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11.Meltphace 6

ほとんど居眠りで過ごした翌日の放課後の教室はいつもよりみんなが子供っぽく見えて少しだけ苛々がいつもより大きくて、そんな苛々から逃げるようにしてスマートフォンを取り出して時間を確認すると十六時三十八分だった。

テスト前ということもあり、ほとんどの生徒は足早に帰宅の途についてしまっていて、教室にはほとんど生徒も残っていないのに、芹沢さんは机に座ってノートに何かメモを取っている。

なんとなく彼女に話し掛けるのは、はしたない欲情を丸出しにしてしまうような気がして、後ろ姿だけを確認して親友の席を振り返り、彼の不在について少しだけためらいながら昨日あったこと、この二週間ほどであったことを頭の中で整理する。

隅っこのほうにとても小さなわだかまりがあって解決出来ない問題について悩み、白河君の昨日の夕方の別れ際の台詞を思い出す。

──小生はあのまま毒素が全身に行き渡っても時間が経てば問題はなかったらしいでござるよ。ただ眠らせたかっただけということでござる。けれど、小生には不思議と大きな後悔がないでござる、難しく考えないでくれでござる──

登校していない白河君にメールを送るとその後の様子を詳しく教えてもらうことが出来た。

彼はあの後、あの獣人姿のまま、腰のあたりに保健室から盗んだタオルケットだけをまとい、その格好のまま堂々と家に帰り、両親と出会い、話し合いをして、今日の日中に母親と学校に出向き、職員たちと協議の末、白河君は停学処分になるけれど期末テストは別教室で、一人で受けさせられることになったようだ。

退学の道は本人が望んでいないこともあり、他生徒の影響も懸念されたけれど、半獣である母親の強い意志もあり職員たちも受け入れ、あと一年半無事に卒業する道を選んだということだ。

それと、契約者の名前を聞かれても断固として沈黙を守り、巡音の名は一切明かさなかったようで、なんというかなにもかも白河君のままで何も変わってなどいないように思えてしまう。

『類』は眠りについてしまったのか頭の中の声の念仏はすっかり鳴り止んでいるけれど、ぼくの中の絶え間ない好奇心のようなものが子供のように騒いでいたクラスメイトたちから抜き出てしイオうとガンガンガンと『類』が眠っている部屋の開かない扉をノックしている、そんな風にしてぼくはテスト前最終日の学校を出て帰宅する。

「白河君にかける言葉がない。なんだか少し寂しく感じてしまう」

いつも寄る駄菓子屋は普通科用正門とは真逆の北側にある魔術科用第二正門側にあり、ぼくはいつも帰宅するとグルッと学園を迂回して朝降りるバス停の二つ手前のバス停から帰ることが多い。

その方が他の生徒も少ないし、駄菓子屋にも寄れるのでいろいろと好都合だ。

今日もそういう風に寄り道をして帰ろうと迂回した帰宅路を歩いていると、十メートルほど先にちんちくりんの女子高生がとぼとぼと一人で歩いている、こんな時間にこの辺りを歩く魔術科はほとんどいないので気になって目を凝らしてみると、昨日灰色の世界でぼくらを苦しめた泥の魔術使い、水恩寺莉裏香だった。ぼくは大きな声で彼女を呼び止める。

「おーい!水恩寺! こんな時間に何をしているんだ!」

ぼくの声に気付いてこちらを振り向くと、とても気まずそうな顔をして逃げ出そうとする水恩寺。

「うわ、どうして逃げるんだ! ちょっと待て!」

走り出す水恩寺と追いかけるぼく。

体重が増えてきたけれど、まだまだ女の子に負けるぼくではない。

百メートルほど学校近くの住宅街を走り回って何故か駄菓子屋近くの公園に逃げ込み噴水あたりで息切れして立ち止まる水恩寺。

「なんで逃げるんだよ!」

「どうして追いかけてくるのよ!」

はぁはぁはぁとお互いになれない運動のせいで酷く息切れしてうまく言葉を話せない。しばらくの間、膝で息をしながらなんとか呼吸を落ち着かせる。

「はぁはぁ。魔術科はまだ授業中のはずだろ。なんでこんなところに一人でいるんだ」

「昨日あんなに髪の毛抜いたからめちゃくちゃ調子悪いんだもん。早退してきたんだよ、ほら、みて、ここのとこ、ちょっと禿げっぽくなってる」

ふた回りほど小さい水恩寺が自分の右の頭頂部を指差す。

たしかに少しだけ髪の毛の量が少ない部分がある、どれだけ泥人形をつくったんだ、こいつは。

「このぐらいなら気にする必要はないな。それにしても早退か。どうしてあそこまでやったんだ。君はともかく他の二人はかなり余力を残していたようだし」

はぁぁと水恩寺は大きく溜息をつく。

「ほぇぇ。まぁ、今日は暇だし話しても怒られないとこなら教えてあげる、そういう顔をしているよ。そこのベンチでお茶でも飲むベヨ」

妙に垢抜けない水恩寺だが、泥人形と戦ったり走り回ったりで、ちょっとだけ距離が縮まったようだ。

ぼくも快く承諾してお財布から二百二十円を取り出し、ぼくはミルクティーを、水恩寺はおーいお茶を買って噴水がよく見えるベンチに座る、ここのところ妙に女の子と話す機会が多い、モテ期だろうか。

けれど、この水恩寺とかいうちんちくりんにはモテたとしても全く嬉しくない気がする。

「ほい。とりあえず飲め。あったかーいだ」

むきーと抗議するように右手をあげて水恩寺は夏の始めの公園のベンチで何故かまだ自販機にあった暖かいお茶を受け取る。

「やっぱり私のことはみんな苛めるね。いいよ、もう。そんで、どこからだっけか」

「お前たちは何者なんだよ、悪いことでも考えてるのか」

「なんだよ、何者って。大袈裟だなぁ。だいたい狐くんのことだってさ。うーん。まぁそれはいいか。私たちはCRASS。大戦後に封じられてきた回路の可能性を探求する為に課外活動を許されているの。特別課外学級委員長の百舌さん、厳しいから今はうちら三人と、まぁあと一人、彼はいわゆる『特別な人』」

「──惑星船団『ガイア』の正常運行と人類の発展の為、魔術回路は社会的公正に基づき保護される──つまりチルドレ☆ンにならない限りはお前らの能力は優性人種保護の名目の元、制限され続けている、だっけか」

「まぁ、私みたいな第二種にはあんま関係ないけどさ。巡音さんとか廓井さんみたいな一種の人にはきつい制約だって、人権そのものを踏みにじられているって抗議運動する人もたまにいるもんね」

「あーあの小煩い連中な。気持ちがわからんでもないけど、今日の晩ご飯は抜き!みたいなことか」

「うう。ズバリのような気がしてしまう。けど、たぶんちょっと違う。その、ちょっと、を私たちは研究してるの。だってやっぱり悔しいもん」

イドの中と公園ではやっぱりこいつの顔つきは全然違う気もする。

白河君も狐になった後は何かが変わってしまった気がする。

そういうことだろうか。

「で、禁忌の呪術を発掘して普通科にいるようなやつを支配、ってことか」

「大戦前の魔術師は本当にすごくてみんな訳の分からない高揚感にほだされて勝ち目のない戦争をした。だから二度とあんなことはってうちのばぁちゃんは普通の人だからよく私の小さい時言ってた」

「だって実際に白河君は獣人化してしまった。かれが元に戻る手段もぼくらは知らない」

「そうだね、そうやって普通科の子たちに振る舞うことを『暗がり』にいる子はなにが悪いんだってそう言って百舌さんとこには来なくなったんだって」

『暗がり』。

うちは魔術科にとっても普通科にとっても全国有数の進学校。

将来は保証されていると言っても過言ではないけど、毎年のように厳しい競争に負けて吹き溜まる奴らが当然のように現れる。

なまじっか元エリートだけにプライドを持っているせいか性格が捻じ曲がって色々と悪い噂が絶えない連中だ。そういう奴らを揶揄していつからか『暗がり』と呼ぶようになった。

「普通科も混ざっているからな、ぼくは吹き溜まりたくなる理由があまりわからない。お前は違うのか」

「だってあそこですら虐められるもん、私。彼らは百舌さんや巡音のお兄さんに負けたことが悔しいんだと思う、私は最初からそういうのは目指してないしさ。泥人形しか作れないんだもん」

「そうか。それはちょっと分かる気がする。優しいやつは嘘をつくやつだ」

「なにそれ。私を誘惑する気か。ただ『イド』の中にいつもいられたら私も彼らとおんなじ。持て余す力をめいっぱい悪いことに使いたくなる。だから昨日は気持ちよかった、負けちゃったけどさ」

「瀧川と米澤は体育倉庫によく出入りしてたな。回路持ちの彼氏でも作る気だったのかな」

「彼女たちを案内したのは私だよ、回覧板回さないと私も危ないし。それに西野さんもそうしなって」

「西野? 西野ひかり?」

「うん。知り合い?同じ二年生ダもんね」

「あ、えっと同じクラス。話したことはほとんどないけど」

「そうなんだ。西野さん、ものすごく頭良いよね、百舌さんと同じぐらいか、うーんもっとカナ、あの人のはなんか違う気がする」

「まぁ、彼女は普通科では常に上位だから、選抜試験候補者だしな。ぼくはいつもぎりぎりだから羨むわ」

「ふーん。そんで、西野さんがさ、彼女たち二人は回路持ちの気持ちを知りたがってる。お近づきになりたいんだって言うんだ。変な子もいるんだなぁって思って私が泥人形作って『暗がり』の回覧板を回したの。あ。幼馴染がさ、そうなんだ、『暗がり』」

「じゃあ、やっぱり彼女たちは呪いを受けてあの選択肢を選んだのか。死にたいって気持ちを作ることもお前たちは可能なんだな」

「正確には違う。たぶん『こっくりサン』かな。あれは」

「『こっくりサン』って小学生のとき十円玉使ってやるあれか?」

「呪術式はちょっと違う。特別な魔女の血が必要。誰が持ち込んだのかわかんないけど」

「じゃあ、なにか。彼女たちは自分たちで『こっくりサン』を呼んで呪い殺されたとでもいうのか」

「うん。あれをやったのは私たちじゃないんだよ。私たちは彼女たちの魂が行き場をうしなってしまったから匿っていただけ。呪術式の魔術は綺麗に死ねなくて苦しむからね、しばらくのあいだだけ」

「『イド』の中であいつらと会えたのはそのせいか。CRASSに入るっていうのはそういうことか」

「まぁ。エリートコースまっしぐらみたいな進学は望めなくなるから私みたいな子にとってもそう。黒い魔女、君たちが忌み嫌う人たち。死者を愛する人達。彼女たちは眠った回路の呼び起こし方を知ってるんだって」

ぼくらは子供の頃から魔女を嫌っている。

魔女に捕まればあらぬ考えを植えつけられ望まぬ未来を選んでしまうとぼくらは物心ついた時からそう信じている。

「肺の気泡の突然変異。科学の力で解析出来ているのはここまでだからな」

「『イド』の中ではね、生命の時間は止まっているに等しいから。狐君にはそれを教えたかったんだよ、たぶん」

「けど、西野がどうして彼女たちと仲良くなったんだろう、クラスではそんなのは見たことがない」

「わかんないよ!西野さんとは五月の連休明けぐらいに友達になったんだ、あの人が水族館に連れていってくれたの」

「なんの話だ。なぜぼくがいきなり百合話に夢中にならねばならない」

「まあ、いいじゃん。ほら、鳩も話を聞きたそうでしょ」

「ほんとだ、ぼくは鳩の目がキモくて嫌いなんだ。本当になんの話だ」

「でね、鮪って知っている?」

「古代魚。昔、地球の海を泳ぎ回っていた回遊魚」

「クローンだけどね、品川水族館にはいるんだ、正確にはいたんだ」

「あぁ。教科書でみたあの魚も目が嫌いだ」

「私たちが遊びに行った日に水槽ごと絶滅」

「ばかげている。けれど偶然にしては出来すぎだな」

「西野さんもせっかく来たのにごめんね、って海でもみようっていうんだ、彼女のせいじゃないのにさ」

「そして、二人は永遠に結ばれたのか」

「うん、海に向かって走りながら、じゃなくて、西野さんが海の方にきてね、このまま一緒に飛び込んでみようか? そう言うんだ。まるでいつも私の心の中でドロドロしている気持ちをこっそり覗きみたいにさ」

「死にたい系女子か。いじめられっ子にはありがちだな、ぼくが何度トイレで泣いたと」「あーやっぱり同じ匂い。無味無臭。けど、西野さん、なんでかしんないけど、私みたいなのにも普通に接するんだよ」

そういうと、水恩寺はベンチから立ち上がって一人二役の小芝居を始める。

ちょっとのつもりが思わぬ時間を取らされている。

『「ほら。こうやって目を閉じて水の中を浮かんでいるのを想像するの」

「死んだ鮪みたいにですか?」

「そう。二人で一緒に海の中を死体になってさまようの」

「ぷらとにっくすぅさいどですね?」

「いいえ、だぶるぷらとにっくすぅさいどですよ」』

小芝居を終えると満足そうにお茶を飲み水恩寺はベンチに座る。

「そうやってね、西野さんはすごくロマンチックなことをいうし、わたし友達とかあんまりいないしさ、すごくうれしくて、いろいろお手伝いすることにしたんだ。綺麗なことたくさん考えてくれるしさ。でもね、私がお手伝いしていた事を宝生院さんのことで百舌さんが気付いてあれはやっちゃダメなことだって。だから彼女たちも特別課外活動CRASSに招いたんだ。百舌さんそういうとこすごいからさ」

「宝生院? 時田との件も西野が絡んでいるのか? 彼女が殺人犯? けど、魔術なんて使えんだろ。あいつは」

「それはとても複雑。彼女は何もしていない。けど。そう、西野さんはたぶん人の命なんて価値がない、そう思っているような気がした」

「わからん、おまえ、いまとんでもないことをサラッと言ってるぞ。どうして、西野が時田と宝生院の件まで」

「『黒い憂鬱における魔女の誘惑』」

「なんだ、それは」

「パフェ食べたい」

「何を言っているんだ」

「ジャニーズのパフェ食べたい。連れてって」

近所のファミレス『Johnny's』のスペシャルサンデーパフェのことを言っているのだろうか。

まるで理解不能な言語にぼくの脳が追いつかない。

「むむ。たしかに小腹が減った。しかし、割り勘だぞ。石油王とでも知り合ったつもりか」

「けちやろう! でも許してあげよう。ドリンクバーだけで」

「手を打とう。スペシャルドリンクを飲むがよい」

公園を出て国道沿いのファミレスまでは徒歩で十分ほど行った先で、制服のフリルがかわいいともっぱら男子の中で話題のお店、『Johnny's』へ向かう。

水恩寺はパフェを食べられることがとても嬉しいのか鼻歌まじりでスキップまでしている。

一緒にいるこちらの方が恥ずかしくなるがほうっておくのが良さそうだ。

「私はここでバイトするのが夢。制服似合うかな。」

「お前じゃ似合わないと思うよ!」

きっちり切り捨ててファミレスに入ると、妙に聞き覚えのある──いらっしゃいませ──の声がレジの向こう側から聞こえ、奥から出てきた黒い眼帯を左眼につけフリルのついた制服に身を包むまるで天使のような芹沢さんが現れる。

ぼくは気まずさと可愛すぎる芹沢さんの制服姿でまるで身動きが取れない。

芹沢さんはぼくに気付いたけれど、特に親しい言葉をかけるわけでもなく、ただ営業スマイルを全開にして──こちらへどうぞ──と左奥の窓際の席を案内する。

なんとなく頭を伏せながら水恩寺の後ろを歩き、席に着く。

──お決まりになりましたらお呼びください──と言い、ちらりとぼくに目を向けた芹沢さんの表情が一瞬だけクラスメイトの芹沢さんに戻ったような気がした。

「じゃあ私はチョコサンデーバナナパフェ!とドリンクバー」

ピンポーン。

ぼくがメニューを選ぶ時間など気にせず店員呼び出しボタンをかまわず押す水恩寺。

「早いな。ならぼくはいつも通りドリンクバーとペペロンチーノにしよう」

現れた店員は芹沢さんではなく別の中年の女性でさっさと事務的にぼくらの注文を受けるとレジ奥に引っ込んでしまった。

「どこから話そうかな。うーん、そう、西野さん。私おしゃべりかな」

「そうだろうが、誰にでも王様の耳の悪口を言いたい時はある、気にするな」

「うわ! 目から鱗! 寝耳に水! 口止めされているわけじゃないけど少しだけ奥歯にものが詰まっていて、誰かに打ち明けてしまいたかったんだ。うん」

「何がだ。とりあえずドリンクを持ってきてやる」

ぼくはレジ近くのドリンクバーに行き、不思議な色になったドリンクとコーラを持って先に戻り、製品化にはたどり着けそうにない不完全な配合をされた色のドリンクを水恩寺に渡す。

「あ。これ意外と美味しいよ」

「ふふふ。劣性遺伝は眠っているだけなんだよ」

「ほほー。そんな味だ。そう、劣性遺伝。私の母もそうだけど、西野さんはおばあちゃんがそう。彼女のお婆さんは戦時中、零戦部隊、特に『KAMIKAZE』にいたの。とても優秀で強烈で、そしてたぶん最狂。狂うって書く方」

先の大戦は零戦部隊の功績が大きかったけれど、同時に失われたものを非常に多い。

『KAMIKAZE』は特にその中で悪い噂もそれから『大和』に残した功績に関するよい噂も今の時代になっても絶えない戦後を生きる僕らにとって意味深い部隊だ。

彼らの残した悪い話の中には、人間存在の完全なる進化、脳機能の拡張、都市伝説のように週刊誌でことあるごとに噂が流れる。

「厨二なら真っ先に飛びつくネタだな。けど、お前は笑ってない」

──おまたせしました──とパフェとパスタがテーブルに届く。

「バナナいただき! でね、だからかナ。あまりいい死に方をしなかったみたい。そして、いくつか、禁呪と呼ばれる術式を残したの、家の中にこっそりと」

あ。そういえば、ペペロンチーノでは口がニンニク臭くなる。

ふと女子の目線とやらに気付いたが、レジ奥には芹沢さんの姿は見えない。

「週刊実話ネタか。731部隊的な」

「ううん、西野さんから直接。でね、西野さんのお母さんは普通の人、回路は眠ってしまう、反対にお父さんは大の魔術師嫌い、ほとんど差別的って言ってもいいぐらい。お婆さんのものが家にあるのが耐えられないぐらいだったらしい、婿養子なのにね」

「西野は良家の娘さんか」

「だからなのかな、お婆さんのものは西野さんが部屋の中に隠して大事にしまっておいたみたい。でね、私も後で気付いたんだけど西野さんもものすごく『回路持ち』が嫌い、たぶん憎んでいるって言っても過言じゃない。私は無能力に近いからもしかしたら彼女が仲良くしてくれたのはそれが原因かなって勘違いまでしちゃってさ。とにかく、彼女の回路はそういう回路」

「回路? なんだよ、回路って。あいつは普通科だぞ」

「西野さんの回路は『魔術検知』。彼女のは眠っている訳でも存在しない訳でもない。れっきとした回路持ち」

「それじゃあ、普通科に入学出来る訳がないだろ。心肺機能の検査は毎年行われる」

「おばあちゃんの呪い。術式の一つ。それが『黒い憂鬱における魔女の誘惑』」

あっという間にパスタを食べ終わりコーラも飲み干す。

ぼくは二杯目のドリンクを取りに行こうと水恩寺に声をかける。

アイスコーヒーを二つ淹れに行き、席へ戻る。

「アイス溶けかけているぞ。いらんのか、そのバナナ」

「だめ! わたしの! 最後に食べるの。西野さんはね、爪が光るの、魔術師が近くにいると。肺のほうは生まれつき回路を強制的に眠らされている。けれど、なにかのきっかけで劣性遺伝が変異したらしいんだ。『一縷の希望』。そうやって西野さんは呼んでいたな」

ここまで話を聞いて宝生院の件が少しだけ想像がつく。ぼくらの社会は思ったより歪んでいる。

魔術回路持ちと恋人同士であった時田の件を、『暗がり』の連中が知っていたとしたら、あまりいい想像は出来ない、廓井芒理の言葉が頭の中で再生される。

「なんかピンと来たでしょ。西野さんから感じたことは私たちも常々感じざるを得ない。そう、巡音さんのお兄さんは、金獅子であるということに誇りを持っている。自分の力を遺憾なく発揮するべきだと本気でそう思っている、私たちとは違うなってそう思ってしまう」

巡音悠宇魔、魔術科において初めて確認された『金獅子のエーテル』、百獣の王。今学園においても、いや、全国統一選抜事件においてですら間違いなく筆頭である史上最高の魔術師になり得る人物。

そして、普通科に産まれた異例中の異例、特例中の特例に辛酸を舐め続けさせられている苦悩の人。

「そうか。彼にとっては『暗がり』ですら、使役する家臣、足軽。利用出来るならば、利用する、自らの能力を遺憾なく発揮する為ならば。そういうことか」

パクッと残しておいたチョコのついたバナナを食べてにこやかな水恩寺。

「私たちは止めようと思った。けれど、横尾さんが現れた。天才たちは本当に一筋縄ではいかないね、私も小学生の時は神童だったんだけどなぁー。お腹すいた」

「やめておけ、頬がたるんでいるぞ。横尾先輩は駒の生き死には興味ないだろうな。すると、三重奏の発端は巡音悠宇魔か」

「まぁ。そんな単純な話ではないと思うけどね、誰も何一つ諦めてなんかいない、そういう感じかな」

「ぼくらに必要なのはまず最初に諦めることだ。それがぼくらと彼らの違いか」

「そうかもしれないね! うん、去年の二学期の期末、統一選抜試験の話、知ってる? 前年に西田死織さんが選抜されて彼女が不在で行われた通称『アポカリプト』、何でもありだったって聞いてるし、中等部でもすごい噂になってた」

「ぼくは受けただけ。内申点稼ぎだ。けど、ギスギスした雰囲気は確かに伝わったし、西野もいたな、あぁ、それと、あの銀髪のイケメン」

「うん、『白銀のアルキメデス』、九条院大河、ちなみに巡音花音の幼馴染。彼と西野さんは少なくとも知力テストでは同列、けど当然ながら技能試験で彼女は負ける、だから彼女は技能試験の前に、九条院さんに接触した。たぶん、だけど、そのことが一連の事件の発端だろう、って廓井さんは言ってる。あと、あの人も」

「あの人? また頭のおかしいやつが増えるのか」

「まぁ、あの人は進学を選ぶはずだから選抜試験とは無縁だしCRASSも踏み台だよ、政府高官付きでも狙ってるのかも、あの人の頭の中なんてわかんないけどさ」

「話がそれるな、西野は明るくなった気がするな、一年の時よりは」

ズズズッとストローでアイスコーヒーを水恩寺がすする。

お腹がたぷたぷで二人とも動く気になれない。

「私も聞いた話だよ、知力テストが終わって第一グラウンド脇の銀杏並樹沿いで西野さんは九条院さんにある提案を持ちかけた──私と契約して──って」

ずずっとぼくもアイスコーヒーの最後の一口を口につける。白河君のことをちょっぴり思い出す。

「西野は猫耳じゃないぞ、毛深そうでもない、たぶんな」

「西野さんのお婆さんは本当にすごい魔術師。私たちが失った或いは忘れた術式をたくさん残したの。4/5番。名称さえ術者本人でないとわからない。そしてその時受けた屈辱が九条院さんを実質学内二位にしている理由かもしれない」

水恩寺は顔真似をしてまたしても小芝居を夕方のファミレスで始める。

──「ねえ、私にあなたのエーテルを分けてよ。契約をして欲しい」

ははっと鼻で笑い、九条院は第一グラウンドへ向かおうとする。西野は後を追いかけ、九条院の袖を掴む。

「馬鹿はやめろ、獣人化してまで行くような所ではないだろ、戦後から数えても獣人化の末、選抜された普通科は数人だけだ。そのまままっすぐ普通に生きていても悪くない人生のはずだ」

西野ひかりは唇を噛み締め噛みすぎた下唇から血が垂れ流れる。

九条院から決して目を離さない。

誰かに聞こえてもおかしくない声でまるで発狂でもしてしまったかのように、けれど酷く冷静に西野ひかりは訴える。

「だってあなたは空を飛べて私は空を飛べない。不公平だって言いたいわけじゃない。けどね、私があなたの代わりに空を飛ぶことを、夢をみることがどうして罰せられなければいけないのよ。私はさ、あなたのその光る腕、それがホンットに、ほんとのホンットに、ほしいんだってば!」

西野ひかりの切実で強情な訴えに『白銀のアルキメデス』は、少しだけ逡巡し、自身のメリットとデメリットを瞬時に頭の中で計算した後に、ゆっくりと右手を小さくあげて項垂れる。

「わかった。そこまで覚悟があるのなら契約を認める。そのかわり、『白銀のエーテル』との契約は契約者の精神の崩壊かレベル七以上の獣人化どちらかを受け入れる必要がある。承知の上ならば、血液の譲渡を」

ほんの少しだけ、本当に少しだけ西野ひかりは口元を緩め、その後に唇から流れた血液を右手の人差し指で掬い取り、『白銀のアルキメデス』の口元に押しつける。

「跪け、そして赦しを乞え」

九条院が言うと西野は片膝を地面につき、右手を差し出す。九条院が左手で彼女の右手を受け取り、九条院の右手は西野の頭上にかざされる。

「月は銀を照らし、銀は月を伝える。夜に迷いし時は銀と月を崇めよ」

九条院の右手からゆっくりと銀色の光が産まれて西野を銀色の光が包みこむ。

光が西野と同化して流れ込んで九条院から生まれた光が消えかける寸前で西野は奇妙な言葉を発する。

「𐎧𐌸𐍈𐎼ꤟ𐎧𐌸𐍈𐎼ꤒ」

すると、消えかけた銀色の光が黒く澱み始めて再び西野を包み出すと今度は西野から九条院へ向けて黒い光が逆流を始める。

異変に気付いた九条院が手を離さそうとしてもまるで黒い光に絡め取られるように九条院は身動きが取れない。

「お前何をした? なぜ叛逆の術式が発行される?」

九条院はなんとか左手を西野から振り解き、左から揺らめく炎を発生させる。

黒い光が九条院にすべて流れ込む寸前で西野はすっと立ちあがり二歩後退する。

「半導体のリードフレーム分、生き残るとはね。少しだけ魔術を死滅させる必要はないと考えてしまった。科学は魔術を凌駕する、父はそのことしか興味がなかった」

「王水に溶ける銀のつもりか。存在しない金属を作るなんて庵慈や通子が聞けば仮想環境の話にすり替えられそうだ」

「確かに雲の上では祖母も生き長らえる。死者を都市構造に組み込むことがお前たちの生きる道か。無限の外部サーバーがお前たちに永遠を与えるとでも」

「聖者地獄にいくやつはだいたい嘘と欺瞞に取り憑かれたやつらだ、思い出を剥ぎ取られたからと生きるのをやめた連中が行くんだよ」

「わからない。とだけ伝えることにする。私たちはお前たちを書き換える。それだけのこと」

西野ひかりは不完全な術式の発行に特に迷うことなく第一グラウンドへは行かず、普通科棟方面へ歩いていく。

九条院も同じく魔術科棟方面へと歩き出そうとする。

西野が振り向き九条院に伝える。

「どちらにせよ、それは永遠に解けない。火の病もいずれ消える。初期化された記憶野には痕跡すら残さない、祖母はそういう人よ」

九条院は唇を噛み締めて流れ出た血液の味で少しだけ喉を潤す──

声真似の得意な水恩寺はばたばたとドリンクバーにいき、自分の分のメロンソーダだけ持ってきたことに気付き、ぼくの分のアイスコーヒーを取りにもう一度ドリンクバーに行き黒い液体の入ったグラスを持ってきてぼくの前に置き席につく。

「スリーコードのほうがきっとカンタンだよ。手が三つもある人の演奏なんて私は怖くて聞けないな」

「歪んだギターで叫びだせか。バンドでもやるか? ドラムは泥に叩かせろ」

「あはは。喋りつかれたー。あとはなんか聞きたいことある? 『どうとくのじかん』は欠席したほうが身のため」

「好きな子がいるからやめておく。ラブソングは歌う必要なんてないんだ」

「眼帯の子、君に興味なんてなさそうなのに」

芹沢さんは反対側の窓際の席で注文を取っている。

わかりやすく硬直した自分を戒めようと思ったが出来そうにもないので辞めることにした。

「とにかく話が分かりやすくなったよ、お前がCRASSにいる理由もなんとなくわかった。」

「あ。パフェ代よろしく。私はお先に失礼するよー、視姦でもしてオナニーして寝ろ!」

ぺっと、唾を吐くフリをして水恩寺はそのまま席を立ち、ファミレスを後にする。

そういえば、昨日右手に浮き出ていたサンスクリット語はいつのまにか消えていて見えなくなっている。

頭の中の念仏も聞こえない。

ぼくが大人の階段を昇ったと思っていた事を何もかも無に帰すような水恩寺とのデートはパフェとパスタとドリンクバー二つ分の料金へと換算されてしまった。

テーブルの上の伝票を確認してお財布の中を覗くとバス代がない、自宅まで歩いて帰るのは決定だ、帰りはきっと真っ暗だろう。

芹沢さんはまたレジ奥に戻ってしまったのか姿も見えず、手持ち無沙汰のぼくはスマートフォンを取り出して『少女地獄』を立ち上げる。

妙にアプリが立ち上がるのに時間がかかり、しばらくするといつも起動すると流れるはずの彼女の音声が聞こえず、黙ったまま無表情の『少女地獄』が画面に表示される。

右手の親指でフリックしてもタップしても何も起きないので、不審に思うと右側からロボットの腕のようなものが突き出てきて『少女地獄』を画面の外に追いやってしまう。

「ちょっとどいてくれないかな。ここはぼくの居場所なんだ。おはよう、和人。ぼくのことは『レゾンデートル』と呼んでくれ」

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