」

「そっか。CRASSは普通科も入学させてるってことね。なんのためだろ」

「ふん。おぬしはそんなこともわからぬのでござるか?」

白河君が突然強気になり巡音にマウントをとろうとしている。

「どういう意味? 君は今の状況をちゃんと理解出来ているってこと?」

「わかるわけがなかろう。けれど、おぬし、こいつの言葉がわかるのでござろう。エーテルオタクの小生でも無機物の意識を抽出するものは初めてみたでござるよ」

突然の逆切れとともに開き直りながら白河君は自分のスマートフォンを巡音に見せる。

「あー。意識っていってもねーだれにでもどんな機械にでもあるわけじゃないから。けど、君のスマフォからは確かに声がするね。なに、その気持ち悪い子。さっきから独り言ばっかり言ってる奴がいると思ったらそいつに意識があるってことなんだね」 

──ようやくこっちを向いてくれたぜ、このねぇちゃん! よろしくナ、マイラブリーハニー! ──

巡音は──気持ちわる! ──と呟くと白河君のスマートフォンに侮蔑の視線を送り話を元に戻す。

「多分この場所に迷いこんできてしまった二人に、百舌は二人になんらかの意図を与えたいのかな。だいたい考えがまとまった。とにかく早くしないと風邪が悪化しちゃうのは確かだね。急いだほうがよさそうだわー」

中央図書館を北側からぐるりと第一グラウンド側に抜けると二階建ての体育倉庫がみえる。

中央には大きな両開きのドアがあり、ぼくらを案内してくれた水恩寺はここだよ、って案内をする。

「うう。じゃあ我慢する。でも私はあのひと来たら帰るからね! 怖いんだよ、あのひと」

小刻みに身体を震わせてぼくらには分からない恐怖を伝えようとする水恩寺。

兎にも角にもここまで文句言わず導いてくれるとは敵と思えぬほど従順なやつであった。

「ありがとうでござる。さぁ二人ともこの中で血清を手に入れよう。まだ時間はたっぷりある」

現実と同じように中央図書館の裏側にも青い炎を灯した時計が設置されていてさっきより一つ減って六つの炎が灯っている。

「おはよー、こんなに早くこっちに来るなんて予想外だったよ、私たちにとって死は友達みたいなものだからさ、乗り越えちゃうやつはすぐにこっち側に来ちゃうみたい。ねえねえ、君の大好きな美沙と手ぐらいは繋げたのかな?」

体育倉庫の跳び箱の上にぼくの夢と寸分違わぬ台詞を喋る瀧川理恵の姿があり、彼女と同じように先週の火曜日に自殺したはずの米澤恵里奈が隣に座っている。

金髪パーマヘアの瀧川理恵と黒髪ロングの米澤恵里奈は灰色の空間において色を帯びている数少ない現象、と呼ぶべきなんだろうか。

確かに彼女たち二人は先週の火曜日に普通科棟の屋上から多くの生徒が見ている前で飛び降り自殺をはかり、命を失ったはずなんだ。

「あちゃあ。すごくびっくりした顔をしているね。生き返ったって思っているんでしょ。けど違う。そう私たちが選んだのは死。生と死は等価値。君も試してみる?」

瀧川が受け入れがたい話を平然とした口調で告げてくる。

二人はとても仲が良さそうに顔を見合わせて普通の女子高生のように笑い合っている。

「つまりはさ、お前が欲しいんだよ、巡音。ここで私たちの仲間になろう」

そうやって米澤恵里奈は握手を求めて左手を差し出す。

友人関係ではなく敵対関係を求めるような彼女の態度にぼくらは警戒を緩める事が出来ない。

「君たち二人は先週の火曜日に自殺したはずだ。まるで先週のことなんてなかったようにぼくらに話し掛けているのはなんでなんだ。誰かの悪い冗談か? それならいくらたいして仲良くもなかったクラスメイトのこととはいえやめてくれ!」

ぼくは目の前で起きている非現実的な光景から生じてくる不安を打ち消すように虚勢を張って語気を強める。

「あー。これは西野のやろうニはめられたんだよ。あのやろう私たち二人を売ったんだ。そこのちんちくりんの仲間にさ。けど、まぁ、ここの居心地は悪くない。百舌さんなら霊素のインストールぐらい簡単にやってくれる、思念だけの存在になって遊んで暮らせるからね」

あっけらかんとした態度で話しているけれど米澤恵里奈の目の下のクマの悲壮感が彼女の明るさを打ち消してしまう。

水恩寺は──うるさいやつらだなぁ──と呟いて不貞腐れる。

「な、何をお前たちは言っているデござる。まさか実際に死んだはずにも関わらず魂のようなものとしてお前たちがここにいるとでもいうつもりでござるか」

死者を冒涜しているからでもなく啖呵を切るような台詞を吐かれたからでもなく単純に死んだはずの二人が目の前で話しているのかもしれないという事実に憤る白河君。

ぼくらはまだ誰も現状を認識出来ていない。

「なるほど。大河。聞こえてるー?こーいうのが得意な人私は知ってる。3-γ出席番号十四番『ホトのエーテル』」

巡音が『受け継がれた意志の崩れない意志』が発効されたスマートフォンを使い、外の世界の九条院大河と更新し続けている。

「なんでお前が知っているんだよ、巡音」

「じゃあ私たちのこともわかっているってことか」

二人から笑顔が消える。

苛立ちを隠せなくなり顔が歪み始めて二人から血の気のようなものが失せていく。

顔の皮膚が剥がれ始めて爛れ落ちる、捲れた箇所の筋繊維や血管が剥き出しになり、やはり二人が既に死者であるという事実をぼくたちにはっきりと伝える。

「あぁ。廓井さんが来ちゃった。私たちはお客取りに行かなきゃだからこれで。あの人に一度見つかったらしつこいから気をつけてね。じゃあねー。また美沙に会えるといいねー」

ガタリと、体育倉庫の裏側から物音が聞こえる。

黒い侵食が首筋にまで到達している白河君の姿をみてぼくらに残された時間が迫ってきているのを感じる。

「あいつらは持ってないでござるか、黒い病を治す手段」

「あははー。これなら手筈通り行きそうだねー! じゃあ私はこれで! あとは任せましたよ!」

体育倉庫の入り口あたりで中の様子を覗いていた水温寺が可愛くお辞儀をしてその場を立ち去る。

引き止める言葉も持たず唇を噛み締めるぼく。

「あれ? なに?大河聞こえてる? おーい!たいがぁ! まじで? 私は置き去り?」

さっきまで通信できていた巡音も手段を奪われてしまったようで徐々に選択肢を奪われていくぼくたち。

巡音の白い肌があと少しで顔まで黒く染まろうとしている。

誰かが淫靡な声ではぁぁぁと大きな溜息をつくのが暗闇の向こう側から聴こえてくる。とその時。

ぼぉぉぉーン!

と突然、ぼくらの目の前に白い煙とともに爆発音が体育倉庫に拡がってぼくらの視界を塞いでしまうと、赤、青、緑のレオタード姿で仮面をつけた三人の女の子が現れる。

「やってきました!」

「呼ばれてきました!」

「飛び出てきました!」

「──私たちは『スリーアクターズ』 お前達を助けてやるぜ! ──」

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