10.As for the future, your task is not to foresee it, but to enable it.
「俺の準備は万全だぜ。兄弟は俺の中で眠っているはずだ。叩き起こして激震合体でユクドシラルパワーフルドライブでぶちかます!」
ぼく、ルル、沙耶、乖次、白河君の五人はアプリケーションのインストール』が終わったことを確認して起動準備が完了するとお互いに目を見合わせて息を合わせ、Enterボタンに人差し指を乗せる。
「このコミュニティは常時十万人が参加している大型プロジェクトにも対応出来る並列コンピューティングシステムよ。理論上は演算速度に問題はないはず。『アースガルズ』を触媒に使えばデータ転送量も申し分はないと思う。後は私たちの理論に間違いがなかったと証明するだけ。準備はいいかしら」
「人工生命という問題を無機物という状態を介して実現する。『アースガルズ』は俺たちの夢なんだ。成立不可能と思われてしまう思想や概念を持続させること、そのものが戦争に繋がる。前に進むのならば決して避けては通れない。梨園は間違ってなんかいなかったんだ」
乖次の冷静な言葉でぼくたちの心に火が灯る。
じわりと指先に汗が滲み、『トール』と向かい合っていた『アースガルズ』が僕たちの方を振り向く。
セーノッと声にならない声でぼくらに合図を送って『アースガルズ』が物理宇宙の境界線に飲み込まれてしまう時と同じように両手をめいっぱい拡げて身体中で電撃による苦痛の全てを引き受けようとする。
ぼくらは一切の油断も迷いもなく『アースガルズ』の身体が十字架の形に拡がった瞬間に合わせてトーンッとEnterボタンを押す。
「すごい。これだけの量の演算がもう解析完了してしまう。あと十秒もすればプログラム通りに『アースガルズ』にエネルギーが送られて5マイクロ秒×電気エネルギー分の出力が『トール』に一斉送信される。ぼくらは事象の特異点をもう一度観測出来るんだ」
けれど、ほんの少しでも計測予測数値に誤りがあれば少なくともこの学生棟ぐらいは跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。
全員がプログラムエラーの結果を考慮して十秒間の沈黙に息を呑む。
時間が止まる。
鼓動が続く。
汗がぽたりと額からテーブルの上に落ちる。
「来た! 始まる! 私たちは奇跡を目撃する!」
予測時刻ちょうどに演算されたエネルギーが寸分の狂いもなく『アースガルズ』を触媒にしてテスラコイルへと送られる。
スピントロニクスが暴走して青い稲妻が爆発音とともに訪れて『トール』の周囲にほど走る。『アースガルズ』は電撃によって身体中が感電しているけれど、決して倒れようとはせず脚を地面に縛り付けるように立ち続けている。
「来るよ。『アースガルズ』の盟友にして超神合体の長兄であり激震の雷槌の使い手、『トール』の登場だ」
ぼくはまるで子供の頃何度も見返した超神合体『アースガルズ』のワンシーンのような現実が目の前に現れたことに鼓動が高まり冷静さを失ってしまわないように自分を律しながら電気エネルギーを全身で受け止めている『アースガルズ』とテスラコイル上の『トール』の存在を見つめている。
「へぇーい! ようやく俺様の出番だ! 待たせたな、兄弟。涙なんてお前らには似合わねえ。何もかも雷に変えてやる!」
テスラコイル上で召喚された『トール』が劇中通りの台詞を吐き捨ててぼくらの前に蘇ると、右手で担いだハンマーを会議用テーブルに全力で叩きつける。
「うぉぉぉぉぉぉ! トールハンマー! ブチ割れろ!」
ぼくは我慢していた鬱憤を晴らすように両手で喜びを露わにして全身を震わせながら興奮状態を表現する。
トールハンマーの衝撃で会議用テーブルに亀裂が入り、予感を察したぼく以外の四人はノートPCを手に持って会議用テーブルから離れると、会議用テーブルが真っ二つに避けていく。
「兄者が来てくれたら何も問題は起こらない。い くよ、俺たちの震える魂を見せつけてやる!激震合体! チェェェーンジアースガルズ!トールオンユグドシラルゥゥゥ!」
『アースガルズ』が両手を広げて真っ二つに割れた会議用テーブルから飛び降りながら両手を広げると光に包まれて『トール』の身体も二つに分かれて片方がドリルに、片方がハンマーに変形して『アースガルズ』の身体と合体する。
「ついに初合体でござるな! このまま小煩い連中を『ミズガルズ』の奥深くへ送り届けてやるでござる!」
空中合体した『アースガルズ』がドリルを部室の床に向けて回転させながら右手のハンマーを降りかざす。
「激震ブレーカー! スターダストブレイカー!」
激震合体した『アースガルズ』が光に包まれてドリルが部室棟の床に突き刺さると扉付近まで一気に亀裂が入り、引き抜いたドリルの回転と反動を利用して『アースガルズ』の右手のハンマーが床に向かって思い切り叩きつけられる。
まるで未開の地の夜空のように眩いばかりの光が飛び散ると、強烈な振動で部室棟の床がマグニチュード五・〇ほどの地震が起きたように揺れ動き、ドリルで開けた亀裂を中心にして床が崩れ落ち半径一メートルほどの巨大な穴が開く。
「げっ。なにこれ」
沙耶がさっきまで輝かせていた目を曇らせて苦い顔をする。
ぼくらは『現代視覚研究部』の割れた床の隙間から得体の知れない蟲たちがわらわらと湧き出して部室の中へ無数に湧き出て来て、蛍光灯の光に当てられた深い青の多足類の甲虫たちが蒸発して黒い煙へとなり消えていく様子を目撃する。
次々に常識外れの甲虫たちが溢れ出て来るけれど暗い場所で蠢いていた蟲たちは明るい場所に姿を露出された途端に生命活動どころか存在すらなかったことのように消滅していってしまう。
「うげぇぇぇ。なんだ、こいつら。こんな奴らがぼくらの部室の床下に? けど、あっという間に消えていくぞ。あれ? なんだ、あれ」
ごそごそと黒い闇が蠢くように湧き出してきた大量の蟲たちの隙間から人間の頭部とおぼしき白骨が見え始めて骨の隙間から出てくる蟲たちが消えていくにつれて明らかに人間の骸骨がぼくらの前に現れる。
「どういうことかわからないが、この蟲たちは生物ではなく魔術によって産み出されていると考えるべきか。部室棟の地下だけではなく学校のいたるところにこいつがあると考えるならば。俺たちはやはりずっと監視されていたってことになる」
乖次が床から這い出てきた蟲の一匹が蒸発してしまう前に脚で踏み潰すと、床下にいた得体の知れない魔術が産み出した擬似生命は姿を一匹残らず消えてしまう。
「『陰陽魔道』。ぼくらが知っている魔術とは、あぶれたクラスメイトや近所の変わり者が使う魔法とは全く原理の違う黒い呪い。誰かがどこかでこの学校全体を呑み込む胸糞悪い仕掛けを仕込んでいる。白骨死体はその生贄ってことか」
ぼくは巡音が言っていた聖人君子とやらの存在をますます疑い始める。
不快な感情と嫌な気分が頭の中でいっぱいになってどうにもならない劣情で埋め尽くされる。
「雷神『トール』。君が壊した床下は私たちが思っているよりずっと事態は深刻だって状況を告げている気がする。残酷な未来を想定する必要はないけれど、簡単に問題が解決出来ないってことを示唆しているわね」
ルルが割れた床のすぐ傍に立っている激震合体した『アースガルズ』に悩みを打ち明けて、光に包まれて分離して飛び跳ねると二体のロボットが白河君の肩に乗る。
「マジか。身体を手に入れた喜びでついやりすぎちまった。俺様が見つけた灯りはお前たちをどこに導くんだろうな」
『トール』が担いだハンマーは光の粒に変化してどこかへ消えてしまう。
この部室にはぼくらが慣れ親しんでいる科学とは違う原則がたくさん集まり始めている。
一つ一つ丁寧に振り解いていかないと自分たちが出来ることと出来ないことの区別がつかなくなってしまうかもしれない。
「おい、狐。兄者はシンプルな人だ。細かいことは気にせずとりあえずこの場を復旧させるんだ」
「わかっているデござる。会議用テーブルは予備があるので割れたものは元に戻そう。とはいえ、問題はこの白骨死体でござる」
「そうね、気味の悪い蟲はこれ以上出て来ないみたい。和人はこの骸骨の目星はついてる?」
「ぼくには出所はわからないけど、乖次が何か勘付いているみたいだぜ。テーブルを戻して冷静になろう」
沙耶とぼく、ルルと白河君の四人で廊下から予備のテーブルを持ち込んで壊れてしまったテーブルを折り畳む。
乖次はソファに座り膝の上でノートPCを触りながら何かを検索している。
「この記事だ。この行方不明な用務員の話だ。管理者の『累文恵』が当時妙に騒いでいた。二年前だな」
テーブルを戻すと、ルルが乖次の座っているソファの隣に座り乖次が見ているDoppelgängerの過去記事に指を差して真剣になる乖次の表情を緩ませようとする。
「うわ。この子、用務員の子を色仕掛けで落とそうとしてるの? 五十代の独身男性を毒牙にかけようとするとか性格が悪過ぎる」
「そういうやつなんだ、通称『メンタルバーナー』。恋愛に独自の方法論を持ち込んでモテない男子とモテる女子の両方の心を掴み取っている」
「妙に詳しいわね。乖次にこんな趣味があるとはね。意外」
「俺の高校時代の同級生で、まぁ、こんな話をしてもしょうがないが、当時付き合っていたんだ。やたらと火をつけて男にマウントを取りたがる。俺の前では大人しくしていたけどな」
「なるほど。梨園とは全く縁のない感じがちょっとだけ分かる。若気の至りって訳でもなさそうだし」
「心って問題を真面目に考えているという点では共通点はあるさ。こいつは妥協こそ全てみたいな思想だがナ」
「で、乖次にだけは妥協したりしなかったと」
たぶん梨園が普段していた役目をルルがしていることに気付いて乖次は深呼吸をしてからルルの肩を叩き、ノートPCを持って交換された会議用テーブルに戻り、僕らと話を共有しようとする。
「累さんは確かに器用な感じがする。心理学の授業を二年の時に取っていたから一緒だったけれど、あっという間にみんなの人気を取って集団のリーダーになっているの。私には出来ない芸当だなって思った。私と違って多対一にとても強い」
「沙耶殿はその代わり一対一で勝てる人間はどこにもいないでござろう。必要としている局面をお互いに理解しているだけでござるよ」
「稔はそうやっていつでも女の子に優しい。モテを意識していないのかもしれないけどもう少し人に厳しくしてもいいんだよ」
「自制心をご主人様にコントロールされているんだ。暴走して野獣になる白河君なんてぼくはみたくない」
「あ、それはひどい。それじゃあ稔に好きな子がほかに出来るのを否定してるみたいじゃん。巡音さんとは最低あと一年は会えないんだよ」
「白河君に思い切って告白したD組のマドンナの気持ちを考えたことがあるのか。その後、黒板に白川君にバックから犯されている落書きを書かれたぼくの気持ちを」
「あれは性悪でござる。巡音殿の魔法学院行きを小馬鹿にしていたデござるからな」
「白河君、それでも健全なる高校生はその誘惑に負けるものだ。けど、まぁ、そうだな、ぼくだったらたぶん上履きに画鋲を入れてでもやり返したかもしれないな」
「ほほー。やっぱり君たちは累さんのブログに目を通して女心を学ぶべきだね」
乖次とルルが見ている心理学科に通う人気ブロガーでありSNSマスター、『累文恵』の運営するキュレーションメディアの過去記事を沙耶と白河君と一緒に覗き込む。
「このおじさんが部室に埋まっていた用務員だというデござるか。いくらなんでもこんな場所に入り込んで白骨化するほど『累文恵』とやらにのめり込むとは思えないでござるよ」
「この呪印をみてくれ。累はこれを用務員の仕返しだと思い込んでいたんだ」
「うん。累さんがわざわざこの用務員さんの仕事場近くを通ってさりげなく勘違いを引き起こすような仕草や合図を残してちょっとずつ気を引いていたんだっけ。性格わるって当時話題になってたわね」
「人間は不便だな。俺には必要のないものを重ねてコピーを作るって意識がないからな。この女のしてるようなことは影響を与えるなんてことはないな」
「俺様みたいになりゃいいんだ。襲いかかってくる雑魚キャラは叩き壊しちまえばいい」
「けど、この用務員はほとんど累の誘いに乗ってこなかったんだ。独身男性にありがちな男としての反応はあってもな」
「だから累さんは直接的な行動に出た。それとなく話しかけて会話をして徐々に関係性を深めて。もちろん彼がみていないと知っていたブログ上では累の実験と称した用務員の反応に関する記事は毎日更新されていた」
「まあ、暇な大学生にはウケのいい内容だな。ぼくだったらあっさり引っ掛かって惨めな姿をネットに公開でもされてそうだけど」
「そうだ。それでもこの用務員は一切累の方へ積極的アプローチをするようにはならなかった。だからネット上では不満が轟々。まるで背信者を衆目の面前で処刑する新教徒のように非難の声はエスカレートしていく」
「それでも、累さんは一応プロブロガーね。名無しの書き込み程度で不用意な煽りに乗ることはなく、淡々と精神的な工学実験を繰り返した」
「なんともむず痒い話でござるな。小生にとって用務員殿の話がわからないでもないでござるが、累殿の考えもわかるデござる。テストサーバで新規アプリケーションを開発しているようなものでござろう」
「白河君が意外にドライな反応。まぁ、名目上は唯一無二の契約者。心的体験として用務員とは対極になるのかな。それより白河君、君のモテル男の精神性はどうにかならないか」
「和人の言う通り甘えて生きる俺たちが愚かに見えるほど稔は徹底しているな。獣人化はほとんどの人間にとっては力を誇示する為の手段に過ぎない」
「ねえ、それでこの九月十三日に彼は突然姿を消すのね。なんの前触れもなく唐突に煙が消えてなくなるようにして」
「そこに残されていたのがこの奇妙な文字の呪印でござるか。しかも血文字で書かれているでござる」
「『累文恵』やネット住民は都市伝説として扱い一時期消えた用務員でクソコラが山のように作られていたな、ぼくにはちょっと疎ましく感じられた」
「けど、いつものブームと一緒でいつのまにか彼の噂は忘れられてしまった」
「そうだ。白骨死体の頭頂部にあった呪印がこの壁に残されていたものと一緒なんだ。巡音ってやつが言ってた陰陽魔道なら辻褄は合う」
「けど、どういう原理なの。床には工事後なんてものはなかったはず。いつのまにか床下に入り込んで私たちが部室で過ごしていた二年間の間、ずっとこの場所にあったってことよ」
そこでぼくらは一旦思考を停止する。
物質を透過させて通り抜けさせる技術なんてものは現代科学では到底追いつくことが出来ない。
量子テレポートを実行するにしても受信機と発信器の問題をクリアできない。
何故完全な密室ともいえる状況に用務員の白骨死体として保管されていたのか。
そもそも何故ぼくらの部室の床下にいつのまにかぼくらの目を盗んで白骨化した死体が存在していたのだろうか。
ぼくは『トール』が会議用テーブルを叩き壊した影響で床に落ちていた自分のノートPCを拾い上げると、受診していたメールを確認する。
【mio@佐々木和人!久しぶりだな! 澪ニャンは君の暑苦しい戯言が懐かしい! 今すぐにでも抱き締めて胸元で十二分に天才のエキスを感じさせてあげたいところだが、私も『ポロ』の開発でとても忙しい。言葉を話し意志を疎通させる段階まで後少しということだ。昨日、十三体目の実験体が二週間の短い生命を終え、私たちは一晩中涙を流して悲しみを洗い流していたところだよ。ところで君は未だに魔術なんてものに囚われているのかい。いいか、魔術はドガン! ボカン! ズッドーンだ! 難しく考えてもしようがないんだ。けれど、みたいのならば私の論文を送ってやる。いいか、眼を閉じるな。考えずに感じるんだ。もし、君が暗闇を扱う魔術と出会ったならば方法はそれしかない。世界を変えてみせろ、佐々木和人。私はそこで待っている!君の親愛なる『グラニューラーヘッド≒記号と配列の魔術師=横尾深愛』より。」
きっと聞いてもこの答えが欲しかったのだろうとぼくは添付された論文を開いて中を確認する。
専門用語やグラフなどが随所に散りばめられて読むだけでも一晩以上かかってしまいそうな内容だけれど、横尾先輩のドガン! ボカン! ズッドーン! はこの論文を要約したものなのだろうということはなんとなく推測が出来る。
度重なる悲劇でぼくは自我のようなものが乖離していたのかもしれない。
(そう、君はずっとぼくの場所にいたんだ。依代を求めてぼくを求め続けていたんだ。弱くていいんだ。死を想え。苦しみを抱えて絶望に酔いしれろ)
用務員の白骨死体にはぼくらが知らない技法が持ち込まれている。
例えば、五十年後のぼくらならば当たり前に持っている技術が古代社会には存在していて、『陰陽魔道』と呼ばれる術式にはミッシングリンクを埋めてしまう可能性すら存在している。
チルドレ☆ンが監視だけを目的として『執務室』上層部と関係を持つことで一切の干渉をしてこなかったという歴史的事実にはもしかしたら誤りがあるのかもしれない。
それはぼくが高校の三年間通い続けてきた『七星学園』地下に幽閉されている『類』ですら知り得ない魔術が存在しているということだろうか。
──正史では、『魔術回路』は戦国時代の足軽の中に産まれたとされているな。どこの国でもほとんどがそういった文献を元に『魔術回路』は研究されている。お前の考えている通りだ。けど、そうだ、俺が最初に魔術を手に入れた日のことをお前に話さなければいけない時がきた。義眼の女と最後に会ったのは卒業式の日だったな──
さりげなく『類』は現在ぼくらが知り得ている『魔術回路』とエーテルに関する知識を根本的に覆してしまう発言をする。
『実在を担保された神』はぼくらを彼らのコピーとして彼らの経験した歴史的螺旋性の渦の中に放り込んだ。
『古代地球史』に記録されている歴史とまったく同じ道筋を辿り、そうしてかつて古代地球に存在していたはずの文明社会の極地はぼくらが住んでいる『ガイア』とほぼ同一の形のまま再生されている。
まるでどこかでプログラムされた写像を映しこんでいるように。『執務室』を含め、ぼくたちの世界にチルドレ☆ンの技術が持ち込まれていないという記録そのものに誤りがあるのだろうか。
「お前は今から四百年前の『大和』、信濃国で産まれて農民として暮らし、ある日、突然、力に目覚めたと言っていた。つまり、現在、ぼくらの社会の研究成果として発表されている『魔術回路』のように遺伝子の中の構造上の欠陥として肺胞にエーテル供給体を生成することで産み出される訳ではなく、お前の魔術は何か超常的な力から影響を受けて今の力を手に入れたということか」
──俺の記憶を共有しよう。今、俺に出来る事は脳内情報の受信と送信に関わる魔術ぐらいのものだ。彼らが俺に対して何故ここまでの力を与えてそして封じたのかお前たちも一緒に考える必要があるようだな──
『phoenix』を起動してローカルネットワークを経由させ、ぼくは『現代視覚研究部』のメンバーのPCをハックして映像アプリケーションを立ち上げる。
「ご主人様。『phoenix』へ伝達されている映像記録を各ノードに送信します。記録は一六〇〇年十月十七日。『フォールド』級『大和』信濃国国分尼寺領『幻花家』当主『幻花権左』の農地での記録映像です」
「わかった、『ドグラマグラ』。みんなでぼくの秘密を共有しよう。ぼくは『執務室』開発室『キノクニヤ』拡張意識形『改造医療実験体』零肆玖番、マイクロRNA『phoenix』を血液中に巡らせている佐々木和人だ。今学校で起きている問題は恐らくこの零肆玖番を巡る問題なんだ。そのことを説明する為にもまずはぼくの意識とリンクしている古代の魔術師の記録をぼくと一緒に体験してくれ」
ぼくは瞳を閉じて体内を駆け巡るヘモグロビンや白血球たちが高速で動き回る感覚まで感じながら、ゆっくり目を閉じる。暗闇が訪れて記憶が累と同化する。
「おい! もう起きろ! 朝だ! こんな時間まで寝てたんじゃおマンマの食い上げだ!」
秋も深まり冬も近いというのに着るものにも困っているのか煎餅布団にくるまっている男を鍬で叩き起こしている女の着物はひどくみすぼらしくあちこちが修繕されているけれどほとんど防寒の役目を果たしきれていない。
泥と垢で汚れた服は丁寧に着古されてはいる様子が伺えて女の顔は皺だらけで皮膚が垂れ下がり醜女と言っても過言ではなく、そんな女に起こされたことに綿の抜かれた布団から嫌々ながら抜け出そうとしている。
「『鞠』かよ。もう少し丁寧に起こしてくれ。今ちょうどあったかい御殿でおなごに囲まれて過ごしていた夢をみていたとこだのにヨ」
「やかましいわい。この穀潰しが。オメえさなんかと一緒にくらしとるのは人手がなりねぇからだべ。さっさと起きて働ケヤ」
のそのそと『鞠』と同じようなボロボロで修繕だらけの着物の男は布団から嫌々ながらも這い出て裸足のまま土間の井戸まで出向いて冷水で顔を洗い、手杓子でゴクリと井戸水を呑み玄関先で『鞠』と同じような鍬を担いで野良仕事に出掛ける。
「いいけ。お前は先に肥溜めさ、いって糞を汲んでこい。ワイは土を先に転がしとく。おい、さぼるんじゃねぇぞ。働かねーもんはめしばない」
「わかっとるユーに。ほんまうるさいババアじゃノ。オマンみたいなじゃなく甚兵衛どんとこのナコルルにしとけばよかったわ」
男はまだ眠気が覚めていないのかふらふらと歩きながら茅葺屋根の家の裏庭まで行き、廁の裏側にたっぷりと溜まっている肥を樽桶の中に柄杓で組むともはや漂う臭気に慣れきっているのか特に嫌がる様子もなく二つの樽桶を肥でいっぱいにして肩に桶の下がった天秤棒を担いで覚束ない足元のまま表の畑で仕事をしている『鞠』のところまで歩いていく。
「なんじゃ、『鞠』。おめえ、今日はみょうに仕事に性だすじゃねぇか。どうせ頑張ってもなにもかものやつががっぽりもってくだけでわしらが得なんてねぇんだぞ」
「ンダドモ何も食ワねえわけにはいかベヤ。誰がやらねばなんネ話だ。オメエもさっさと糞まいちまえ。エエガ。これがオラサたちの仕事だ。わすれるんでねぇ」
フンと男は天秤棒を泥の上に置き、柄杓で畑に肥を撒いていく。
糞と泥が混ざり合ってどうにもならない臭いが畑に漂うが男が気にする様子はない。
「おい、みてみろ。『幻花』様がまた新しい妾をつれてきとる。ハラワタ裂かれて犬の餌にするだけじゃいうのにもったいない話じゃ」
「なあ、『類』よ。お前はどこにそんな阿呆な頭をもっておる。生きて粟を食うテ糞を撒く。お前にそれ以外の命があるとオモウトルのか」
「やっぱおまえは『預言』の話を信じてねぇ。俺の手が光って天まで登って米を降らすんじゃよ。オメエはそれが出来ねぇと思ウトル」
「まだそんなばかさイウトルカ。オメエはずぅぅとここにおるだけじゃ。糞を撒いて泥をかいてそれだけのために生きとる。神様なんてもんに近づくなんてばかなことばかりじゃ。」
「いまにみてろ。オメエナンザさっさと捨てておれはおれのみちさ、歩く。ほれ、みてみろ。『白い稲妻』じゃ。おれはあそこにいる」
「オメエのばかはなおんねぇ。ほんとどうにもならん。んだば、せめてだまってしごとせぇ。」
しぶしぶ畑に肥を撒き終わると『類』は空を眺めて青い空にうっすらと残ると白い稲妻に目を奪われて手を止める。
止まった手に『鞠』の鍬が当たり血が出る。
『類』の手から流れた血が畑に撒かれた糞と混ざり天が光る。
西の空で白い光と赤い光が交差して一筋の赤い光が西の森まで落ちてくる。
大きな爆発音がして煙りがあがり森からたくさんの鳥達が空に向かって羽ばたいて逃げ始める。
轟音が村中に鳴り響いてまだ暗いうちから野良仕事をしていた村民達が音のする方へ一斉に顔を向ける。
『類』は持っていた柄杓を地面に落として両手が空っぽのまま森の方へ向かって呆然と立ち尽くすと左眼から涙を流す。
瞳孔が赤く滲んで酷い痛みが走り涙に血が混ざって頬をアルブミン、グロブリン、リゾチームの混ざったアルカリ性の液体とヘモグロビンが結合して化学反応を起こしたまま地面に流れ落ちる。
『類』は痛みなど忘れて膝をつき両手を合わせて目を閉じて空と森と轟音に長い月日の間溜め込んでいた祈りを天に向かって捧げる。
空が黒い雲で隠れてあたり一帯が暗闇に染まる。
「そう、これはあなたの人生の物語。長い時間をかけて渦巻く螺旋の中心で足掻き苦しみそして喜びを手に入れるあなただけの物語」
芹沢美沙は久しぶりに外した黒い眼帯の奥で赤い光を鋭く放つ義眼から0と1にまで還元された信号を受け取って空を見上げる。
明るいままの夜空にはもう白い稲妻もやって来ない。
きっと切り開く必要がある道を自分の手で切り開かなければいけない時がまたやってきたんだって彼女は小さく願い両手と指と指を絡めて小さく握り締める。
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