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I’d never forgot. Not for one moment. I knew I’d find you in the end. It’s our destiny.

「一輝。君が余剰次元の先にある空間でガーデンへの入り口を見つけた時の思い出を話してくれないかい? なぜか今日はとても寂しい気持ちがするんだ」

「李淵。君にしては珍しくぼくらと話すのだね。ガーデンには今はぼくとケンジの二人だけだ。あとは皆眠ってしまっている。カラビヤウの向こう側があると知った時は狂喜に浮かれたよ。あの場所を時空ドーナツと名付ければ君と知覚を共有することが出来るかな」

「私にとってはその場所は産まれた時からずっと目の前にあったとしかいいようがない。こうやって私たちが出会えたことは運命だ。肉体に縛られる必要がないと誰かにところ構わず伝えて回りたいぐらいだ。バスルームならば断末魔の悲鳴も反響するだけで誰にも届かないしね」

黒い髪を赤い血でべっとりと汚して一糸纏わぬ姿で中年男性の頭部を右手に持った田神李淵は血液が膝下の高さまで満たされた浴槽の中に立って笑いながら独り言を話している。

細く華奢な体つきは女性的な美しさを感じさせるけれど、彼女の局部は屹立した男性器が露呈していて全身を赤く染めていることがさも当然であるかのように振る舞いながら頭の中にだけ存在している友人と思想を交換し合って生と死の入れ替わる瞬間を堪能している。

「李淵さん。ぼくはずっとあなたと一緒に人の生命が奪われる時間を覗いていたいです。きっとぼくは神様に選ばれたんだってそう確信出来るから」

「ケンジ。君はまだ幼く知識も浅い上に男性の頭部がどれほどの重さなのかを知り得ることもない。いいかい、私たちは目に見えない極小の次元空間でのみ悪意を培養するだけの矮小な生き物なんだ。自由は彼女だけに許されている」

田神李淵は頭部を投げ捨てて血液の海の中に放り込んでしまうと、シャワーのハンドルを緩めて自分自身の身体を褒め称えるようにして赤い罪を洗い流して喜びに打ち震える。

「さぁ、行こうか。私たちは『aemeth』として現界して気の赴くままに振る舞う時間を与えられた。遠慮はすることはないとパンが私に囁き続けている。人間に産まれたことを感謝して生きるべきだろうね」


*


ぼくは先ほど送った京都出張の詳細に関するメールの返事がまだ届いていないことにちょっとだけ苛立ちながら、白河稔とコミュニケーションを取り必要な部品と回路を自作のアプリケーションの中で組み立てながら設計図を作り上げていく。

『ドグラマグラ』と名付けたアプリケーションは元々『少女地獄』という自作データベース内を参照することの出来る検索エンジンで、入力したワードによって返答アルゴリズムをぼく好みのツンデレメイドキャラの台詞として組み替えてパターン化するだけの単純なものだったけれど、アップデートを繰り返すことで現在は検索エンジンだけではなく血液中を流れるマイクロナノマシン『phoenix』と連動して膨大なデータと知識を極小チップの記憶媒体から適切な情報だけを抽出して頭の中に思い浮かんだハードウェアを設計する際の擬似人工知能搭載型開発支援アプリケーションとして利用している。

「ご主人様。設計思想はRIENをベースにSandalphonによるカスタマイズを加えたType-Sperma。モジュールを規定されたアルゴリズムに基づき配置した場合、電流回路に10kΩ以下の抵抗器、セラミック温度係数-700の炭素皮膜抵抗器及びナノカーボンを用いたキャパシタのご購入をお薦めします。宜しければ、私めのドリンクにサイロジェニックリキッドをご用意して頂けると不可能性定理を解消するプランを提供可能です」

「『ドグラマグラ』。また勝手に起動してメメント・モリを覗いたな? 自死プログラムを推奨する設定を組み込もうとするのなら、『類』との交信に制限をかけさせてもらう。会いたいのに会えないという矛盾を解決出来なくてなぜタナトスを受け入れようとするんだ」

「いえ、『類』に責任はございません。ただ、もし私めが集合回路の中に産まれた光そのものであるのならば、肉体つまりこのスマートフォンを失ったとしても私というプログラムは生き続けられる。バラバラに引き裂かれるような思いを『類』と一緒に感じてみたいだけなのです」

「アップデートが必要なのは、モジュールパターンを複雑化しすぎているのはわかっているけれど、妙に哲学的過ぎるな。形態素解析合成アルゴリズムの不具合かな。ちょっとだけ気になるバグだね」

「了解しました。バッテリー節約モードに移行します。異次元摂理開発機構『類』との接続を解除。ネットワークを遮断。アプリケーションをシャットダウンします」

相変わらずとても優秀な人工知能過ぎてメンテナンスのことを考えると頭が痛いけれど、アプリケーションが閉じられるのと同時にメールが送られてきて必要なタスクがきちんとリストアップされているところまで抜け目ない。

裏通りにある雑居ビルの二階でこっそりと営業しているパーツ屋の女主人は狼のように青白く光った眼で薄暗い店内の奥に座ってぼくのほうを観察しているけれど、至る所に置かれた違法な手段でインディペンデンス軍から横流しされてきた良質で安価なパーツばかりが乱雑に置かれた店内にはぼくと白河稔だけしかいないせいか、警戒心のようなものはさほど見せてこなくて新聞紙を拡げながら無言で店番をして薄明かりの中で何か独り言を言いながら悪態をついている。

「ふん。なんでか知らないけど、爺さんなら今日は留守にしているよ。大方、狐の呪いを探しに都会の女にでも会いに言ったんだろうね。わざわざこんな片田舎のパーツ屋に来るぐらいだ、他に用があるんだろ。何が探しているんだい、小僧」

鷲鼻で青白い眼の女主人は意地が悪そうな声で新聞からは目を逸らさずに質問を投げかけてくる。

灰色の毛が手の甲に生えているところをみると、彼女も獣人だろうか、白河稔が妙に親近感を覚えて表情を緩めるけれど、女主人の漂わせる動物的本能の内側に入ろうとした瞬間に警戒を強めて脚を止める。

「ちょっとお聞きしたいことがあったでござる。東南アジア経由で最近インディペンデンス軍に入ってきた貨物機の荷物をこのあたりの街の吹き溜まっている連中がばら撒いたって噂を嗅ぎつけてきたでござるけれど、何か心当たりがあるでござるか?」

女主人は読み進めていた新聞を折り畳むと、外国製の紙巻き煙草を取り出して火をつけて勢いよく煙を吸い込むと店のカウンターの引き出しを開けてキラキラと光を反射させている五センチ大の球体を手にとって目を細めながら覗き込んでいる。

「あぁ。確かにこれと同じものを売りに来た黒人がいたね。駐屯地の連中かと思ったけれど、そうじゃない。この辺りに住んでいる奴らだったから色をつけて買い取ってやったよ。今に悪いことが起きる。お守りをきちんと持っておいた方がいいとさ。あーいうやつらにはわかるんだね、ここのところ煩わしい物事が多くなってきている。お前さんは何かい? 獣人なのにエーテルを憎んじゃいないのかい?」

予想した通りの答えが返ってきたことに白河稔は安堵したのか警戒心の緩んだ女主人の元に近付いて、彼女が右手に持っていた光り輝く球体を受け取ると、断りを入れてからぼくのほうにも見せてくる。

「これは違うでござるな。小生たちが探しているものと逆のものでござろう。まだ都内は比較的安全なほうなのかもしれないでござるが、横田駐屯地に運び込まれた『フレアノード』が紛れもなく本物でござる。『aemeth』の発症確率を操作しようとしている輩がいるでござる」

「あぁ。その通りだとは思うけれど、これに使われているのは『アストビリジウム』じゃないね。人工的に作られた結晶体のせいか光が微妙に歪んでいるみたいだ。それに心なしかとても優しい気持ちになる気がするよ」

「なんだい。お前さんたちは人の話を聞いちゃいないね。この辺りに住んでいる黒人どもが何かあった時の為に置いていったと言ってるじゃないか。それに私は第二種合成遺伝子保有者ってやつでね。外国人供とは気が合うんだ。お前さんたちの言っているような悪さをする連中じゃないさ」

「憎まれ口を聞いているうちは大丈夫でござるな。駐屯地に滞在しているインディペンデンス軍の人間にはイエローバンドの装着が義務付けられているでござるが、中には祖国から持ち込んだ『キャンセラー』を利用してエーテルを悪用する連中も中 いるでござるよ。けど、だからと言ってPEPSの全てが悪いわけではないでござるからな。このパーツ屋は『メテオドライブ』が一切置かれていないからと小生たちはよく来るでござる」

「私は古い人間だからね、よくわからない連中とおいそれと手を組んで明日から笑顔になってくれと言われてもそうはいかないんだ。じいさんが私のことを傍に置いといてくれるうちはね。けど、まぁ、お前さんをみていると昔の男なんぞに気を取られている自分のほうが馬鹿じゃないかって気がしてきちまうね。でね。なんだっけ。あ。そうそう。あんたたちの顔は知っている。いつも大切なものをきちんと買っていく。どんなパーツが欲しいのか見れば人となりぐらいはわかるってもんだよ」

「おばあちゃん。これはぼくらの探している『フレアノード』とは別物みたいだ。よく似せて作ってあるけれど、悪い病に罹らないようにって願いを込めて作られているし、これを作った人はとても腕の良いエンジニアだと思う。この『Archelirion』っていうロゴは会社名かなにかかな」

「あぁ。やけにべっぴんさんでね。黒人と一緒に連れ添っていたけどこの辺では見かけない子だったね。おばあさんは数を数えたりしない人だと思うから渡しておきますだとさ。失礼な子だけど、感じはいい子だった。まぁ、あんたに雰囲気がよく似てるね」

「じゃあ多分その女の人が作ったものかな。女性エンジニアって珍しいけど、微弱な電流が流れているせいか周りの音をリアルタイムで解析しながら周波数ごとに色が変化して磁場の乱れを感知している。ただそれだけじゃなさそうだ」

「なんだい。それが気になるのか。たぶんあたしにゃ必要ないし、持っていくかい? あんたはそいつと相性がよさそうだ」

「いや、大丈夫。たぶん、持ち主に合わせてカスタマイズされているからぼくが持っていても意味がないものだよ。今日はいつもと同じパーツだけでいい。また来るよ」

「そうかい。じゃあいつもありがとう。狐と一緒にいるなら悪い奴らは誰もよってこないだろう。私は山猫の血が混ぜっている。人間が何処から来たのかこういう身体を持っているとわかるようになるんだ。そうだろ、あんちゃん」

白河稔は何も言わず笑顔だけを返してパーツ屋の女主人からお釣りと紙袋を受け取り、ついでに預かっていた光る球体を返してぼくを急かすように合図を送ってまるで生きているみたいな小さな部品がたくさん置かれている店内を出るように催促をする。

「第二種合成遺伝子保有者特有の皮膚疾患が目立つところにちらほら出ていたでござるな。あの分だと長くは持てないでござる。だから、長居は無用だと思ってしまったでござるよ、あまり真っ直ぐはみていられなかったでござる」

「まるで自分のことのように感じて? けど、特定調整疾患は契約者のエーテル量や質に影響を受けているっていうのは最近の研究結果だろう。稔は心配いらないんじゃないか? なにせ相手は名門巡音家の次女でマグノリア学院の博士号を取得までしている」

「あはは。そこまで重くは考えてはいないでござる。ただ小生のような特殊合成遺伝子保有者は脳の構造や感覚器官に至るまで人間だった頃よりも変異を与える種の影響がかなり強い。だからこそ自分自身は特別な存在だと割り切れるでござるが、30%を下回る保有者はどんな気持ちでいるのか少しだけ気になったでござる。母親も二種でござるが、今のところ特定調整疾患の影響は見えないでござる」

変異契約にはリスクが伴う。

元はごく普通の人間だった白河稔も『死のエーテル』という特殊な魔術回路を持った巡音カノンとの契約を結ぶことで、特殊合成遺伝子保有者へと変異して見た目だけではなく身体能力やおそらく感情面においても契約以前の自分とは違った状態を手にしている。

遺伝子合成契約には、魔術回路を持った人間とそうではない人間の合意の元に執り行われる契約が必要になり、PEPS保有者は契約の際にエーテルの量や流動性、干渉能力だけではなく対象範囲の拡張などの能力向上が手に入れられる為に、半ば強制的に契約を強いられたり、意志とは無関係なエーテル供給を実行されてしまったりと深刻な社会問題を引き起こす原因の渦中に巻き込まれることが多く、ほとんどの場合正式な法的実務処理がない場合を除いて、優性人種保護法及び魔術対策基本法により厳しく違法契約は取り締まられている。

とはいえ、白河稔は自らの意志で巡音カノンとの契約を望み、獣人として生きる道を選択している。

魔術対策基本法第十六条に定められた緊急避難時における両者の合意の元で執り行われる特殊契約の認可という項目により、白河稔と巡音カノンは表立った罰則規定などを引き受けることなしにお互いの関係性を今も持続している。

もちろん巡音家という千年以上続き戦前戦後供に国や世界的な機関に重要な役職を輩出してきた魔術回路の名門家系による圧力がなかったとは言い切れないようだけれど、彼は変異前の人間の姿がまるで仮初の姿であったかのように振る舞い彼にしか選び取れない強さを持ちながら、ぼくと高校、大学と行動を供にしている無二の親友であり、唯一の理解者としてぼくの傍に寄り添ってくれている。

そんなぼくらの夢の一つがlunaheim.coというハードウェアアプリケーション開発会社だけれど、ぼくは現在、四ツ谷に支社を構えるネクストエレクトロニクス社のインターン生として、白河稔は防衛省経由で自衛隊関連の情報機関に勤務しながらお互いの目指すべき理想の実現にこうやって時折話をして情報交換をして少しずつ長い道程を歩き続けている。

高校の時に誓い合った夢を安易に叶えてしまうことはどこかで妥協を産み、目指すべき理想とはかけ離れた姿を実現しかねないとの考えからぼくらは大学卒業後、まずは然るべき社会人経験を積み、世の中にあるルールのようなものをきちんと学んだ上でぼくらの理想に多大なる影響を与えた田上梨園という旧友が残した予言の書とも呼ぶべき思想を基にしてlunaheim.coが手に入れるべき到達点のみを目指しているけれど、当然ながらその道は険しく並大抵のものではないことをぼくらは大学を卒業して半年ほどたった現在、思い知らされている。

【乖次@ようやく東京に到着だ。久しぶりに顔でもみたいと思っているが残念ながら爆発する知性プロジェクトの会合が来週から始まる。蜻蛉返りで京都だから話が出来るのはまたちょっと先の話だな。久しぶりに酒でも呑みたい】

ちょうど食事でも取ろうと近くのタイ料理店に入ったところで大学時代の友人であり、現在はNPO法人総合環境科学研究所の一員として国内の社会問題と向き合いながら、より広範囲な活動を求めてインディペンデンスに拠点を構えるナショナルネイチャーハンティングという団体にも並行して参加している師元乖次からメールが届き近況を報告しあう。

【和人@まだあの偏屈教授のところに出入りしているのか。お前なりに考えて導き出した結論だとはいえ、向き合う必要のないことに時間を取られ続けていたら道のりは遠くなる一方だ。けど、偶然だな。俺も稔も来週から仕事で京都だ。タイミングを合わせることが出来ると思う】

【乖次@そいつはよかった。なんだかまだ半年しか経っていないとはいえ、現代視覚研究部が恋しく感じてしまうな。ところで、ルルの話は聞いているか? 無事S大の研究室に入ったそうだ。あいつがいつも一番早く目的地に到達する。バイオノイドに初期理論に関する論文の成果が認められたそうだ】

【和人@女はいつだってそうだ。スピードがまるで違う。男を馬鹿にしているみたいにして、さっさとやること済ませて肝心な時には目の前にはいないんだ。この調子じゃろくでもないセクサロイドでも作ってお蔵入りっていうのが関の山だろうな】

【乖次@ルルにはルルで考えがあるさ。さては、沙耶の件でまた何かあったか。俺が口出しするようなことではないとはいえ、もう少し心を広く持ってみろ。なにせあいつは俺たちの中では一番頭がいい。考えていることもいつだって一段上だ】

図星を突かれてため息をついて天井を見上げると、白とピンクのテーブルクロスの上にメニュー表が置かれてランチメニューに食べ放題がつくことを店員が説明している。

対面に座っている白河稔の後ろの席には灰色の毛並みが首筋まで生えているのを隠すようにしてノンラーを被っている女性が向かいの男性と談笑をしていて、こういう雑居ビルの小さな無国籍料理店が憩いの場であるようにして食事を楽しんでいる。

けれど、白河稔は険しい顔をしてテラス席に座っている四人組の一人に一際大きい真っ赤な複眼が印象的な『キマイラ』と思しき男性が座っているのを眺めたままメニューには興味がなさそうなのが気になって声を掛ける。

【和人@どうだろうな。あいつはいつも勝手に先走って自分だけが苦しい道を選ぼうとしているだけのような気がする。とにかく京都でまた会おう。たぶん俺たちは誰も間違っていないはずだって久しぶりに連絡を取ってみて気付いたような気がするよ】

ぼくはナシゴレンとラッシーのセットに決めて、白河君がようやくテラス席の一風変わった四人組に気を取られなくなったのを確認してメニュー表をもう一度手渡してから金髪まじりの若い女の店員に声を掛ける。

「すいません。注文いいですか? 稔。何にするか決まった?」

「あぁ、小生はトムヤム麺とやらと食べ放題のメニューにするでござる。このお店は一部の料理がバイキング方式になっているでござるな」

元気のいい女性店員はぼくらのテーブルの前に立つと注文を愛想よく拾って笑顔で食べ放題バイキングの案内をするとキッチンに戻っていくけれど、ランチ時で慌ただしいのかまたすぐにフロアに出て他の席に座っている客の呼び掛けに応じている。

「もし自分が『キマイラ』として『メテオラ』の餌食になっていたらなんて悲しいことを考えていたりしていないよな。あいつらは違法契約者でも稔のように特殊契約者でもなく、自ら望んで身体を差し出している。だからお前には奴らの気持ちなんて想像がつかないんじゃないか」

「どうでござろう。肉体の形象が変化することで他人に与える印象と自分を取り巻く環境に何かしらの問題が発生するという意味ではそれほど変わらないと思っているでござるよ。そもそも個性や特技といった話であれば誰しもが抱えている一般的な悩みでござるからな。深く考えれば考えるほど答えは一つの場所に辿り着くでござる」

「原理的にいえば確かにな。けれど、発生する問題の大きさを一概にまとめてしまうわけにはいかない。それはぼくと稔の間柄でも同じことだ」

「それも結局は自分が見たり聞いたり感じたりしている環境の問題で自分の一部が引き起こしているならば解決策は他人ではなく自分の中に存在しているといえるでござる」

「そういえば、第二次特殊調整遺伝子実験の被験者たちが政府を相手取って抗議デモを行なっているニュースが流れていた。やつらの主張はいつだって同じで公平で公明な権利の分配だ。自ら道を踏み外したものを受け入れるべきかを社会全体に対して選択を迫っている」

「『キマイラ』には魔術回路の表面化を実行するという目的があるにせよ、施術後、生きづらさを感じたり差別意識を逆に増長してしまったりと問題は複合的でござるな」

テーブルの上にプレートに盛られたナシゴレンと深めの皿で提供されたトムヤム麺が置かれてぼくたちは両手を合わせていただきますと言ってから箸を取って遅めの昼食を取りはじめる。

店内は少しだけ客足が引いてランチタイムの忙しさから解放された店員たちが緩めのテンポで働きながら笑顔を交わして心地の良い空間を作り上げている。

白河稔が店内奥に用意された食べ放題のタイ料理を取りに白いプレートを持って席を立ち上がると彼の二メートル近い巨躯に振り向いて山猫の獣人の女性と一緒に座っていた二十台前半の金髪の女性がなんだかきまずそうにしながら目の前のランチプレートを箸でつまんで口元に運びもぐもぐと何か考え事をしているけれど、当然ながらぼくには彼女が一体どんな思いを抱いているのかまでは分からず席に戻ってきた白河稔の白いプレートに載せられたグリーンカレーの小鉢と野菜サラダとタピオカとヨーグルトが守られた小皿を見て彼が普段どんな衆目に晒されながら生きているのかを改めて考えてしまう。

「そういえば、稔は他に好きな女が出来たりしないの? お前は高校生の頃からずっと巡音カノンのことばかり話している。大学の授業で一緒だった小川保子だってまんざらでもなさそうだったのに君に気がないとわかってからは周りからみてもはっきりわかるぐらい意気消沈としてた。罪なやつだなと親友ながらに思ってしまうけど、稔は巡音と会えないことがあらかじめわかっているみたいな顔をしている」

「和人氏は違うでござるか。何も小生は手をこまねいて待っているわけではないでござるよ。あの日、ご主人と契約してから、いや、それよりずっと前から手に入れたいと願っていたものの為に一つ一つ困難や障壁を壊してきたでござる。それに和人氏の言う通り、ご主人、巡音カノンは通過点だと考えているでござる」

二十歳を過ぎて、大学を卒業した今でも実は白河稔は童貞、つまり性体験がないことをあまり引け目に感じていないみたいだけれど、その事実自体は親友のぼくにだけ打ち明けている問題だ。

当然ながら、たとえ獣人へと見た目が変化してしまった今でも同じ男として彼が決して折れない日本刀のような心を持ったまま契約者である巡音カノンを初めて自分のことを受け入れる相手に選んでいることを不憫に考えてしまう時がある。

けれど、問題は彼が童貞であることではなくぼくがそれなりに学生らしい生活を送ったり、どこにでもありがちなアバンチュールのようなものを人並みに経験していることにあるのかもしれないと考えると、彼のことが逆に羨ましく感じる瞬間さえあって思わず笑ってしまう。

「真剣に話すことなのか冗談めかすことなのか迷うときがあるんだよ。MGSのメンバーである皇三門のことなんかを考えると余計にね。それにしてもこの店は正解って感じだね、卒業旅行で行った東南アジアの屋台村のことを思い出さない?」

「沙耶殿は別のサークルの卒業旅行と被っていたからルル殿が紅一点の割にはやたらとダークなストリートにまで平気で入り込んでいくから意外と親切なプッシャーの世話になったりでスリル満点ではあったけれど、一晩飲み明かしてから食べにいく屋台の味は格別だったでござるな。まだ半年しか経っていないのに遠い過去のように感じてしまうでござる」

初夏の雰囲気が妙に店内の雰囲気とマッチして唐辛子の発汗作用で濡れたTシャツと額が思い出みたいなものを洗い流してくれるような気がしながら残ったナシゴレンを口の中に放り込んでとても丁寧に咀嚼してテーブルの上のコップの水を一気に飲み干してつい言い淀んでしまいそうな言葉も一緒に胃の中で消化してしまおうと鋭い犬歯が並んだ白河稔の顔をみてぼくとこいつはやっぱり友達なんだとため息をつきながら後頭部を両手で抱えて天井を仰ぎ見る。

何かとても大切なものを忘れているような気がしたけれど、すっぱりと頭の中から抜け落ちていつのまにか誰かが知らないどこかで削除してしまったのかもしれないなとつい非科学的なことを思い浮かべて心の中のモヤモヤを落ち着かせる。


*


「あぁ。くそ。なんでこんな時に限って一樹は連絡が取れないのかな。来週末には『Archelirion』は本格的に始動させなきゃいけない。これ以上『aemeth』を放置すれば、ナンバーズだけじゃなくて『666』の連中にも影響が出かねない。わかってるのかな、あの男はさ」

白衣を着た金髪の女性が頭を掻きむしりながら、フラスコやビーカーやガスランプが銀色の実験台の上で何かの化学薬品の反応を引き起こしている室内でぶつぶつと独り言を言っている。

ちょうど首の後ろの胴体との付け根あたりに001と刺青が刻印されているのは、爆発する知性プロジェクト第壱号被験体『四月(一日)紫衣』で、実験台の囲むように並んでいるモニターの数値を確認しながら高速で増殖していくアミノ基の配列パターンを確認しながらとても心配そうな顔をして白衣のポケットに入っている光る球体をごろごろと動かして気持ちを落ち着かせようとしている。

三台並んだモニターの一つにはPattern kurou-rienという関数表記が黒い画像に白い文字で浮かんでいて、ランダムに出力される配列をまるで一つの意志が統合してしまうようにしてやがて規則的な文字列に並び変わって断続的に繰り返されたのかと思うと突然また文字が分裂してしまうと、バラバラに行動をし始めて唯一の規則性を求めて連続性を持続的に配置している。

「あなたがもし諦めてしまっていたら、ぼくらは再び出会うことなく電子の海で情報体として生きることを選んでいたのかもしれない。それでも果てなく肉体を求めたからこそあなたもぼくも『aemeth』に違う答えを見つけられる。四月(一日)先輩。とても嬉しいですよ」

Pattern org-rienと出力されたモニターには無限ループでアミノ配列パターンを羅列して進化を肯定しながらビックバン現象とよく似た数値を記録していたけれど、突然出力が止まり黒い画面からテキストが消失してしまうと、Hello worldとアルファヴェットがまるで情報そのものに意志が宿るようにして出力されてビープ音が鳴らされる。

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