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07.Pilentze Pee

「あれは悪霊と普通の世界では呼ばれるものだ。さあ、みんなで手を繋いで意識を出来るだけ彼女から剥離させるように頑張って。ぼくらの認識と知覚から彼女を退場させるんだ」 

ぼくは出来る限りの基礎魔術と合成魔術の知識をフル動員することで適切な配列を実行出来る術式をボールペンを走らせながら組み上げていく。まずはぼくらが存在している空間内の座標を固定化させる為に四角形を中央に向かって小さくなるように九つ配置していく。

「君には必要になると思っていたから。16個目のピアスで私が手に入れたのは術式演算用の魔女の筆。生成方法の伝達は禁則事項だよ」

弥美は魔女の血で魔法陣を作り込んでいくのに必要な魔法道具をぼくに手渡すとぼくの隣に座って藁半紙に必要な要素が書き込まれていく様子を伺っている。

「おーらい。ならば問題ない。この場に存在する実体は六人のはずだ。七人目がもし現実へ飛び出してきてしまうのであれば意識の外側へ追いやらなければいけない。たぶん魔女の血が魔術回路を持たない人間に憎悪を産み出そうとしている。瀧川と米澤は出席番号を提示してくれるかな」

瀧川と米澤はとても驚きながら困惑した表情で自分たちを指差している。

「え?これって私たちのせいなの?私は17番」

「一応37番だけど。じゃあ私たちがいなくなればいいだけなんだよね?」

「悪いが問題はもうそんなに簡単な話ではないんだ。君たちの出席番号が魔女の存在を暗に示している。それなら369を基本にした多重魔方陣を生成可能だ。ラプラスの眼を召還出来るはずだから、なんとかなると思う。あまり見たことがない世界をちょっとだけ覗いてしまうことになる。此処から先は意識を集中して何があっても隣の人から手を離さないで。しっかり握り締めて誰かに声を掛けられても返事をしてはいけない」

ぼくは小学生の頃に自分の力に自惚れて、こっくりさんの変形パターンである九尾の狐を呼び出してしまい、小さな悪意を実らせてしまった時のことを思い出してゆっくり深呼吸をして一気に縦横9列に整数を書き込んでいき、多重魔方陣を生成していく。中央に書き込むはずの7だけを抽出するように抜き去って最後の54を配置した後に、旧い魔女の血の小瓶を開けて筆先に赤い血液を浸すと、魔法陣の中央に7を書き込んでいく。赤い血液が藁半紙に書き込まれると黒く変色し始めて滲んだ文字が馴染みだす。

「あのさ、寒気がやばい。エアコンなんてついていたっけ。この場所」

伊澤がさり気なく話題を振り、沈黙が限界に近付いてきている場の空気を気づかっている。

「私は別に大丈夫だよ。むしろ暑いぐらいだし。そんなこと言って普通科のやつらを騙そうとしているんだろ。そういう時は耳を塞いでしまえばいいんだよ」

天宮が両手で両耳を塞ごうとするけれど、瀧川と米澤はじっと震えながら藁半紙の中の数字を無心で数え続けている。弥美が左腕でぼくの右腕を探して触れようとして握り締めてくる。お互いに体温が冷え切ってしまった状態を誤魔化すようにして指を絡めあい、手のひらの重ね合わせる。左隣の伊澤と手を繋ぐとぼくはゆっくりと眼を閉じる。

「五感が停止して、意識は一つになるのを辞めて、直感の鈍りだした後に、死者がこっそり近づいて来る。黒き魔女よ、狭間の領域に辿り着いたぼく達にラプラスの眼をお貸し下さい」

例えば君の顔に今より闇が増えてもそれでもいいんだと集まった誰かが言い出して、この場所にいても構わないよって小さく囁いてくれて、余計なことなんて言う必要がないんだ、ずっとこのまま傍に居続けてくれるだけでいいって声が乱反射してどうかぼくの気持ちが届いてくれますようにと何度もお願いをしながらぼくたちは口を揃えて自分の向かいに座っている人の名前をせーので呼び合ってそれぞれがそれぞれのまま目の前にいるってことを確認し合う。いつのまにか裸電球の微かな灯りで照らされている暗がりはいつもの初夏の気怠い蒸し暑さの中に戻っていてぼくと弥美と伊澤と天宮と瀧川と米澤は手を繋ぎあって見つめあっている。急にみんなが恥ずかしくなって剥き出しになった気持ちを誤魔化すようにして押し隠しながら手を離す。一つになった気持ちをバラバラにしてお互いがお互いの気持ちを知ることが出来ないので出来る限り隣に座っている相手の心を知ろうと気持ちを推し量る状態へ、つまりいつものどこにでもある放課後に戻っている。暗がりには二人だけ増えた普通科の瀧川と米澤がいて、階段からコツコツと歩く音がして振り返るとそこには阿久津がいて、羨ましそうな眼で僕らの方を眺めている。

「また魔術でも使ったのか。俺は新しい恋人を連れてきたんだ。タランチュラは辞めてオオツチグモ。名前はまだない。おまえが決めてくれよ、黒灯」

また小さな黒い箱と一緒に阿久津はどうやら何処かで手に入れていた大蜘蛛を持ってやって来たようだ。中身を開けると瀧川と米澤が悲鳴をあげてのけぞっている。ぼくはとてもシンプルで簡単な名前を思いついたので、オオツチグモの姿にこっそりと小さな声で囁いて名前を与える。

「ノゾミというのはどうかな。彼は黒い箱の中で微かな希望だけを掴もうとしているように見えるから」

のそのそと動く薄茶色の身体の新人はいつのまにか侵入していつのまにか出来た空席にすっぽり収まるようにして暗がりの定位置を占有している。

「変な名前だな。真っ暗な箱の中でこいつが見つけられるものって言ったら自分の抜け落ちた毛ぐらいのものだろ」

阿久津は言葉とは裏腹に薄ら笑いを浮かべていて新しく捕獲した昆虫に出口を与えられることが自分だけなのことを喜んでいるのかもしれない。

「私たちはさ、ここが暗がりって場所だって聞いてきたんだよ。裸電球もついているし窓ガラスだってついてるじゃん」

瀧川が弥美の左腕から流れている血を拭き取りながら愚痴を零している。よく見ると格子模様のように刻まれていた傷跡の一つが綺麗に消えていてぼくの企みの一つはうまく言っていたのかもしれない。それでも微かに残る魔女の残り香を遮断するようにして血液の入った瓶に蓋をしてまるで生き物のように外に這い出ようとしている魔女の血にさっきまでぼくらの周りを包んでいた狂気の端くれがあと少しで意識を奪い去っていたかもしれないということをぼくはじっとりと滲む汗の匂いでそう感じる。

「私と真司にとってこの場所はとても神聖な場所なんだよ。わかってくれたかな」

弥美がぼくの傍に寄り添ってきて肩に頭を置いて彼女のものだということを誇示するようにして瀧川に先制攻撃を仕掛けている。ぼくの手を握って彼女は『エロス』を持って茶色いソファに行こうと誘ってくる。米澤はぼくらの様子には興味がないのか術式が発行されて効力の失われた藁半紙を覗き込んで並べられた数字からまるで自分に適したものを探すようにして指先で一つ一つなぞりとっている。エロスには黒い眼帯の少女の挿絵の次のページに、まるで噛み合わせの悪い歯車同士を噛み合わせるようにして少しずつ位相のズレた世界を縫合する。溜息のような悪意が増幅されて寄り添う無意味を作り出して出会いと別れを別の形として保存しようとしている。暴力が復元される。思考が病によって解体される。ぼくと君の物語に微かな変化が訪れてあなたの人生の物語が編み込まれていく。"

どこかでかつてみたことのある物語が本棚の中から飛び出してきて暗がりで起きた出来事を黒いインキへと変化させてぼくの目の前に現れ始めた。ぼくが茶色いソファに腰掛けると弥美が膝の上に頭を乗せて左耳に触れるようにと手を握る。かちゃかちゃと金属音が鳴り響いて耳朶を貫くサージカルリングが痛々しげに弥美の身体を装飾している。どうやら彼女の左腕に宿っていた暗闇は少しだけ薄れて主人の元へと帰っていったらしい。

「俺は今日はこの辺で帰るよ。また蜘蛛が腹を空かせたら此処に来る。じゃあな」

阿久津は階段を降りて行く時にぼくにそう伝えてこの場所に訪れる理由を作った後に自分のリズムの中に戻っていった。毒蜘蛛を見たいという彼の気持ちは何処かへ消え失せてしまったのかもしかしたら自分の周りでそれを見つけることが出来たのかもしれない。伊澤はいつのまにか居なくなっていて右隅の定位置は真っ暗闇で誰かが座っていたという痕跡だけがうっすらと残っている。

「ねぇ、私けっこう数学が得意な方なんだけど、これってちゃんと縦横対角の和がどの列も同じになるように出来てるんだよね」

米澤が藁半紙に書かれた記号を指差しながら多重魔方陣の構造を分析している。瀧川も興味を持ったのかいつのまにか消え去っていた不安感が消えてしまった方法の正体を探ろうとしている。魔女の血が呼び寄せている情念のようなものが暗がりに漂っていることにぼくは気付いているけれど、阿久津と伊澤が勘付いたまるで思春期特有の奇妙な劣情を加速させるような状態を緩和させようとぼくは弥美の耳朶に触れている。魔女の小瓶に入った血液が黒く変色しないように留まり続けてぼくの感覚を刺激している。もし17個目のピアスが必要になったのなら、狐面に願い事を捧げて螺線図を書き直そうと考えるかもしれない。369の和がいつのまにか複合的にぼくを取り囲んでいて中央に書かれた数字を取り除こうと生死の境界線で蠢く悪意をゆっくりと一つの形に収束していく。

「本来は円形に並べて徐々に中央へ向かって数字が大きくなる術式なんだ。たぶん君たちの中ではこっくりさんって呼ばれているものに近い。もちろんエーテルがなければただの配列規則を利用した魔方陣でしかないけれど」

嫌悪感を露わにした黒髪の米澤が立ち上がって藁半紙をとって数学的な規則に基づいた図版をコピーしようとする。たぶん魔女の血が持ってきた奇妙な違和感を嗅ぎつけるようにやってきた天宮が床に横になってそっぽを向いていたけれど天井を見上げて蜘蛛の巣に捕まっている蛾の様子を眺めている。見様見真似で藁半紙に自分たちなりの術式を書き込んでいる瀧川と米澤がはしゃぎながら順番に並べられた円形の数字の下にYes/Noと書き込んで5円玉に糸をくくりつけて、まるで子供の頃楽しんだ悪戯心溢れる単純な占いでも楽しむように遊び始める。弥美はニヤニヤと笑いを浮かべながら瀧川と米澤の様子を眺めている。

「ねえ。時田。私が誘ったのに断ったんだよ、信じられる?」

「うそ。私も。教室であいつしかいない時に腕組んで胸まで触らせたのに。興味なし」

「どうする?」

「こっくりさんに決めてもらうしかないでしょ」

まるで子供が悪戯でも考えるように瀧川が高揚感に支配されて甲高い笑い声をあげる。米澤が鼻歌を歌い出しながら369という数列を正確に奇怪な速度で演算しながら書き込んだ術式が藁半紙の上に再現されていく。ぼくの作り出した合成術式がまるでどこかで眠りについていた回路を呼び起こすようにして形を変えたまま実行されていく。いつのまにか無限の整数から抽出された数字が意味を持ち出して瀧川と米澤の意識を乗っ取ろうと組み合わせられて、さっきまでなりを潜めていた暗闇がいつのまにかぼくの背後で唸り声をあげながら増大し始める。

「ねぇまた一つピアスを増やしてみたんだ。とても痛くて苦しくて吹き出た血液で私の手が真っ赤に染まったの。洗い流したくなくてそのままいたせいかお気に入りのワンピースを一枚駄目にしちゃった。」

17個目のピアスが耳朶に開けられていることを弥美が伝えてきて笑顔が元に取らなくなってしまったように張りついてぼくの顔を覗き込んでくる。藁半紙の傍に落ちていた魔女の血が入った小瓶を拾おうと瀧川が手を伸ばした瞬間な天宮が立ち上がって彼女たちの残そうとした暗闇の痕跡まで近づいてくる。小瓶を拾い上げようとした黒く日焼けした右腕のすぐ近くで左右で10センチほど長さの違う黒髪と斜めに切りそろえられたアシンメトリーな前髪で右眼を隠している天宮が上履きで藁半紙を踏みにじり滝川と米澤の邪魔をする。

「おい。その血を持ってきたから私たちの仲間に入れてやっただけだ。誰に聞いたしらんが普通科が魔術とか使うな、殺すぞ」

「あーはいはい、あなたたちは大体そうやって差別をする。つまんないやつー」

「別にいいじゃん。これやばいやつ?」

天宮によってびりびりに破かれた藁半紙をみて弥美が振り返りながら真司に触られているまだ開けられたばかりの17番目のピアスが微かに与える痛みを訴えかけるようにぼくに吐息を漏らしながら滝川と米澤を見下すような目つきをして話しかける。

「どんなに黒い劣情に侵されてしまったって私の身体を切り裂いていいのは私だけだし私の身体に穴を開けていいのも真司だけなんだね、やっぱり。だからあなたたちがここで玩具の壊しかたまで知る必要がないの。あなたたちは特別ってことにしてあげるからそれで許してね」

ふふふと那森弥美は笑いながらキスをねだってくる。ぼくは嫌な予感が拭いきれずに、『エロス』からは目を逸らさず黙ったまま指先で彼女の唇に触れ中にそっと押し込む。唾液で濡らした指先を愛おしそうに弥美は暗闇の底に訪れた光への軌跡を激しく求めるようにして舐め始めている。バタバタと階段を駆けあがる音がして誰かが二階へと上がってくる。

「ねえ! また琳がここにきたんでしょ! それとさ、真司さん、百舌さんが君が報われないことを気にするなって! 言ってたよ!」

ふっとぼくが顔を見上げて階段のほうを振り向くと、ぶるぶると震えながら威勢よく甲高い声をあげて抗議の意志を示す水恩寺リリカが立っている。ぼくは力を込めて那森弥美の十番目の右耳のピアスを左手の人差し指と親指で掴み取ってそのまま耳朶を引きちぎると、水恩寺リリカの背後に投げ捨てて後ろに大気に溶け込む術式の精度をほんの少しだけあげた知野川の姿が現れる。

「あ。バレた。どうしてこれがわかるの? 真司さん、今エーテル使ってなかったでしょ」

「うわ! またそんな身体に負担かける魔法使ってる!あとでぐったりして面倒みるの私なんだよ!」

水恩寺は知野川を引っ張って階段下に連れて行く。ぼくは痛みを抑えるように耳朶を抑えている弥美の顔に触れると顎を自分の元に寄せゆっくりとキスをする。弥美は出血の止まらない耳朶を抑えていた為に血だらけになった両手でぼくの顔に触れ既に暗闇が混入し始めている血液で汚していく。ぼくは彼女の耳朶に淡く灰色の光を灯らせるとゆっくりと銀色のカフスを作り出して那森弥美の傷口に蓋をする。彼女がもう少しだけ痛みを感じていたかったと指先で伝えるようにぼくと手を握りしめ合う。弥美の右腕に斜めに刻まれていたはずの消えた傷跡の在り処を探してもしかしたら自由なんていう紛いものが彼女に許させる時が来るのかもしれないと夢を見ようとする。けれど、左腕に格子状に刻まれた烙印によってちょっとずつ彼女が追い込まれていく様子を想像してとてもやましい感情が増幅してしまうのを抑えきれず弥美の口の中を舌先で追い回すように舐め回して今度はぼくに向かって入りこんでくる舌先を押し除けてしまうと彼女の下唇に歯を立てて痛みをまた与える。弥美はぼくの思わぬ反撃に唐突な痛みを感じて感情を揺り動かして唇を離すと、ぼくの首筋に噛みついてきてとても強い力で首筋の肉をえぐり取ろうとしてくる。

「喰いちぎることは出来なかったみたい。少し遠慮しちゃったのかな。けど、私の痕はつけることができた」

噛みつかれた場所を触ると歯形の後がでこぼことついていて少しだけ血が滲んでいる。軽い痛みがついてきて弥美が傍にいるのだということを思い知らされる。

「なぁ、あまりあーいう奴らを煽るのを辞めなよ。黒灯が消したのはかなりやばいやつだろ。私だって衝動を抑えるのに必死だったんだ」

天宮がソファの前に立って少しだけ震えながらひと目も憚らず血に欲情していることを訝しむように話しかけてくる。溢れ出てしまった暗闇にあるがままに身を任せてしまうのにはちょっとだけ勇気がいるのかもしれない。常軌を狂気が覆い尽くしてしまう前に逃げ切ろうとぼくらは痛みを交換し合って純粋であることを拒否するのを辞めてしまう。分解のエーテルを持つ天宮にとっては喉から手が出るほどに犯したい欲望なのだろう。少しだけ意地悪になり過ぎていることを羨んでいる天宮に気付いたのか銀色のカフスを触りながら少しずつ渇いていく血液をどうやって洗い流すのかを弥美は考え始める。

「殺害衝動みたいなものを増幅させる類のものだけれど、血を見れば少しだけ落ち着くんだ。流行り病みたいにあーやって次々に感染していく。ベクターだから余計に敏感なんだろう」

弥美の左腕に刻まれている無数の刻印は肌に直接傷跡を作り出して呪いのようなものを封じ込めている。きっと黒い魔女が好きな連中が悪戯でやったものなんかじゃなくて止むに止まれず彼女の肉体を使い、無限に広がっていく可能性のあるウィルスを彼女に刻み込んでいったのだろう。弥美の意識がちょっとずつ侵されてしまうことをぼくが見守っているだけなことに痺れをきらしてちょっとだけ呪いを解放したようだ。あっという間に瘴気を吸い込んだぼくらの中に殺意が充満して意識が奪われていく感覚をぼくと弥美は正常な意識を隔離させたまま慣れ親しむように乗りこなしながら、耐性の低いものが溺れていく様子をただ楽しんでしまっていた。

「昔、父親に買ってもらった人形のことを思い出した。粉々になってしまったからもう会えないって思ってた」

天宮には魔女の息吹に対する耐性があるからなんだろう。ほんの少しだけ侮蔑と嘲笑を露わにすると、階段を降りて帰宅していった。弥美がぼくの膝から身体を起こしてニヤついた顔を辞めて瀧川と米澤の二人が大声で笑い合いながら溢れ出る悪意を抑えきれないでいる様子を眺めている。

「もし正義の味方だったらこの場で起きることを止めに入るはずだよ。彼女たちはたぶんあの女の子の問いに答えてしまっている。君がいくら追い払っても無駄なんだ。それが暗闇」

藁半紙にはさっきより複雑で精巧な記号と配列がまるで誰にも分からない暗号みたいなものをなぞりながら書き込まれていく。黒い肌の瀧川が頭の中で組み上げた数字によって白い肌の米澤にもわかりやすい形を作り上げて二人だけのメッセージがやり取りされている。解消されることのない怨念が藁半紙の上に再現されていき、きっとずっと昔にこっそり魔女の首筋から垂れ流された赤いままの血液がパルプで出来た契約書に染み込んで黒く変色していくと黒煙のようなものが浮かびあがり暗がりの温度が下がり始めてどこからか女の子がシクシクと泣いている声がし始める。

「そうだね。これは誰かが仕組んだことじゃない。白線の向こう側についうっかり踏み越えてしまった者たちが選ぶ彼らだけが辿る道。追いかけようと思っても彼女たちの傍による方法は既に途絶えている。数を数え続けるしかないんだ」

それはとても小さなきっかけだったらしい。誰かが初めて見つけた時は既に噂になっていていつのまにかみんなの中に溶け込んでいた。昨日、テレビのニュースで四十代の会社員が十代の女の子を刺し殺した後に近所の山奥に捨ててしまったらしいよ。先週はね、七十代の女性が娘さんに毒を盛られて死んでしまった。ホームレスばかりを狙っている中学生の話を知っている?身元不明の死体が金属バットのようなもので頭蓋骨を割られている事件が都内で多発しているんだって。母親になる女性がね、最後に産んでごめんなさいって首をへし折られる時に言うんだって。だからね、まだ親の顔をみたことがない小さな女の子がね、いつまでも泣きながら優しくしてくれる女の人を探して歩いてきていつのまにか耳元で囁いてくるんだって。

「ねぇ、お姉ちゃん。遊ぼう」

瀧川と米澤は笑うのを辞めて冗談半分で藁半紙の上に垂らした魔女の血の匂いにようやく気付いてボールペンを置く。冷静な意識を取り戻してとても難解なパズルが目の前に突きつけられたことについて出口が見つけられないことがすぐに分かって大きな溜息をついてしまう。変わりに今度は弥美がニヤつく笑顔を取り戻して立ち上がり、鞄を持って『エロス』を手渡してくる。

「真司くん。この続きは二人きりの時にまたゆっくりしよう。きちんと男の子らしい反応をしてくれて嬉しかった。また明日ね。笑顔が多いと黒生さんが許してくれないの」

弥美の投げ渡してきた『エロス』が制服のズボンの上に落ちてくる。ブラックエンドって誰が言い始めたかは分からないけれど、確かに生徒会副会長である黒生夜果里ならば、弥美の左腕も封じ込められている呪いのことも理解できる。もし弥美が少しでも油断したら嘘みたいに酷い劣情が襲い掛かってきて暗がりにやってきた女の子のすすり泣く声をいつまでも聞く羽目になってしまうかもしれない。たぶんそういう小さな綻びに気付いていつのまにか魔女の残り香に取り憑かれているのにも気付かずに最後まで数を数え続けているのだろう。ぼくはそうやって『エロス』を手に取って真っ白なページが再び汚れていくのを目の当たりにする。

──気付かないうちに世界には終わりがやってきて君とぼくが繋がっていたことを忘れてしまいそうになる。左の眼にはぽっかりと穴が空いていて涙で濡れることはもうないけれど、漏れる吐息だけが君が傍にいたという記憶を刺激しているんです──

「私たち二人がここにいちゃダメって意味なの? 貴方たちには彼女の声が聞こえているの?」

帰っちゃ嫌だって耳元で囁かれて離れ離れになるぐらいなら、少しでも繋がっていられるようにって指先が触れる。微かな肌の感覚がまとわりつくように駆け上がってきて少しでも暗闇に引き摺りこまれないようにってお願いごとが届いてしまい、黒い肌と白い肌が距離を縮めていくモノクロームの風景が愛おしく感じられるように指先と指先が奇妙な音を立てて絡み合う。黒く長い髪の米澤が渇いた舌を欲するようにして瀧川を求めて彷徨っているけれど、どこにも行かないでいいよって粘液性の液体同士が絡み合って二人が一つであるということを誰にも悟られないようにって囁き合いながら嘘をついていたことを瀧川と米澤はやっと邂逅することの出来た舌先で感じ合いながら制服の上からでもはっきりと分かる膨らみをちょっとだけ力を込めてお互いの手のひらで包んでしまうと溢れる吐息が暗がりに拡がっていく。暇を持て余しているってことを伝え合うように木製の床の上に座って露出している白い肌と黒い肌の奥で眠りそうになっている魔女の息吹をどうしても手に入れたくて既に下着の上からでもすぐに分かってしまうぐらい運命的な快楽の袂を二人は求め合っている。例えばぼくがいまこうして『エロス』のページを紐解くようにして血液に関する深刻な問題を解決する為に溜息をつき、目の前で起きてるけれど、成し遂げられなかった想いの欠片を握り締めていることに関して、瀧川も米澤もすっかり意識がラプラスの眼がみせる幻影の中に閉じ籠ってしまっているせいか気付くことすら出来ないようだ。摩擦音だけが静寂の中に響いていることを鼓膜で過敏に感じ取って曖昧な状態が出来るだけ消えてしまうようにもしかしたらあの小さな小瓶に血液を残した旧い魔女は暗闇の中でそう願っていたのかもしれない。もう既に極限値を超えてしまった二人の制服は暗がりに無造作に放り投げられたまま次に誰かに出会う為の機会を求めて彷徨うのをやめようとしている。きっとそれはぼくにだって訪れたのかもしれない本当に微かな光だったのだろうと粘膜がいやらしい音だけを立てて存在理由を提示していることをどうやらぼくはずっと見誤っていたのかもしれない。一つ一つを忘れないように記憶の片隅に刻みこんで何一つなかったことには出来ないと暗がりの中で大きくなり続けている実体を剥き出しになった感覚が異常性を日常の中に引き摺り込もうと躍起になっている。

「ねぇ、ずっと傍にいてくれる? 私はたぶんこの形を愛しているの」

「何も言わなくても伝わっていると思う。悲しいことも楽しいこともこうやって交換し合うことにしよう」

だってそれだけがここにある唯一の答えだからって嘘なんてこの場所には入ってくることが出来ないような気がしていて、息が最後の瞬間まで荒く高まりどこまでも大きくなっていってそうやってぼくたちはいつのまにか越えることなんて出来るはずがないってそう感じていた未来のこともしっかりと目に焼きつけて一度もみたことがない類の見知らぬ天井を見上げていた。



08.Ghost Rider

「せっーのっ!」

瀧川と米澤はそうやって完璧な形を求めるような肢体になって青空にむかって手を伸ばしてお互いの肌と肌を重ね合いながらぼくの目の前から姿を消してしまった。だから次の日の学校の昼休みに普通科で起きたことをぼくは正確に知る術を持っていない。とても陰惨で気分の悪くなるような事件が起きて騒然となり、結局のところぼくら魔術科も午前中で授業をきりあげる羽目になってしまった。

「普通科棟で自殺騒ぎ。感染者としては珍しいのかな。多分廓井さんあたりが現実認識を書き換えたってとこ」

弥美が担任の山神が伝える下校の知らせを頬杖をついて聞きながら綻びの産まれた学園での異変をぼくに伝えてくる。瀧川と米澤は暗がりで精気を吸い尽くされるようにぼくの意識に干渉してファルスが暴走していく現実から逃げ出すと、正常な感覚の全てをブラックエンドの児戯に委ねてしまったようだ。きっと覚醒した意識で自己嫌悪から逃れられず眠ることすら奪われたまま朝を迎えて痺れるような快楽に溺れてしまったことを忘れられないともう一度登校していつのまにか混入した認識と知覚の置換によって空と地面を履き違えてしまったのだろう。

「弥美の意地悪に耐えきれなくなった罰で一晩中苦しんだぼくよりはましだよ。きっと彼女たちは自由を手に入れたんだ」

弥美は少しだけ笑顔がへり、彼女を覆い尽くしているどうにもならない暗闇から逃れる手段がほんの少しだけ差し込んだ気がして吐気がして耐えられないほどの劣情に呑まれていることを出来る限りぼくに悟られないように鞄を持って一人でさっさと下校してしまった。彼女は左腕の刻印を右手で優しく撫でながらもう誰かを責めることなんてしなくていいのかもしれないって伝えるようにして教室から出ていってしまった。崩れていたバランスが正しい位置に戻されることで失われてしまった情景がもうぼくの前には訪れないんだと知ってぼくは耳を塞いで突然の陰惨な事件の知らせで沸き返るクラスメイト達を置き去りにする。

普通科棟へは、職員の許可を得て交流証を手に入れる必要があるけれど、自殺現場となっている中庭の様子は西側の中央図書館前を通って普通科棟と職員棟を渡り廊下を抜ければ見ることが出来る。普通科は南側の第一正門、魔術科は北側の第二正門を通常は使用している為、七星学園は主に主要な都立高などが採用している課外授業や選択授業などでの魔術教育とは完全に一線を画して、個々人にあった高度な専門教育という名目の元、使用する通用門が違うように全く別の教育方針及びカリキュラムを強いている。もちろん普通科における進学率の高さと同様により専門性の高い教育を受けた魔術科は全国統一選抜試験においてチルドレンへ送られる最優秀者を最も多く輩出している全国的でも稀有な私立高であり、だからこそCRASSという明確な進学を選択することがなくなった生徒への配慮をさることながら、たぶんそれでも馴染むことの出来なかった生徒が集う暗がりという場所が大切にされてきたのかもしれない。

「学園初の自殺者だってさ。どうなるんだろうね」

「わかんねーよ。けどさ、あいつら全然不満なんてなさそうだったんだぜ。なんなんだよ、まったくよ」

通りすがりの普通科の生徒が愚痴を言いながら渡り廊下を抜けて第一正門方面へと歩いていく。普通科棟を迂回して中庭側へ回り込もうとすると既に警官や救急隊員が集まり始めてきてKEEP OUTと貼られたテープの向こう側を見ようとする生徒たちを静止している。相互理解によって腐った情念を消化するだけが目的となった裁定者や虚構と実相の区別をなくしたまま権力の発動だけに取り憑かれる王の側近や寄生した称賛にだけ許諾を与える自己嫌悪の末路が集積した回路の極限値が暴発した異時と異変の収束点に近づこうとする柔軟性に混じり込んで異臭を放ち続けている。束縛が地下深くに混ざり込んでいるのに気付いたものたちが悪魔的な儀式から養分を吸い取ろうと気を伺っている。

「私もついこんな場所に来て壊れ方を観に来てしまっている。魔女の呪いは確かに耳元で囁いて安寧に引き摺りこもうとしていたし引き返す手段は確かにあったのにさ」

天宮がぼくの隣に立って鞄を後ろ手に持って立って教師たちの注意を受けて散らばり始める生徒たちの波に抗っている。

「何も見えなかった訳じゃないのは確かだけど、放り込まれたのは暴走し続ける転移の象徴なんだ。気付けたとしても君にはどうにも出来ない」

「脚は踏み出していたのに、掴み取るものが何もなかったなんて割り切れるような話でもないよ、私にはさ」

「とても深く刻まれた対価を手にしたいと考えているだけってことかな」

「あはは。辛辣だね。呪術的環境に遭遇したことが運の尽きなんてさ」

「記憶にこびりついた暗闇だって受け入れることは出来るのかも」

「けれど場所に集まった何人がそう思ってるんだろうね。女の子のすすり泣く声がずっと聞こえてくる」 

「学園内で初めて起きたことだけどまるでいつも起きている現実みたいにして君もぼくも明日には受け入れている」

そうなんだろうねと天宮は生徒たちの波に呑まれるようにして振り返る。少しだけひと気が少なくなった中庭の反対側の渡り廊下に黒い眼帯の女子生徒が立っている。芹沢美沙はこの場所で起きた出来事を記録してこれから始まる物語の主人公になろうとしているのかもしれない。じゃあぼくはどうするんだろうとひとしきり考えているうちに警官に注意を促されその場を離れる。これから起きていくことの一部始終を見ておきたくて集まった場所にはもう特別な人は残っていなくて真っ直ぐ帰るべきか暗がりによるべきかどうかを考えてまるで誰も彼もを遠ざけてしまうような学園内に残った雰囲気をもう少し味わっておこうと第一グラウンドから体育倉庫へと歩いていく。休校になったせいで誰もいない校庭を一人で歩いていると孤独を感じる余裕すらなくなっていることにちょっとだけ感傷的な気分で浸り用務員棟を覗いてみるけれど、珍しく焼却炉の火は消えていていつもたった一人で業務に勤しんでぼくに何かしらの金言を与えてくれるはずの用務員さんもいないのでそのままこっそりと体育倉庫の二階へあがっていく。はしゃぎ回っている子供の声がたくさん聞こえてくることは気のせいではないはずだし眼に見えないものを信じない訳でもないけれど血液の入った小瓶をこじ開けようと弄んでいるオオツチグモがどうしてか箱から抜け出していて、弥美から受け取った魔女の毛筆が傍に転がっている。どうやらこの場所には悪いものが棲みついてしまったらしい。いつのまにか小さな女の子が暗がりの奥にある小さな窓枠に腰掛けるように座っていて脚をぶらつかせながらぼくを見下ろしている。もう涙は流していないようだけれど、きっとまだ全然物足りないんだってとでも言いたげな表情で口を尖らせてぼくを見つめている。もう既に瀧川と米澤はやって来ていて行き場所がなくなって困っているんだったことを懇願するようにして小さな女の子に何かを訴えかけている。

「もう少しでお迎えがやってきてくれるから砕けてしまった骨の痛みとつぶれてしまったお腹の涙を感じていきなよ。気持ちがいいってどんなことかわかると思う」

空気が澱んで揺れながらぼくの鼓膜に脅していて白い肌の米澤と黒い肌の瀧川が女の子にお願いごとをするのを辞めて藁半紙に不規則な数列を書きこもうとしゃがみ込みもしかしたら自分が此処にはいないんだってことを彼女たちは忘れるようにして一心不乱にペンを動かしている。ぼくはたった一人で暗がりに残り幽霊たちと思索に耽る。

「紙霧に卵を産ませておいた。せめて死ぬ瞬間の快楽の絶頂が呼び戻されるように、呪いが解けぬ死を解放出来る術を知れるように」

「廓井さんにはお世話になってばかりですね。私の研究がこんなとこで役に立つとは。悠宇魔は絶対者ではない。彼の力はそれを忘れさせてしまう」

「右腕も左腕も悠宇魔殿に力を貸すには訳がある。ほうっておけば児戯と戯れる。百舌、お前も何か見つけたな」

「ええ。新しい卵、可能性を見つけました。とても難解な命題となるでしょう」

CRASSにいた頃はぼくは自分が誰かの為に生きるなんてことを選ぶのがとても馬鹿らしくまるでちょっとぐらいの汚れ物ならば残さず生かして殺さずにいたぶる術を見つける方が楽しいのかもしれないって心のどこかで思ってる気がして目の前で死者が望んだはずの欲求を手に入れてペンを奔らせることが絶望にしか繋がらないなんて知る由もなかった。ぼくはこの暗がりという場所がとても心地よく沈んでいくような雰囲気に身を委ねて本を読むことにする。鏡に映ったぼくは生真面目で何をするにも真っ直ぐで嫉妬なんてものが産まれる余裕もなくてワープする宇宙や夢とエロスに関する複雑な分析を網膜から侵入させて視神経を通り抜けた後に視覚野を外在させて記臆野に保存したら各器官に振り分けてしまう。血液によって伝えられた君のことが忘れられないからって泣き言を言うわけではないけれど、目の前には涙でぼやけた文字が涙腺から零れ落ちるぼくの後悔で耐えきれなくなって黒いインキを滲ませていく。小さな女の子も瀧川も米澤もたぶんもう笑ったりすること出来ないみたいでほんの少しの時間だけ一緒に過ごしたっていう些細な事実をぼくに徹底的に焼きつける。プリントを代わりに燃やしてしまう用務員さんはいないので白い煙は空には舞い上がっていない。

「お前たちのことがわかったよ。私たちはもう帰る。ありがとうな」

「やり残したことがあるから彼女にお願いごとをしたんだ。伝えておかなきゃいけないことがあるからさ」

瀧川理恵は七星学園2年B組出席番号17番で金髪の肩まで伸びたパーマがかっていてよく日焼けした肌をしていた。米澤恵理奈は同じく2年B組の出席番号37番で真ん中で分けた黒い髪が艶々してとても綺麗でやっぱり肩まで伸びていて白い肌はとても綺麗で二人は仲が良さそうに手を繋ぎながらたぶんもしかしたらこの先も続けてみたかった記号と配列のパラドックスに関する短いラブソングを誰かに送ろうとしていた。もう彼女たちの呼び掛けには答えてはいけないのでぼくは押し黙ったまま暗がりで佇んでいる。

「柿元先生がファイリングしていたのは卒業アルバムにも載らない情欲の形です。存在ごと抹消しろとナンバーズ全員が一致したはずでしたので私が処理しました」

「俺たちは自由なんだぜ。ゴミでもカスでも自分で決めてやりたい放題。頭を叩き割って何が悪いんだよ」

「聞く耳を持たない。狩り場を荒らされては困るんです。あなたの計算は単純な整数の四則演算です。そして有理数が無理数を犯して汚す」

「肉塊が増えたって誰も困らないじゃん。どうせ頭の中だけで忘れちゃう話だろ」

「おぼれるか。それもいい。血と肉の色は格別なんだ」

三者三様の答えが交わらずにその場所から動けず固定化されたまま螺線図に映されている真理が神様を気取って踊り狂っている。幽霊たちがいつのまにかぼくの前から消えている。瀧川と米澤が書き込んだ藁半紙の規則性に縛られた数列を並べた術式だけが彼らのいた痕跡を指し示している。目の前ではオオツチグモが魔女の小瓶に飽きてのそのそと何か獲物を探している。放っておけば天井あたり棲家を作ってイエグモや女郎蜘蛛あたりを捕食して暗がりに群がる昆虫たちを餌にしていつまでも生き長らえようとするのかもしれない。ぼくは藁半紙を一枚取り出して今、最も必要な術式をボールペンを使って書き込もうとする。"七色の世界でぼくは詩を詠う"を実行する手順はとてもシンプルだけど、確かに生贄の残した血液が必要になってしまう。ぼく一人分の計算であればぴったり二人分の生命を触媒にして身体と心を分離させて束の間の自由を手にすることが出来る。瀧川と米澤が残した藁半紙を傍に寄せて彼女たちの体内に最後まで残っていた数列の必要な部分を抽出して簡単に7という数字を基にした詩篇を創り出していく。

銀色の風が記憶を掻き消していく

赤い電気信号と解離性人格障害

意志薄弱な未来における環境汚染

白夜の帳が青く儚く消えていく

雨と破滅に織り込まれた虚な祈り

夢の終わりとハードコアガール

孤独な迷い猫と盲目の曲芸師

暗いところで待ち合わせをしようと誘われてぼくはいつものように暗がりに訪れてつい自信を失って見えない場所を飛び回ることが自由だと思っていた為に震える指先だけを重ねることに夢中になってしまい宇宙と、大地の違いなんて知る必要もなくて縛られている身体からゆっくりと心を切り離していって自分がどこまで飛べるのかだけを考えてありったけの情熱のようなものを引き剥がしてしまえるように冷静な思考だけを増殖させながら甘い誘惑や冷たい偏西風に追い抜かれないように浮遊して出来る限り重力なんて無視できるように力の全てから解放される瞬間のことを信じているとぼくの感覚は上空一万メートルを飛び回る形を取り戻して何もかも手に入れられているってことをきちんと実感して忘れないことがきっと大事なんだって青空に夢を置き忘れてきたような気がするので掴み取ってみるとそれは白い雲のように淡く儚く消えてしまうので聞いたことがない声に耳を傾けて久しぶりだと返事を返してやりながら存在が耐えられないぐらい軽くなってしまうことが境界線なんて存在しないっていう目印になっているんだよって付随する余分な規則や柵ならば振り解いて飛び続けることにしようって有限な時間の中を泳ぎ続けられる実体をついにぼくは獲得してしまう。不自然であることは簡単に許容出来てしまい、甘い残響が鼓膜に侵入して恋が訪れる時の優しい嘘が襲い掛かってくるけれど原因不明の憂鬱がなぜか空を飛んでいる間はとても心地よい風に思えてしまいもっと遠くへ飛んでいこうと宇宙空間で深呼吸することを出来ますようにと、すぐ傍を横切る彗星の高熱に煽られながらも光の速度を超えてガス状惑星の周りを飛び交う隕石群を駆け抜けていると宇宙ポッドに乗って旅をするサメ型のリュックを背負う少女に発見してしまう。冒険旅行はこれから先もずっと続くことをお互いが理解しているのかたった一人であることになんて怯えている様子はなく漆黒の空間に降り注いでくる星の明りは無限を明らかに示してくれているのでどこに向かったとしても君はまた彼女と出会い、銀河の果てまで歩いて行こうって約束が潰えることはないだろうと耳元で天使たちが騒ぎながら歌っている。アンドロメダで鎖に縛り付けられる少女が救われるのを知っていることに辟易しながら、ベガとアルタイルが邂逅する一年にたった一度の奇跡は軽々通り越してしまうとどうやらぼくには孤独を癒している時間はなさそうでもっと遠くへ宇宙の果てまで跳び続ける必要性があることに気付いてしまい、宇宙図鑑で見たことのある冥王星を通過して太陽系と呼ばれるぼくらの故郷付近まで辿り着くことに成功する。速度を緩めてあたりを見回して土星の円形の防御システムや木製のマダラ模様を十二分に堪能しながら燃え盛る火星付近を通り過ぎてそれはかつて地球と呼ばれていた水と緑の惑星で飛び続けることが出来るのならば狂気になんて呑まれることがなくどうやら大気を吸い込んでこの地面に辿り着くことが出来そうだときっと存在するのであろうぼくの分身を見つけ出して大気圏を突き抜けて成層圏まで辿り着き深呼吸をしても息苦しさの一つも感じないガイアとよく似た形の空気の中を跳び回りまるっきりぼくによく似た形のたくさんの人形が宇宙から飛来したぼくを発見して一斉に振り向くけれど音速を超えている身体は発火もせずに地上付近まで近づいていきビルの間を駆け抜けてアスファルトすれすれを低空飛行していきながら路上を歩くたくさんの人の群れを通り抜けてどうやら抜け出すことのできない日常の中を生きている反復の中へと舞い戻りたった二つの生命を利用して自由自在に自分の存在を完全に溶かして旅をした束の間の自由からとうとう解放される。まるで鏡の中へと入り込んで自分という存在を確定させる為の儀式を終えたぼくは狂気から剥離させる為の信号を正確に現実から転写して七つの詩篇を統合させてしまうと黒いガラスを叩き割って侵入した暗がりのぼくにそっと話し掛ける。気が付くとぼくは惑星船団ガイアフォールド級大和の七星学園にいて身体から抽出された思念が宇宙空間を飛び回り舞い戻ってきている。

「暗闇が光を求めて舞い戻るように真っ白な絶望が病を壊しにやってくるんだ。教唆された預言には今度はぼくの名前が記されているはずなんだ」

正気であることを瘴気を吸って自覚する。異常であることを狂気を壊して自制する。暗くて深いので正座をして出迎える訳にもいかず、ぼくはソファに座ったままおそらく七星学園を作ったとされる一人である足首まで掛かる桜の刺繍が縫い込まれた白い襦袢を着た狐面の男が現れてぼくの目の前にしゃがみ込む。黙って何も言わず仮面を取ると焼け爛れて鼻の削がれた顔を狐面の男はぼくに見せると記憶が再生されてぼくの役目のようなものを伝えるために現れた螺線図の使者がゆっくりと口を開き始める。

「月へ帰る気がないのなら、お前は自由に振る舞うといい。獅子が嘆くのはその為だ。私たちは水色で十分だから気にすることはない」

七星はこの学園を作ることでチルドレンに捧げるべき貢物を生産し続けることで彼らの知恵と知識を永久に地上へ降り注がせるシステムを作りあげた。ぼくは子供の頃からはっきりと自覚しているように物事の正常な構造を視覚或いは聴覚として捉えることが出来る為に余分なものが入り込んでしまった場合の純粋な状態からの断絶をあまり好むことが出来ずにとても苦労をしたように思う。歩き続けることに迷いはないけれど、もし嵐が起きてしまった時のことを考えると少しだけ憂鬱になり解決方法を模索するためにペンを走らせるという手段をもって正確な順序を直線上に配置する程度のことしか出来なくなり無力さを嘆くことすら出来ずに表象を具現化していく事実だけがぼくを救う手段となり得てしまう。暗がりに巣喰う亡者に耳を傾けているほうがずっと楽であるのだけれど、ぼくはゆっくりと目を開けて体育倉庫の二階にある暗がりと呼ばれる場所にたった一人であることをもう一度自覚する。

「私にとっては単なる反復だけが正解でしかない。彼がこの場所にいては困るのだからな」

「49番と呼ばれる人格を貴方たちは否定したかっただけなんでしょう?」

「いずれ訪れることは分かっていたはずとはいえ、串刺しにされてまで生き長らえるとは夢にも思わない」

「彼がそうであることは最初から知っていた。だからこそ貴方たちは恐れている」

「aemaethが奴をコピーしたものだと思っているのだな。バグを生成されても死野川が管理する場所までは壊されん。だが彼女たちは壊される」

「確かにそのことにぼくは喜びすら感じてしまう。だからしばらくは地上で狂宴を眺めていたいのです」

分かっておるのならいいと嘆いて男は狐面を被り立ち上がると後ろを振り向いて暗がりにいるぼくはあまり長居をしてはいけないことに気付いて『エロス』の続きは弥美の言う通り魔女の旧い血を使ってぼくが書き足していく必要がありそうだけれど、もうこの場所には誰もいないのだしとようやく学園から死者の痕跡を追い出すことが出来たとぼくは下校する。

「発狂する死体と成り果てる前に退却するか。どちらにせよ感染は始まっている。私でも40年ぶりだ」

用務員さんは焼却炉にプリントを放り込みながらぼくにいつものように奇妙な予言のようなものを残す。さっきまでどこかで用事を済ませていたのだろうか。こんな時だから彼もたくさんの雑務に追われていたのかもしれない。正門から出るのはなんだか忍びない気がして用務員棟の奥手にある裏門から学園内をでていくと、クラスメイトの宝生院が男子生徒と真剣に何かを話している。彼女はこちらに気付くけれどまるで知らない人間でも見るかのような視線を向けると再び男子生徒と話を始める。

「どうして私が殺めることに囚われ始めているなんてわかるの?」

「そうじゃない。けれどぼくに触れた日の夜は必ず君の感覚は喜びに打ち震えている。傍にいないのに痛いほど伝わってくる。文字通りに」

「あなたに知って欲しいからよ。寂しさが心を覆い尽くしていることに」

「痛みはぼくの感覚器官を通して相殺される。君のエーテルみたいにうまくは出来ないけれど回路が心を封じ込めていないことは知っている」

「それはあなたの身体に刻印を刻んだお父さまに言うべきよ」

「君はその為に罪を犯すという。ぼくにはどれだけ知ろうとしても理解出来ない」

「罪ではないわ。私は必要な悪を大義に基づき行なっている」

「それでも君は女の子なんだ。その手を血で汚す必要があるとは思えない」

「私には宝生院の血筋と相殺の力が宿っている。黒包丁が血に飢えているなら役目を果たさなければいけない」

「君がするべきではないこともあるよ。というより宝生院真那と時田学にはもっと狭い世界が必要なんだ」

ぼくは目の前で行われている非日常的な会話をまるで演劇でも観察するように眺めてしまう。宝生院はぼくに見せつけるように時田学という彼女の幼なじみの男子学生と蜜月を示しながら教室で見せる顔とはまったく違う女性的な仕草で普通科と思われる男子生徒と殺人考察を始めていて、もしかしたら彼女たちはぼくの知らない場所で暗がりよりもっと深い闇に沈んでいきながら悲劇と喜劇の違いを明確に判別出来ない奪い合いを堪能してきたのかもしれない。深呼吸をして街の中に散らばっていた矛盾螺旋を拾い集めるようにして既に過ぎ去ってしまった生命の奪い合いを宝生院真那と時田学の姿に重ね合わせる。柔く細い首筋を力強く男性的な両腕で簡単にへし折ってしまう優しい母だけを求める光を忘れてしまった男や工業製品の中に工業製品として人間を埋め込もうとする機械だけを愛する女が真夜中になると、自らは血液によって汚されることなく至高の快楽だけを追い求める感染者たちの狂宴に呑み込まれているのかもしれない。 個性なんてものはもしかしたら必要ないことかもしれないけれど、それでもそんな小さなものを追い求めてしまう獣たちが集う夜をぼくは魔術回路を模倣した電子の交通網の中に噂が走り回っているのを聞いたことがある。殺害時刻が記載された秘匿通信に紫色のカバが入り込んできてI.D.にまつわる数字を提示するように求めてくるのだ。次の日から黄色い長靴を履いた紫色のカバに殺意の使用を認められ体液の味を知ることを赦される。

「いいか。大切なのはそれを持っているということを忘れないことだ」

紫色のカバはカッターナイフや出刃包丁や拳銃の所持を邂逅したものに提案して日常からもはや抜け出してしまうことを求めてくる。宝生院は出会えたのかもしれない。けれど、瀧川と米澤は心残りを抱えたまま黄色い長靴を履いた紫色のカバとは出会えなかったのだろう。突き抜けるような青空に向かってまるで停止した時間に止まることを最初から求めていたように彼女たちは手を繋いで屋上から飛び降りて完璧を求めるような死体へと変貌してしまった。魔女の血をどこからかこの学園に持ち込んで災いを持ち込んでしまった為に罪過に苛まれるものを増殖させてたぶんそのうち七星学園だけではなくたくさんの街を巻き込んで闇に紛れながら欲望を振りかざすものを集め続けてながら肥大化させていくだろう。

「ぼくはこの狂宴が始まったことを自覚して呑み込まれないようにするだけなんだ。正確な回路図だけがぼくの中に埋め込まれている」

きっとブラックエンドはこの因果を弥美の左腕へと閉じ込めてしまったんだろう。だからぼくはまるで学園中を呑み込むような悪意になんて振り回されないように黒い祈りによって埋めこまれた真理の扉を切り開かなければいけない。どうやらとても純粋な光によって箱舟に乗れずに取り残された暗がりは統制されてしまう危険性があるようだ。逃げ出したくなるってことよりも縦横無尽に張り巡らされた結界から抜け出す術だけを考えるべきなんだろう。そうやってぼくは弥美に手渡された眼球にまつわる奇異な物語の数々を拾い集めて満たされることのない渇きによって犯された白紙のページに黒いインキを染み込ませていくしかないと決意する。

「けどさ、君はいつも約束を破るじゃないか。私に痛みを与えてもいいって約束はまだ続いているんだ。忘れないでいてほしい」

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